第五十一匹:ブラックドッグ。
「あぁ……暇って素敵」
昼過ぎだというのに、ダラダラとソファーに寝転がったフィーユが一人呟いている。
「この数週間ずっと同じ事言ってるよな」
「あら蚊ーさん、お散歩とやらから帰られてたんですね」
「あぁ。それよりそんなに暇ならたまには王様の手伝いにでも行ったらどうだ? 今日も行列できてたぞ」
適材適所。
そんなことを自慢げに言っていたが、要はフィーユは仕事を押し付けたのだ。
数週間前、国王がこの街にやって来た時、もう一度国を復活させるためだの、そのために用意していた街と言っても良いだの、適当に耳障りの良い台詞を吐きながらフィーユは国王にこの街の管理を依頼した。
もちろん断るなどという選択肢は用意されていない。
強制的に王とその臣下は、フィーユのしていた業務を押し付けられ、与えられた屋敷で日夜街の人々が持ち込む無理難題と格闘している。
そのおかげで、フィーユはこうして暇を贅沢に満喫しているわけだ。
仕事といえば、国王から整理した上でもたらされる情報の一部に目を通し最終確認を行う程度。
それで権利はそのまま手中に収めたままなのだから、笑いが止まらないだろう。
「あぁ……暇って超素敵」
そんな台詞を何百回と言いながら、フィーユはここ数週間ずっと満足気な笑みを浮かべたままだった。
「お前なぁ……」
「そんなことより蚊ーさん、ちょこちょこと散歩に行かれてるみたいですけど、何をなさってるんですか」
「……それは、その、生理的なものだよ」
「いえ、隠さなくても良いんですよ。どうせ血を吸いに行ってるんでしょ。まぁ蚊ですもの、仕方ありません。私は懐の深い女ですから許しますよ。私の血を勝手に吸ったら三日は口を聞いてあげませんけどね」
「はぁ、そうか」
「えぇ、ただ節度は保ってくださいね。しょっちゅう蚊に刺されるから駆除して欲しいっていう話が、何度か上がって来てましたから」
「……マジでか!?」
「はい。一応適当な言葉で濁して保留にしてはおきましたけど、限度がありますから、ご注意下さい」
「そうか……。そりゃそうなるか」
確かに気をつけた方が良さそうだ。
とはいえ、仕方のないものだからもはやどうにかできる気もしない。
「さて」
だらりと寝そべっていたソファーから立ち上がり、鈍った身体で伸びを一つ。
「私もお散歩とやらにでも行きますか。着いて来て下さい、蚊ーさん」
ササッと着替え槍を手にして戻って来たフィーユを見て、ふと数週間前の脱走劇を思い出す。
しかしもう脱走する必要はない。なにせ理想的な環境がようやく整ったのだ。
フィーユなら骨の髄までそれを吸い尽くすに決まっている。
ならば、何をしようというのか。
「散歩がてらのパトロールですよ」
「パトロール……? 街の警備ならギルドを通して冒険者に依頼しているんだろ」
「そうなんですけど、一つ未解決なままの案件があるみたいでして、私もこの目で見ておこうかと。狙って見れるものではないみたいですけどね」
「……ちなみに、何を」
嫌な予感がした。
「ブラックドッグって知ってますか」
「……え? なに? なにそれ、全然聞いたこともない。見た事も無い!」
「巷で噂になっているみたいですよ。ふと気付くと離れた場所に黒い犬がジッと立っていて、身動き一つせず突然パッと消えてしまうそうなんです」
「へぇぇ、不思議なこともあるもんだなぁぁ」
「特に危害はないそうなんですけど、街の人々が気味悪がってるみたいなんです。これは街を管理する者として見過ごせません。それに、珍しい魔物とかだったら、見世物にもなるかもしれませんし」
「お前もう、ほんととことんだな」
「とことん、何ですか……?」
圧力的な笑みで迫るフィーユをサッと交わしつつ考える。
いつかは伝えなきゃいけないことではあるが、……どうすれば怒られずにすむだろうか。
それが思いつかない限り、まだ伝える時ではない。
そして俺がそう考えるからこそ、ブラックドッグがフィーユの前に現れるわけはない。
◇
「あ、いましたよ! あれですよ、蚊ーさん!」
路地裏の奥、テンション高めのフィーユに言われて見てみれば、確かに黒い犬のような影がそこにあった。
「空気読めやああああああッ!!」
