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第四十ニ匹:ロマンチスト


 クラーケン。

 クラーケンといえば、触手だ。タコだかイカだかどちらでもいいが、とにかく触手だ。

 ろくでもないこの世界で、人魚なんてものは期待できない。

 どうせ人面魚か中年女性とかいうオチに違いない。

 クラーケンもタコでもイカでもないかもしれない。

 しかし触手はある。きっとあると俺は信じたい。

 そこだけが重要だ。

 ないならもう辞めてやる。


「淡水クラーケンとは、また珍しいものがいるんですね」


 南東にあるという湖を目指しながら、先を元気に歩くユーコから目を離さないようにしたままフィーユが言う。


「案外そこら中に魔物がいるから、珍しいって言われてもピンと来ないよ。ところで……クラーケンに触手はありますか」

「……何か嫌な、というかイヤらしい感じが蚊ーさんからしますけどありますよ、そりゃあ。クラーケンですから」

「そっかぁ、触手あるのかぁ」


 どうやら辞めなくて良いようだ。

 そもそも何をどう辞めればいいのか、俺も知らないけど。


「でも厄介ですね。まさか人魚まで一緒にいるだなんて」

「また喧しいとかそういうのか」

「そんなわけないじゃないですか! 魔物ですよ?」

「うん、ごめん。ですよの意味がわからない。とうとうお前を引っぱたいてやりたくなったよ」

「なんですか! 蚊ーさんは家庭内では急に暴力的になるタイプの方ですか!? そんなの許しませんよ!」

「いや、ごめん。その言葉の意味もよくわかんない。じゃあ人魚ってどんなの何だよ」

「人魚は大戦中、海上で最も恐れられた魔物です。まず矢よりも速く泳ぎ、どんな威力の高い攻撃も当たりません。さらにその速さを生かした体当たりは、容易く舟に大穴を開けたそうです。そんな人魚の群れに見つかればもう陸に帰ることはできないと言われていたそうです」

「なんだよ、なんで今回は真面目なんだよ……。でも湖だぞ? それほどの力は発揮できないんじゃないか」

「それはわかりません。しかし当然そうであるならば人魚も力が制限されるような狭い場所にはいないんじゃないでしょうか。湖の規模がどれほどのものかわかりませんが、楽観的には考えない方が良いと思います」


 想像するような人魚とは違うとわかってはいたが、見た目や中身が変ではなく攻撃力が想定外と来た。

 人魚っていうかもう魚雷じゃないか、それ。


「で、クラーケンは」

「……なんでこっちが本題、みたいなトーンで言うんですか。クラーケンももちろん厄介です。ただあまり知能は高くないみたいなので、聖槍があればなんとかなるんじゃないかと」

「そうか。ちなみにヌメヌメはしてるのか」

「……何を言ってるんですか。そりゃしてますよ、クラーケンですから」


 よしっ。

 そりゃあ俺だってもう学習してる。

 この世界の魔物には期待なんてできない。

 でもたまには少しだけでも期待してみても良いじゃないか。

 ということで、お決まりの展開を期待するとしよう。


「フィーユ、このままユーコに先頭を歩かせるのは危険だ。ユーコに後ろを歩かせてくれ。大丈夫、離れずしっかりと俺が見ているから」

「それはいいんですけど、なんで蚊ーさんまでユーコの方に行くんですか」

「妹が心配だろ? 俺がちゃんと見てるから、お前はしっかりと役目を果たしてくれ」


 なんだか納得していないような顔を見せたものの、フィーユはユーコを下がらせて先頭を歩き始める。

 さぁ、準備は万端。

 あとはクラーケン次第だ。


 期待に踊る胸を落ち着かせながら、やがて出し抜けに視界が開けたと思えば、目の前に湖が広がっている。


 ……はずだった。


「ずいぶん大きな湖……だったんだな」

「そのようですね。うちの町丸々おさまる程の大きさ……だったみたいですね」


 水際、だった場所に立ち周囲を臨む。


「からっからだべな」


 残酷なまでに淡々とした調子でユーコは言い、ピョンッと水際だった場所から湖底だった場所へ飛び降りた。

 泥が乾きヒビだらけとなった湖底から土煙が空しく上がる。


「枯れてんじゃねぇか……」

「枯れてますねぇ」


 モンスターどうのこうのの前に、まさか湖が枯れているとは。

 どうして? なんでこの世界はこういうことをするの?


