第四十一匹:パン、ティー。
「それはそうと、ここが西の魔女の家ってことか?」
「あの髭ぇぇ、あの髭ぇぇぇぇぇ……」
呪詛を乗せた息を荒く吐くフィーユの返答を待っていると、ふと匂いに気づいた。
つい先ほどまでは無かった人間の匂い。
それが小屋の中から漂っている。
どうやらフィーユの返答を待つまでもなく、直接回答が貰えるようだ。
軋みを上げてゆっくりとドアが開き、そして暗い小屋の中から生えるように黒いとんがり帽子が突き出す。
「おやおや、まさか見知らぬ顔をここで見るだなんて……。あんた達は、どちら様だい」
皺だらけの顔が、黒いとんがり帽子と黒いマントの間で浮き出たように見える。
まさに魔女というその格好。
俺達はやっと西の魔女を見つけたのだ。
◇
西の魔女ミーナ・プランツに小屋へと招かれ、すぐに気付いたことがある。
「えぇ? パン? パンなら久しく食べてないねぇ」
「パンじゃなくてパンツだべや、お婆」
一つは酷く耳が遠いことである。
「ところで突然どうしたんだい? えぇと……あぁっ、マルコビッチ」
「マルコビッチじゃなくてユーコだべや、お婆」
さらにどうも呆けてきているらしい。
失礼な話ではあるが、それだけで召集に応じなかったこと、いや応じれなかった理由には察しがつく。
しかしその前にそもそも不可解なことがある。
「なぁフィーユ、結界に入る鍵があいつの名前ってことは、あの結界を張ったのは……」
「断定はできませんけど、その可能性は高いでしょうね。直接聞ければいいんですけど……」
老婆はユーコと喋りながら、毎回二度三度と聞き返し、ようやく通じたかと思えば明後日の方向な返しをしている。
残念ながら情報を聞き出すのは苦労しそうだ。
それでもここまで来て何も聞かずに帰るわけにもいかない、とフィーユは辛抱強くミーナへ用件を伝えた。
「あぁあぁ、カフェ。洒落たお茶なんて久しく飲んでないねぇ」
「カフェじゃなくて壁です。町を囲む壁を造って頂きたくて来たんです」
「あぁ、そうそう。みんなで机を囲んでね、懐かしいねぇ……。胡桃入りのパンを焼いて、みんなでお茶したっけねぇ……。そうだ、確か使ってたティーカップがまだあったかねぇ」
「いえ、あの、パンもティーカップも関係なくてですね、魔法で壁を造って頂きたくてですね」
いそいそと立ち上がり棚を調べ始めたミーナに投げかけるが無しの礫……かに思えた。
「パンも、ティーカップも……」
棚を探る手を止め、老婆の目が一瞬鋭く光る。
しかしすぐに弱々しい光りを宿した目に戻り、また棚の中を探り出す。
「あの、西の魔女様、もちろん報酬はお支払いしますので、どうかお引き受け下さいませんでしょうか」
「あらあらごめんなさいねぇ。おいくらだったかしら?」
「いえ、こちらが頂くんじゃなくてですね。壁を造って頂く為の報酬の話なんですけど」
「あぁ、そうそう。友達とカフェでお茶して、新しく出来たお店に行ったりしてねぇ。懐かしいわねぇ、あれは何年ぐらい前だったかしら……」
ループし進まぬ会話にフィーユは頭を抱える。
色々と疑問はあるが、ひとまず目的そのものは残念ながら果たせそうにないということだけはよくわかった。
どうしたものかとフィーユと相談していると、話が途切れたからかまたユーコが老婆に話しかけ始める。
「お婆、お小遣い欲しいべや」
村から出たユーコはすっかりと強請るということを覚えた。
発端はフィーユに教わった買い物する際にまけてもらう為の処世術だ。
そこからすぐに強請るようになったのだから、ほんとろくでもない。
姉と一緒だ。
「あら、可愛いショスターコビッチ。何が欲しいんだい」
「ショスターコビッチ違うべ、ユーコだべや。小遣い欲しいべ」
「あぁあぁ、お小遣いねぇ。何か買いたいものがあるのかい」
「パンツ買うべや」
「あぁパンを買うのかい。そういえば友達とカフェでお茶したっけねぇ。胡桃のパンがおいしくてねぇ、可愛らしいティーカップ……」
また老婆の目が鋭く光る。
「パンと、ティーカップ……。うぅ、頭が……」
「お婆、大丈夫だべか?」
「ありがとうね、サビチェビッチ。ちょっと頭が痛んだだけだから、大丈夫だよ」
こりゃダメだとユーコも判断したのか、名前の訂正もすることなく席に戻る。
いよいよ打つ手なしの状況であるが、先ほどから明らかに妙な反応を示している言葉があった。
「パンとティーカップ……」
「どういうことでしょうね」
思案顔で顎に指を当てるフィーユはその言葉に気付いても、肝心な部分に気付いていないらしい。
というかこんな所で可愛い子ぶったポーズして誰に見せるというのか。
そういうとこだけ徹底してるんだから、困ったものだ。
「気付かないのか、フィーユ。あのろくでもない奴から指示されてやって来て、あいつの名で結界を通過した。そして魔女はさっきからパンとティーカップという言葉に反応している。意味はわからないし、ろくでもないことに関わりたくもない、どころか口に出したくも無い。でも思い出した」
「なにをですか?」
「お前、あの変質者に最初会った時何をされた? あいつは何を見ようとした」
「何って……思い出させないで下さいよ、気持ち悪い。……あっ」
ようやくフィーユも思い出したらしい。
あいつが執着していたもの、それは……パンツだ。
だがあいつの言い方は違う。
「ミーナ様、ジョナスという気持ちの悪い魔術師に覚えはありませんか」
「あぁ、ナス。久しく食べてないねぇ。まぁそんなに食べたくもないけどねぇ」
