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愛に飢えた〝ききょう〟が咲く

 ――シュロ様がいなくなってから、一週間が経った。


 初めのうちは一週間程度、と思っていたのだけれど、日を追うに連れて不安が増してくる。そのせいか、食事が喉を通らなくなった。

 使用人の方々が困った顔をするから、無理矢理食べようとするのだけれど。でも、少ししか食べられない。体調が悪い日は吐いてしまうのだ。


 食事を食べなくなると、必然的に体が弱っていく。体が弱ると気持ちも落ち込みやすくなり、わたしは日がな一日庭を眺めている日が増えていった。


 ぼんやりと眺めているのは、桔梗の咲くお庭。

 同じ名前の花を見ていると、不思議と心が落ち着く。

 このお城はどこにいても寒くないから、ついつい同じ場所にとどまってしまうのだ。


 眠っていたい気分でもなくて、ここ数日は眠ってもいない。それでも、人間だから眠くなる。うつらうつらとするたびに、夢を見るのだ。


 わたしの前から、シュロ様がいなくなる夢を。


「……問題ないわ。何も、問題ない……」


 両腕をさすりながら、何度も何度も言う。でも、シュロ様は帰ってこない。

 わたしの精神は、だいぶ不安定になっていた。


 ――それから、また一週間。

 それから、わたしは庭から動かなくなった。部屋の中にいることもなくなったのだ。使用人さんたちには止められたけど、無理だった。生気すらなくなったわたしを見て、彼らは次第に諦めてしまう。


 ごめんなさい。でも、構わないで欲しいの。


 縁側に座り眺めていたけれど、それすらも耐えきれなくて。

 桔梗に埋もれていると、近くにシュロ様がいるみたいで落ち着く。


「……シュロ様」


 ぽつりと呟いてみたけど、返事はない。それはそうだ。シュロ様は、出て行ったのだから。


 わたしが、嫌われてしまったのかしら。

 それとも、シュロ様の身に何かあったのかしら。


 神様のシュロ様が死ぬなんて考えられなかったけど、でも、あり得ない話ではない。現に、伝承として神が殺される話はいくつかあった。


 人間とは、自分の身に危険が迫ったらなんでもする生き物。それは、わたしもよくわかっていた。恐怖ひとつで色々する。脅威になるものなら排除する。それは、人間が弱いからだ。


 そして、わたしも弱い。

 弱くて弱くて弱くて。だから、シュロ様に寄りかかるしかないの。


「……なんで、シュロ様に寄りかからないといけないのだっけ?」


 ぽつんと、口に出してみた。自分の声なのに、まるで他人の声みたいに頭に響く。


 どうしてだっけ?


 ごろりと仰向けに寝転がり、ぼんやりと空を眺めながら考えてみる。すると、頬にぽつんと雫が落ちた。


「あ……雨」


 雨が降ってきた。ここ最近一滴も降らなかった雨が。

 それを見て、わたしはようやく納得する。


 ……シュロ様以外に優しくされても、嬉しくないからだ。


 使用人さんたちは、シュロ様と同じくらいわたしに優しくしてくれたし、丁寧に扱ってもくれた。でも、それじゃあダメなのだ。シュロ様じゃないとダメ。嫌。


「シュロ様じゃないと、嫌なのに……」


 どうしてそばにいないのですか?

 どうしてそばにいてくれないのですか?

