第五十七匹:解き放つべきもの。
「ぎゃあああああッ!!?」
もはや、それが誰の悲鳴かもわからない。
扉の前では小さな真っ黒い人影が転がりまわっている。
良い気味だ。
「な、なんだ!? 何なのだこれは!!」
一人漆黒の嵐の中で幸運にも取り残された者がいた。
「元国王、これが何に見える」
「何? これは、これは虫……ッ!?」
そう、虫だ。
もっと正確にいうと、蚊の大群だ。
突如部屋になだれ込んで来た蚊の大群が、フィーユとユーコ、そして店長神に群がっている。
ここだけではない。
屋敷の中からも、外からも悲鳴が聞こえてきている。
誰も彼もが蚊の大群に一斉に襲われているのだ。
ただし男は除く。
「なぜこれほどの虫が……。下水の掃除も定期的にやるよう指示しておったというのに!!」
偉いね、ちゃんとそういうことはしてたんだ。先代と違って。
しかし。
「無駄だ。そんなことをしても」
「くっ、これでは魔王様から仰せつかった綺麗な街造りが叶わぬ。後で徹底的に汚水対策を講じなければ……。だが、いくら虫がわこうとなんだというのだ! まさかこれで我々を止められるとでもいうのか。こんなものすぐに収まるわ!」
「はたして、それはどうかな……」
どういうことだ、と元国王は扉の前でとうとう痙攣し始めた黒い小さな人影を睨みつける。
まだそっちが喋ってると思ってのかよ。もういいけど。
「一匹の蚊がいた。そいつは血を吸う蚊だった。これが意味するところがわかるか? 俺は最初気付けなかった。だがこの世界に来てすぐ腹痛に見舞われて、そしてこの身体をもって理解させられた。血を吸うっていうことはな、メスってことだったんだよ。そしてメスが血を吸うのはな……産卵のためなんだよ!!」
「……はあ、そ、そうなのか」
「そうだよ! 何か変だなあと思ってたら卵産んじゃったよ!! 蚊にされた挙句TSものだったんだよ!!」
「……な、なに、TS?」
「そこは気にしなくて良いんだよ!! とにかくだ、俺はメスで卵を産んだ。そりゃあもう辛かったよ! でも産んじまったもんは仕方ない。路地裏の桶に溜まった雨水の中の生まれた子供を見守ったよ。そしたらどうなったと思う」
「そ、それは……蚊になるのだろう?」
「あぁそうだよ。蚊だよ。だがそこはまだ良いんだ。良くはないけど蚊が産んだらそりゃあ蚊になるだろうさ。なんせ俺、蚊だからねえッ!!」
「そう、だった、のか……」
「そうだよ!! でもそれただの蚊じゃないんだよ。急激に成長して喋り出したと思ったらさあ……俺なんだよ!! 信じられるか!?」
「いやちょっと意味が……」
「だよねえええ!! 俺だってそうだったよ。でも俺なんだよ。俺から生まれた俺なんだよ。俺と同じ思考で俺と同じことを言うんだよ。まったく意味がわからねえよ!! ああ、もうむしゃくしゃして来た! おい、そこの幼女神の血、無くなるまで吸っちまえ!!」
「よしきた!」
黒い小さな人影から無数の同じ声が返ってくる。
そんな様子を見て、とうとう元国王が震え始めた。
筆舌に尽くしがたい、混乱と恐れと不快感を混ぜたような表情をしている。
「そんな中で、次に何が起こったと思う?」
「まだ、あるのか……」
「あるよお。終わりだと思うよねえ? でも違うの、まだあったの。いや、終わりなんてなかったの。なにせね、俺、不死身だったの。回復しちゃうの、何もかもが」
「つまり、なんだ……まさか」
「ああ、産んだはずの卵が再生した。また産んだ。また再生した。また産んだ。ついでに俺の産んだ俺も産んだ。俺の産んだ俺も産んで生まれた俺がさらに産んで生まれた俺がさらに産んで生まれた俺がさらに産んだ。そして」
「そして……」
「俺は、星の数以上に増えた。これ全部、俺。ぜーんぶ俺。こんなおかしな世界で、こんなわけのわからない存在にさせられて、それでも常識を持ってまともであろうとしてきたよ? でももういいよね? 俺、がんばったよね? まぁ最初から俺もろくでもない状態にさせられてたわけなんですけどねッ!! ずっとわかってたよ! ろくでもないとか、わけがわからないとか、そんな事言ってる俺も相当わけわかんないことになってるってさああッ!!」
もはや元国王は返す言葉もないのかただ黙り込む。
俺でもそうなるだろう。
だってわけわかんないもん。
「元国王、たぶんあんたはこの状況を理解できないだろう。いや理解できるやつなんていないだろう。ただ結果だけは教えてやる。始まるのは――」
甲高い羽音を上げ、外套を翻すように蚊の大群が室内を旋回する。
その中心で怪しく眼を輝かせ聖槍を握った少女がのそりと起き上がった。
「――吸血鬼対吸血鬼の、戦争だ」
◇
「嘆きと怒りの天刑ッ!!」
その声と共に、木っ端微塵に部屋が吹き飛び、何もかもが宙へと投げ出される。
「やり過ぎだ!」
落下しながら身体を再生しつつ叫ぶと、見たこともない程見開かれた目をフィーユが向けてきていた。
「お前を狙ったんだよおお!!」
「フィーユちゃんこわーい」
化けの皮どころか肉まで削ぎ落として本性出ちゃってますよ?