「いえ、ナスじゃなくてですね。パンツ見ようとしてくる変態の死んだ方が良い魔術師の名なんですけど、聞いたことありませんか」
「あぁ、パンね。久しく食べてない……んだったけねぇ? はて、何時以来食べてなかったんだったか。物忘れが酷くて、嫌になっちまうねぇ。ところで、あんた達はどちら様だったっけ」
やはり会話にならない。
止むを得ない、と考えたのであろうフィーユは膝の上の拳をギュッと握る。
「パン、ティー」
振り向いた老婆の見開かれた目に、怒りの炎が灯るのが見えた。
室内の空気が突然に重く身体に圧し掛かり身動きが取れない。
それは俺だけではない。
フィーユも顔に驚きの色を浮かべ、ユーコは出された水を飲もうとした体勢のまま固まって水が飲めず四苦八苦している。
「パン……ティー……」
フィーユを真っ直ぐに睨みながら老婆は呟く。
しかしその視線はフィーユを見ているようで何か別のものを見ているようだった。そしてその言葉もまた、自らの内側に投げかけるように漏らされていた。
「誰が……お前なんかに……気持ち悪い……。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
小刻みに震える老婆の口から、呪いの言葉が延々と垂れ流れる。
「ああぁぁぁぁぁぁッ!! 誰が、誰がお前なんかの、誰が気持ち悪いお前なんぞの、気持ち悪い魔法なんかに、う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
叫びと共に破裂音が室内に響き、それに押し倒されるように俺も姉妹も、家具すらも吹き飛ばされる。
「おい、大丈夫か二人とも!」
「私は、なんとか……。ユーコ、怪我はありませんか!」
「このぐらいなんともねぇべや」
逞しい言葉を返しつつ立ち上がるユーコの動きがピタリと止まる。
その理由を問うまでもなく、俺もフィーユも再度身じろぎ一つできなくされた。
された、というしかない。
辛うじて動かせる視線を向けてみれば、やはり魔女がじっとこちらを睨みつけている。
その目が、怒りと憎悪で出来た鋭い視線が、俺達をその場に釘付けにしている。
「あなた達は、だれ」
先ほどまではっきりと見てとれた老いが、その動きにも声にも感じられない。
「わ、私は、あなたにお願いがあって参りました。フィーユ・アルトゥリアと申します」
チラリと転がった槍に視線を向けるが、確認するだけで手を伸ばすこともできない状況下、フィーユの顔に焦りの色が浮かぶ。
「フィーユ……。フィーユ……」
呟きながらニーナは苦しげに頭を抱え、嗚咽を漏らして顔を上げる。
「あぁっ、懐かしいねぇ。若い頃一緒にユニコーンを追い回した、あのフィーユちゃんだねぇ」
「人違いです」
「あらあら、そうかい。ところで、なんだい? この散らかりようは。まったく若いもんは整理整頓がなってないねぇ」
「やったのはあなたです」
「ところでストイコビッチ、ご飯はまだかい」
「ストイコビッチじゃありません、フィーユです。ご飯は知りません」
「あらあら、まぁまぁ」
戒めが解けたらしく身体が軽くなり、代わりにニーナがまた老いを取り戻す。
フィーユは拾った槍をしっかりと握りつつ、もう一方の手で守るようにユーコの肩に手を回し、
「パン、ティー」
忌むべきその名を口にした。
「うあぁぁぁぁぁぁぁッ!! 変態髭野郎がぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
その老婆の激昂と共に起きる衝撃波に再度吹き飛ばされながら、状況の理解はできずともこの状況の元凶が何者であるかははっきりと理解できた。
ミーナが暴れ狂い始めた為にあわてて小屋から転がり出てしばらく、小屋が吹き飛ぶのではないかという程の騒音が止み、ゆくりと開いたドアから苦悶の表情の老婆が顔を出した。
「わ、わたくし、たすけ……」
蚊の鳴くようなその声にやはり老いは感じない。
どころか、その姿とは真逆に若さを感じさせる声に変化していた。
「仰ってください。出来ることなら何でも致します」
様子見をしている間に俺達の出した推論は、ミーナは何らかの魔法をかけられている、というものだ。
もちろんかけたのはあの髭野郎、ジョナス・ハーカーで間違いないだろう。
なぜそんなことをしたのか、そしてなぜそこにわざわざフィーユを向かわせたのか、疑問は多いが、ジョナスの被害者ということでフィーユはミーナの力になることを決めた。
無論、共通の敵を作りさらに貸しを作ることで交渉を円滑に進める、という打算もあるだろうが、きっと被害者として共感したというのも本当のところだろう。
「わたくし、杖、南東の湖に……今日の晩御飯は魚がいいかねぇ。あ、あぁぁ、最近腰があぁぁぁぁッ」
若い女と老婆の声が入り混じる。
「取り戻し……お菓子をあ、煎餅、おはぎを食べるかいぃぃぃッ!!」
悲鳴のような叫びを上げると、今度は糸が切れたようにその場に崩れる。
こんなエキセントリックなお菓子の勧められ方、おばあちゃんにされたら孫はトラウマだ。
「ミーナさん、気をしっかり!!」
「あ、あぁ、スポポビッチ。魚を取りに行くなら気をつけて行ってきなさいねぇ。あそこ、クラーケンと人魚がいるみただからねぇ」
すっかり優しい老婆の表情に戻ったミーナは、ろくでもない展開になりそうな名前を出しつつ柔らかな笑みを浮かべていた。




