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第三十二匹:欲すればまずちょっと与えよ。


 フィーユとしては、最大戦力であるヘルシスが戻り同行してくれることを期待していたようだが、どこで戦いに明け暮れているのか彼女は都合良く戻って来てはくれなかった。

 仕方なく、手配した馬車でユーコと二人で町を出発。

 小さな村を幾つか経由しつつ西へと進み、出発から数日が経過したある日、街道沿いに広がる森の側で野営をすることとなった。


「お姉、肉焼けたべや。食べるべや」

「待ちなさいユーコ。それは御者をして下さっているお二人にあげる分です」


 そう言うと、涎を垂らしているユーコの前から焼けた肉を取り、近くで採取した食用の葉と共にパンに挟んで御者の二人の許へと持って行く。

 二人の側に寄る寸前に、フィーユは口元と目元に薄く笑みを浮かべる。

 今までは人懐っこい作り笑いと、全力で媚を売る笑顔の二パターンを使っていたが、最近になってフィーユは新たな営業スマイルを獲得した。


「あの、もしよろしければ」


 二人の男は振り向き、遠慮がちにパンを差し出すフィーユに一瞬呆然とした様子で固まった。

 差し出がましいかもしれないと少し躊躇いつつも、それでも二人を労う優しさを感じさせる微笑み。そしてその手に持たれたのは、見るからに上等そうなパン。

 二人の男はごくりと喉を鳴らし、それでスイッチが入ったかのように手を伸ばす。


「こんなもの、頂いてよろしいんですか……? ずいぶん良いものに見えるんですが」

「気になさらないで下さい。お二人が居てこそ私達も旅が出来ているのですから。どうぞ遠慮なさらずに、受け取ってくださいませんでしょうか」


 そこまで言うと、男達は一も二もなくパンを受け取りそれにかぶり付き、咀嚼しながら笑みを零した。


「こんな美味い肉食べたこともねぇ。それにパンも随分と柔らかい」


 フィーユはそれに言葉は返さず、安堵したようにニコリと笑う。

 そして感想を言いながら味わう二人をしばらく眺めた後、


「喜んで頂けたなら良かったです。もう一つぐらいならおかわりも用意できますので、後でお持ちしますね」

「し、しかしそれは……」

「良いんです。このままだと腐らせてしまいますし、ちゃんと二度焼きのパンや干し肉も持ってきていますから。ご心配頂かずとも大丈夫です。ありがとうございます。だからご遠慮なく」


 では、と最後に再度第三の営業スマイルを浮かべる。

 それは、慈しみ深く、分け与える者の笑み。

 愛嬌を振りまき相手を懐柔する笑みでもない、従順で純粋な自分を演出する為の笑みでもない、富を手にしながらも周囲を気遣い躊躇うことなく持つ物を分け与える者の笑み。


「まるで天使のような娘さんだ……」


 立ち去るフィーユの後姿を見ながらポツリと男が漏らす。

 

「身分を隠してはいるがご両親を亡くした貴族のご令嬢だって噂があるが、本当なのかもしれねぇなあ」


 もう一人の男がとんでもないフェイクニュースを信じようとしている。

 そんな噂が町にあるのだとすれば、おそらく俺の知らぬ間にフィーユが流した噂だろう。


「こりゃあ、急がねぇといけねぇな」

「そうだな、あんなお嬢さん方にいつまでも野宿なんぞさせてちゃいけねぇな」


 そんな二人の会話を聞いて呆れ果ててその場を離れフィーユを追う。

 するとユーコの許に戻ったフィーユが二人に見えないようにほくそ笑んでいた。


「ほんと、ろくでもねぇ……」

「なんですか、蚊ーさん。ご不満ですか」

「満足させたいなら血を吸わせてくれ。それ以外で、この世界に来て不満じゃなかったことなんてないよ」

「さっき馬の血を吸ってたじゃないですか。そうそう吸わせる程、私の血は安くありません。……ところで、どうでした?」

「どうでしたって、何か得体の知れない噂を信じつつ、二人ともやる気になったみたいだぞ。まぁそれがお前の狙いだったんだろうけど」


 不満だらけな俺とは対照的に、フィーユは満足気に頷く。


「欲すればまずちょっと与えよ、ということです」


 旅において御者のモチベーションが下がることは、遅れにも繋がれば最悪の場合危険にも繋がる。

 フィーユが何を欲したか、それは御者二人のやる気だ。普通ならチップを払うか圧力をかけるかという所だが、フィーユはそれ以外の選択をしたわけだ。

 そもそもフィーユは資産を手にしてから与えるという行為を積極的に使うようになった。

 先行投資としての周囲へのちょっとしたプレゼントから、何かを要求する直前での賄賂、そしてその際に使うために第三の営業スマイルも覚えた。

 欲すればまずちょっと与えよ、それは戦略的慈愛。道具としての天使。

 つまりはただの悪魔の所業。


「ほんと、ろくでもねぇ……」

「強き者は与え、弱き者は与えられる。弱き者は代わりに何を奪われるんだべか……。弱肉強食だべや」


 新たに焼けた肉を頬張りながら、ユーコはしみじみと語る。

 まるで哲学者のような達観した目をしながら、手と口は欲望丸出しで肉に夢中である。


「ユーコ、それお姉ちゃんの分なんですけど……」


 そんな言葉お構いなしにユーコはハムスターのように食べ物で頬を膨らませて、モゴモゴと姉に語る。

 