「あっ! 消えた! 蚊ーさんが騒ぐから消えちゃいましたよ!!」
何で平然と出てきてんだよ。
警戒心というものがないのかよ。
「もう、何を騒いでいるんですか。……というか、何か様子が変ですね。もしかして何か知ってますか」
「……いやぁ、なんのことだか……?」
ジロリと睨まれつつ、なんとか話題を変えようと苦し紛れに影のあった方向を示して、
「あれを見ろ!」
と適当なことを言ってみる。
「あれって……あれ? 誰か、倒れてる……?」
フィーユと共に駆け寄ってみると、本当にそこに少女が倒れこんでいた。
ユーコと同じくらいの年齢だろうか。小さな女の子は青白い顔をしたまま、ピクリともしない。
妹と重ねているのか、血相を変えたフィーユはその少女を抱き起こし、医者の下へと連れて行った。
「先生、あの子は大丈夫なんですか……!」
診察を終えて出てきた医師にフィーユが問う。
「フィーユ様が連れて来て下さったおかげで問題はないでしょう。どうやら重度の貧血のようですな。まだ目を覚ましませんが、安静にしていれば問題ありません」
「そうですか。良かった。怪我がないようなら何よりです」
「えぇ、小さな傷はありましたがかすり傷程度です。ただ出血の跡もなくあれ程の貧血状態になるのは解せません。おそらくは以前から貧血気味だったのでしょうが、何があったのか詳しいことは目覚めてから聞くしかありませんな」
そう言って戻っていく医師の背中を呆然とした様子で見ていたフィーユだったが、何かにハッと気付いた顔でギギギと俺の方に向き直る。
「か、蚊ーさん……」
「なんだよその目は。俺がやったとでも言いたいのか!?」
「いえ、でも、美少女の血しか飲みたくないとか……、異常に件数が増えていた被害報告とか諸々を考えると……。それに、大怪我もしてないのに血が大量に失われるとか」
「ひどいっ! なんだかんだここまで一緒にやって来たのに! お前はまだ俺を信用してくれてなかったのかよ!!」
「うっ……そういうわけでもないですけど……」
うろたえる様子からするとフィーユの中で、俺への信用と本件の疑いがせめぎあっているようだ。
状況から見れば、疑われるのは仕方なくもある。しかしだ。
「そもそも、いくら小さな子相手であっても、あそこまでなる程に血を吸うなんて蚊の俺に出きるわけないだろ」
「確かに……」
動揺はそのままながらも一応納得したのか、フィーユはバツが悪そうな顔で同意し軽く俺に頭を下げる。
「ごめんなさい、嘘をつかないって約束してくれましたもんね。ちょっと動揺して混乱してしまいました」
随分素直に謝ってくるので逆に動揺してしまう。
何か悪いものでも食べたのだろうか。
というか、そんな約束したっけ。そういえばカナイ村に行った時にそんな話をしたような気もするけど……。
「ではあの子が目覚めてから聞いてみるしかありませんね」
「まぁそうなるな……」
「しかし、あの子が倒れていた場所にブラックドッグがいたわけですよね。ということは、あの犬の仕業ということなんでしょうか。今までは現れるだけだったんですけど」
「……え? あ、そうなっちゃうか。じゃ、じゃあ俺は念のためあの辺をパトロールしてから戻ることにするよ」
「そうですか。ならば私も行きますよ」
「いやいや良いよ。大丈夫。ほら、あれだけ忙しかったんだから、ゆっくりしなよ!」
「……何か言ってることが真逆になってません? この数週間たまには働けと私に仰ってた気がするんですけど」
「いやぁ、ほら、何事もいきなり頑張り過ぎるとダメじゃない? 今日はもうパトロールして、それで少女を助けたわけだ。さすが街の管理者、さすが勇者! もう十分今日は仕事したよ。今日はもう帰ってゆっくりするべきだよ!」
疑いの眼差しが俺に刺さる。
が、
「そこまで言われると悪い気はしませんね。蚊ーさんの言うことにも一理、いや十理あります。確かに頑張りすぎはよくありません。私ちょっと油断すると頑張りすぎちゃうところあります」
基本アホの子なのでなんとかなった。
ほんとのところは一理ないし、十理なんて言葉そのものがねぇよ。
「ふむ。ならば今日のところは蚊ーさんに一任すると致しましょう」
◇
夕食の席でフィーユは三人に状況を伝えたが、三人とも特に心当たりはないという。