「お姉ぇ、杖落ちてたべや」


 枯れた湖を走るユーコの手に、しっかりと杖が握られている。

 木の枝で出来た杖の先に綺麗な宝石が組み込まれている。

 見るからに、魔法の杖っぽい。


「う、うぅっ……」

「蚊ーさん、泣かないでくださいよ。言わんとしてることはわからなくはないですけど」

「お姉、蚊ぁ泣いてるべか」

「男の人はロマンチストですからね。仕方が無いんですよ」

「ロマンとかじゃねぇし! 普通魔物討伐して何とかミッション達成だろ? 最悪魔物がへんてこでも弱くてもいいよ! でも湖枯れてて楽々ゲットとか、それはないだろぉッ!!」

「ほら、ロマンチストじゃないですか。楽にミッション達成できて何が悪いんですか? 稼ぎが良くて楽な仕事なら、誰でもそれを選ぶに決まっているじゃないですか」

「やりがいとか、あと……やりがいとかあんだろッ!?」

「やりがいって。そんなもの、仕事が楽にさっさと済むなら、後で他のことして得ればいいだけですよ」

「これだから最近の若いやつは! もっと仕事に命を懸けろよ!」

「命懸けだからこそ、一番リスクの少ない楽な道を選ぶんですよ。無駄に消耗するのを選ぶのは、命を軽んじている人のやることです」

「う、うあぁぁぁぁぁ!」


 もう泣くしかなかった。


「いいかげん、現実を見ましょう? 蚊ーさん」

「うるさいっ! いやだ! こんな現実いやだぁぁぁ!!」

「なんか、一昨日の晩から蚊ーさんおかしくなってませんか。私も他人のこと言えませんでしたけど……」

「おかしくなんてないし! ずっとおかしいのはこの世界だし!!」

「はあ……わかりましたから、ほら、とりあえず帰りましょう」

「うえぇぇぇぇぇッ!! でも、でもッ!!」


 もうこの際なので、もっと泣いてやった。


「……あぁッ! もぉっ!! わかりましたよ、でもちょっとだけですからね!? 危なそうならすぐ帰りますからね!?」

「うぅ、わかった。それでいい……」


 もう、と溜息交じりに言いながら、フィーユも乾いた湖底に脚をつける。

 俺は駄々をこねるという武器を手に入れた。

 もう、恥も外聞もありゃしない。

 ただフィーユの言う通り、なんとなく一昨日から妙に気分が軽いのは事実だ。

 きっともうこの世界を諦め受け入れたということなのだろう。侵食されていると言ってもいいかもしれないけど。



 枯れた湖であることに違いはないのだが、完全に水がなくなっているわけではない。

 湖の中心部、そこだけ急激に深くなっていたのか、乾いた湖底に小さな池が出来ている。

 そして、枯れた湖を見た時から、そこにある異様な光景はしっかりと目に入っていた。


「ほら、セレお姉ちゃん! 来た!」

「ねぇ、来たのは良いんだけど……あれ女じゃない?」

「あっれぇ、男の声もしてたんだけどなぁ。でももうどちらにしてもやるしかないよ」

「なんでやるしかないのよ」

「いいから! ほら、じゃあよろしく!」


 こそこそと話す声が聞こえ、窮屈さから逃げ出すように池の上に飛び出た無数の触手が、うねうねと動き出す。


「あっ、ちょっと、どこ触ってんのよ! ほら、セレお姉ちゃんも早くっ!」

「……いやー、見ないでー。見ないで助けてー。きゃー、やだぁー、んんー……んッ!? ちょっと! ほんとにどこに巻きつけてんのよ! や、やめっ! あっ!」


 人魚がいた。

 金髪の美しい若い女の姿をした人魚がいた。

 華奢ではあるが付くべき所には十分すぎるほどたわわに肉がついており、衣服を纏わないそれが身じろぎする度に揺れている。

