第十一匹:狼男。
「あぁ、君の汗が蒸発する中に虹が見える。それは甘く芳しい香りの結晶。身を焼くような君の体温が、俺の理性を容易く灰にし、ただ残ったこの針を、その柔肌に突き立てん」
「なにを耳元でポエムを囁いてくれてるんですか。そんな口説き文句嬉しくも何ともないですし、突き立てたら一生無視しますからね」
「蒸れたブーツの中に、入りたい」
「……ちょっと離れてもらえますか。乙女の敵がいるみたいなんで、聖的一閃ッ!!」
「ぎゃああああああ!!?」
そんなやりとりをしている内に、山の中腹まで辿り着いた。
「この辺に奴らが住み着いているらしいんですけど、蚊ーさん匂いとかでわかったりしませんか?」
「ちょっと待って、俺の脚が一本どっかいってるんだけど……あ、あった」
至近距離で技を喰らうと再生に時間がかかるらしい。
しかも部位がどこかに引っかかっていると自分で探さなければならない。
なんて面倒な仕様なんだろう。
「匂いか。そういえば、ちょっと独特な匂いなんだけど不思議と何度でも嗅ぎたくなるような匂いがするな」
「その匂いが私の匂いとかいうオチだったら、もう絶対に口を利きませんからね」
危なかった。
続け様に言わなくて良かった。
「……ん? ちょっと待て、近くに生き物がいるな。この感じは呼気だ。濃さからして、豚と同サイズ、もしくはそれ以下の大きさの生き物だと思う」
「それはいいんですけど、さっきの匂いの話はどこへ行ったんですか? まさか本当に私の匂いとか言いませんよね!? 女の子なんですよ!?」
そんな言葉を無視して飛び上がり、気配を追って旋回する。
おおよその方向がわかり、少し飛ぶと思った通り生き物を発見した。
「……なんか、犬みたいなのがいるんだけど」
「え……ああ、あれですか。金に近い茶色の毛色、間違いありません狼男です」
狼男です、と真面目な顔で言われても、そこいいるのはただの柴犬だ。
ちょうど尻をこちらに向けているので顔は見えないが、毛並みも形も大きさも柴犬だ。
狼の要素も男の要素もどこへ行ってしまったのだろう。早く帰ってきてくれまいか。
「一匹なら都合が良いですね。さっそく仕事に取り掛かりましょう」
臆することなくフィーユは槍を構えつつ柴犬に近づく。
その足音で気付いたのか、柴犬が体勢はそのまま頭だけで振り返る。
「なに見てんだよ」
顔だけ、人間だった。
「私は冒険者、フィーユ・アルトゥリア。農村の人達の為にやって来ました!」
「なんでわざわざ名乗りを上げてんの? っていうかちょっと待って。狼男? 違うよね、これ懐かしの人面犬だよね?」
「なんだてめぇ、誰が犬だ!? あぁ!? 狼と犬との区別もつかねぇのか!? ぶち殺すぞ!!」
えいっ、と振り下ろした穂先が、ポカンと柴犬の頭を叩く。
「きゃいんっ!? おいおいやめてくれよ、冗談だって。俺、実は平和主義者なんだよ!」
よっわっ。
柴犬ですらねぇよ。顔だけ人間なおかげで、一番の武器である愛らしさも牙もないし、なんだこの動物の失敗作。
「この私、フィーユ・アルトゥリアが引導を渡してくれます!!」
「待て、まずは話し合おう。その努力もせずに暴力で解決しようとする姿勢――」
「聖的一閃ッ!」
「うぶぇあああああああ!? あ、ハッ、ひいぃぃぃ!!」
タタッと柴犬が茂みの奥に逃げていく。
動物虐待しているようにしか思えないのはなぜだろう。
冒険者と魔物の戦闘だったよね、これ。
「……追いかけなくていいのか」
「恐怖を植え付けるだけでいいので、無理に追いかける必要はないんですよ」
「ふーん。ところで、さっきから何でいちいちフルネーム言うの」
「誰が見てるかわからないじゃないですか。真面目で格好良くて可愛い冒険者だって評価になれば、良い条件のお仕事もまわってきますからね。ところで今、近くに誰かいませんか」
「いない、と思うよ……」
それは残念、とフィーユはキョロキョロと周囲の探索を再開する。
俺はもうこの冒険でも何でもない動物虐待に興味を失いつつあった。
それでも協力者として、情報は伝えてやろうと思う。
「なんか数頭近づいてきてるっぽいぞ」
「……数頭!? まずいっ、一匹ずつ叩いて恐怖を植えつけていこうと思ったのに」
柴犬相手に何言ってんだ、この子。
ほどなくして草を掻き分ける囁くような音が迫り、茂みの中から小柄な影がピョンピョンと飛び出す。
「……テメエが冒険者か。よくも俺の連れに手を出してくれたなあ」
ちょっと大き目の柴犬がフィーユを睨む。
「抑えていてやってたのに調子に乗りやがったな。もうキレちまおっかなぁ」
先ほど逃げた柴犬が、群れた途端に強気になっている。
お前さっき、きゃいんって言ってただろうに。
「先輩達、ここは俺達にやらせてくださいよ」
残り二頭は後輩らしい。
まだあどけなさの残る少年の顔で、一生懸命睨みをきかせている。
なんか柴犬のぬいぐるみ着て悪ぶってる中学生みたいだ。
……なんだその中学生。
「まずいですよ、蚊ーさん」
「これ、まずいのか? ずっとしょっぱい現実を堪能させられてある意味では激マズなんだけどさ」
「話を聞いてなかったんですか? 汚い口撃をしてくるから群れだとかなり厄介なんですよ」
「そりゃ聞いてたけどさ、だからって結局柴犬だろ。……ん?」
何か引っかかるものがあった。
しかし考えている暇はない。柴犬中学生二頭がフィーユの前に躍り出る。
「おいブスッ」
幼さ全開の攻撃が始まったッ!
