表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

5


 喜一が小学校に上がる年の書斎の移動をきっかけに、この家は数度の大移動を行い、最初の数年はキッチリ別れていた鳥の荷物と由人の私物はいつの間にかあちこちに散らばるようになった。

 収納する家具が増えた所為もある。

 子供のものはいくら買っても足りなくなり、だが捨てることはできなかった。

 天井近くまであるダイニングの収納も数年前に買ったものだ。

 その一番上の棚は、由人が望んでアルバムを収納した。

 そこ一列、鳥が学生時代に撮った課題からポートフォリオ、喜一が生まれてからのアルバムまでが何冊も並べられている。

 特にその中でも由人が手に取るのは古いものだ。

 課題として提出したもの、現像をミスったもの、歪な形の感光紙に貼付けられたもの、几帳面な鳥らしく、どれもしっかりファイルされている。

 それをソファーに座って眺めることを由人が好んでいると知っているのは喜一だけだ。

 たまに、喜一も隣に座ってながめることがあるのだが、それは長続きはしなかった。

 だが今日は、休日を良いことに昼過ぎまで寝ていた鳥がたまたまその後ろ姿を目にしてしまう。

「…俺の写真何か見て楽しいのか?」

「ああ、おはよう。」

 あれから一週間、由人はつい昨日何とか入稿を無事終えたらしいと聞いていた鳥は自分よりも早くに起きていたその姿に少し驚く。

 いつもなら、締め切り後の由人は一日起きてはこない。

 リビングのテーブルには昨日鳥が買って来たパンが随分減っていて、その量から喜一も起きているんだろうか、と鳥は部屋を一周したがその姿は見られない。

「喜一は?」

「雪村がつれて行った。マンション見に」

「…俺は?」

「寝てただろ。起こしてたぞ。喜一が」

 普通新居は旦那と見るものだろうと鳥は肩を落としたが、今さらなので欠伸をして諦める。

 そんな鳥が普段は喜一が座る、テレビの見えるイスに座ると、伝える前に由人がテレビを入れた。

 チャンネルはどうでもいい鳥はそのバラエティーに文句はなく、テーブルに残った菓子パンと一緒に袋に入れたままだった野菜ジュースを取り出した。

「で、お前、それ楽しい?」

 実は男2人ではマトモな会話をしない由人に気を回して、由人は特に聞くでもない会話をもう一度持ち出す。

「…楽しいさ。お前の見る世界は奇麗で、仕方ないんだ」

 寝ぼけた頭でも抱えたくなるような台詞をサラリと言ってしまうのは職業柄なんだろうか、と挫けそうになる自分を鍛え直す意味もこめて鳥は続けた。

 雪村との結婚で喜一が由人を選んだ場合、お互いに交流がなければ気まずいという配慮だ。

 もちろん、自分を好きだと言う由人を考えないでもなかったが、それとこれとは話が違う。

「でも俺は一度も認められなかった。」

「誰も見る目がないんだ」

「そんなことないだろ。お前の写真は、いくつもの賞を総なめだったじゃないか。」

 学生時代にはこんな会話をすることすらなかったのに、喜一を除いた共通の話題は同じ時間を持っていたそのころしかない。

「俺の写真は技術さえあれば誰でも撮れる。こんなの、知ってるか、知らないかなんだ」

「でもそれを知ってるのはお前だけってな。」

 多分同じゼミの誰かが言っていた由人への言葉を思い出し、だが言ってからふと、今はどこにも残らない由人の写真を思い出してしまって、鳥はいつまでもカメラを握れる腕だと、遠くに見ていたその腕を見る。

