第四十六匹:もう良いよ。
人魚のミイラの独占販売契約を締結し、なんとか人魚姉妹とゴーゴンの命は見逃された。
条件は決して良くはなかったが、命を永らえたのだからひとまずは向こうにとっても良かったのだろう。
「うちも欲しいべや」
魔女の家への帰路の途中、話を聞いたユーコがフィーユに強請る。
「ダメですよ。呪われそうなアイテムは乙女の家にはいりません」
その呪われそうなアイテムを、これから町に来るであろう富裕層に売ろうというのだから恐ろしい。
『今の時代、人魚の実物を見た人はほとんどいません。特に逃げて来る貴族の方あたりはまず見ることなんてないでしょう』
だから十分ごまかせると。
『それにもしクレームをつけられたとしても、人魚のミイラはミイラでも、人魚が作ったミイラという意味であって、本物の人魚がミイラになったものだとは言っていないと説明すれば良いんですよ』
などと女詐欺師はのたまった。
俺はもうただただ「そうだね」としか答えられなかった。答える気にもならなかった。
ここまで色々と散々とあったけれど、町に戻ったら少しお暇を頂けないだろうか。
本気で今後のことを考えたく思います……。
「そういえば……ユーコって強かったんだな」
あまりにも色々余計なことがあり過ぎて忘れかけていた。
「あぁ、あれですか。村に伝わる格闘術ですね。村があんなところにありましたから、そりゃあ自衛の手段の一つや二つありますよ」
「……なんて今さらな情報。でもそういえば、お前の幼馴染もユーコと同じポーズしてたっけ。ただ座して死を待つ一族なだけじゃなかったんだな」
「私の出身地を何だと思ってるんですか。……ただまぁ、新月の日とその前後ぐらいしかあれほどの威力は出せないんですけどね」
「……は?」
「だから新月の前後じゃないとダメなんですよ。ほとんど月に三日間限定の格闘術なんです。私は信じてませんけど、神様との契約がどうとかいう理由で。ほら、だからアーコはあんなふうには戦えていなかったじゃないですか」
「……なにそれ。どういうこと」
「さぁ? 昔からそうらしいですよ。新月の頃だけ力が上がると共に好戦的になるんです。村では月のモノと呼んでました」
「……ん? あぁ、そうなの」
紛らわしいなっ!
フィーユの体調が悪いのが月のモノだとユーコから聞いて気を使ってたけど、損したわ!
でも、そんな設定、そういえばどこかで見たことがあるような……。
「着いたべや」
「早く杖を渡して代わりに条件を飲んでもらって、さっさと帰りましょう。こんな森一刻も早く出たいですし。……あの髭の処分も済ませたいですから」
そう言って姉妹は足早にミーナの小屋へと向かう。
小屋に入ると、老婆がゆっくりとした動作で何やら食事の準備をしているようだった。
「お婆、帰ったべや」
「あらあら、グリゴロービッチ。遅かったねぇ」
「グリゴロービッチじゃねぇべや、ユーコだべや。お婆」
「ミーナ様、湖から杖を拾って来ました。こちらでよろしいでしょうか」
「あらまぁ、ありがとうねぇ。最近腰が痛くて歩きづらくてねぇ、杖がなくて困ってたんだよねぇ。……ところでご飯はまだかねぇ?」
「今あなたが作ってらっしゃるのがご飯だと思います。それよりも、この杖をどうぞ」
「杖……。そういえば、昔使っていた私の杖はどこにやったっけねぇ」
埒が開かない。
そんな顔をし唇を噛んだフィーユがユーコを守るように自分の後ろへと下がらせる。
「ミーナ様、落ち着いて聞いてください」
「はいはい、聞いてますよ?」
「パン、ティー」
穏やかなその表情が一瞬で鬼のような形相へと変化する。
弱々しさを感じる背中を丸めた小さな身体から、ドラゴンと対峙した時のような威圧感が溢れ、それと共に風が吹き乱れた。
ストンッという軽い音で振り返れば、真横を掠めて飛んだ包丁が壁に突き刺さったところだった。
「おい、やばくないか……」
「ミーナ様、落ち着いて聞いて下さい! 依頼された通り、あなた様の杖を回収してきました。どうかお受け取りください。あと壁造ってください!」
しばらく目だけ動かし杖をジッと見つめた老婆は、むんずと乱暴に杖を掴む。
そして……。
「あ、あぁ……あぁぁぁッ!! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
老婆とは思えない大きな咆哮を上げながら、室内を吹き荒れる風は強さを増し、そしてギシギシと音を立てて小屋自体が揺れ始める。
「おい……、揺れが激しすぎる! 小屋が壊れるぞ!!」
あわててまた小屋から転げ出ると、小屋だけじゃなく地面まで揺れていることに気付く。今にも折れてしまいそうな程に木々が揺れ、周囲からは一斉に鳥達が逃げ出している。
「なんだよ!? 魔物が出るべき所で湖乾いてたと思ったら、今度はこのタイミングでこんな演出かよッ!!」
「知りませんよ! 私だってこんなに大変なの望んでませんよ!! もっと楽に済むと思ったのに!!」
なんて言い合いしている中でも老婆の叫びは聞こえ続け、そして。
「誰が、誰がビッチだあぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!!!」
そんな怒号が上がるや否や、小屋が木っ端微塵に爆発し、周囲に木材や家具の破片が矢のように降り注いだ。
