第三十匹:蚊相手でレベルアップ。
決定的な変化が訪れそうで結局訪れず、平和に日々が過ぎていく中で、ソファーにゆったりと座り偽セレブを満喫していたフィーユが何事かを思いつき顔を上げる。
「蚊ーさん、いますか」
「え? あぁ、いるけど」
目を凝らして目の前を飛ぶ俺を確認した後、指を顎に当てて視線を上に向ける。
「考え事してる時のポーズを考えてみたんですけど、どうですか?」
「意味がわからねぇよ」
思いついたのそれかよ。
「この方が可愛くないですか?」
「いや、可愛いか可愛くないかで言われると可愛いかもしれないけど、何の話だよ」
満足したように頷き、「ただの思いつきです」と言ってカップを傾ける。
「それはそれとして、最近の町の状態をどう思いますか」
「状態? いつもと変わらないけど?」
お気に入りの花も咲いているし、果物屋の女性の血の味もギルド受付の女性の血の味も変わっていない。
強いて挙げるなら、女性人の蚊に対する警戒心がうなぎ上りで上昇中ぐらいだ。
「そうですね、特別これといった変化はありません。でも注目すべきはそこなんですよ。武具屋のように流通量が減って品薄になってきているところはありますけど、食料や生活用品についてはそれほど変わっていないんです」
「それなら良かった……んじゃないのか?」
「はい、間違いなく良かったんです。でももしかすると、これは思う以上に良かったのかもしれません」
フィーユが目を輝かせる。
おそらくろくでもない事になるという合図だ。
なんとなく、というかフィーユだから確実に、金の話だろう。
「この町は山に囲まれていて、街道以外を通り他の場所へと行き来するには困難な立地になっています。そして近くに農村もあるし、南に鉱山を持つ町もあります」
「つまり、ここに家を買って良かったって話か?」
「……ふふっ、まだまだですね」
イラッとした。
この金の亡者が。
「例えばです。例えば、この町より北が壊滅したとしてですよ?」
「例えばでもひどすぎない? もう忘れたんだろうけど、君は勇者って呼ばれたこともあるんだよ?」
「あくまで例えばの話ですよ。もしも北が滅んだらって話です」
「もういいけどさぁ……」
「王国が北にあることと、海上貿易で発展した都市が王国の西側にあることで、大都市はその二つを繋げた線上と、その周囲にあります。しかし現在王国のさらに北側から魔王軍が攻めてきていて戦争が起きているわけです。このまま王国が押され、万が一に負けるようなことがあれば、当然北側から占拠されていくことでしょう。もう滅びるまでもなく、もしそうなった場合は、いえその危険性が高まった場合は、当然ながら街を捨てて逃げ出す人々が出てきます。その時、その人達はどこに行くかということです」
「それが、この町だと言いたいのか? しかしそれほど広くはないし、栄えてもいないし……。何より山に囲まれていたところで、もうそうなったらこの町もお終いなんじゃないか」
チッチッチッ、とフィーユは指を振って見せてくる。
イラッとしていた上にさらに苛立ちが募る。
ただでさえ何を興奮しているのか甘い匂いを漂わせていて、蚊の衝動を抑えきれないというのに、苛立ちで理性が飛びそうだ。
思いっきり血吸うたろか。
吸わせて下さいお願いします。
「誰しもがそう考えるでしょう。それに、唯一南に一つ都市があります。普通はそこへ逃げるか、他の国へ逃げるかのどれかでしょうね。ただ、南の都市に逃げたとしても、この町が占拠されるまでに防衛ラインが下がれば、いよいよ物資の流通も止まってもうこの国自体がお終いでしょう」
「ねぇ、ちょっとだけでいいから、勇者って呼ばれたことを思い出してくれない? そこまでわかってて何なのそのしたり顔」
「そうなるとですよ? もしもこの町が立地を生かしてもっと守りを固めたとしたら、この町はこの国においての要所となり、今からそれに取り掛かれば都市から逃げてくる人々が流れ込み、急成長も見込めるというわけですよ。ある程度の安全性を確保できれば、外国に行くより自国にいたいと考えて来る人達も多いでしょうからね」
「逃げて来た人の力でここが新たな都市になる、ってことはわかったけどさ、状況次第ですぐにここも戦火に飲まれるかもしれないぞ。守りを固めるにも時間がないかもしれないし、発展しても魔王軍がここまで来たら結局お終いだろ」
「そこが問題ですね。しかし最悪の予想ばかりして動かなければただ機会損失になるだけです。時間さえあれば良いんですけどねぇ……。そうすればある程度の段階で、逃げて来た貴族様にここを高値で売れるのに」
「……ちょっと待て。結局のところこの話の着地点は、屋敷を高値で売って稼ぐってことなのか」
「はい。発展して街になるも良しですけど、危なくなって来るなら屋敷を売って離脱します」
「ねぇ、お願いだからさ、一瞬だけでもいいから勇者って自覚持ってみない?」
「……よしっ! では早速、明日町長さんに交渉してみましょう。あと蚊ーさんは町で情報収集をお願いします。特にギルドですね、あそこは他の支部と蜜に連絡を取り合っているので、この町では戦況について一番情報があるでしょう。以上、解散!」
そう言い残し、ほんとにフィーユはさっさと退出して行った。
勇者を助ける、ってこういうことだったっけ。
「そんなわけないんだけどなぁ……」
諦めのため息を吐きつつ、俺は明日のルートを考える。