「そうですか。杞憂に終わるならそれで良いんですけどね」
「ところでだけど、話を聞く限りどう考えたって蚊の人の仕業にしか私様は思えないんだけど」
「お気持ちはわかりますが、蚊ーさんはやってません。そんな方じゃありませんし、それに本人の言う通り女の子が倒れるほどの量の血を吸えませんから」
怪訝な様子で小さく唸りながらミーナの視線が俺のいる付近に向けられる。
この街が出来た時に、遂に俺のことをフィーユは二人に説明した。
ヘルシスは特に気にしてもいないようだが、ミーナはあまり俺を信用しようとはしない。
俺でも「私、蚊の声が聞こえるんです」なんて突然言われたって、戸惑うこと必至なのであまり文句は言えない。
「でも姿を消せる獣なんて私様も聞いたことないのよねぇ」
「誰かが魔法を使っている可能性はないでしょうか」
「確かにそれはあるけど、出したり消したりしてるだけなんて意味不明だし、それが召喚魔法でもただの幻でも、そこいらの魔術師に出きるものではないでしょうね……」
不意に二人が同じタイミングで不快感を露にし、目を合わせたと思えば無理やり何かを飲み込むような顔で頷く。
そこいらの魔術師ではない。そして行動が意味不明。
おそらくその二点から思い出したのだろう。あのヒゲを。
「黒い犬かぁ……強いのかなぁ。よし、じゃあ私がパトロールしてあげる。見つけたらやっちゃっても良いよねぇ?」
「良いですけど、お願いですから街を壊さないでくださいよ? 泥棒を捕まえる代わりに三棟建物が犠牲になるとか、もう勘弁してくださいよ?」
「えぇ……? ほら、多少の犠牲はつきものじゃない?」
フィーユに釘を刺されてつまらなそうにヘルシスがワイングラスを傾ける。
この街の最終兵器が動けば被害も計り知れない。
既に何度かそれを目の当たりにし、フォローに走らされたフィーユだからこそ、それを痛感していた。それはもう嫌というほどに。
「ところで蚊ーさん、あの後は特に何もありませんでしたか」
「あぁ、目ぼしいものは何も」
「そうですか……。ブラックドッグが現れ、そこにあの子が倒れていた。何が起こったのかはわかりませんけど、やはり関連性があると考えるのが妥当ですかね」
「それなんだけどさ……。例えばの話、子供が倒れているのを知らせようとしたとか、ありませんでしょうか」
「知らせ……? あのブラックドッグが私達を誘導したと」
「そうだ。人気の無い路地裏で、あの時あれが現れなかったら俺達は気づけなかっただろ? これまでも特に害がなかったのにいきなり女の子を襲うとか、その考えの方がおかしいと思わないか?」
ふむ、と一声漏らしながら、また顎に指を当てるポーズ。
ややあってジロリと向けられた視線で、俺は失敗したと確信した。
言うか否か迷っていた話ではあったのだ。やはり言うべきでなかったか。
「とりあえず」
フィーユが何かを言おうとしたが先に口を開いたのはミーナだった。
「その獣の正体はわからないけど、魔法の可能性が……なによりあのHの仕業だって可能性があるなら、探知魔法で警戒しておくことにするわ」
HIGEそしてHENTAIの頭文字Hが意味するのは、当然ジョナスのことである。
行方をくらましたジョナスは、現在この街の冒険者を使って捜索中だが、何ら手がかりも見つかっていない。
ちなみに捕らえた場合には、大々的に晒しあげてミーナの手で処刑するという物騒な約束が交わされている。
「えぇお願いします。逃げたと見せかけて下水道に潜んでたりしそうですからね……。あ、すみません食事中に。……って私のご飯がなくなってるんですけど」
ふと見てみれば、皿に乗った肉もパンも消えあるのはサラダのみ。
そして視線を移せば、会話に参加することなく食事を続け、ハムスターのように頬を膨らませているユーコがいた。
「ふよき者ははべられ、よわひ者ははべる。この世のせつりだべなぁ」
「ユーコ、とうとう完全に弱肉強食が逆転してるんですけど? 以前から気付いてはいましたけどいよいよ強肉弱食に……というか、あなたどれだけ自由なんですか! 正当化する為にただ言ってるだけじゃないですか!」
やっぱりフィーユの妹なんだなぁ、とすごく思う。
順調にユーコは進んでいる。ろくでもない道の上を。




