第六十五匹:もっとろくでもない世界。
夜闇の中に崖のように聳え立った城があった。
その最上階に位置する部屋だけ窓が開いており、白いカーテンが風に揺れ手招きしている。
その内には、捲くれた裾からヘソを覗かせたまま幸せそうな寝顔をしている少女の姿があった。
音もなく忍び寄り、顕なその白い首筋に視線を落とすと無意識に喉が鳴る。
もう喉がからからだった。
甘い匂いに導かれるままに、少女の腰に手を回し、首筋に唇をあてがう。
夢でも見ているのか、少女はされるがままに抱き寄せられながら、その手を俺の背中に這わせ――。
「いたたたた――ッ!? お前が噛みつくんじゃねえよ!!」
「……レディの寝室に忍び込んだ人の言うことですかね。八つ裂きにされてもおかしくありませんよ」
「いや、違う、違うんだ。そうは見えないだろうけど……」
「蚊ーさん、ですよね」
俺の胸に一度顔をうずめるようにしてから、フィーユは俺の顔をチラリと見上げる。
「魔王にちょっと似てますけど、目つきがちょっと優しくて、でも無精ひげを生やして、なんかエキゾチックな顔ですね。それが元のお顔なんですか」
「元の顔というより元々なりたかった顔と姿、理想の吸血鬼かな……。ってそうじゃなくて、なんで俺だとわかったんだよ」
再度感触を確かめるように顔をうずめて、フィーユはそのまま「それは」と囁くように呟いた。
「戻ってくるって信じてましたから」
潤んだ瞳で見上げられ、そんなことを言われるとどうしていいかわからなくなる。
いや、寝汗をかいていたのか漂う甘い香りと喉の渇きが限界で、したいことを抑えられなくなる。
「フィーユ……」
もう喋ることすら惜しい。
フィーユの腰を強く寄せつけそう訴えると、それが伝わったのか頬を赤く染めたフィーユがゆっくり細い指を立て俺の唇に当てた。
「わかりましたから、そんながっつかないで下さい。ちょっと、怖いです」
「あ、ああ、悪い。そうだな……」
「それに一応、聞かせてもらえませんか? 何があったのか」
そんな話は後でいいと指を払いのけたい衝動に駆られながらも、ここは紳士的に理性的にいこうと自身を戒める。
俺の理想の吸血鬼は豪快でありながらも、理知的で紳士的なのだ。
「あの時、俺は魔王と確かに一体になった。ただ一体ではあるものの、異なる部分で特性が強く出ている状態だったんだ」
「その結果があの蚊人間なわけですね」
「ああ。その上で聖槍に心臓を貫かれ、魔王の、そして俺のでもある身体が崩れていった。終わったんだと本気で思ったよ。だけど、断片というか、ひどく曖昧ながらもぎりぎりのところで俺の意識は残っていた」
「身体がなくなったのにですか? もしかして店長神様が何か特別なお計らいを?」
「んなわけない。あいつにそんな頭ねえよ。話しとしては単純だ。心臓を貫いた聖槍の力で身体を破壊されたけど、それでも僅かながら残ってたんだよ。あの魔王が以前そうであったように」
「じゃあ心臓は魔王のもので、蚊ーさんの心臓は別にあったと」
「ほぼ正解だけどちょっと違う。確かに俺も魔王と同じく、心臓を貫かれると死ぬって弱点を持ってたんだけど、そもそもさ、俺、蚊だったんだよ」
「……何をいまさら。頭の回復はまだですか?」
「なんで久々の再開なのにそんなに辛辣なの? わかったよ、はっきり言ってしまうとさ、蚊にはないんだよ。心臓が」
「えぇ……」
「そんな苦い顔されても、あの幼女神のせいなんだから知らねえよ。近いものはあるんだが、それも背中側だから、どうも致命傷を免れられたらしい」
「つまり、蚊だったから助かったと。……それでこれまでの二年近く何してたんですか? 色々その間にもあって大変だったんですよ?」
「だからギリギリだったんだよ。普通に治癒できるような程度じゃなかったから、時間をかけて少しずつ回復していってたんだ。その途中で魔王の特性が混じっていることに気付いてさ、おかげでこの姿になれたというわけだ。でもずっともう血を吸ってないんだ。だから頼む、ちょっとだけでいいから!」
ジロリと俺を睨んだものの、ほどなくしてフィーユはやれやれと肩をすくめる。
