第三匹:変な夢見たなあ。
満腹になるまで少女の血を吸った後、締めとして足の指の間を追加で一箇所、ついでに首筋、デザートとして二の腕、と吸血してやっと俺は冷静さを取り戻した。
血の流れと相変わらず甘い呼気が感じられることから、彼女が死んでいないことはわかる。
良かった、俺とは違うようだ。
彼女の生存を喜びながら、内腿で吸血しようと白く滑らかな太ももに足を這わせていたところで、彼女が意識を取り戻した。
「ハッ!? あれ? なんでこんなことに……かゆっ!」
起き上がった少女は真っ先に足の指の間を掻き、その後二の腕と首筋に手を這わせる。
「最悪っ! この辺りあんまり蚊はいないはずなのになんでぇ」
愚痴りながらベッドに潜る彼女を空中で見つつ、ふと思う。
「まさかこの娘が勇者なのか……?」
勇者を手伝って魔王を倒す、と巨大幼女が言っていた。
わざわざこの娘の許へ俺を送ったのは、なにも餌を与えるためではないだろう。
直接聞いてみたいが、コミュニケーションが取れるのか?
毛布を足先までしっかりと被せて再度眠ろうとしている少女を眺め、ひとまず試してみようと考えた。
ただ、内腿で血を吸った後でだ。
「そんな布切れで身を守れると思うとは、舐められたものだ」
なんだかよくわからないが、血を吸ったら強くなった気がして口調が心情変化に引っぱられる。
しかしこの心地よさには抗えない。
「俺を邪魔できるものなど何も無い。例え神の衣だろうと幾多の戦場を戦い抜いた騎士の盾であろうとも、俺にとっては紙切れに等しい」
身体を霧と化し、繊維の隙間を通り抜ける。
やはりだ。さきほど再生した際に、吸血鬼の定番である霧化を会得した。これがあれば毛布程度余裕なのだ。
そして暗い毛布の中だろうが、血の流れの音をしっかりと感じることができる。
ネグリジェのような衣服から伸びた無防備な足に降り立った俺は、彼女の弾力のある皮膚を歩き内側へと向かう。
「さぁ晩餐の時間だ。その悲鳴で俺の魂を振るわせろ!」
針を取り出し掲げ上げたその時、
「……誰!? 誰かいるんですか!!」
ガバッと起き上がった少女が誰何する。
「ほう、俺の声が聞こえるか」
再度俺の声を聞いた瞬間毛布を蹴り飛ばし、少女は枕元から短剣を取り出し身構えた。
しかし俺の姿を捉えられていないらしく、壁際で朱色の瞳をせわしなく動かし続けるだけ。
内腿で血を吸ってからにしようと思ったのだが仕方ない。
「聞かせてもらおう。お前が、勇者か」
「……勇者? そんなわけないじゃないですか」
「クッハッハッハ! それは残念だ」
「何がおかしいんですか!?」
別に何もおかしくはない。
なんか上から目線で笑うのが吸血鬼っぽいかと思ってやってしまった。
気持ちよかったので反省はしていない。
だが少し冷静になってみようか。
「あの、本当に勇者では、ないのか?」
ここで違いますと言われても困るのだ。
探すの大変そうだし、何せ初めての吸血相手でそれに相応しい美少女なので、ぜひともこの娘に勇者であってほしい。
むさい男の勇者と一緒にいるよりこっちがいい。
あとどちらにせよ後で内腿で血を吸う予定なので離れる気はない。
「何がおかしかったんですか!?」
「……それより、勇者に力を貸してやれと言われているのだが、本当に勇者ではないのか」
「それより何がおかしかったのか言ってください!!」
なんでそんなにそこを気にするの?
