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第四十三匹:絶対にいや!!


忌むべき獣の牙(ホワイトスペル)、解放」


 上体を反らしながら目いっぱい息を吸い込んだユーコは、右足を浮かせると同時に右手を引き叫ぶ。


衝裂爪(エイチェント・クロー)ォォォッ!!」


 踏み込むと同時に体重を乗せて掌を押し出す。

 (クロー)と言いながら、それは綺麗な掌底打ちだった。

 しかしどちらにせよそんな武術の真似ごとをしたところで、触手が恐れて引くわけはない。

 ついにユーコに辿り着いた触手と、繰り出された掌が接触する。

 結局俺は間に合わなかった。

 そして、風船でも割れるかのように、触手が破裂し粉々に飛び散った。


「えぇぇぇぇッ! あの小さい子までなんか強いんですけど!?」

「セレお姉ちゃん、だっさっ」

「あんたに言われたくないわよ!? あんたが触手プレイで油断させておびき寄せようなんて言うから、おかげで絡まってこっちは身動きとれないわよ!!」

「それは私だっておんなじだしっ!!」

「あんたのは自業自得でしょうがあッ! もういい! 位置は十分なんだからこれ以上チマチマやる必要はないわ! ゴーゴ……なくて、えっと、クラーケン! 浮上しなさい!!」

「セレお姉ちゃん、ぐだぐだじゃん」

「うっさいッ!!」


 ユーコの思わぬ実力に茫然自失となり、停止した思考の中でぼんやりと人魚姉妹の会話が聞こえてくる。

 頭の中で浮かぶのは、ユーコの見せた謎の攻撃力に対する疑問ばかりだったが、その奥で何かが引っかかった。

 言葉にならぬ感情とも情報ともつかないそれが、白い布に落ちた小さなシミのように酷く気にかかる。

 ゴーゴ……?


 掌底打ちで触手を吹き飛ばし、ふんすと腰に手を当て仁王立ちするユーコを視界の隅で眺めつつ、淡水クラーケンに視線を向ける。

 ユーコの無事を確認しているフィーユの向こう、太い触手を池の淵に押し当てクラーケンが水面下より出ようとしている。

 池から無数の触手を生やした胴体が浮上する。

 クラーケンというにはその構造に違和感があった。触手がついているのはおおむね胴体の上側のみ。水面から出た生え際だけ見ればまるでイソギンチャクのようだ。

 巨大イソギンチャクに見えるそれがさらに姿を顕にすれば、それが楕円に近い形状であることと、生え際の下に続く白い胴体には黒い毛で出来た線のようなものが左右に一つずる引かれているのがわかる。

