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籠の中の小鳥は鳴き叫ぶ

 ぽつん、ぽつん。


 ガラス瓶の底に雫が落ちていくような音を立てて、雨粒が屋根から滑り落ちてくる。

 着物が重いのだと言い訳をし、部屋の窓をわざと閉めなかった。


 窓から誰か入ってきてくれないかな。


 そんな思いをひた隠し、わたしはゆっくりと畳の上に転がる。雨の匂いがした。そのままそっと目をつむる。

 それからわたしは禿かむろが窓を閉めに来るまで、雨垂れの音を聞いていた。



 ***



 花街。

 それが、わたしが暮らす場所だ。

 わたしはここで桔梗という名前をもらい、遊女として働いていた。


 最高位の遊女、太夫だゆう


 そんな大層な位に、わたしはいる。

 昔から見目が良いと褒められ、たくさんの借金をしてそれを磨いた。小さい頃から様々な芸事を叩き込まれてきた。血の滲むような努力もした。

 男を知り、男を喜ばせることも学んだ。

 楼主ろうしゅ様から「お前は良い子だな」と褒められるくらいには、多くの男からお金を取れるようになった。


 気づけば花街一人気の遊女なんて呼ばれているけれど。

 そんなものに興味なんて、なかった。


 わたしが欲しいのは、そんな無機質なものじゃないから。


 楼主様は、わたしが芸事や勉学に打ち込んでさえいれば文句を言わない。お金をたくさん取れれば、何も言わない。

 だからわたしは、何も言われないためにそれらの作業をやっていた。


 ぽつ、ぽつと、何かが屋根を叩く音がする。どうやら雨が降ってきたらしい。

 初夏が過ぎると、雨が多く降り外が涼しくなるのだ。皆は雨が降ると嫌がるけど、わたしは好き。雨粒がいろんなところを叩く音は、聞いていてとても心地良かった。


 そう。好きでもない男たちに抱かれるより、ずっと良い。


 汚れたわたしを、水が許して清めてくれているような気さえした。


 そういえば今朝楼主様が、雨が多く降るとあやかしも増えるって嘆いてたっけ。


 この国は、妖たちと共生している。全員と共生できてるわけじゃないけど、人と仲良くしてくれる上に力を貸してくれる妖もいるらしい。

 だけど人間を快く思っていない妖の中には、人をさらったりする悪いのもいるのだ。特に綺麗な見目をした女はさらわれやすいという。そんな理由からか、花街には妖がいない。


 花街で生まれ育ったわたしには、夢物語の中の存在だけど。


 だから花街には一帯に、結界が張られている。常時陰陽師の方々がついていて、結界の具合を見てくれていた。お城ほどじゃないけど、結界を何重にも張りかなり厳重になっていると聞いた。

 ここはそういった方々も来る場所だから、色々と気を使っているのだと思う。


 ……陰陽師なんて、いなくなってしまえばいいのに。


 その言葉を、わたしはそっと胸にしまいこんだ。


 今日もとても暇だ。やることといえば仕事ではなく、芸事や勉学のみ。

 ここ最近は特に、楼主様がいとまを多くくれるようになった。どうやら会わせるのを渋り、価値を釣り上げているようだ。


 遊女の値打ちは、その美しさと芸事の腕、勉学などの知識によって決まる。わたしはそのどれもが素晴らしいという評判が立ち、必然的に値が上がっていた。


 他の遊女たちが噂をしているのを、少し聞いたことがある。

 どうやら楼主様は、わたしを国主様に売ろうとしているらしい。そしてその国主様も、わたしを買うことに乗り気だという。


 国主様とは、何度か会ったことがあった。夜を共にしたこともある。わたしの見目をとても気に入っていて、何度も「部屋に飾って、ずっと見ていたいくらいには美しい」と言ってきた。


 男が喜ぶようにと努力してつけた胸も、嫌々ながら身につけた技巧も。すべてが好みだと、国主様は幾度となく言ってきた。


 それはそうだ。

 だってそういうふうに。

 いろんな人に好かれるように、好みの女を演じているのだから。


 さらさらと紙に文字を書きつけつつ、わたしは外を見た。

 禿たちはいないから、窓を開けたのだ。彼女たちがいたら、窓を閉められてしまう。

 外からは愉快な音が聞こえてくる。水溜まりで遊んでいるわらわのようだった。


 目を閉じて耳を澄ませば、音はなおさら強く響いてくる。もっともっと強くなって、すべてをかき消してくれたらいい。耳にこびりついて離れない男たちの声も。その台詞もすべて、 水音に紛れて消えてくれるから。