 そばにいてくれるなら、なんでもするのに。


「そばにいてくれないなら――わたし以外、目に入らないようにしてしまったら良いのよね」


 口に出して、すとんと胸に落ちた。なんだか嬉しくなって、笑ってしまう。

 降り注いでくる雨が、わたしのその考えに共感してくれているみたいだった。


 安心したのか、それとももう体がどうしようもなく衰弱していたのか。分からないけど、意識がすうっと遠のいていく。


 ――遠くのほうで、わたしの名前を呼ぶ声が、聞こえた気がした。











「……あ、ら……?」


 次に目を覚ましたとき、視界の先に天井が映った。間違いない。お城の天井だ。

 起き上がろうとしたけれど、なぜか体が動かない。全身に鉛でもついているみたいだった。

 重たいし、冷たいし、痛い。他人の体に入ってしまったかのような、そんな気だるさだ。


「……桔梗?」


 そんなときでも、その声はわたしの耳にちゃんと届いた。

 視線だけ動かせば、そこには。


 シュロ様がいた。


 彼の表情はとても痛ましく、つらそう。でも、わたしが目を覚ましたからかひどく安心した顔をしている。わたしの手を握り締め、震えた声で言った。


「良かった……目覚めなかったら、どうしようかと思いました」

「……申し訳ありません、シュロ様……でも、シュロ様がいないお城で生きていても……楽しくなくて」

「……そんなふうに、言ってもらえるとは。すごく、嬉しいです……」


 シュロ様はそういうと、わたしの手に頬ずりした。そのときの表情はうっとりしていて、思わずびくりとしてしまう。

 でも、どうしようもないくらい嬉しいことに気づいて、胸が温かくなった。


 どうしよう……嬉しい。シュロ様を独り占めできて、すごく嬉しい。


 でも、シュロ様はまたいなくなってしまうかもしれない。

 なら……ならわたしは……


 わたしのすべてを使って、シュロ様を引き止めないと。


 昔は演技でやっていたことなのに、今はそれが自然と出る。

 ああ、これが本物の恋愛なのだなと、なんとなく思った。


 惨めでも、醜くても、普通じゃなくても良い。罪深いと罵られても良いの。

 シュロ様はわたしのもの。だから……ずっと、そばにいてください。


 わたしは、動きにくい体を無理やり動かして、シュロ様に抱き着いた。首筋に手を回すと、彼の冷たい体温がわたしの熱を奪っていく。

 今はそれすらも心地良くて、甘えるみたいに顔を埋めた。


「桔梗? どうしたのです……?」


 シュロ様は困惑しながらも、わたしの抱擁を受け入れてくれる。

 男の人が喜びそうな媚びをと考えて、やめた。シュロ様にはそんなもの、通用しないからだ。


 いざ口を開こうとすると、ぽろぽろと涙が溢れる。喉を詰まらせながら、わたしは声を上げた。


「お願いします、シュロ様……どこにも、行かないでぇ……っ」

「……桔梗」

「シュロ様、帰ってこないの……こわっ……く、て……だから、おいてかないで……っ」

「当たり前ではないですか。しかし……寂しい思いをさせてしまったのですね。申し訳ありません」

「……ほんとう、ですか……?」


 ぽろぽろと涙をこぼすわたしの顔に、シュロ様が触れる。そしてそっと目を合わせた。涙を口づけで拭ってくれるシュロ様の顔は、どこまでも優しい。

 それが嬉しくて、また涙がこぼれた。


 すると、シュロ様が笑う。


「本当ですよ。まったく……泣き虫ですね、桔梗は」

「だって……っ」

「ですが……正直に言います。あなたにそう言ってもらえて、自分でも驚くほど嬉しかった」

「……え?」


 シュロ様はとろけそうな顔をして、わたしの唇に口づけを落とした。突然の接吻に、体がピクリと震える。

 それすらもからめとろうとするみたいに、シュロ様はわたしの体を抱きすくめた。


 シュロ様の瞳が細くなり、蛇のような目になる。それが綺麗で、釘付けになってしまう。


「だって……わたしがいないだけで、こんなにも痩せてしまったのでしょう? それって、わたしがいない間ずっとわたしのことを考えていたってことではありませんか。嬉しくて嬉しくてたまらなくなります」

「しゅろ、さま……」

「ねえ、桔梗? もっともっと、わたしのことを考えて? わたしのそばに、ずっといてくれませんか?」


 シュロ様の言葉を聞いて、思わず息を飲んでしまった。


 それ、わたしと同じ……。


 シュロ様の目に囚われて、背筋がゾクゾクしてしまう。でも、わたしにはそれが心地良かったのだ。

 シュロ様はさらに続けた。


「桔梗。二人でもっと落ちましょう? 落ちて墜ちて堕ちてしまいましょう? わたしは今まで独りでしたが……あなたとともに生きるなら、きっと、とても楽しいです」


 だからどうかお願い。頷いてください。


 切なげな顔でそう懇願されて、胸がきゅうっと痛くなる。

 シュロ様が好き。シュロ様と一緒にいたい。


 シュロ様を、ひとりにしたくない。


 そんな気持ちが胸の内側から溢れてきて、わたしは自然と口を開いていた。


「ともに……ともに、おります。シュロ様とずっと、一緒におります」

「桔梗……っ」

「ですからシュロ様も、わたし以外を見ないでください」

「もちろん。我が名に誓って」


 そんな言葉と一緒に接吻されて、体から力が抜けていく。

 何度も何度も唇を重ねて、舌を差し込まれて。呼吸もできないくらい深く、舌を絡め合った。

 苦しくて苦しくて仕方ないのに、でも、体はもっともっとと求めていて。背筋がビリビリした。


 気がつけばわたしは、布団の上に寝かされて、シュロ様に覆い被さられていた。

 彼は口から綺麗な玉を吐き出すと、「飲んで?」と言ってくる。

 躊躇う間も無く、口に玉が入れられた。


 びっくりしたけれど、玉は喉につかえることもなくするりと入っていく。

 何を飲んだのか分からなくて顔を上げると、シュロ様は妖艶な笑みを浮かべた。


「龍玉というものですよ。簡単に言えば……わたしの心臓、でしょうか?」

「しんぞ、う……?」

「ええ、心臓。ですが、別に気にしなくて良いです。わたしと寿命が同じになる程度の作用しかありませんから」


 それって、すごいことなのではないのですか?


 そう聞こうと思ったけれど、なんだかどうでもよくなってきてしまった。

 だって、シュロ様とずっと一緒にいられるってことでしょう?

 なら、気にしない。困惑よりも嬉しさのほうが強かったのだ。


 シュロ様が着物の帯に手をかける。それに期待してしまっている自分がいて、涙がこぼれた。初めて嬉しいと思えている自分がいて、全身が熱くなってくる。


「桔梗の体に障らない程度に、しますから……」

「……は、い。きてください」


 色っぽい表情をするシュロ様に向かって、わたしは微笑んだ。




 ――その日わたしは初めて、シュロ様と身も心も重ね合ったのだ。

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