 それ見た瞬間に胸中で黒いシミが急速に広がり、それがおどろおどろしい形を作る。

 広がる危機感を吐き出すように俺は叫んだ。


「フィーユ、ユーコ、見るなッ!! 背を向けろ!! あれを見たら終わりだッ!!」


 一旦ユーコの許へ戻ろうと慎重に後退していたフィーユが、敵に背を向けて跳躍しユーコを抱きかかえる。

 それを追うように、水音と飛沫を上げて水上に現れたのは巨大な頭部だった。

 イカでもタコでもなんでもいい。触手さえあればそれでいい。

 そんな思考があったせいで気付けなかった。

 あれは触手ではなく編みこまれたような髪の毛だ。そして胴体だと思った部分は額であり、その下に引かれた線は眉。

 それはクラーケンではない。

 巨大な生首だったのだ。

 ゴーゴン、もしくはメドューサ。その顔を見たものを石へと変える怪物。

 見目麗しいその姿とは対照的に何と恐ろしい人魚なのだろう。

 触手プレイで引き付け、一撃必殺のゴーゴンで一網打尽にする。それがこいつらの狙いだったのだ。


「くそっ! フィーユ、ここはひとまず引い――ッ!?」


 突如羽の動きが止まり、浮遊感と共に視界が滑る。

 それが落下によるものだとはすぐに察しがついた。

 だがその原因にはなぜだかすぐに気付けなかった。

 本当に、なんと巧妙な罠なのだろうか。

 原因は単純だ。

 俺は見てしまったのだ。

 ゴーゴンが池から這い上がる際に揺れていた、人魚のたわわな胸を。

 そしてそのついでに、その向こうにあったゴーゴンの顔を。


 幾重にも張られた罠の中に、俺はとっくにはまっていたというわけだ。

 ……くっ。


「やっぱり男の声がしてるわね」

「ほらぁ、だから言ったじゃん。聞こえてたもん」

「でも姿はずっと見えないのよね、ゴーストかしら……。ま、この状況で何もしてこないならいいや。ゴーゴン、その二人を拘束して」


 ずるずると触手が地面を這う中、


「ゴーゴン……?」


 とフィーユが漏らし、人魚の姉は「あっ」と間抜けな声を上げる。


「セレお姉ちゃんってツメが甘いとこあるよねぇ」

「別にもう偽る必要もないでしょっ! 今さら逃げられやしないんだから!」


 フィーユも敵の正体に気付いたらしいが、ユーコを抱いたまま動けずにいる。

 振り向くことはできず、既に触手の這う音も迫っており、さらにユーコを守ることも考えなければいけない状況で、瞬時に判断ができなかったのだろう。


「……ユーコ、良いと言うまで瞼を閉じていてください」


 それだけ伝えるが、緊張し焦ったような声からすると打開策を思いついてはいないようだ。


「クラーケンではなく、ゴーゴンですか。まさかそんなものがここにいるだなんて……予想外ですよ。しかも貴女方のような綺麗な人魚と一緒とは」

「そうでしょうね。あ、今さらジタバタしないでね。二人して触手の餌食になるだけだから」

「……実は私達も姉妹でして、姉妹繋がりってことで見逃してはくれないでしょうか」


 フンッと人魚の姉が鼻を鳴らす。


「通りがかりってだけなら万に一つの可能性もあったけど、それを見せられちゃあねぇ」


 人魚の視線の先には、フィーユが地面に置いた鞄があり、彼女はそこから覗く杖を見て言っている。


「こんなとこにいなきゃいけない理由が、その杖だからね」

「……できれば、みなさんがこんな場所でなぜ杖を守ってなければいけないのか、是非ともお聞きしたいですね」


 ユーコを抱きながらも槍を握るその手に力が入る。

 振り向き巨大な顔を見てしまえば、石になる。

 俺が今まさにそうなってしまっているように。

 それでもフィーユは一矢報いようと考えているらしい。

 おそらくは一撃を放ちそのまま退避しようという考えだろう。


「良いわ。冥土の土産に教えてあげましょう。ただし、身動きできなくしてからね!!」


 その言葉を合図にしたように、二人を囲んだ触手が襲い掛かる。

 しかしそれはフィーユの待っていたタイミングでもある。

 振り返り様に横薙ぎを繰り出し、触手を迎撃する。

 だが。


「アハハハッ! 当たるわけないでしょ? さっきまでと違ってゴーゴンには見えていて、その逆にあなたには見えていない。いくらやったって無駄よ」


 確かに目を瞑った状態での一撃は空しく宙を斬り、即座に引いた触手は次の襲撃タイミングを図っている。

 まさに絶体絶命のピンチ。

 この短くも長くろくでもない異世界人生におけるハイライトシーン。

 ここでこそフィーユを助けてこその俺、なのに……。


 身体が動かねぇぇぇぇぇッ!!


 今こそフィーユを吸血鬼化させて協力して敵を倒すというタイミングなのに!

 なのになんで俺の身体は動かない!

 石化し微動だにしない羽をなんとか動かそうとするが、当たり前だがびくともしない。

 不死身の吸血鬼――蚊だけど――も石化してしまうと手も足もでないなんて、しかも敵に認識されないままやられてるだなんて、そんなの絶対に認めたくない!

 おっぱいのせいで負けましたなんて、絶対にいや!!


「さぁ、ゴーゴン! やってしまいな――」


 意気揚々と人魚姉が指示を出そうとするが、それを遮るように妙な湿った音がする。


「セレお姉ちゃん、ゴーゴン限界みたい」

「……くっ、いいわ、一旦潜りなさい」


 ゴボッという水音と共に水面が波立つ音。

 その瞬間に、ふわっと身体が軽くなるのを感じた。

 視点が一気に浮き上がり、自分の羽が動いているのがわかる。

 理由がわからないが石化が解けたらしい。

 考えながらも俺は一目散にフィーユとユーコの許へと飛んだ。


「さあさっさとやるわよ、ゴーゴン!!」


 フィーユの肩に戻った瞬間に人魚が叫び、飛んできた飛沫でゴーゴンが浮上したのだとわかる。

 今度こそ見るわけにはいかず、聴覚から得る情報だけで推測と対処を考えていた俺だったが、


「って、ちょっとっ! そこ、んっ、そこを動かしちゃダメッ!」


 戸惑いと羞恥に彩られたそんな声に、無意識に視線が人魚に向いてしまう。

 だって、男の子なんだもん。


「あっ……」


 ギリギリで間に合った間抜けな声が漏れ、俺は再度カッチカチになった。




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