「仕方ないですね」と恥ずかしそうに視線を逸らしたので肩を掴んで引き寄せようとしたところで、突如フィーユはパンッと手を打った。
「お待たせ致しました。フィーユ様」
扉を開けて一人の執事が何やら運びこんでくる。
グラスが二つと水差しが一つ。
台車を止め、執事が水差しを掲げるように持ち上げてグラスに注ぐのは、赤い水。
「おい、まさかそれ……」
そんな戸惑いに構いもせず、グラスの一つを持ったフィーユは注がれた赤い水の香りを楽しんでいる。
「うん、この爽やかな酸味とほのかな甘い香り……十代の女性ですね」
「三十代男性のものでございます。フィーユ様」
「そっちかー」
「そっちかー、じゃねえよ。比較にならない雲泥の差じゃねえか。いや、違う。それより、なんでだ!? なんでお前が、血を飲むんだよ!」
赤い血を弄ぶようにグラスを回しながらフィーユの口元に八重歯が覗いた。
「あなたのせいですよ? ほら、魔王と戦った時、目いっぱい私の血を吸ってくれたでしょう。あの後、まったく元に戻らなくてですね。あれからずっとそのままというわけです」
「俺の吸血鬼化は一時的なものだったはずだろ!? なんでそんなことになるんだよ!」
「さあ? でもたぶんですけど、元々吸血鬼の血を引いてたからかもしれませんね。蚊ーさんと魔王が混ざって、蚊ーさんが魔王の特性を引き継いだというなら、私は蚊ーさんに吸血鬼にされることで、元々の特性が引き出されてしまったのかもしれません」
「マジで……?」
「マジです」
まさか、そんなことになっているとは。
仕方が無かったとはいえ確かに俺の責任だ。
どうしたものかと考えている中、視界の隅に妙なものが映りこむ。
「おい執事。なんで俺の分をお前が飲んでんだよ」
うまそうに喉を鳴らしながら、もう一つのグラスを空けた執事は悪びれる様子もなく、
「喉渇いちゃって」
はにかむように笑いやがった。そして覗くのはやはり八重歯。
「……おい、ちょっと待て。え、魔王は滅んだし、そもそも全員俺が血を吸って治したはずだし、……えぇっ!?」
「どうしたんですか、蚊ー様」
「いや、だって執事が血を飲むなんておかし……なんだその呼び方」
「良いじゃないですか一杯ぐらい。街の人から任意で供給してもらってますから、在庫もたっぷりありますし。名前については、蚊ーさんじゃ威厳がないからです。そういえばいっぱいいたのが合体したから複数形の方が良いですか? 蚊ーズ様」
「それもやめてくれ。それ以前に様をつければ良いって話じゃないと思う……じゃなくて、威厳? そりゃあこの姿だから威厳ある名前が良いけど、ちょっと待て、何だ!? 何を笑ってんだ!!」
立ち上がったフィーユがカーテンの揺れる窓際に立ち、窓の外に手を出して言う。
「ようこそ、人間と魔物の共存する街、カナイ王国へ!」
「……カナイ、王国?」
「そうです。人類側と魔王側以外の第三の選択肢、人と魔物が共存し、希望者は人から吸血鬼になることもできる自由な国です。旧魔王軍が事実上空中分解を始めているため、新生魔王軍としてただ今魔物のゲリラと人類と絶賛戦争中ですっ!」
「なにしてくれてんの」
「いやあ、ほら吸血鬼化すると調子良くなるじゃないですか? 案外希望者がいっぱいいましてね、結構良い儲けになりまして」
「金取ってたのかよ」
「でも私が血を吸うと戻らないみたいでして、後でわかってやばってなったんですけど、なんか吸血鬼化すると細かいことはどうでもよくなるみたいで、しかもそれでもなりたいって人も続出しまして」
「相変わらず行き当たりばったりだな」
「次第に人……というか吸血鬼が増えていって、分裂した魔王軍から逃げ出した魔物も仲間だと思ったのか近づいて来るようになりまして……。そうなるともうカナイ村のあった山がそうであったように、ここを人と魔物の住む場所にしちゃえって」
ああ、そうか。
あの伝説のお姫様も、こんな軽さでカナイ村を作ったんだろう。
それがありありと想像できてしまった。
「そんなこんなしてたらですねえ、人類側が目の仇にして来たもんで」
「勢いで新生魔王軍と名乗った、と」
わかってるー、と言わんばかりにフィーユはニコリと笑う。