 別に、男たちに好かれたいなんて理由で技術を高めたわけじゃなかった。全部全部、わずらわしいものから逃れるためだったから。


 痛いのも苦しいもの嫌い。だから、幼い頃に聞こえた女たちの悲鳴は、何よりも怖いものだった。逃げれば捕まり折檻せっかんを受け、また見せしめに殺されたりもする。

 それが怖くて仕方なかったから、無駄な抵抗はしなかった。従順なとても良い子でいた。


 その結果が、数度体を重ねただけの男のもとに、金と引き換えに売られる。

 お金に不自由しないと、しかも地位の高い男のもとにいけるなんてとても幸運ね、と他の遊女たちが羨ましがっていた。


 それを思い出し、胸の奥からよくわからない感覚が湧き起こる。痛いような苦しいような、喉の奥から何かが暴れだしそうな、そんな不可思議な感覚だ。

 そのすべてに、わたしは目を背けた。


 痛くなんてない、辛くなんてないのだ。

 だってわたしは国主様に見初められた女で。この世で一番、幸運な女だから。


 なのに、おかしい。

 痛いのも辛いのも嫌だったのに。今感じているのは、そういった類いの感覚なはず。


 ぽちゃん、と。雨粒が欄干に当たり、弾け飛ぶ。

 わたしはそっと、その近くに移動した。

 袖が濡れることなど気にせず、外へと手を伸ばす。指先が濡れ、冷えていった。

 冷えた指先に唇を寄せ、ゆっくりと口を開く。


「誰、か……」


 誰かわたしを、ここから出して。


 喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み込み、わたしはそっと窓を閉めた。



 ***



 それから数日後。国主様がいらした。

 楼主様ははりきり、たくさんめかしこむように言う。


 濃い化粧をし、髪を結い上げ、かんざしこうがいをいくつも挿す。

 着物をいくつも重ね、金、銀、紅、緑の糸で刺繍された帯を締めた。さらに上に真紅の打掛を羽織れば、完成だ。国主様は特に、派手な衣装が好みだった。その好みに合わせた着物を着るのは、色と芸を売る遊女としては普通のことだから。

 体を絡め取る重たい着物をすりながら、わたしはあてがわれた部屋へと向かった。


 今日もあいにくの雨模様で、夜になっても降り続いている。新造たちが三味や琴を奏でる音が、部屋に響いた。甘ったるい香が鼻につく。

 少し寒いため、部屋には火鉢が用意されていた。それでも指先はかじかみ、ひりひりとする。それをこらえながら、わたしはおしゃくをした。


 そんな寒い夜でも、国主様は上機嫌だった。お酒をたくさん頼み、抱き寄せてくる。腰を撫でられたときにはぞわりとしたけど、なんとか我慢した。

 国主様は学や芸に富んでいることよりも、美しく従順なことにのみ女に価値を抱いている。国主様にとって女は、装飾品と同じなのだ。


 国主様にとってわたしは、籠の中で美しく鳴く小鳥なのだから。


 だからわたしが取るべき行動は、国主様が望むがままに身を委ね、甘い言葉を囁かれたら頬を染めて反応し、望むがままに体を開くこと。それだけ。


 だから、どんなに心が嫌がっても無視した。化粧のように上から塗り替え、国主様が望む女を演じる。


 すべてに身を任せてしまえば、楽だから。

 苦しくないはず、だから。


「のう、桔梗。余の愛おしい小鳥。ようやくお主を身請けすることが決まったぞ」


 そう。だから。

 だからわたしは、国主様からいただいた言葉に喜ばなくてはならなかった。

 心のすべてをねじ伏せて、喜ぶふりをしなくてはならなかった。

 自ら国主様に身を寄せて、頬を傾ける。


「まあ。本当ですか? 桔梗は嬉しゅうございます」

「そうかそうか。嬉しいか。余も嬉しいぞ」


 国主様は嬉しそうにわたしの首筋を撫でた。


「お主のために、特注で籠も作らせた。銀で作られた籠だ。お主のために、着物もいつも作らせたのだぞ」

「あら。素敵ですね」

「そうであろう、そうであろう。桔梗。おぬしは余のために、籠の中で鳴いていれば良い。死ぬまで可愛がってやるからな」

「……はい。そこまで愛していただけるだなんて、桔梗は国一番の幸せ者にございます」


 紅を引いた唇の端を、きゅっと持ち上げた。

 こういうときは本当に、化粧をしていて良かったと思う。今のわたしはとても、顔色が悪いはずだから。火鉢のおかげで部屋はだいぶ暖かくなっているはずなのに、手が震えて仕方ない。思わず袖で隠した。

 震える手を無理矢理抑え込み、そっと徳利とっくりを持つ。


 そしていつも以上に、国主様にお酒をすすめた。

 国主様自身も機嫌が良かったから、どんどん飲んでくれた。気づけば伸びてしまっている。

 わたしは国主様を褥で寝かせるように男衆おとこしゅうに頼み、部屋を出た。


 少しでも良いから、外の空気を吸いたかった。

 甘ったるい匂いが掻き消え、湿った空気を感じ取れた。ほんのひとときだけど、体が重たい鎖から解放されたような、気がした。


 そんなの、幻想にすぎないけれど。


 冷え切った廊下を素足で歩けば、体がガクガクと震え出す。

 重たい着物を引きずりながらなんとか私室に飛び込み、襖を閉めた。


 瞬間、足から力が抜けてへたり込んでしまう。

 簪や笄を引き抜くと、黒い髪が流れ落ちる。

 打掛を脱ぎ帯も解き着物を投げ捨て、畳の上に放り出した。

 襦袢じゅばん姿のまま、窓を開ける。


 苦しい、苦しい、くる、しい。

 呼吸が上手くできない。

 息を吸いたくて、欄干にすがり外に顔を出した。


 一等冷たい空気が肺に入ってくる。

 何度も何度も息を吸って、吐いて。生きていることを実感する。

 数え切れないほど呼吸をして、ようやく落ち着いた。


 欄干に頬を寄せれば、雨粒が頬を叩く。それは鼻を通り、欄干に染み込んだ。


 喉の奥から、声にならない音がもれる。


 ――たす、けて。

 ――お願い、誰か。わたしをここから、出して。


 ずるずると、力なく床に寝転がる。肌寒くて、体を丸め両腕をきつく抱き締めた。雨の匂いが強くなる。きりきりと、見えない鎖がわたしを絡め取っていった。


 すべてが夢であったら良いのに。


 そんなことを思いながら、わたしは瞼を閉じた。

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