情報収集とやらをしつつ、美女の血を吸うにはどう動くのがいいだろう。ついでだから吸血対象の新規開拓もいいかもしれない。
そう考えて、そんな蚊としての考え方をしている自分に嫌気が差すものの、それが以前ほどではなくなってきていることに気付いてもう受け入れることにした。
だって、俺、蚊なんだもの。
◇
「まったく信じられませんよ!」
店を店長にまかせて、裏で武具の在庫確認をしつつフィーユが憤りを顕にする。
「あの町長、危機感というものがまるでありません。まだ誰かがなんとかしてくれるとか思ってますよ!」
朝から町長に直談判に行き、今後の展望を聞いて来たらしいが、答えは現状維持だったらしい。
危機感の無さを怒るのはいいが、その人類が期待する誰かというのが勇者である自分だと気付いてくれると嬉しいなと思う。
もうそんなことは絶対にないのだろうけど。
「蚊ーさんの方はどうでしたか」
「それが今まで気付かなかったんだけど、教会に修道女の可愛い娘がいてさ」
「教会? あまり行きませんからね。強引に寄付金取られますし。それでその娘がどうしたんですか」
「これがおいしい血でし――危なッ!?」
フンッと乙女らしからぬ声と共にハンマーが振り下ろされた。
「そんなこと聞いてませんよ! 情報収集の方はどうしたんですか! 何デレデレしてるんですか!」
「いやデレデレはしてないし、俺の表情なんてわかるわけないだろ」
「わかりますよ! 鼻の下伸ばしちゃって!」
鼻ってどこだよ。
「もうそれはいいですよ、それで何か良い情報はありませんでしたか」
「それが改めて意識してみると、驚く程に普通でさ、心配して話題にしてる奴なんてほぼいない。本当に対岸の火事程度の認識なんだろうな。唯一関連することを話していたのは、ギルドだけだったよ」
「まぁそうなるでしょうね。それでギルドではなんと?」
「おそらくギルドに傭兵の派遣要請でも来てるんだろうけど、それが以前より強くなってきてるって話だ。要請ばかり強くなっても報酬が変わらないから、引き受ける冒険者がなかなか見つからないってぼやいてたよ」
「なるほど、ギルドでもその程度ですか……。ところで、受付嬢の女性の血はおいしいですか」
「あぁ、まぁまぁだな。何食べてるのかちょっと酸味がきついんだけど、あの細い脚の血は独特のクセがあってたまに無性に飲みた――」
「聖的一閃ッ!」
「今撃つのかよおぉぉぉあぁぁぁッ!?」
久々の必殺技がこんなタイミングかよ。
しかも店内で蚊相手にだ。
だがやられたフリだけして、実は回避している。
直撃の寸前に空気の流れに乗れば避けられると、俺は最近学習したのだ。
「聖的一閃ッ」
「ふぐうぇッ!?」
油断していたら吹き飛ばされた。
「お前、もう勇者の自覚とか期待しないから、せめて必殺技ぐらい大事な場面で使ってくれない? 見境なく使うのやめてくれない?」
「見境ないのはどっちなんですか!? 可愛い娘なら誰でもいいんですか! ……ちょっと、あれ、あのユーコに変な店教えた方っていつもスカートでしたよね。脚の血を吸うとか、それってスカートの中見えちゃいませんか」
「……何をいまさら」
「……あ、なんか新しい技みたいなの頭に浮かんできました。聖的槍突」
「なんで蚊相手でレベルアップしたみたいなことなるんだ――ッ!?」
フィーユは一切の予備動作も見せず、空気の揺らぎも感じさせず、突如穂先で俺の身体を正確に突き刺し、そして衝撃と共に身体に這う刃が俺をバラバラにする。
それは不可視の新必殺技だった。
「って、いいかげんにしろよッ!? このタイミングでなんで新しい技覚えちゃうの? 最初からずっとおかしいけど、今さらかもしれないけど、新しい必殺技は追い詰められてピンチの時に覚えるもんだろうがよぉぉッ!!」
「乙女の危機です」
「うるさいわッ!! 何が危機だよ、何回も見てるけど受付嬢に危険があったことなんて一度もないわ! お前の着替えだって散々見てるわ!!」
「聖的槍突。そして聖的槍突」
「ふぐぇッ!? くそ、避けられない! 見えな、ぐぁッ!?」
撃たれるのはわかっていても避けられない。
気付けば刃が身体に食い込んでいる。
アホみたいな発現のタイミングなのに、恐ろしい技だ。
「蚊ーさんの変態!! 黙って着替え覗くだなんて最低ですッ!! 信じてたのに!!」
「だからお前はなんで自分の言ったことをすぐ忘れるんだよ!? 蚊に見られて恥ずかしがる女子はいないって言ったのはお前だろうがあぁぁぁ!!!!」
「……あぁ」
あぁ、じゃねぇよ。
思い出したらしく曖昧な笑みでフィーユは誤魔化そうとしてくる。
「あの時はあの時、今は今ですよ」
「なにその理屈。それだともう何一つ信用できないんですけど」
「もうっ! 仕方ないじゃないですか、あの時は蚊ーさんのことなんて全然知らなかったんですから!」
「既に全部話した後だったじゃねぇか! それで知らないっておかしいだろうが!」
「……まぁ、そうなんですけど、だってあの時はまだ……。もうっ、いいですから、今後着替えを覗いたらダメですからね! 一ヶ月は口を利きませんからね!」
それだけ言って、もう喋りたくないとばかりに背中を向けられてしまう。
機嫌の悪い時にしつこく話しかけるのは悪手だ。
だからもう黙ってはおくが……着替えを覗くのと、一ヶ月口を利いてもらえないのと、どちらが良いだろう? そんなことを真剣に考えてしまうのだった。