もっと気にすべきこと一杯あるよね。
「あの、ちょっとテンション上がっちゃって……。それで実は神……? らしき巨大幼女から勇者に力を貸してやれと言われ、危なッ!?」
パンッと少女が空中を両手で叩く。
「蚊……?」
「蚊じゃない! 吸血鬼だ!!」
「きゅうけつき? 何か聞いたことあるようなないような……。ていうか喋ってるのあなたなんですか?」
「あぁそうだ。確かに蚊に……危なッ!? 蚊に見えるかも……うわッ!? ねぇ叩くのやめて聞いてくれな、ぐえッ!?」
「やったか!?」
白い霧となって指の間をすり抜け、空中で身体を再生させる。
「残念だったな!」
ちょっと楽しくなって来て叫んでみると、苛立ちと殺意を宿していた瞳が、いきなり虚ろなものとなり、げんなりした様子で彼女は腕をぶらんと下げる。
「あ、もういいです」
「無駄だとわかったようだな。では――」
「そういうのもういいです。明日早いんで。寝たいんで」
「いやでも、ほら、吸血鬼なのに蚊だとか、喋ってるだとか、勇者――」
「あ、ほんともうそういうのいいんで」
「あぁ……そう……」
さっさとベッドに潜り込み、背中を向けて寝てしまう。
明日早いなら仕方ない。
とりあえず内腿で血を吸おう。
足めがけて飛んでいると、少女が顔だけこちらに向けているのに気付いた。
「これ以上血を吸ったら、絶対にもう話を聞かないんで」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言うと、今度こそ少女は寝入ったようだった。
「その程度の脅しで俺を止められると思うのか!! フハハハハッ!」
その晩、結局俺はそれ以上血を吸うことができなかった。
翌朝、目覚めた彼女は寝ぼけ眼のまま着替えを始めた。
すぐに声をかけようかと思ったが、朝の支度ぐらいゆっくりしたいだろうと気を遣って、ただ黙って着替えを眺めることにした。
細身で胸は……だが、腰から足にかけてのラインは滑らかで魅力的。見ているとその白い肌を赤く染めたい――吸血で――という衝動に駆らされる。
歳は十六、七といったところか。
そんな少女の着替えを覗いているという罪悪感が胸の内で不意に芽生え、吸血衝動と争い始めた。
そんな葛藤を抱えている間に、彼女は白いシャツの上から赤いワンピースを重ねて着込み、腰をベルトで絞る。そして長い髪の一部をサイドテールにして、ササッと前髪を整えたら足取り軽くそのまま出かけようと……。
「おい待て! 血を吸うの我慢したんだから話を聞いてくれよ!」
「はい?」
しまった、という表情を露骨なほどに浮かべた少女は、紅い瞳で当て所なく視線を彷徨わせ、
「気のせいかなっ」
自嘲するように笑って肩をすくめる。
「んなわけないだろ」
「いやぁ、変な夢見たなあ。びっくりしたなあ」
「夢にしてんじゃねぇよ。それを強要してきてんじゃねえよ」
「がんばりすぎも考えものですよね、今度バイトが休みの時に少し贅沢して自分へご褒美をあげなくちゃ」
「おい! 聞こえてるよな? わざと無視してるだろ!?」
「さぁ、それはそれとして今日もがんばりましょー。あ、そうだアレを持って行かないと――ッ!!」
クルリと振り返り、忘れ物を取りに棚に向かうと見せかけてから、少女は素早く部屋を出てドアを勢い良く閉めた。
「フェイント、だと……」
完全に気付いている。なのに無理やりなかったことにしようとしていやがるのだ。
「フハハハッ、だが温い!!」
意気揚々と霧化してドアをすり抜ける。
廊下の向こうに彼女の姿があった。
「やばっ!?」
そのまま階段を駆け下りていく少女を、霧化したまま追っかける。
「やっぱり聞こえてんじゃねぇか! 見えてるんだろ!? 話を聞け……」
少女は脱兎のごとく建物から飛び出し、雑踏の中に紛れて俺を振り切って行った。
認めたくはないが、蚊なのだ。
どうやら移動速度は霧になろうとも変わらないらしく、走られるとあっさりと見失ってしまうらしい。
「どうしろっていうの? この始まりもしないクソゲー……」
愚痴っていても始まらない。
少女が走っていった方向に飛んでいくと、大通りらしき場所に出た。
煉瓦や石で造られた建物が並び、少女と似たような格好をした人々が往来している。
「あの、すみません」
声をかけてみるが通り過ぎる男に反応はない。
「ちょっと赤毛で可愛そうな胸の女の子を捜してるんですけど」
パン屋のおやじも反応しない。
「吸いますよ? いいんですね? 吸いますからね?」
果物を売っている露店の女性の血はフルーティーな味だった。
たっぷりと朝食を頂いたところで、再び女性に話しかけてみるがやはり反応がない。
「もしかして、あの娘にしか聞こえないのか……?」
思い返してみれば、少女との距離が数メートルあったにも関わらず少女は声が聞こえているようだった。それが蚊の声の標準的声量ならば、蚊の鳴くような声という言葉の意味が変わってしまう。
つまり、彼女と俺の間でテレパシーのような意志伝達が行われており、彼女以外にはそれが届かない。
それは嬉しい知らせでもあるが、悪い知らせでもある。
やはり彼女が勇者とやらなのだという確信は持てた。しかしその彼女に逃げられてしまっているのが現状。
「地道に探すしかないか……」
部屋で待っていればいいのかもしれないが、あわてて出てきてもはやその位置もわからない。
万が一このまま町から逃げられれば、本当に物語が始まる前に完全終了だ。
事前登録だけさせといて諸問題で始まる前に終了するソシャゲーみたいなのはご遠慮頂きたい。
「よしっ」
露店の女性の露出した腰にもう一度針を挿し込もうとしたところで。
「魔物が出たぞおおおおッ!!!!」
なにやらイベントの始まりを告げる絶叫が聞こえてきた。