第二十八匹:ビヨンド・ザ・パンツ。
長い廊下を、こけやしないかと心配になるほどの勢いで、ユーコが駆けて行く。
一度通り過ぎ、それに気付いて目当ての扉の前に戻って来たユーコは、そのままの勢いで扉を開いた。
「お姉! お小遣い欲しいべや!」
赤いカーペットの敷かれた広い部屋の中央、ソファーに身を預けていたフィーユがゆっくりと身体を起こす。
「なんですか、いきなり。お小遣いなら昨日あげたじゃないですか」
フィーユは机の上のティーカップを小指をピンと立てて持ち、それを口元へと運ぶ。
そしてゆっくりとカップを傾け、目を瞑ってその味に浸るように軽く頭を振った。
「うん、なかなか良い味ですね。及第点をあげられます」
「うっさいわ、この偽セレブが」
屋敷に引っ越して来てからずっとこうだ。
カナイ村から戻り、今までの宿では手狭だからと新しい住まいを探したフィーユは、武具屋の店主の紹介で幾つかの物件を周り、結局町外れの立派な屋敷を手にするに至った。
「もっと発展した街に住むつもりでしたけど、ごみごみしているのも今さら嫌ですし、この町なら過不足ないですし。それに最近王国軍が魔王軍に押されてきてるらしいので、位置的にもこの辺りが安全で良さそうですかね」
という、勇者と呼ばれたことなんて忘れ去った発言をしつつ、フィーユは一括現金払いでこの屋敷を購入し、姉妹で住むことに決めた。
お得意の営業スマイルで大幅に値引きして貰ったこともあるが、元々貯めていた分があったのと、後はやはりドラゴンを売却して得た分がとてつもなく大きいらしく、屋敷を買ってもゆったりと姉妹二人で暮らしていく分は困らないそうだ。
そうなるともはや堕落する一方かと思ったが、依然としてアルバイトは続けているし、ギルドでの仕事も続けるつもりらしい。
実は小金持ちだったのに生活費を切り詰めて生活していたことから考えても、その辺はしっかりとした考えを持っているようだ。
しかしそう安心したのも束の間、屋敷では部屋着として買って来たドレッシーな服に身を包み、二個セットで幾らだかの普通の紅茶でセレブ感を醸し出してくる。
「ところでユーコ、それ新しい服ですね。お姉ちゃんの言った通りにちゃんと買いましたか」
「したべや。おっとうとおっかあがゲフンゲフンで、お姉と二人っきりで生きていかなきゃならんでお金がゴホンゴホンなんだけんど、一度で良いからこんな可愛い服が着たい言うてたら安くなって、なんか白いものがこびりついてる言うたらもっと安くなったべや」
ちなみに白いものの正体は霧になった俺である。
いかがわしいものでは、ない。
「そうですか、ちゃんとできたなら良いんです。なかなか上品なスカートじゃないですか、白いシャツとそのスカートならどこかのご令嬢みたいですよ。さすが私の妹です」
「んだけんど、まだ弱いべや。ギルドのお姉に教えてもらった店で、パンツ買いたいべや」
「……あなた何を教わってきてるんですか。というかギルドのお姉って誰ですか、あの受付の人ですか?」
「んだべ。入ってすぐのとこで突っ立ってるお姉に聞いたんだべや。ギルドは強いもんがいっぱいいるって言うたべ。んだからギルドで強いパンツ欲しい言うたべや、そしたらギルドのお姉が教えてくれたんだべ」
「あの人、妹に何を教えてくれてるんですか……。蚊ーさん、ちゃんとユーコを見てて下さいって言ったじゃないですか」
「見てたよ。でも俺の声聞こえないんだからどうしようもないだろ。止めようとしたけど突っ走るし、買い物の邪魔するぐらいしかできないんだよ」
「まったく。ところでどこのお店ですか? 服や下着が売っているお店なんて、もう教えたはずなのに」
「それが町の西の外れにある店で、扉越しに決まった合言葉を言わないと入れない店で……すごかった」
「妹をどこに連れて行ってるんですか!? というかあの受付嬢、ほんとに何を教えてくれてるんですか!? しかも私知らないし!!」
「お姉、知らんのか。……ギルドのお姉は、お姉より……強い?」
