第十六匹:妹さえいれば他はどうでもいい。
血が吸いたくて堪らないので、そろそろ夜這いを決行してしまいそうだったのだが、フィーユが妙な空気を出してくれるおかげでそれも出来ずに夜が明けた。
もしかすると、俺を動けないようにする巧妙な罠だったのではないかと、すっきりした顔で起きてきたフィーユを見て思った。
そのまますぐに出発し、日没前にようやく小さな町に辿り着く。
そこが村から一番近い町なのだそうだ。
しかし久しぶりに宿屋で一泊できるというのに、町に入った時からずっとフィーユの顔色は優れなかった。
「どうした、調子悪いのか。だから道草喰うのはやめておけって言ったのに」
「違います。それに火を通して食べたんだから大丈夫ですよ。……あと別に体調が悪いわけじゃありません」
そう言われてよく見てみれば、周囲を伺いながら人目につかないよう歩いているのに気付く。
元居た町ではニコニコと営業スマイルを浮かべて堂々としてたっていうのに、可愛さアピールで値引きしてもらったりするのが日課だというのに、それとは雲泥の差だ。
「あぁ、そういえばここでは差別がひどかったんだっけか。……大丈夫じゃないか? アーコはともかく今のお前は見た目じゃ出身地なんてわからないだろ」
「はい。もちろん完璧に可憐な町娘のつもりなんですけど、しかしギルドの担当さんにはばれましたし……」
可憐とも町娘とも言ってないんだけど。この泥芋好きの村娘が。
「そんなに気にしてたらよけいに……あっ」
町の広場で何やら子供たちが集まって言い合いをしている。
そこにあからさまに周囲とは違う格好をした一人の少女を見つけた。
アーコと同じ幾何学模様の描かれた縫製の荒いワンピースを着て、明るめの赤毛の髪を左右で縛っている七歳程度の女の子が、野菜を入れた籠を持っているのだからどう考えても当たりだ。
それに気付いたフィーユはすぐさまそこへ駆け寄る。
ビクッと振り向いた町の子供たちと一緒に、小さな少女もその紅い瞳にフィーユを映す。
「こんな小さな女の子を苛めてはダメじゃないですか」
一瞬動揺したような顔をしていたフィーユは、表情を整え努めて冷静に子供たちに話しかける。
「だってこいつ魔境のやつなんだぜ? 俺たちの町に魔境の田舎者なんて来られると、町が泥臭くなるんだ」
「そうだ、田舎ものは山ん中に帰れ!」
「俺たちが掃除してやるよ!」
子供の一人が棒切れで少女の肩を押す。
そして帰れ帰れとコールを始めた子供たちを前にして、自分を落ち着けるように一度深呼吸してからフィーユは優しく微笑んだ。
「実は私は、今この町に着きました」
「……だからなんだよ」
「いやぁ、良いところですよね……景色が開けてて」
「……はあ? な、なにを」
「少し前には王様に呼ばれて王城へも行っていたんですけど、あの街はダメですね。ゴミゴミしていて。住めたものではありません。それに比べて、ここは良いですねえ?」
「……うっ、うぇっ」
子供たちの様子がおかしい。
なぜか泣きそうになってる。
「あぁすみません。ずっと住んでる人にはわからないですよね。でもやっぱり、田舎は良いですねぇ……田舎は! 何も無くて!! 畑ばかりで見通しは良いし! 建物もまばらで低いから空も良く見えて。あぁ、良いですね。……田舎はああああッ!!」
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
子供たちは泣いて逃げて行った。
「……どういうこと」
「簡単な話です。自分たちよりも田舎ものを馬鹿にしていたところにシティガール登場で、倍返しを受けて心が折れたんですよ」
「いや……どういうこと」
本当に田舎もの扱いされて逃げたのだろうか。ただフィーユの気迫と顔が怖かったから逃げただけではないだろうか。
飲み込めないままの俺への説明を早々に切り上げたフィーユは、しゃがみ込んで目の前の小さな女の子と目線を合わせる。
ところで、してぃがーるという人はどこにいるのだろう。
え、君じゃないよね? 王城なんてちょっと行っただけだよね? ちょっと行っただけで都会はこれだからとか言ってたよね?