「せっかく世界を救ったのに、なにやってんだよ……」
ベッドにへたり込んだ俺の傍に来たフィーユは、しゃがみこんで頬杖をつきながら俺の顔を覗く。
「やりたいこと、ですよ? 魔王の言ったことで一つだけ気に入ったものがありました。魔物と人の共存、良いじゃないですか。楽しそうで。カナイ村では同じ場所に住みはしても、共存と呼べるほどではありませんでした。もし共存できれば、アラクネの下着然り、人魚のミイラ然り、色々と新しい物が生まれるでしょう。でも魔王はルールや常識ありきで、それを押し付けて共存させようとしていた。私はそんなことはしません。そんなもの、一緒に住んでみて、決めていけば良いんですよ」
「そんなことしたら、とんでもないことになるんじゃないか」
「なってますよ。一部では毎日がお祭りと評判です」
「たくましいなあ……」
「普通ですよ、この世界では。あなたや魔王がそうじゃなかっただけで」
「……」
言葉を失った俺を見上げるフィーユが頬をゆるませ、まるで願いが叶ったとでもいうようにうれしそうな顔で言う。
「あなたは、幸せですか」
幸せ。
俺の幸せとは、何だろうか。
「役目とやらは終わったんじゃないですか? その上で、あなたはここで何をしたいんですか?」
「俺は……とりあえずお前の血が飲みたい」
「デザートというのは、最後と決まっているものなのですよ」
「俺にとっては何よりのメインディッシュなんだけどな」
「それは嬉しいお言葉ですね。でもご馳走はめったに食べれないものですよ」
「二年待ってもダメとはひどいな……」
フィーユが苦笑いしかできずにいる俺の手を取り、俺はそれに引かれるまま立ち上がる。
「今や新生魔王軍補佐官の立場の私ですから、早々血を吸われては下の者に示しがつきません」
「補佐官。そうか。なるほどな……。そりゃあどこの誰だかわからない奴に血を吸わせられないな」
言わんとしていることはわかった。
俺の幸せ。俺のやりたいこと。
こんな世界でそんなものあっただろうかと考える。
そして……一つだけ見つけた。
「ほんとろくでもない世界だよ。ずっとずっとお前らに振り回されて、もう懲り懲りだ。だからさ……」
フィーユが俺の腕を自分の肩にまわすようにして横に立つ。
何度となく蚊として止まっていた肩は、案外小さくて華奢なものだった。
そんな小さな肩を引き寄せて、俺は決意を言葉にした。
「今度は俺の番だ! せっかく理想的な吸血鬼になれたんだ。今までの憂さ晴らしもかねて、このろくでもない、しょうもない世界を支配して、人間と魔物が一緒に暮らして毎日騒々しいぐらいのもっとろくでもない世界にしてやろうじゃねえか!!」
フィーユは俺を見上げながら鈴が鳴るように楽しげに笑う。
「さあ、まずは二年分いっぱいお話ししたいことがあるんですよ。ちゃんと全部聞いてもらいますからね? あ、でもその前に、やって来たのが騎士様じゃなかったのはちょっと残念ですけど――」
羞恥心を誤魔化すみたいに口を尖らせ、一歩前に出たかと思えばクルリと踵を返して柔らかな笑みが向けられる。
営業スマイルではない。
きっとそれは、フィーユの本心での笑み。
これで良かったんだと思えた。だって自然と俺も笑っていたから。
勇者を助けるために送られて、こんな結果にはなったけれど、おかしいのかもしれないけれど、でもこれで良い。
お決まりなんていらない。定番なんて知らない。
俺は、このおかしな世界の住人として生きていく。
この、もはや勇者から魔王補佐官となってしまったフィーユと共に。
「――はじめまして。そしておかえりなさい、私の魔王様」
お読み頂きありがとうございました!
読んで下さる方がいたからこそ、そしてブクマや評価、感想まで残して下さる方がいてこそ、それを励みに完結まで書けました。本当にありがとうございました。
近いうちに本作と同じジャンルでまた新作を投稿しようと考えておりますので、もしよろしければそちらも応援頂けますと嬉しいです。
繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。これにて本作は完結です。




