第八匹:始まりの終わりで終わり。
馬で実験してわかったことがある。
それは最初に吸血した際に、フィーユがそれほどには痒みを訴えていなかった理由でもある。
俺は蚊として、吸血方法を誤っていたのだ。
まず二本の鋸状の針を頭ごとピストンさせながら肌を切り裂く。
すかさずその傷口を二本の針で支えながら、残った内の一本でフィーユの体内に唾液を注入する。
そしてそれと共に、最後の針で血管から血を吸い上げる。
これが、蚊としての吸血スタイル。
強引に針を突き刺して吸うのではない。静かに気付かれずの蚊の極意。
俺は再生能力があるために、無理やりな吸血方法を取っても胃がもたれる程度だったが、この手順を踏まなければどうやら血が固まってしまうらしい。実験でようやく理解したが、唾液に血の凝固を妨げる成分が入っているようだ。
蚊の本能が、この方法へ俺を導いてくれた。
そして、これこそが俺という吸血鬼の吸血方法でもあるのだ。
「うっ……あ、ああッ!?」
すぐさま効果は現れた。
「かゆぅぅいいぃぃぃ!?」
蚊に刺された場合の痒みの正体、それは蚊の唾液によるアレルギー反応だ。
故に唾液を注入すれば当然痒い。
だが。
「いぃぃぃうぅぅ……ああああぁぁッ!!!!」
精神感応魔法の効果を払うように、フィーユが聖槍を振るうと風切音と共に強い風が這い寄るジョナスに吹き付けた。
「これはッ!?」
何かを察知したジョナスが一気に距離を縮め、足元からパンチラを狙いつつ槍の穂先をフィーユの股下から振り上げる。
それに相対するように、フィーユが片手で持ち上げた槍を振り下ろす。
「「聖的一閃ッ!!」」
同じ槍、同じ技が至近距離で激突し、あふれ出すように弾かれ逸らされた斬撃が、床を、そして壁を切り裂く。
衝撃で二人同時に弾き飛ばされる中で、肩口から血を流しながら吹き飛ぶジョナスがニタリと笑った。
「白だっ!!」
同じく吹き飛ばされながらも、無傷なままのフィーユは槍を後方の床へと突き立てて衝撃を押さえ込みながら、勝ち誇ったように笑う。
「今日履いているのはピンクです!!」
ジョナスの顔が悲痛に歪む。
「馬鹿……な……」
ドサリと地面に打ち付けられ、そのまま白目を剥いて動かなくなった。
そんなジョナスに俺は意気揚々と勝利宣言してやる。
「フッ、いくら足掻こうと全ては無駄。お前はその程度の男だったということさ」
フィーユの股下を霧となって守った俺は蚊の姿に戻り、荒く上下するフィーユの肩へと戻――。
べちんっ!