「ユーコ、そのパンツ基準にするのやめましょうね? どうしたらわかってくれるんですか。あなたのそのパンツへの執着はどこから来てるんですか? ともかく、そんな得体の知れないお店で買う下着なんてダメです。パンツなら先日ちゃんと買ったでしょ」
「欲しいべや、あの強そうなパンツ欲しいべや!! お姉のパンツの百倍強そうなあの黒いパンツ履いて、うちも黒い噂をふりまきたいべや!!」
フィーユの側によりドレスの裾を引っぱってユーコは訴える。
「ふぇろもんでいちころしてえべや! 着替えるみてえに男をとっかえひっかえしてえべや!」
「……蚊ーさん、ユーコの辞書に変な言葉が追加されてるんですけど、一体どこからやって来たんですか」
「……あの受付嬢、清純派ぶってえげつないってことだ。あぁ、思い出したくも無い。超怖い」
「あの受付嬢……これだからやたら愛想良くニコニコしてる女は信用できないんですよ」
どの口でそれを語るか。
「とにかくユーコ、それはダメです。というか、その盲目的パンツ信仰みたいなのやめてください。この前ちゃんと話したじゃないですか」
「能ある鷹はパンツ隠す言うてたべや。可愛い服着てあの黒いパンツだったら、いちげきひっちゅー、ぼうぎょふかの必殺技言うてたべや」
「ちょ、ちょっと待ってください。お姉ちゃんついていけなくなってきました。あの受付嬢に関してはそのネタでいつかお願いを聞いてもらうとして、そのパンツは何なんですか、武器でもついてるんですか?」
「なんもついてねえべや」
「なにもついてないんですか? リボンとか付いてるぐらいですか?」
「なんもついてねえべや」
真剣な顔でユーコは訴えるが、フィーユは困ったような顔のまま小首を傾げる。
「蚊ーさん、どういうことですか。普通のパンツということですか」
「いや、なにもついてないんだよ」
「……なに、も?」
「あぁ、面ではなく線で攻めるタイプだ。……すごかった」
「……ただの紐ってことじゃないですか!? まさかユーコに試着させてないでしょうね!?」
「……ッ!?」
「ユーコ? なんで今、その手があったかみたいな顔したんですか? 試着しようと、履いたまま帰ってこようとお金は出しませんからね? ダメですからね? というか今からまた再教育ですよ。なんでパンツは強さに関係ないってわかってくれないんですか!」
「欲しいべやぁぁ!! あのビヨンド・ザ・パンツ欲しいべやぁぁ!!」
喚くユーコを座らせて、疲れた顔でフィーユが常識を語り始める。
ユーコにしてもフィーユにしてもだが、あの村の弱肉強食の思考はなぜこれほどまでに歪みを生むのだろう。
フィーユが語る常識も聞いていられないので、俺はそっと退出することにした。
◇
屋敷は二階建てで二人では使い切れない部屋数がある。
掃除するだけでも一日では済まない程だが、残念ながらメイドを雇うつもりはないらしい。
ちょっと期待したんだけど、実に残念だ。
二階通路から階段を降り、一階に下りると玄関のある大きな広間に出る。
家具は前の住人がそのままにしていたらしく、玄関の広間にも幾つかのキャビネットやローソク台が置かれたままだった。そのどちらも蝶番などに意匠が凝らされ、屋敷の雰囲気とマッチしている。
事情や中身さえ知らなければ、この屋敷に住まう二人は、容姿からしてもご令嬢と思われても不思議はない。
ただ今その二人が、二階でパンツの話で激論を交わしているであろうことは、甚だ遺憾である。
そのまま玄関の隙間から外へと飛び出すと、目の前には荒れ果てた庭がある。
二人でせっせと――主に食べられる――植物を植えているが、庭が復旧するのはまだまだ先になるだろう。
そんな庭の片隅に咲く花の元へと向かい、そっと針を立てて蜜を吸う。
そもそも俺は宿でも屋敷でもどっちだって良い。なにせ蚊だから。
ただ問題は、屋敷が町外れにあり、近くに若い女性がいないということだ。大通りまで飛ぶのも蚊の身体だと一苦労。そこを事前に考えて要望を出しておけば良かったと思う。
言ったところで、そんな意見鑑みられることはなかっただろうが。
一番甘い蜜を探して花から花へと飛び回っていると、屋敷からフィーユが出てくるのが見える。
