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秋桜の約束・・・3

 終業のチャイムが鳴る。逢沢ひかりは急いでスポーツバックを斜め掛けにして、教室を飛び出した。その連絡をもらった時には授業中にもかかわらず、心臓が口から飛び出してしまうかと思うくらいに、胸を高鳴らせ、食い入るようにそのスマホを見つめて時を止めてしまった。送信者はティアラの案内係、今井さんだった。


 校則では禁止されているのだが、寄り道はひかりのライフワークだった。別に学校が心配する金銭的トラブルなんて関係ないところにいるのだから、ひかりの中でそれは校則違反には当たらない。それに、あそこには不思議なコスモスが咲いているのだ。その謎を探すために、今井さんとも仲良くなった。だから厳密に言えば、寄り道というよりも、知り合いに会いに行っているだけなのだ。


 もしかしたら、という期待を含み、返信する。すぐに返事が返ってくる。その返事を見て、やばい。そう思った。終業とともにすぐさま帰宅準備をしなければ、間に合わない。


 リミットは午後5時だ。いつもは走らない廊下を走り抜け、駅の階段は一段飛ばしで駆け下りて、ベルの鳴る電車に慌てて飛び乗った。ぎりぎり間に合った、そう思っていると注意されてしまった。


「駆け込み乗車は大変危険です。周りのお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください」


車内放送の直接的な相手がひかりであることは一目瞭然。周囲の乗客たちの視線がひかりに集まった。注目というものに縮こまり、こそこそとバックの内ポケットからスマホを取り出し、送られてきた内容を見つめる。高鳴る胸の鼓動は止まらない。この興奮を周りに気取らせないためにひかりは大きく深呼吸して、扉付近で立ちんぼをすることにした。


 会えないかもしれない。もしかしたら、ついて来てくれないかもしれない。そんな不安が過る。何と言ってもひかりは約束もせずに、会いに行くのだから。ただ、5時まで『彼』がいるのは確からしい。


 ひかりは現在、私立姫川女子高等学校付属中学に通う中学一年生だった。東山に引っ越してきてから、公立の小学校に通っていたのだが、全く馴染めず、中学から私立へ進学することに決めたのだ。それがまだついこの間の様な、遠い昔の様な気がする。きっかけを作ってくれたのが美咲さん。


 進路はその話を聞いてすぐに思い立った訳ではない。あの頃のひかりはまだ小学二年生だったし、いじめられている訳でもないし、友達がいなかった訳でもない。大きな転校理由もないのに、引っ越しを親に言い出せることもなかった。


 ただ、五年生の時に進路を尋ねられ、姫川を選ぶきっかけとなったのが美咲さんの昔話だった。美咲さん自身はあの頃は無鉄砲で、他人への迷惑なんて考えもしなかったけれど、という恥ずかしい話らしかったが、それはひかりにとって冒険に満ちたお話だったことを今でも覚えている。私も冒険がしたい。ちょっと遠くへ行ってみたい。その時の胸の高鳴りが、今まさに再来しているのだ。


 だから、今度は私が、なんて気取ってみる。


 美咲さんのお話は冒険物語のようにして胸に残っているのだが、今度のお話はひかりが恋のキューピッドとなるようなお話になればいいな、なんて。


 そう思いながら、梅ケ谷駅のコールを待つ。流れていく景色と時間は普段と変わらないが、今日のひかりにはとても長い時間を過ごし、新しい景色を見つめているような心持ちすらしていた。そして、その高揚を紛らわせるようにあの時の話を脳裏に蘇らせていた。


 駅のホームで出会った少年と美咲さんの物語。それは、『まだ上げ初めし前髪の……』と続く詩のように、とても淡い『りんごの君』の授業を思い出させるものだった。美咲さんの話を思い出せば甘酸っぱい気持ちがひかりの中にも湧いてくる、そんな年頃になっていた。反対ホームにいる彼を思う美咲さん。しかし、彼がクラスに馴染めず、人生を悲観しているとも思っていなかった。ただ毎日同じ時間に反対ホームに立つ、同い年くらいの同級生男子。


 電車に乗っての通学よりも地元の公立校へ通うことが多かった時代。美咲さんは同じように電車通学をする彼に興味を持った。



「本当にやる気?」


彼が尋ねると美咲さんは大きく頷いた。その美咲さんの手には黒いごみ袋に軍手、スコップがバケツに入れられていた。そして、彼の手には懐中電灯がある。


 とっくに夕日は沈んでしまい、月が色づき始めた頃。手つかずだった操車場跡に二人の影が忍び込む。


 ホームへと飛び降りようとしていた彼の手を掴んだ美咲さんが彼にお願いしたのは、操車場跡にコスモスの種を撒くこと。


「なんで、こんなことしようって思ったの?」


草と蚊でかぶれてしまった腕を掻きながら、光に集まる虫を払いながら(せわ)しそうな彼が美咲さんに尋ねた。その顔は引っこ抜いた雑草の泥に汚れていて、普段はおでこを隠していた前髪が汗で横へと流されたままになっていた。


「昔からここが花畑だったらいいなぁって思ってたの」


昔と言ってもつい一年程前の話だ。ここが使われなくなって5年。更地になったままずっと放置されていたのを見ていて、ぼんやり考えていたことだった。


「ほら、一面のコスモス畑って綺麗でしょう?」


スコップ片手に首筋の汗を拭った美咲さんも泥んこになっている。そして、空を見上げて「じゃあ、また明日」と伝える。


 とりあえずの雑草引きが為されたのは一週間ほどだった。待ち合わせの時間は夕方五時だった。何となく綺麗になったかな、何となくもう種を撒こうか、なんていうアバウトな計画がどんどんと進められた。大人が気付かなかったのはかなり運が良かったのだろう。それとも、その頃は空き地で遊ぶ子どもに目を止めても叱ることはなかったのだろうか。その頃の状況はひかりにはよく分からない。


 そして、花が咲く頃にもう一度会おうと約束した。


「あの時は、そのせいでティアラの着工を遅らせたんだから。凄いことをしたんだと今では思うわ。もちろん、申し訳なかったとも思っているけれどね。だから、何か動けば、何かが変わるってことだと思うの」


 美咲さんの下手くそなウインクが悲しく笑っていた。あの時はどうしてあんな表情を浮かべたのかは分からなかった。しかし、今は少し分かる気がする。


 美咲さんの家の門をくぐると、すぐに柿の木があって、秋になると干し柿やおはぎをくれた縁側が見え始める。縁側の前に広がる前庭の一角には季節の花が咲くようになっていて、春は菜の花、夏は朝顔とひまわり、冬は椿が花を咲かせていた。


 そして、今はコスモスが咲いている。そのコスモスには秘密がある。全部美咲さんが教えてくれたこと。



 ティアラが昔、操車場だったことも。その空地に忍び込んでコスモスの種を二人で撒いたことも。コスモスが咲く頃に、もう一度会おうと約束したことも。


 果たせなかった約束をまだ信じていることも。


 それなのに、動けないのは美咲さんが最悪の結末を恐れているからだ。


 だから、会いに行くのだ。行かねばならないのだ。それが彼との約束なのだから。



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