「なに、このババア。いい歳してミニスカワンピとかキモいんだけど」
「マジでマジで。なにそのワンピ。おばあちゃんの箪笥の中に同じのあったわあ」
柴犬中学生がキャッキャッ言いながら悪口をフィーユにぶつける。
汚い攻撃、いや汚い口撃。つまりは、口汚いってことか。
もう……どうでもいいや。
「これは高価な一品です。だからおばあ様が箪笥に大事にしまいこむのもわかりますが、やはり服は着てこそのものです。勿体無いとか考えて、しまい込んでたんでしょうかねぇ、あなたの貧乏人なおばあさまは」
なんてこと言うの、この子。
ほら、柴犬中学生がちょっと涙目だよ。
「てめぇババア! こいつのばあちゃんはもう死んでんだぜ!? そんな事言うなんて頭おかしいんじゃねぇの!!」
「たっくん……」
依然強気の柴犬中学生はたっ君というらしい。
知らんがな。
「あぁそうですか。亡くなっていらっしゃるんですか。亡くなった身内のことを馬鹿にされて、どんな気分ですか?」
「何聞いてんだよ! テメェいい加減にしろよババア!!」
「私の着ているこのワンピースも、祖母の形見なんですよ」
「……えっ……」
俺も……えっ……。
「祖母もあなたのおばあ様と同じように、大事に箪笥にしまっていました。そして亡くなる直前、私にこれを譲ってくれたのです。流行に合わないかもしれないけど、いつか若かりし頃の祖母のような冒険者になったら着て欲しいと。そして最後に、そんな私を見る事ができなかったことだけが心残りだと言って亡くなってしまいました。見せてあげたかったですよ、おばあちゃんに」
その言葉が静まり返った木々の合間に儚く消えていく。
失ったものは取り戻せない。傷つけてしまった心から、その傷を取り去ることは叶わない。
悲痛な思いに押し潰されそうな頼りない顔で、それでもフィーユは微笑んだ。
「すみません、あなた達には関係ない話でしたね。さぁ思う存分罵り続けてください。このおばあちゃんの形見のワンピースを!!」
できるわけがなかった。
知らなかったとはいえ、自分と同じく大好きな祖母を亡くしている相手に、先に暴言を吐いたのは自分だ。
祖母を馬鹿にされた辛さが、目の前の冒険者の祖母を馬鹿にしてしまった後悔で、自責の念に変わっていく。
そんな自分を責める柴犬中学生を見ながら、たっ君もまた同じく後悔の念にかられ震えていた。
「ごめん、な…さい」
「謝ってくれなくて良いですよ。いくら謝られたって、この傷が消えることはないんですから聖的一閃」
「きゃいいいいんッ!!」
柴犬中学生二頭が吹き飛び弧を描いて地に落ちる。
そしてそのまま這い這いの体で二頭は逃げていった。
「……って、なにこれ。なんか途中から俺もちょっと乗ってみたけど、なにこれ。なんで必殺技撃ったの。ひどくない?」
「狼男には口撃も必要なんです。暴力だけじゃ後から慰謝料の請求がどうこうと言ってまとわりついて来る場合があります。だから口撃と共に攻撃するとより効果的なんです。それにより一時的に沈静化できるか、もしくは更生させられると言われています」
「更生したらどうなんの」
「角が取れて丸くなって、割と面倒見の良い性格になるそうです」
なったからって、どうだってんだよ。大人になった元不良かよ。
そうは思うが、さっさと終えてほしいのでそれ以上聞くのをやめた。
なにせまだ二匹いるのだ。
このまま終わりとはしてくれず、いちゃもんつけてくるのだろう。
あ、群れだと厄介ってこういうことか。
……ギルドでちょっとでも期待した自分を、本気でたこ殴りにしてやりたい。