ドレスからいつもの服へと着替えているのを見て、アルバイトの時間だとわかった。
「もうそんな時間か」
「蚊ーさん、こんなところに居たんですか。行ってきますので、ユーコのことお願いしますね」
「あぁ、まぁ何にもできないんだけどな……。それはいいけど、お前も金があるならバイト辞めても良いんじゃないか? なんかユーコに使わせてばっかりで、フィーユの生活は大して変わってない気がするんだけど」
「私は良いんですよ。それにいつ何があるかわかりませんからね、コツコツ貯めておかないと」
「その辺はしっかりした考え方なんだけどなぁ……」
「え? どの辺がしっかりしてないって言うんですか? 帰ってきたら詳しく聞かせて下さいね」
怖い笑顔を俺に向けて、そのまま庭を抜け門の外へと消えていく。
つい余計なことを言ってしまったなぁ、と反省しつつ俺も屋敷へ戻ることにした。
◇
「蚊、パンツ見に行くべや」
戻ってみると、まったく何も理解していないままのユーコがいた。
「だからダメだって」
と言ったところで、俺の声はフィーユ以外に届かない。
ユーコもそれは知っているはずなのに、俺の言葉を待つように目の前を飛ぶ俺をジッと眺めている。
「蚊、白いやつになって本みてぇになったら良いべや」
「本……? 本みたいにってどういう意味……ッ」
そういう意味か。
まさかユーコに教えられるとは思わなかった。
本みたい、つまりそこに書かれている文字や記号の形になって意思表示すればいいと言っているわけだ。
「まぁいいべや。パンツ見に行くべ……。蚊、何して……ッ!? きぃぃえぇぇぇぇぇッ!?」
「……は?」
ユーコが悲鳴だか雄たけびだかわからない声を上げて、その場にしゃがみ込む。
両手で目元を隠し、その向こうでさらに目をギュッと瞑っていた。
「なんで? あれ、俺バッテン作っただけなんだけど」
ダメだ、という意味で霧にした身体を使ってバツ印を空中に作った。
ただそれだけなのに、初めてフィーユ以外と――モンスターを除く――コミニュケーションできると思ったのに、予想外の反応に戸惑ってしまう。
「やめれぇ、わかったからやめてくれんべやぁ。パンツ見に行くんやめるべやぁ」
ふにゃふにゃと力なく床に転がりながら、ユーコは眩しいものでも見るように薄目を開けてこちらを伺い、バツ印を見た瞬間目を背ける。
「なにやってんだよ」
蚊の姿に戻り近づいてみると、それに気付いたユーコが身体を起こしその場でふてくされるように胡坐をかいた。
「まさか、蚊が忌むべき刻印を知ってるとは驚いたべや。そうかぁ、うちは蚊より弱かったんだなぁ。あんのパンツさえあればなぁ……」
「いやパンツは関係ない」
その理屈は分からないしそもそもずっとあの村出身者の考えなんてわからないんだが、止まってくれたなら良かった。
「でも蚊、できるんでねぇか。んならちょっと話してみんべや」
この程度のこととはいえ、この世界に来てフィーユ以外の人間とようやくコミニュケーションが取れるということは、俺には朗報であり待ちに待った体験だ。
ユーコには聞こえないだろうが、俺は二つ返事で了承した。
「お姉のパンツ、どこに隠してあんべや」
「……」
「そっちだべか!?」
霧となって矢印を作って見せる。
本当、こんなことでも嬉しいんだけど、同時に悲しいのはなぜだろう。
それでもようやくのコミニュケーションだと、矢印を作ったまま移動を開始した。
ユーコが興味津々で漁るからと、フィーユの下着は別の部屋に移されている。
その部屋へ案内しようとそのまま扉の隙間から廊下に出ると、中からゴンッと激しい音がした。
「そ、そっち……そっちだべかぁッ!」
額を赤くしたユーコが、小さな身体で扉を押すようにして出てくる。
どんだけ姉のパンツに執着してんだ、この妹は。
とはいえ交流の喜びには勝てず、そのままユーコをフィーユの下着まで誘導し、一緒に強いパンツと弱いパンツをじっくりと吟味し、そして帰って来たフィーユに見つかり二人してぶち切れられたのだった。