こわくて泣きそうです。
「痒みで死ぬかと、思いましたよッ!!」
「でももう大丈夫だろ。吸血鬼の治癒力が勝れば問題はない。まああんな大量に蚊に刺されたらショックで死ぬかもとはちょっと思ってたけど」
「そんな状態でよくもやってくれましたね!? 嘘つかないって言ってたのに、よくも騙してくれましたねえ!! これが終わったら一日は口を利いてあげませんからね!!」
ユーコを抱えたまま落下しながら、ぷいっとそっぽを向く。
そんなことしてる場合か。そして思いのほか刑が軽くてびっくりだよ。ずいぶん丸くなったなあ、なんて言ってる場合じゃねえ。
「それよりいくら吸血鬼化してるとはいえ、この高さは危うい。なんなら俺達で持ち上げるか」
「やめてください。もうあんな大群の中にいたくありません。自分でなんとかします、よっ!!」
フィーユは落下しながら強引に屋敷の外壁に槍を突き刺す。
まるでペンで線を引くように容易く壁に線が刻み込まれ、
「よっ、と」
地面すれすれで止まった槍を引き抜き着地する。
「自分でやっておいてなんですが、何ですかこのデタラメな力は……」
呟きながらユーコを下ろし周囲を見回せば、門の向こうからは阿鼻叫喚が、さらにその向こうからは爆発音が、そして火の柱が上がるのが見える。
蚊に襲われる人々、そして俺の眷属となった人々――女性のみ――に襲われる元国王の眷属、その雄たけびと悲鳴が数え切れない程に聞こえてくる。
もはやこの街に逃げ場はなく、誰も彼もがどちらかの吸血鬼となっていることだろう。
しかしそんな中でもヘルシスやミーナは無事に違いない。少し前までは。
今は大挙して襲い掛かってくる不死身の蚊がいる。さすがにあの二人でもその全てに対処することは不可能なはずだ。
「ヘルシスもミーナも吸血鬼化してるだろうな」
「えぇ……。明かに街の破壊速度が上がってますよね、あれ」
景気よく建物が三つ同時に打ち上げられ、大爆発するのが見えた。
やはり吸血鬼化したみたいだけど、街は終わったな。これ。
「貴様らああああッ!!」
頭上から叫びが降り、見上げれば元国王が憤怒の表情で落ちてくる。
「ふざけおって! 最初に城へ来た時からそうだ。貴様等がわきまえず礼儀も知らぬから帰す羽目になった! そしてその結果、王国軍は壊滅することになった! 全て貴様等の責任だああああッ!!」
「……だってさ」
「やれやれですね」
矢のように襲いかかる元国王を前に、フィーユは片手でクルリと槍を回し構える。
「おとといきやがれえぇぇぇぇッ!!!!」
凄まじい力で振られた槍がしなり、降ってきた元国王に直撃する。
鈍い音を体内から響かせ呻きを漏らし、ぐにゃりと曲げられた身体ごと吹き飛んでいく。
軌道を無理やり直角に曲げられ、壁を突き抜けさらに通りの向こうの商店をも貫き、元国王は消えていった。
「まったく、力を与えられても役に立たないとは」
狂乱と爆発音の中、ゾワリと背筋が震えるような男の声が……突如足元から湧き上がる。
「それはそうと、もう少し足を広げてもらえないかね」
カサカサッと這い寄るジョナスの姿が、そこにあった。
「ぎにゃああああッ!? 聖的一閃ッ!!」
風に乗るようにしてジョナスが退き、フィーユはスカートを押さえながらユーコを庇い、吐き気を催したような顔をした。
「チッ、あともう少しで見えたものを」
「あなた、相変わらず気持ち悪いですね。それに私に仕事を丸投げしておいて、今さらのこのことよく姿をあらわせましたね!」
「何を言うかと思えば、提案はしましたし根回しはしましたが、最初からこんな街の管理などするつもりはなかったのですよ。あと、気持ち悪がられても私は気持ちが良い!!」
「き、気持ち悪いぃぃぃッ!!」
そんな少し懐かしさを感じるやりとりを聞きつつ、周囲にいた俺にミーナへの知らせを頼む。
彼女が来れば問題はない……いやこちらまで被害に合う可能性はあるんだが、それは後で考えるとしよう。
