秋桜の約束・・・2
若い子たちが噂をしていた。入社十年経たない子達は知らないのだろう。もちろん私だってまだ十年未満なのだけど。浅木先輩にそれを聞かなければ、おそらく同じように噂していた口だろうし。
「成田さん知ってます? ティアラの七不思議。同期の経理の子が言ってたんですけど」
七つもないのに、彼女はそう言ってぽってり盛った唇で微笑みかけてきた。その微笑みは悪気なく人を貶す時に使われるもの。そんなことを教えてくれたのも先輩だった。
「気を付けなさいね。足元を掬われる元だから」
その話を聞きながら、私を可愛がってくれていた浅木先輩のことを思い出していた。どうしてるのかな。
「一階にあるうちの植え込みの一つの一角に、毎年植えてもないのにコスモスが出て来るんですよ。気味悪くないですか?」
やっぱり。そう思った私は、その話に乗っかって怖い話にしてやろうか、それとも、本当の話をしてあげようか、と後輩の顔を眺めた。でも、浅木さんなら、お客様のことを思い、彼女に真実を語ったのだろうな。そんなことを考えながら口を開いた私は、話の落ちどころも決めずにとりあえず話しはじめた。
「今井さんは知らないだろうけど、あのコスモスには秘密があってね」
深刻な表情で話しはじめた私を見つめる今井奏の表情は好奇心に満ちて、綺麗に整えた目を瞬かせた。幽霊ものでも期待しているような。それを怖がりたいような。じゃあ、少しそれに乗っかってあげようかな、私は浅木さんほど出来た人間ではないことだし。
「秘密ですか?」
「えぇ。ここが建つ前の話」
ここティアラは、昔JRの操車場だったのだ。これは勉強熱心にこの会社をリサーチしていれば出て来る史実。だけど、その建築が一年遅れた理由は、書かれていない。予定が動くことなんてよくあることだし、その頃の社長が大らかだったのもあっただろうし、今ほど社会もうるさくなかったのかもしれない。
第一、ここの建設については、商店街の反対だってあったのだから、史実を辿ったとしても納得できるかもしれない。
来年9月若者向けのニュースポット。『ティアラ』誕生。
そんな風に書かれた立札の向こうには一面のコスモス畑があった。
それは突如現れた。誰が植えたのか分からないが、ちょうど建設反対派の人達による署名活動が開始されたのと同時だったらしい。
だから、最初彼らが嫌がらせのために植えたものだと思われていたものだった。
夏の頃には随分と背丈の高い青い草原が風に揺れ、人々の期待を高めた。大きな建物と言えば丸梅くらいだった時代。遠く澄んだ秋空を背景に赤紫と桃色の花弁を大きく開いたコスモス畑が広がったのだ。それは本当に壮観だった、と浅木さんは小さく切り取られた空を見上げ、語っていた。
両親に連れられ、余所行きに身を飾った浅木さんは、その感動を未だに忘れられず、ここに就職を決めた。もちろん、一周年目のコスモス畑の裏事情を知った上で。
そのコスモス畑は話題を呼び、観光スポットとして一世を風靡した。当時のティアラの社長はそれを面白がって、来年もコスモス畑にしようと提案し、実行に移した。
資料室で額に納められている社長は「ちょうどいいじゃないか? 人が集まる。宣伝になる。今回はティアラ主催だ」狸腹を揺らし、鷹揚に笑ったのかもしれない。今じゃあ、考えられないことだった。
「今年三五周年を迎えるティアラの第一周目はコスモス畑なのよ」
私はそこまで話すと、今井さんの顔を見た。驚いた顔をしている。しかし、どこか納得いかない表情も浮かべている。秘密と豪語しておいて、まだ落ちを付けていないからだろう。
「さすがにずっとコスモス畑には出来ないでしょう? だから、次の年のコスモスが咲き終わった後にティアラ着工に取り掛かったそうよ。それが数年前から、あの隅っこの木の麓にだけコスモスが咲くようになったの」
「えっと、それって、コスモスの呪いってことですか?」
「今井さん、あなた面白いわね」
コスモスの呪い、なんて今井さんらしい発想だと思った。まぁ、偶然にも同じ質問を浅木さんに返していたのは事実だ。あの時浅木さんは、「成田さんは若いわね。私なら偶然にコスモスの種が落ちたって思うわよ」と返事を返してくれた。だから、素直に事実を話してあげることにした。
「毎年コスモスのお世話をしに来ている方がいるのよ。初老の男の人で、どうしてもコスモスをこの場所に咲かせておきたいって言って」
もし、彼女が気持ち悪いですね、と答えていたら、きっと今井さんのことを軽蔑していただろう。
「……もしかして、あの、ベージュの帽子のお爺さんですか?」
目を丸くした私に今井さんは小首を傾げながら尋ねた。
実は「後一年だけ……来年もコスモスを咲かせてください。待っている人がいるんです」と頼み込んだ人がいたのだ。
そして、その話を聞いた彼が毎年コスモスの種を撒きに来る。
「成田先輩。協力してください。私、そのお爺さんの知り合いじゃないし、この話を教えてあげたい子がいるんです」
見つめられて、予想だにしない答えに私の首はぎこちなく頷いていた。