 腰からしたは鱗で覆われており、その先には鰭がついている。

 唯一、理想的人魚と外見的な違いがあるとすれば、人間の足を模したように尾が二つに分かれているということぐらいか。

 ただ確か尾が二つの人魚というのも、元々俺の世界でも言い伝えにあったはずだ。

 むしろ尾が二つあり、股下でそれを擦り合わせている様は、尾が二つで良かったとすら思える。


 そんな人魚が、突き出た吸盤も何もない妙に滑らかな黒い触手に巻きつかれている。

 しかし触手そのものより触手が何をしているかが重要だ。

 絶えず踊り続ける触手、そしてヌメヌメと光る粘液にまみれ、人魚が嬌声を上げていた。

 そんな光景を前に、俺は叫ぶしかなかった。

 

「思ってたんとちがぁぁぁうッ!!」


 フィーユの視線が痛いほど冷たく刺さるが、構わず俺は声を上げる。

 この衝動は止められない。


「でも、オッケエエエエエェッ!!!!」


 叫び終わるや否や、槍で真っ二つにされた。

 我が異世界生涯に、一片の悔いなし。



「ちょっと! これなら侵入者もメロメロで油断するって話はどうなったのよ!?」

「やっぱ女には効かないかぁ。ワンチャンあると思ったんだけどなぁ。……でもやっぱり男の声してるよね? うーん、まあいいや。じゃあ実力行使だ! やっちゃってくだ、あいたたたっ!? 触手が、絡まってる! 触手が絡まってるからぁ!!」


 目覚めれば既に戦闘が始まっていた。

 数日美少女の血を飲んでいなかったせいか、どうやら再生に時間がかかっていたらしい。

 危ない、きつい突っ込みで本当に生涯が終わりかねなかった。


嘆きと怒りの天刑シフトワン・ブラック・スクリーマーッ!!」


 ギリギリまで近づいたフィーユが触手に槍を振り下ろす。

 それと共に起った爆発が、迫る数本の触手を吹き飛ばした。


「うわっ、やっばいセレお姉ちゃん! この田舎臭さがいつまでも抜けなさそうな女、意外と強いよ!?」

「じゃ、じゃああの小さい方を狙いなさい!」

「うわぁ、小さい子狙うとか、セレお姉ちゃんマジ鬼畜」

「仕方ないでしょ!? 湖枯れたし残ったここはこいつが入って一杯だし! 私達無防備なんだから出来ることは全部やるのよ!!」


 触手の一本がゆらゆらと探るような動きでユーコに近づく。


「させませんっ! 聖的一閃(ルサイド・スラッシュ)ッ!」

「あっぶなッ!? でもその焦りは当たりってことね! いいわ、そのままその小さいのを捕らえなさい!!」

「えぇ……セレお姉ちゃん。マジ引くわぁ」


 のたうつように地を叩いた触手が、ユーコに向かう。

 急いで俺も飛ぶものの、とても間に合わない。

 まずい……。

 正直なところフィーユは良い。むしろ少しそれを願っていた。

 だがユーコはダメだ。

 異世界であろうとも、条例的にNGなのだ。

 しかも本当にあのビヨンド・ザ・パンツを履いているなら、なおさらダメだ。

 異世界に来ても、俺は条例を守りたいのだ。

 それなのに、それなのに間に合わない。

 ユーコが触手に捕らえられてしまう。巻きつかれてしまう。

 ヌメヌメしたものでテカテカしながら、あっちやそっちを触手に這われてしまう。


「ユーコォォォッ!!」


 聞こえるはずのない叫びでその名を呼んだその時。


「あわてることねぇべや、蚊」


 そう言ってユーコは、腰を落とし両手を交差させ爪を立てるように構えて見せた。



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