第五十二匹:この街でよく愚痴られているベストワン。
「さて、昨日働いたのでしばらくはお休みするとして……今日は何をしましょうか」
翌朝、二つセットでいくらかの紅茶を上品に飲みつつ、フィーユは思案する。
「よし、ゴロゴロしましょう」
「太るぞ」
つい禁句を口にしてしまいフィーユから睨まれる中、扉を開けて入って来たのは今日も元気なユーコだった。
「お姉、お小遣い欲しいべや!」
「……あげても良いですけど、またいかがわしいパンツを買うんじゃないでしょうね」
「違うべ。ジエンドオブパンツだから大丈夫だべや」
「もうあの店、潰してやりましょうか……」
そんな姉妹のいつも通りの会話を聞いていると、さらに扉の向こうから声がかかった。
「フィーユ様、少々よろしいでしょうか」
執事の問いかけに返事をしつつ、フィーユが扉の向こうへと消える。
そして驚きの声を上げて、すぐさま部屋に戻ってきた。
「蚊ーさん、昨日の女の子が病院を抜け出したそうです!」
「あんな状態で?」
「えぇ、夜更けに目覚めたそうなんですが、今朝様子を見に行ったところ姿が消えていたそうです」
「大丈夫なのか、あれだけ衰弱してたんだ。すぐには全快しないだろうに」
「えぇ、だからこれから探しに行こうと思います。蚊ーさんも来てください」
「お姉、うちも行くべや。帰りにアラクネ寄るべ」
「……PANTSUNOOWARIだか何だか知りませんけど、買いませんからね?」
新しいパンツを買ってもらう気満々のユーコを連れて、俺達はまず病院へと向かう。
出てくるなり医師はフィーユを見てハッとしたかと思えば、バツの悪そうな表情をして目をそらす。
怪しさの塊かよ。
「先生、昨日お預けしたあの子のことを詳しく教えてくださいますか」
「え、えぇ。といってもあまり話を聞けていませんでしたから、それほどお教えできることはないのですが……」
医師は妙に歯切れが悪い喋り方で、夜中に目覚めた少女は何も語らず、再度眠りにつき翌朝には姿を消したのだと語った。
つまり少女に関する新たな情報は一切なしだ。
「そうですか……あの子は大丈夫なんでしょうか。昨日の状態だと抜け出すほどの力もないように感じましたけど」
「その点は問題ないでしょう。おそらく走り回っても何ら問題ないほどの状態のはずです。あれは一時的なものだったようです」
「……血が不足していたのが一時的だって言うのか? いくらなんでも一晩で回復するものじゃないんじゃないか」
そんな俺の言葉を聞いてフィーユは顎に指を当て、それを見た医師が弁解するように早口で喋り出した。
「いえ、それがそもそもが私の見立て違いだったようでして、軽い貧血でよくあるものだったのではないかと……」
「……そうなんですか? だったなら安心なんですけど。しかしこのままにはしておけませんね、一度探してみようと思います。何か行き先に心当たりはありませんか」
「申し上げた通り、ろくに話もできなかったもので……申し訳ありません」
「そうですか……。わかりました。ではもし戻ってきたらご報告を」
そういい残して踵を返して外へ。
黙ったまま歩くフィーユにユーコが首を傾げる。
だがその理由には俺も気づいていた。
だからなにも言わず、肩の上でフィーユの言葉を待つ。
そして病院が見えなくなる頃、フィーユは口を開いた。
「蚊ーさん」
「あぁ……わかってる」
少女の失踪以上の問題が、不意に俺達の前に現れた。
安全が売りのこの街で、あってはならないことが。
「あの先生、俺の声に反応したな」
◇
「これはこれはフィーユ様、本日は一段と麗しい」
「そう、ですか……?」
「えぇえぇ、うちで買ってくださったその服も喜んでいますとも」
いつも険しい顔をしている古着屋の老婆が、初孫でも前にしたかのような柔和な笑みを浮かべている。
「ところでお婆さん、身長伸びましたか」
