道端にセロリが落ちている
__道端にセロリが落ちている。
そんな、どうでもいいこと。
もちろん「え?! セロリ!?」という驚きは少なからずあるけれど、それは日常の些細な出来事であって、別に何か人生に関わる重大な出来事というわけではない。
だからこれがシイタケであったって、人参であったって、何かが変わるわけでもないのだ。
ただ、一介の高校生である私には帰り道にセロリを見つける、ということはある意味事件である。
とは言っても、すぐさま写真を撮って誰かに送るとか、そういうことをしようとは思わない。
いつもと変わらぬ日常。
そんな中の、少し変わった出来事。
それは、誰の目にも触れぬように自分だけが密かに楽しむ、言わば宝物のようなものである。
というか、「道にセロリがあった」と送ったところで返事は返ってきても「へー」くらいのものだろう。
既読スルーの可能性が一番高い。
なぜ言いきれるのか。それは自分ならそうするからである。
セロリを見つける、ということはその場面に直面して初めて感動を覚えさせるものであり、それが他人に起こった出来事であるならば、早い話どうでもいいわけだ。
誰がセロリを見つけようがシイタケや人参を見つけようが、結局は他人の話。自分には関係の無いこと。
さて、そんなセロリだが。
道路の脇にぽつんと置かれたセロリ。葉は少し萎びているものの、それはまだ鮮やかに近い緑を保っている。
恐らくこの場所に置かれて、そう長くは経っていないはずだ。
なぜ、こんな場所にあるのか。
ガードレールに腰掛け、その事について思案し始めた矢先、ある男の声がそれを邪魔した。
「これはセロリだな」
えぇセロリですよ。
実際に返しはしないものの、心の中でそう呟く。
きっと通りすがりの独り言だろう、と思って再び考え始める。
「これはセロリだよな」
「セロリ以外の何かに見えますか」
少し大きめの声でもう一度同じことを言われ、反射的に言葉を返してしまっていた。
あ、と思った時にはもう遅い。
声を掛けてきた人物はすでに私の隣に座って、話をする体勢を整えていた。
せめてもの意地、とばかりに絶対にその人物を視界に入れないように気を付ける。
彼は別に気にしていないのか、明らかに不自然な方向を向いている私に向かって喋るのをやめようとしない。
「なんでセロリがあるんだろうな」
「知りません」
「おいおい。それじゃあつまらないだろう」
面白さを求めるな、と顔を顰めつつ適当に相手をすることにした。
「大方、主婦の誰かが落としたんでしょう」
「......お前さぁ、女子高生なんだろ? ちょっとはロマンス的なの思いつかないの?」
「喧嘩売ってます?」
投げやりな回答をしたのが悪かったのか、憐れむような声に若干の苛立ちを覚える。
仕方がないので少しまじめに考えてみよう。
「......例えば、このセロリは元々恋する乙女が買って、その乙女が意中の相手に届ける為のものでして」
「それで?」
かなり適当な作り話に彼は興味を示す。食いつくような相槌に、小さく苦笑してしまう。
私も、話しながらその場面を想像する。
袋からはみ出たセロリ。乙女はそれを大事そうに抱えながら、好きな人のいる場所へ向かっている。
「しかしながら周りを見ていなかった乙女は交通事故に遭い、セロリだけが道端に転がってしまったのです」
「夢も希望もない! ロマンスはどこへ行ったんだ」
「そうしてセロリはいつまでも彼の元へ届けられるのを待っているのです。そう、貴方に。......夢に出てくるかもしれませんね」
「最終的にホラーじゃねぇか」
途中からの話の転換がおかしい、とぼやく彼に「夢がある」と返す。
「そういう夢じゃない......」
頭を抱えているようだ。はぁ、と深いため息が隣から聞こえてくる。
考えろ、と言われたから考えただけなのに。
理不尽だ、と恨みがましく呟けば「でもさ」と言葉が返ってきた。
「そもそもセロリ、っておかしいよな。セロリって料理に使う?」
「......あんまり。というか出てきたことないです。せいぜい小学校の給食の時くらいですかね」
「だよなぁ。ロマンスにセロリ出てきた時点でそれってただのラブコメだよな」
セロリセロリ言ってるロマンスとかもはやロマンの欠片もない。
携帯小説で書いたなら『せ』の予測変換に『セロリ』が出てくるようになって、間違えてセロリと打ってしまい、さぞ苛立ちが募るであろう。
日常会話で『セロリ』と送ってしまった日にはもう最悪だ。
「......え、せ、セロリ......?」と引かれるイメージしか湧かない。
今ですら、頭の中でこの単語を繰り返しすぎて、もう脳がセロリ一色に染まりきってしまっている気がする。
何回この野菜の名前を繰り返したことか。思い返すのももう嫌である。
「じゃあ、あれだな」
「どれですか」
「このセロリは、いわば恋のキューピットってやつなんだろう」
声には出さず「うわぁ」と口の動きだけで言う。
見えないはずなのにそれを察知したのか、彼がムッとしたような気配を感じた。
「今思ったことは?」
「似合わない言葉だなぁ......と」
「喧嘩売ってんの?」
「売ってます」
正確にはさっき買いました。
そう言ってから、彼に考えの続きを言うよう促す。
彼は不服そうにしながらも続けてくれた。ご丁寧に指を立てるジェスチャーつきである。
男らしい、骨ばった手が視界に入った。
「セロリがある。お前が止まる。俺が後から来る。そんで二人で帰る。......ほら、カップルに優しいセロリだろ?」
そこでやっと彼を振り向く。
夕焼けに顔を染めた彼の、一見鋭くて冷たそうな目と目が合う。
けれどよく見れば、それはそう見えるだけで。瞳の中に確かにある暖かさを感じる。
それがふっと優しく細められ、つい目をそらしてしまった。
そのまま、ぼそぼそ、と彼に言葉を返す。
「別に、そうは思いませんけど」
「あー、なるほど。待っててくれたのか。さすが、出来た後輩兼彼女だわ」
「馬鹿なこと言ってないで帰りますよ」
「へーへー」と彼が適当な返事をする。
どこかでセロリが落ちていようとも、別に私の日常はこうやって変わらないままでいる。
だから、道端にセロリが落ちているなんてことは、先刻も思った通り、本当にどうでもいいことなのだ。
先に立ち上がっていた彼が手を差し伸べてくる。
それを取り、「よっ」という彼の掛け声と共に立ち上がった私の目に、爽やかな笑顔が映った。