「強き者は与え、弱き者は与えられる。全てうちの弱さが悪いんだべや」


 フィーユが小さな村の常識に囚われたまま生きて欲しくないと望んだ通り、ユーコは弱肉強食を語ってはいるが、その実考え方には変化が見られる。

 単純に言ってしまえば、弱肉強食を受け入れ殉じるのではなく、都合良く弱肉強食を持ち出すようになった。

 つまるところは。


「ほんと、ろくでもねぇ……」


 村から出さない方がまだマシだったのでは、と最近思ったりするが、それは間違っているだろうか。

 たぶん、残そうと連れ出そうとどっちにしろ、いや最初から間違ってるのだろう。

 二人が悪いんじゃない。きっと悪いのは神である巨大幼女だ。

 ろくでもないこの世界の神こそが悪いのだ。

 いつか出会う日が来たら、命に代えても干からびるまで血を吸ってやる。


 夜が更け、ろくでもない姉妹は馬車の中で眠りについた。

 眠る二人の寝汗が空気中に蒸発し、その香りになんとか耐えていると、外部から別の匂いが漂ってくることに気付く。

 御者二人のものではない。

 この匂いは、若い女の汗の匂いだ。

 気付けば外に飛び出していた。

 蚊の本能のままに、俺は馬車を離れて森の中へと入り込む。

 はっきりとした匂いを辿り、やがて生物の呼気を捕らえた。

 葉の上に止まり、茂みの奥を覗いて見れば、そこには着物に良く似た服を纏った女性が座り込んでいた。

 女性はココナッツのような白い繊維に覆われたボールを持っていて、先端に口をつけてそれを傾けている。

 木の実を割りその果汁を吸っているように見えるが、興奮しているのかかいた汗が蒸発し、爽やかな酸味を感じさせる匂いを放っていた。

 本来ならすぐにでも死角から近づき木の実に夢中になっている隙に血を吸うのだが、なぜだかそれを踏みとどまらせる感情があった。

 それは、正体不明の恐れだ。


「……ふぅ」


 人心地ついたのか女性は木の実から口を放し、垂れた濃い緑色の髪を耳にかける。

 妙に大人っぽい落ち着いた雰囲気と着物のような格好で年齢が上がって見えるが、その顔にはあどけなさが残っている。もしかすると思うほどの年齢ではなく、フィーユと同じ程度なのかもしれない。

 そんな少女に何を俺は恐れるのか。

 自分でも理解に苦しむが一つだけ言えるのは、そんな少女が夜更けに一人で森の中にいるのは異常だということだ。


「はぁ、やっぱり足りないなぁ……お腹空いたなぁ」


 どうやら少女は空腹らしい。

 それで一人で森の中に入って来たというのか……。

 ふと地面に転がる木の実を見ると、切り取られた先端の内から何かが覗いているのに気付く。


「あ、まだ残ってた」


 少女はそれを摘み上げて大きく開けた口の中へと落とす。

 少し的を外れてしまい、少女の口からぶらりと垂れ下がるのは、小さな動物の足だ。

 スルメでも噛むように、少女は小さな足をくっちゃくっちゃと噛んでいる。

 それは、おそらく、鼠の足だ。


「ひぃ――ッ!」


 どこからともなくやって来た恐れが、ほらみた事かとでも言いたげに俺の中で膨れ上がり、悲鳴が漏れる。


「男の声」


 少女の目が鋭く光ったと思えば、唐突に杭のようなものが俺の横の空間を鋭く突き、慌てふためくように空気が遅れて流れた。

 少女は一切身体を動かしていない。その背後から、槍のようなものが急襲してきた。

 しかしすぐにそれが間違いだったと気付かされる。

 彼女は動いていた。

 立ち上がると共に、その背後から、いやその背中から伸びた八本の槍のような脚も動く。

 それらを地面に突き刺し、その立てた脚の内側でぶらりと垂れ下がるような姿勢で少女はギラギラした目で周囲を探り出した。

 

「男の声……男の匂い……。人間がいる。人間がいるぅぅぅ」


 緩んだ口元から涎を垂らす少女の視線が、俺とはまったく別の場所に向けられる。

 助かったと思ったものの、その先には見張り番をしている御者がいるはずだと気付いた。

 このままでは、御者もフィーユもユーコも奇襲を受けてしまう。


「動くなよ、そこの女」


 一か八かで茂みに隠れつつ声をかける。


「一歩でも動いてみろ。お前のその綺麗な顔に穴を開けてやる」


 嘘はない。

 ただし俺に空けられる穴は縫い針より小さな穴だけど。

 少女が警戒するのを見てから、俺は急いで馬車へと戻る。

 何なのかは知らないが、あれが魔物で危険だということだけは理解できる。

 霧と化して馬車の中へと滑り込み、実体化すると共にフィーユを起こそうと声をかけるが、気持ち良さそうにぐっすりと寝ていて起きやしない。

 ならば意識が夢の中にあろうと届く音で起こすまでだ。

 フィーユの耳元へと近づく。ただそれだけで、効果は抜群。


「う――ッ! うぐあぁぁぁ! 耳元で飛ぶなあぁぁぁッ!! 嘆きと怒りの天刑シフトワン・ブラック・スクリーマーッ!!!!」

「ちょっと待て、ここでまた新しい必殺わ――」


 振り下ろされた槍の穂先が光ると共に、衝撃と熱が一気に全身を襲う。

 爆音と共に馬車の一角が吹き飛び、なす術もなく粉々の灰にされた俺は瓦礫と共に地に落ちたのだった。


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