「やだよ、この年齢で伸びるわけがないじゃないか。でもそうだねぇ……」
フィーユを見下ろしながら老婆は言う。
「なんだか若い頃に戻ったみたいに気分が良いんだよ。腰の痛みもないし、背だって伸びそうなぐらい力が溢れてくるねぇ」
去っていく老婆の真っ直ぐ伸びた背中を見送りつつフィーユは小首を傾げた。
「あのお婆さん、背が高かったんですね……」
「あぁ、いつも腰がひんまがってたからわからなかったな……」
モデルのように歩いていく老婆を見送りつつ先へ進むと、今度は屋台の男から声をかけられる。
「おっフィーユ様、今日は珍しい果物入ってんだ。おひとつどうだい」
「あっ確かに見たことないですね」
「だろ? 切ると強い甘い匂いが……するんだが、なんだかフィーユ様も甘い匂いさせてんな」
「え? 特になにもつけてないですけど……。ところでお怪我の具合はどうですか」
「あぁ、今日起きたらすっかり治ってたよ。ほら」
「そうですか、それは何よりです。今日は用がありますので、果物はまた今度にしておきます」
「そうかい? まぁフィーユ様を前にしたらこいつも形無しだな。よっぽどフィーユ様の方が甘くて良い匂いしてるよ」
うっとりしているような視線を背に受けつつ、その場を後にする。
「正直な方ですよねぇ」
「ある意味そうだけどそうじゃねぇだろ。あのおっさん、三日前に骨折したんじゃなかったか? おかしくない?」
総合デパートの軒先で突っ立ったままの店長を見つつ、さらに街の中を探索する。
もはや少女の捜索以上の問題がそこら中にある。この街の異変を至急確かめなければならない。
フィーユの肩から飛び立ち、ホバリングしながら周囲を見渡し声を上げる。
「あの雇われ王様ぁぁ! 態度悪いよねぇぇ雇われのくせにぃぃ!!」
数人が俺の方に視線を向ける。
たがすぐに視線を戻して歩いていってしまう。
ならば。
「あの子見た目は良いのに中身はダメだよねえぇぇぇ! 運とコネだけで地位手に入れたくせに、偉そうにしやがってえぇぇぇぇ!! ど田舎者がぁぁぁぁぁ!!!!」
叫ぶや否や、行き交う者達が勢い良く振り返り、視線をさ迷わせる。
そして視線をさ迷わせている者同士、意気投合したように顔を合わせ頷き合い、唾を吐き捨てた。
「マジかよ……」
小さく漏らしながら、フィーユの肩に戻ると、
「見たかフィーユ、どうやら思っ、ぐうぇッ!?」
バチンッと叩き潰された。
「突然物凄い傷つけ方をされた気がするんですけど気のせいでしょうか」
「うん、気のせいじゃない? そんなことよりさ、今のこの状況について、待って! まだ再生がぁぁ!?」
「さっきのは私の事じゃないですよね? 皆さん別の人のことを考えていたんですよね? ねぇ?」
俺が叫んだのは、この街でよく愚痴られているベストワンとツーの言葉である。
「そ、それより今の見ただろ!」
「見ましたよ! 歩いている人の半分以上が唾を吐き捨ててくれましたよ! 集めたら結構な量ですよ! この街はいつからこんな街になったんですか!? あぁそうだ、善人な選ばれし人達だけ残して、そろそろ少し減らすべきですかね!」
「独裁者みたいなこと言ってる場合じゃないんだよ! 選ばれし者かどうかよりもっと根本的な部分で違いがあるだろ!!」
「私の敵か味方かです!」
「合ってるけど全然ちがぁうッ!!」
今更ながら、この期に及んでなやり取りをしつつ確信する。
一応フィーユも正しい認識がまだできていたらしく、事実にはきちんと気付いていた。
街全体での状況はわからないが、少なくとも通りを行く人々の半分以上は俺の声に反応した。
つまり。
「街に魔物が入り込――」
「あれ!? ユーコ! ユーコはどこですか! もうっ、あの子はまた勝手にふらふらと! また下着ですか!!」
どこまで行っても、この世界に緊張感は期待できないらしい。