「かゆいぃぃぃ!! 何してくれてんですか!! フッ、じゃないですよ!!」
「あ……いや、だから……ちょっと待って、再生するから」
「あぁもう! 痒いし痕が残ったらどうしてくれるんですか!」
「大丈夫、だと思うよ? なにせ腕力と一緒に治癒力も一時的に上がっているはずだから、たぶん」
吸血鬼が血を吸えば、吸われた相手も吸血鬼となる。定番中の定番といえる吸血鬼の特性の一つだ。
当然俺は巨大幼女に要望を出した。ただ誰彼構わず吸血鬼化するとパンデミックになるからと、始祖たる俺だけの能力であり、吸血鬼化させるのも程度をコントロールできるようにと注文していた。
最初に吸血した時にフィーユに何の変化もなかったは、検証の結果どうやら唾液の注入有無の問題だったらしいということがわかった。
つまり、吸血鬼化とそのコントロールする術というのが、痒みの元である唾液の注入量なわけである。
普通の吸血鬼がどうしてるのか知らないが、方法までは注文してなかったなぁと今さらながら後悔している。
「お前を一時的に吸血鬼にした」
「何をしてくれてるんですかぁ!? お嫁にいけませんよ!!」
「いや嫁云々の問題じゃないと思うんだけど、でも大丈夫だから、一時的だから。一時的にその力を上げただけで、すぐに戻る。……はずだから」
「今最後なんて言いました? 蚊の鳴くような声でなんて言いました? 聞こえなかったんですけど!! もぅやだぁ、帰りたい!」
涙目で訴えるフィーユが槍をズドンと床に打ちつけると、容易く床がひび割れる。
いくら再生能力があるとはいえど、少し離れておいた方が良さそうだ。
「帰ってもらっちゃ困るかなあ?」
フィーユからゆっくり距離を取っているところで、ヘルシス・ヴァニングが愉快そうに笑みを湛えてフィーユに近づく。
まずいか、と俺は再びフィーユの許へと戻る。
「言い出しっぺがすぐにお寝んねしちゃったからさあ、退屈してたんだよねえ」
振り向きもせずヘルシスは肩越しに後方を指差し、そちらを見れば射し込む陽光に包まれ横たわっているジャックの姿があった。
ただかませ犬のことはどうでもいい。問題はそこじゃない。
謁見の間の壁に陽の光が射し込む大きな窓が出来ていることこそが問題だ。
フィーユとジョナスの戦いで出来た傷跡がそこら中にあるが、その大穴はその比ではない規模の破壊力を目の前の少女が持っているということを物語っている。
「無理です。降参します」
フィーユがすぐに白旗を振るのも仕方の無いことだった。
「えぇー、お願い。今見てたけどわりと強いじゃない? 爆発力はあるほうでしょ?」
「いえ、あなたのアレ、正真正銘の爆発ですよね? あんなの当たったら私死んじゃう」
ふるふると頭と白旗を振るフィーユに、ちょっとだけだからと言いつつ、一瞬で距離を詰めて強請るヘルシス。
フィーユの背筋に冷や汗が流れていく。
それはそうだ。なにせ今のヘルシスの動きがほとんど視認できなかった。
闘いが既に始まっていたなら、もう既に決着はついていただろう。
しばらく二人の女子がそんな問答を続ける中で、王様が先ほどからゴホンゴホンとわざとらしい咳払いをしては無視されている。
ちょうど良いので、そろそろフィーユと王様に救いの手を差し伸べてやろうか。
「フィーユ、あの王様が何か言いたげだぞ」
「あ、あぁ! ヘルシスさん、すっかり忘れてましたけど王様の前ですよ! お話を聞きましょう」
「ん? あぁーそうだったね。そういえば、なんでこんなことしてるんだっけ」
ようやく二人が向き直り、咳払いし過ぎて咽た王様の言葉を待っている間、天井から剥がれた破片がぼろぼろと落ちてくる。
よく見ると、王様もなんだかボロボロだった。
「フィーユ・アルトゥリア、余の奨励にお前は知らないと答えたな。どういうつもりだったのか聞かせてもらおう」
「あ、すみません。それ王様に向かって言ったんじゃないんです。誤解です」
「……ヘルシス・ヴァニング、なんでこんなことをしてるんだと言ったな」
「言ったよ。私って忘れっぽくてさあ。フィーユちゃんだっけ? 何でか教えてよ」
「え? 私も知りませんよ。なんか勝手に始まっちゃっていい迷惑でしたよ」
「……二人とも、お主等が闘い始めた際に、闘技場でやれと言ったのを無視したのはなぜだ」
「そんなの言ってたっけ? 聞こえなかったんだけど」
「私にも聞こえませんでしたね。もう少し大きい声で仰って頂けたなら良かったんですけど、今さら聞かされてもって感じですね」
二人の言い分を聞き仰々しく頷いて見せた王様は、目を見開きながら顔を上げ、胸いっぱいに息を吸い込み。
「お前等、帰れえぇぇぇぇぇ!!!!」
こうして勇者フィーユと俺の旅は、始まりの終わりと共に幕を閉じちゃったのだった。