 遠い、とずっと感じていた。この家に初めて入った時にも、それは消えなくて

 プロの写真家の父親がいて、自分にもプロ級の腕があって、それでいて文章も書けて

 同じ道を目指していたものとして、世界が違うと感じていたのは実は鳥の方だったのに。

「由人、俺はお前の写真はすごいと思ってたよ」

 最初から、由人の取る写真は誰もが上手いと感じていた。

 普通の学生は知らない現像の仕方も、由人は一人教えられもしないのに出来たし、それは完璧だった。

「俺はお前の世界を知ったから写真をやめたんだ。」

 誰もが、憧れた。同じ年、もしくは年下の、由人の持つ技術と才能に。

 なのに由人はそのいくつもの賞をとり、写真を売っていた最もプロに近い学生は、小さな賞一つとれない自分の写真を見続ける。

 それは、写真を見ているのではないと、教えてやるべきなのだろうかと、鳥はその受け取れない愛の種類を考えた。

「お前の世界は、俺には見えない。俺が見たかった世界がお前の中にあって、俺には届かない。」

「俺には、植木由人の写真がどうなってるのか見えなかった。」

 鳥だけではない。

 それが見えることがどんなことか、気付かないこの男が特別なのだ。

 何年も、何枚も、技術のある人の隣にいないと解らないことやその経験。

 それは誰にも与えられるものではない。

 恵まれて、また自身がそれだけの努力をして、時間をかけて受け取るものだから。

 それをその年で持った由人がどれだけ選り分けて写真を選んでいたのか、本人が一番知るはずのそんなことを、由人は簡単に手放そうとしていることが、鳥は許せなくなった。

 この男はこんな自分が撮った写真に取り込まれて終わってはいけないのに、と。

「なぁ、写真は何のためにあると思う?奇麗なものを残すためか?伝えるためか?」

 何のため、と一度は迷う答えも、由人はもう悩んでいるはずで、その答えを鳥は知ろうとした。

 学生時代、何時間と語った問題だ。

 それを由人から聞かないことは今さらだが不自然なきがした。

「奇麗なものだけじゃない。俺が写真を撮るきっかけになったのは地雷でつぶれた民家を写した写真だった。」

「物事の記録のためか?」

「記録だけじゃないよ。伝えなきゃいけない、平等にはならないものを。」

 平等にはならないもの、それはこの世界には山とある。

 そしてそれを撮るだけの力が由人にはある。

 そう伝えようとした声より先に、由人はふと、口元を緩めた。

「お前の写真の、光が好きだったんだ。」

「…モノクロの?」

「そう。影の終わりの先にある光ばかりを、お前、最初の展示会に出してた。」

 それは一時期鳥が好んで撮った被写体で、随分長いことそれは続いた。

 だが、卒業制作に出したのは別で、ただ、認められないから、と撮るのを止めたものを今になって由人は持ち出す。

「会場の見張り当番、お前の写真の前の席のヤツ全員に代わってもらって、俺丸一日そこにいた。目が離れなかった。お前の見た、細長くて狭い闇の世界。お前は最後までその連作を続けて、」

