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音に思いを込めて

 今まで溜め込んでいた分を吐き切った後。わたしはシュロ様のお城の使用人の方に、お風呂に入れられた。

 それからくまなく洗われ、もちろんひどいことになっていた化粧も落とされ。美しい着物と打掛を着せられて、再びシュロ様の部屋に連れてこられた。


 くつろいだ様子で待っていたシュロ様に対しわたしがはじめにおこなったことは、謝罪だ。


「先ほどは、その……醜態を晒してしまい……本当に、もうしわけ、ありま、せん……」


 頭が床につくほど勢い良く頭を下げたわたしを見て、シュロ様は笑う。


「気にしないでください。むしろ泣いたからなのか、桔梗の中にあったよどみが綺麗になりました。あなたの感情を殺していたものが消えたことのほうが、わたしにとっては嬉しいことなのですよ」

「う……です、が……」


 思わず言いよどむ。

 でも、謝る以外の方法が思い浮かばなかった。今までわたしはそう言う方法でしか生きてこなかったからだ。


 俯くわたしを見て、シュロ様はちょいちょいと手招きをする。

 助けてもらった上に凄まじい醜態を晒してしまったわたしには、従う以外の選択がなかった。

 さっと立ち上がり躊躇いながらもその横に腰を下ろせば、シュロ様は困った顔をする。


「桔梗。あなたはわたしに攫われたのですよ? にもかかわらずあなたは、わたしをこんなにも受け入れている。もっと嫌がるのが普通ではないのですか?」


 そう問いかけられ、思わずえ、という声が漏れてしまった。


 普通……何が普通なのかしら……?


 籠の中にいた桔梗という遊女に、断るという選択肢は存在しなかった。必要なのは肯定と受容。ただそれだけ。だから、拒否するという選択肢そのものが思い浮かばなかったのだ。


 先ほどから頭が混乱することばかりを言われる。でもできる限り気持ちを伝えようと思い、わたしは口を開いた。


「え……いや、その……国主様の元には、行きたくなかったのです。ですがわたしは、国主様以上の存在がこの世にいないと言うことを、分かっていました。ですから、すべてを諦めていたのです。……そんなわたしを、シュロ様は救ってくださいました。ですから、わたしにできることならなんでもしたいのです」


 それが、わたしにできる恩返しですから。


 そう締めくくり、わたしは内心良し、と拳を握り締めた。普段はあまり自分の気持ちをさらけ出さないわたしが、たどたどしいながらも気持ちを伝えられたからだ。あそこにいたときではあり得ない進歩だと、自分では思う。


 なのだけれど。


「……重症ですね」


 シュロ様はわたしの気持ちを聞くと、余計に頭を抱えてしまった。

 どうやら、かなりまずいらしい。何がまずいのか分からないけど、何かがまずいのだと思う。

 体から血の気が引いていくのが分かった。ガクガクと、震えてしまう。


 呆れられてしまった。もしかしなくても、捨てられてしまう?

 ……嫌だ。わたしは、この方に、捨てられたくない……!


 わたしはシュロ様にすがりついた。


「も、申し訳ありません、わたしが何か、気にくわないことを言ってしまいましたか? もしそのようなことがあったのなら、言ってください。直します。ですからどうか、どうか……捨てないでくだ、さっ」

「馬鹿なことを言わないでください。攫った相手を捨てる馬鹿が、どこにいるのですか」


 シュロ様に落ち着きなさいと諭され、わたしはこくこくと頷いた。何回か深呼吸をし、震えをどうにか止める。

 わたしが少し落ち着いたのを見計らって、シュロ様は説明をしてくれた。


「わたしが重症だと言ったのは、あなたのその度を過ぎた献身に対してです」

「……献身、ですか?」

「ええ、そうです」


 シュロ様はため息まじりに言う。


「桔梗がそんなふうになったのは間違いなく、遊郭という場所にいたせいでしょう。ですが今あなたは、そこから出たのです。ならば、誰かにすがるのでも寄りかかるのでもなく、自分の意志で決めなくては」

「自分の、意志」


 わたしは、シュロ様の言葉を反すうした。


 今までの人生で一番、縁のない言葉だと思ったのだ。だってそうでしょう?

 そんなものを持っていたらわたしは、もっと早く壊れていたはずだもの。


 いまいち分からない感覚。でも、シュロ様がそうするべきだと言うのであれば、従いたいと思う。

 こくりと頷き「頑張ります」と言えば、シュロ様は少しほっとした顔をした。


「桔梗。幸いわたしには、寿命という概念が存在しません。わたしの気持ちが変わることはありませんから、あなたはじっくりと考えて、わたしと結婚するかどうかを決めてください」