「ううむ、しかし確かに今出るつもりはなかったのですよ。パンティーが見えそうだと思って出てきてしまいましたが。予定が狂ってしまいましね……」
斬りかかりたいようだが、片手でスカートを押さえている為に、フィーユは思うように動けないらしい。
そんな中、小さな背中が俺の視界に入り込む。
「なかなかやんべな」
「ちょっと、ユーコ! ダメです。変態に近づいたら伝染りますから!! 蚊ーさん、さっさと血を吸い尽くして倒しちゃってくださいよ!」
「それができたらとっくにしてるよ」
「何かできない理由があるんですか!?」
「……誰も、男の血を吸いたがらないんだもん」
ちなみに、俺もイヤです。
「おい、この緊急時に蚊ーさんおい」
そう言われてもどうしようもない。
しかも誰がこんな変態の血を吸いたがるんだよ。
「大丈夫、ミーナを呼びに言った。吸血鬼化していれば俺の声も届くはずだ」
「あぁ」とひとまず納得してくれたらしいフィーユが、ユーコの手を握ろうと手を伸ばす。ミーナが来るまで逃げてしまえばいいのだから当然だ。
しかし、その手を小さな手は振り払う。
「……ユーコ?」
「お姉、うち間違ってたべや」
「今さらでもわかってくれたのは嬉しいんですが、どれですか? 心当たりが多すぎて、お姉ちゃんちょっと見当がつかないんですけど」
珍しく正しいが、お前が言えることか?
「なあにをこそこそと、さて、久方ぶりに下水溝から出たのですから、たっぷりと鑑賞させていただきましょうか」
ほんとに下水にいたのかよ。
フィーユが言ってた通りじゃねぇか。
「ほらユーコ! あれはミーナさんにまかせて行きましょう。あなたも蚊ーさんに血を吸われたせいで吸血鬼化しているとはいえ、あれはダメです。勝っても負けても大事なものを失いますから!」
そんな悲痛な姉の訴えにも背中を向けたまま、ユーコは振り返らない。
「強ければパンツ見せ、弱ければパンツ見せられる。あの頃のウチは愚かだったべな……」
「ずっと愚かですよ! それはいいですからほら早く!!」
ユーコのおかしな発言より、フィーユがまともなツッコミをしたのに俺は心底驚いた。
「逃げる気なのですか? この私から逃げられると? フフッ、逃げ惑う最中のパンチラも良し!! 姉妹丼尚良し!!」
「うっ、おえっ」
フィーユがとうとうえずき始めたようだ。
限界値超えちゃったのね。
「さぁまずは小さなお嬢さん、メインディッシュの前にあなたのパンティーを――」
ジョナスの視線が一点で止まり、同時に言葉を詰まらせる。
「……そんな、まさか」
突如怯えたように震え、後ずさり。
視線の先には仁王立ちしたユーコがいる。
ただそれだけなのに、なぜかジョナスの態度は急変していく。
「今のうちに、うえっ、は、早く! ユーコ!!」
「お姉、パンツは見せるものでも、見せられるものでもねえ。弱き者が高いパンツを履いても、強き者が数枚でいくらのパンツを履いても、いいんだべや」
「ユーコ……。わかってくれたのは嬉しいんですが、すっごい普通のことですよ、それ。あと私のパンツは数枚でいくらではないですからね?」
「……そんなことも、ウチはネイイー様に教えてもらうまでわからなかったべや……」
「いやお姉ちゃんずうっと違うって言ってましたよね」
「人は愚かな生き物なんだべなあ……」
突然人類の問題にされても困る。
「わかってくれたなら、あの覗き魔の変質者からすぐ離れましょう! パンツは見せるものではないんでしょう!?」
「んだべ。パンツは履くもの。そして――」
フィーユの訴え空しく、ユーコがジョナスに向けて駆け出す。
ジョナスが身構え、フィーユがユーコを追おうとする中、
「――神の祝福を受け、やがて解き放つべきもの……ッ!」
俺とフィーユは目の前に落ちたものに気付く。
ユーコがつい今しがた立っていた場所。
そこに落ちていたのは、まるで天使の羽のような白く軽やかな、
――パンツだった。
「「ええええええええええええええッ!!!!」
ついにユーコは、原罪から解き放たれた。