「大丈夫でしたか」
「あんがと、してぃがーる。これあげんべや」
少女は小さな手で掴んだ泥芋を差し出す。
「いえ、せっかくですけど私は結構です。私の代わりにあなたが食べて下さい」
「そげなわけにいかねぇべ。してぃがーるがいらねぇなら、この野菜でお酒と交換してもらわねばいけねぇべや」
「だったら私が買ってあげますから。大丈夫ですか、お腹はすいていませんか?」
「すいてっけども、お酒と交換しなけりゃ怒られちまうべ。うち弱ぇから」
「いいんです。もう、いいんですよ。……遅くなってすみません、ユーコ」
フィーユは震える腕でユーコを抱きしめる。
抱きしめられたユーコは小首を傾げながら、零れ落ち転がる野菜を見つめていた。
そんなユーコの瞳が、落ちた泥芋に止まり、そのままフィーユの方へ向けられる。
「……お姉?」
その言葉に嗚咽を漏らしながら応え、フィーユはさらに力強くユーコを抱きしめた。
身じろぎしながらもユーコはそれを拒絶することはなく、けれども不思議そうにフィーユを見つめる。
姉の姿に違和感を覚えているようだ。
「お姉よりおっきいべ」
「成長したんです。あなたも大きくなりましたね」
「お姉なのに泥ついてねぇべ」
「それが当たり前なんですよ」
「お姉なのにスカート短い。パンツ見えんべや」
「都会ではこのぐらいが当たり前なんです。角度を計算してるので見えないですよ」
「お姉なのにおっぱい……変わってない」
「……」
「……お姉だべやッ!」
やっとユーコの表情が明るくなる。代わりにフィーユの表情はどんよりと曇った。
どんまいっ。
借りた部屋に、外套を被せて隠したユーコをこっそりと入れた後、フィーユは服を買いに行き、帰りに井戸から水を汲んで部屋へと戻る。
きょとんとしていたユーコの顔を拭いてやり、新しいワンピースを着せて髪を漉いてやる。
依然として不思議そうな顔を浮かべていたユーコは、物珍しそうに着せられたワンピースのスカートを捲し上げた。
「パンツ見えるべや」
「いちいち捲し上げないでいいですから。普通にしていれば大丈夫ですって」
泥と煤に汚れた顔が綺麗になり、フィーユによく似た幼い顔が露になる。
フィーユは綺麗になったユーコの顔を楽しそうに覗き、さらに以前古着屋で買ったリボンでおさげを作ってやった。
「うちもしてぃがーるだべや」
誇らしげな顔のユーコを見て、フィーユも嬉しそうに笑う。
その後、姉妹はユーコの持っていた野菜を調理して、久しぶりに一緒に食事を楽しんだ。
さらに食後のデザート代わりに干し肉を齧っていたユーコが、不意に何かを思い出したかのように顔を上げて窓の外を見やる。
「お姉、うち戻らねぇといけねぇべや」
窓からフィーユに向き直ったユーコを、フィーユはジッと見つめ、意を決したような表情をして妹の頭を優しく撫でた。
「ユーコ。私と一緒に来ませんか」
「……村に?」
「違います。別の町です。そこへ行けばもっと良い暮らしができますし、田舎物だと馬鹿にされることもありません。おいしいものだっていっぱいあります」
ユーコは干し肉を咥えたままで小首を傾げる。
「大丈夫です、だからお姉ちゃんと一緒に村から出ましょう」
「……でも、うちドラゲの生贄だべや」
「そんなこと気にする必要はないんです! だから……一緒に逃げんべや! ユーコ!」
「お姉の言うことでもそれはできね。強ければ生き弱ければ死すのが村の掟。うちが弱いんが悪いんだ」
「ユーコ……」
いくら説得しようとも、ユーコが首を縦に振ることはなかった。
もう今日は遅いからと、なんとか一泊させるだけでやっとだ。
夜になり、二人は同じベッドで眠り、しばらくしてからフィーユだけがユーコを起こさないよう注意しながら起き上がる。
「蚊ーさん、いますか」
「ずっといるよ」
「……明日朝一番で、この子を連れて町を出ます。いざとなったら手伝ってもらえますか」
「本当に、それでいいのか」
「いいんです。妹さえいれば他はどうでもいい」
なにを、ラノベタイトルみたいなこと言ってんだか。
「お前の故郷だろう。それを見捨てていいのか」
「……いいんです、あんな村。こんな小さい妹にまで、あんな教えを吹き込んで……。なくなったって、弱いから仕方ないとか最後まで言ってる村ですよ」
「あぁ、そうだろうな」
でも、俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「そうやって、お前はずっと村を気にして生きていくのか? 未だに村出身であることを隠してビクビクして生きているのに、このまま村を見捨てて本当にいいのか、後悔しないのか。変な教えを守って自業自得で滅んだ村の出身者として、これからまたそれを隠しながら生きていくのか?」
「……仕方ない、じゃないですか」
「仕方なくなんかない。少なくとも、村へ戻ってどうにかできないか試してみればいい。今ならまだそれが出来る」
「あなたに何がわかるって言うんですか。……ドラゲ相手に、なんもできるわけねぇべや!」
「じゃあ何でここまで来たんだよ? お前はとっくに、そんなことわかってたはずだ。それでも妹の為に来たんだ。だったらそれはもう逃げる理由にはならない。だから次は自分の為に進め。別に村が嫌いならそれでいい、でも逃げるんじゃなくて、出来ること全てやってから、今度は村に三行半叩きつけて出て来いよ」
俯いて黙ってしまったフィーユの視線の先でユーコが寝返りを打ち、ずれた毛布をかけ直してやりながら、フィーユは小さな声でなぜそんなことを言うのかと尋ねてくる。
、
「今、お前が辛そうな顔をしているからだよ」
いくら故郷が嫌いでも、無くなっていいなんてわけはない。
ましてや気にしているなら、このまま消えればそれを解消する機会は二度とないだろう。
だったら、例え解決できなくても行ってみるべきだ。
逃げるというのが金勘定の結果なら、俺はこんなこと言わない。だが今は言ってやらなければいけない。でないと、一生取り戻せない損を、フィーユはここでするだろうから。
そしてそれは、らしくないから。
フィーユは同意も拒否もせず、「もういいです」とだけ言ってまた床についた。
眠る二人を眺めつつ、俺は窓際へ止まり外を眺める。
ガラにもないことを言ってしまった。ちょっときざ過ぎただろうか。
……と考えて、自分が蚊だったことを思い出した。
蚊が、何言っても無駄じゃないかな!