「……分かり、ました」

「はい。偽りの気持ちを抱えたまま頷かれても、悲しくなりますからね」


 シュロ様はそう言い、寂しそうな笑みを浮かべる。

 どうやらシュロ様にとって、わたしが考えなしに動いたり、自分の心身を犠牲にして何かすることのほうが嫌らしい。


 本当にお優しい方だな、と心の底から思う。この懐の広さは、神様だからこそできるものなのかもしれない。


 ちゃんと、考えて。わたしがわたしの意志で、シュロ様と婚姻を結びたいと思ったときに、シュロ様にそれを伝えないと。


 わたしはそのことを胸に刻んだ。


 そんなことをうんうんと考えていると、ふと視界を何かが横切る。

 なんだろうと首をひねり前を見た。するとそこには、立派な琴が置かれていた。


 よくよく見なくとも分かる。この琴は、わたしが遊郭においてきた琴だ。扱いづらいとされる和琴。

 それがなぜこんな場所にあるのか。


 驚いたけれど、シュロ様は神様だ。神様にできないことなどないのだろう。

 そしてその考えは、シュロ様のまとう不思議な空気のせいか、胸にすとんと落ちるのだ。

 だからわたしは、気にしないことにした。


 問題は、なぜこれが目の前にあるのか。


 シュロ様のほうを向けば、彼はくすりと笑った。水底のような色味をした髪が、柔らかくたゆたう。

 ほんの一瞬なのに、思わず目を奪われた。


 そんなわたしの変化に気づかないまま、シュロ様は和琴を指差して言う。


「お礼をしてくれると言うのであれば、それを弾いてください。わたしは、桔梗の奏でる音が好きなのです」

「……本当にこんなもので良いのですか?」

「わたしの心を打ち、あまつさえ奪ってしまった音に価値がないと。桔梗はそう言いたいのですか?」

「え……それ、は、違いますが……」


 いまずらっぽい視線とともにそう言われ、思わず言いよどむ。そんなふうに言ってくれるとは思わなかったからだ。でも、シュロ様にそう言ってもらえるととても嬉しくなる。


 なんせわたしの努力の結晶を認めてくれたのは、シュロ様だけなのだから。


 胸がとくりと鳴るのを感じながら、わたしは差し出された爪を指にはめた。そしてそっと音を鳴らす。


 一音一音を確認してから、一度目を閉じた。


 そう言えば、シュロ様に一番はじめに聞かせた曲は、なんだったかしら。


 そんなことを考え、過去の記憶を思い出す。


 そう。そうだ。特に曲の注文がなかったため、一番得意な曲を弾いたのだ。

 作曲者が、龍を見た後に作った曲らしい。わたしがその曲が得意な理由は、外への憧れとその曲が持つ独特の雰囲気だと思う。


 龍のように、自由に外へ羽ばたけたら。

 そんな思いと同時に、龍の力強さと繊細さ、美しさが、音の中にすべて散りばめられていた。


 それにどうしようもなく惹かれて。

 指から血が出るほど、練習した。


 かなり難しい曲だったのだけれど、一度弾けてしまえたらそれ以降間違えることもなかった曲。


 今日はこの曲にしよう。


 あわよくば、シュロ様がそれに気づいてくれればいい。そんなことを思いつつ、瞳をゆっくりと開いていく。


 爪で弦を弾けば、周囲がピンッと張り詰めるのが分かった。


 はじめはとても雄々しく。高らかに、龍の力強さを伝える。弦を爪弾くたびに、周りの空気が膨れ上がっていく気がした。


 龍は空を駆け、ときに水の中を駆け巡る。

 そんな姿を思い浮かべながら、爪で流れるように弦を弾いた。


 ……そう言えば龍って確か、水の神様だって言われていた気がする。


 もしかしたらシュロ様は、龍なのかもしれない。龍が人に化けた姿が、今のシュロ様なのかもしれないと。そんなことを思う。


 そのせいか、わたしの中の龍の像が自然と、シュロ様になっていった。


 涼やかなのに優しく、ときに激しく。でもとても美しい。シュロ様はそんな方だわ。


 そんな思いが少しでも伝わればいいと。わたしは顎から汗が滴るのも構わず、演奏に集中する。

 曲の終盤に浮かんだのは、シュロ様への感謝だった。


 こんなわたしの音を愛してくれて。

 こんなわたしの存在を認めてくれて。

 本当に本当に、ありがとう。


 心なしか、音が柔らかく奏でられた気がする。

 わたしはそのまま、爪を滑らせた。


 最後の音を弾ききった瞬間わたしに押し寄せたのは、今まで体験したことがないくらいの達成感だった。

 息を荒げたまま目を瞬かせていると、ぱちぱちという拍手が聞こえてくる。


「桔梗! 前に聞いたときよりも、さらに磨きがかかった素晴らしい演奏でしたよ!!」


 シュロ様が手を叩きながら絶賛してくるけれど、弾ききった反動なのかいまいち反応ができない。

 でも、すごく嬉しかった。他でもないシュロ様にそう言ってもらえたからだと思う。


「ありがとうございます」


 そう言ってから、笑みがこぼれた。なんだかとても楽しい。

 そんなわたしを見てシュロ様は、あふれんばかりの笑顔を浮かべる。


「桔梗。他の曲も弾いてくれませんか?」


 そう乞われ、わたしは大きく頷いた。


「もちろんです!」


 それからわたしは、シュロ様が望むだけたくさんの曲を弾いた。和琴だけじゃなく、三味線や二胡、琵琶。いろんな楽器を使って、シュロ様への思いを伝える。


 その日わたしは、音楽というものがとても楽しいものだということを初めて知ったのだ。

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