ユーコを庇いつつそれをかわしたフィーユは、土煙の向こうの人影に問う。
「あなたが、ミーナ様、ですか……」
果たして、土煙のベールを払うように杖を降りそれが応えた。
「そうっ! この私様こそ、衆人の視線を集める美貌と俗衆誰もが妬む能力を合わせ持つ、世界最高の魔女、ミーナ・プランツ!!」
老婆の姿もどこにもない。
ただそこには、自尊心の高そうな少女が勝気な笑みを湛えている。
やたら短いミニスカートにチューブトップという、まるで水着のような格好をして、その上から黒いマントを羽織った少女。
しかしその手には、しっかりと湖で拾った杖が握られ、その先の宝石が淡い光りを放っている。
魔法をかけられている。その予想は合っていた。
だがここまで元の姿が違うとは思わず、俺もフィーユも唖然としてしまう。
それを見たミーナは、何を思ったかまるで嘲るように俺達を鼻で笑う。
「声も出ないようね。そりゃそうでしょう。この私様をこれほど近くで見れたのだから。あぁ、でも、良かったじゃない。冥土の土産としては十分すぎるでしょ」
「……え? ミーナ様、あの、なにを?」
「……だって、あなた達、あのジョナ……髭の仲間でしょ? そりゃあ跡形も残さず消し去るに決まってるじゃない?」
「いえ、待ってください! 仲間なんかじゃありません! それに、私達はあなたの杖を回収してきたじゃないですか!?」
「ハッ、ほんと大した結界じゃないけど、私様なら一瞬で粉砕できる程度の結界でしかないけど、それでも大衆には過ぎたるレベルよ。ここにいるということは、それを通過したということ。通過するには、予め決まっている複雑な軌道を描きながら進んで、その上で髭の決めた合言葉を言う必要があったはず。それを知っているのは、仲間以外あり得ないでしょ?」
「確かに、聞いたのは事実ですが……しかしあの髭の仲間なら杖の回収をするわけがないじゃないですか!?」
「衆愚の考えることなんて知らないけど、酷い目に合わせたんだからそろそろ大人しく言うこと聞くだろうとか、思ったんでしょ? 残念だったわね、私様の不屈で清らかな精神は折れず汚れもしていないわ!! 今でもはっきりと思い出す!! いきなり現れて協力しろだの、パンツ見せろだの訳のわからないことを言ってきたあの髭ッ! あの気持ちの悪い動き、そして私に老いの魔法をかけながら最後に言った言葉!! なんて言ったと思う!? ビッチよ!? 清楚で可憐な私様にビッチなんて言いやがったのよ、あの髭ぇぇぇッ!!」
あかん。こいつまた話聞かない系のやつだ。こんな奴ばっかりかこの世界。
「だから諦めなさい。あぁ、でもあの髭の居場所だけ教えて。教えてくれたら最大火力で一瞬の内に逝かせて、あ、げ、る」
そう言ってウインクする姿は、ビッチに見えた。
「フィーユ、ダメだ。このビッチ、魔法が解けたところで、まともに会話ができないタイプだったみたい」
「そう言われても……、くっ、ここは諦めて撤退すべきでしょうか」
「まぁ無難なところだな。なんかやばそうだし。ただそんな隙があるかはわからないけどな……、ってユーコ?」
姉の背に隠されていたユーコがすくっと立ち上がる。
真っ直ぐとミーナを捉えるその目に、はっきりとした意志が伺える。
「ちょっと待ってください、ユーコ。あなたがどうにかできる話じゃないんです」
「お姉ぇ、逃げるべか? 村の掟に逆らって、あのお婆姉に背を向けるべか」
「だから村の常識なんてものは気にしなくて良いんですよ! あんなもの、狭い村の中だけでの常識なんですから!」
「例えそうだったとしても、ここで逃げたら、うちはうちの掟を破ることになんべや。折れて汚れた心で、うちはうちでなくなってしまうべや。だから――」
ついにフィーユの前へユーコが歩み出る。
「うちは逃げない。うちがうちでなくなるのは、この牙が折られた時だけだべや。進もうと決めた道に壁があるなら、力尽きるまでその壁に牙を突き立てるべや!! 戦わず逃げるなど、掟がなくともあり得ないべや!!」
そんなユーコのかっこ良さげな言葉に息を呑み俯いたフィーユが、諦めと決意を浮かべて顔を上げる。
……いやいや、もう本当に期待はしてないんだけど、こんなピンチを前に闘志を燃やすみたいな展開、やるなら魔物の前でやってくれないでしょうか。
しっくり来ない魔物退治の後で、迎えに来た魔法使い相手にやることか、この流れ。
もういいけどね。
この後の展開もわかるけどね。そりゃ協力するけどね。
「……蚊ーさん」
「はいはい」
もう良いよ。フィーユの血が飲めるならそれで良いよ。
「あいつ超強そうだからという建前で、今までより多めに血を吸うからしくよろ」
「え!? 自覚を持てだの緊張感が欲しいだの以前から言ってたのに、なんかすごい投げやりすぎませんか! あとなんですか、建前って言いました!?」
「ははっ、はい、プスッ」
フィーユの首筋でその皮を裂き針を中へと突き入れる。
針先から伝わる脈動を全身で感じながら、燃えるような熱い血を吸い上げた。
熱が、甘い香りが身体の内から広がり、意識がじわりと蕩けていく。
あぁ、もう、これさえあれば何もいらないよ。
投げやりな気持ちのまま、無心で血を吸っていたら吸いすぎたのか、これまでにない程にフィーユは痒みを訴え、獣のような声を上げて吸血鬼化した。