「ああ、でも最後だけ、違った。」

「うん。お前の卒制は小夜さんの、ねえちゃんの笑った顔を撮ったやつ。題名は、『喜び』」

 由人と鳥の通った大学は学科、学部ごとに卒展の会場も、プランも違う。

 学部だけでも8つあった大学で、その鳥がいた学科の、鳥の作品名まで知っていることに鳥は驚いた。

 鳥は由人が移動していった学部すらしらないというのに。

 そして、いつもは小夜さんと呼ぶ喜一の母親を、初めて由人は姉と呼んだ。

「かなわねぇと思ったよ。俺が撮ったどんなものよりも、奇麗で」

 奇麗だと、そう評価されたそれも、当時何の反応もなかった。

 由人が奇麗と言うそれは、きっと由人にしか見えない。

「お前の世界にいるねえちゃんに、俺は、今思えば、嫉妬、して」

「それは、小夜さんが俺を好きでいてくれたから、よく撮れたんだ」

「そーだな。だから俺もねえちゃんに協力した。バイトの金も全部ねえちゃんに渡して、ねえちゃんが好きな男の子供、生めるように」

 写真の、先週鳥がこっそりその写真の日付けを確かめたその、18歳の小夜を見て、由人は力なく笑う。

「違うな…俺は、お前の子供が、見たかったんだ。」

「喜一…?」

 鳥が問えば、由人はその顔を鳥に向け、慈しむように声をかける。

「生まれた子供は、まるでお前の世界みたいだった。喜一が生まれて俺が見た世界は、いままでのどんなものよりも」

 どんなものよりも幸せに

 どんなものよりも健やかに

 作り物の親でも、親らしく、とただがむしゃらに親であろうとした年数はどちらにも共通で

「奇麗で」

 目線を落とした由人に、鳥は泣きそうになる。

 不安だったのだ。

 2人、喜一の父親がいることが

 不安でたまらない時があった。そして同時に一人になることも不安で

 父親が2人あることが普通ではないと、どんな他人よりも感じていたのはその2人の父親だったのだろう。

 どちらかは必ず他人で、どちらかは喜一の父親ではない。

 子供が生まれる仕組みを知らない年ではない。

 だから2人で育てた子供が、どちらかのものか解らなかった鳥も

 自分の子ではない子供を、自分の子だと育てた由人も

 いつか選ばれることを、そして一人、子供の親として残されることも知って、不安で

 なのにそこはいつも子供のもつ暖かさがあって

「喜一、って俺がつけた。」

 ふと、その子供の名前の由来を鳥は知る。

 由人は教えていたのかもしれない。最初から

 鳥と、小夜の子供なのだと。

 由人が愛した鳥の写真、小夜を映したそれは鳥が『喜び』と名付けた。

「なのに、お前はもう写真をしてなかった。」

 実を言えば就職活動で4回の夏からカメラさえ握っていなかった鳥はそれだけに申し訳なくなる。

「だから、あんな奇麗な世界を捨てた男に喜一を渡せるもんか、って…ごめんな」

「いや、俺こそ、お前がいなかったら小夜さん、一人だったんだろうし」

 大きな腹を抱えた小夜を支えた由人がいなければ、と鳥は考えただけでも自分を呪う。

 由人がいなければ喜一もいなかったのかもしれない。

 この生活はなかった。

「俺は、由人がいて、ここで喜一と家族になって、それが今までで一番幸せだった。」

 ただ、そう伝えただけなのに、その相手の由人の顔は曇る。

 それは、幸せで、切ない鳥の返事。

「ごめんな。分かってるよ。この年まで、考えたんだ。もう答えは出てる。」

「……」

「カラクリ何か簡単に分かった。俺は、お前が好きで、」

 写真ではなく、だが鳥を見ることもできず、由人はゆっくり12年の結末を外に出す。

「だから、お前の見る世界が、こんなにも…」

「俺の写真はどこにでもある写真だよ」

 鳥は由人に近付いて、まだ閉じずにあった自分の写真を閉じた。

「本当に認められるべきなのは、お前の撮るものだ。」

 もう何度も、何年も、その持ち主以上に思われて扱われたバインダーはよく見れば何十も修繕された跡がある。

 四角かった角はいくつも捲れたのか、丸くカットされ補強されていた。

 それをしたのは鳥ではない。

「由人、もう書けないなら、もう一度撮れよ。お前ならフリーのルポでもやっていけるだろ?伝手だって、出版の方にもあるだろ?」

 なくても雪村に頼めばなんとか仕事にはなるだろう。

 きっとこれだけ写真を思う由人はすぐに元の道に帰れる。

「大丈夫、どこへ行っても、喜一はお前の子供で、俺の子供で、小夜さんの子供で、雪村さんの子供だから」

 もういくらも大きい男に、それを与える家族の手で鳥は触れた。

 いつか、この男が自分にそう触れる日が来てくれないかと、それだけ願って

「お前がいいなら、ここで、俺たちはお前を迎える。」

 終わりと始まりと

 ただ、この男が書いた最後の物語は本当に最後になって、

 それは話題にはなったが、何の賞も取らない、すぐに忘れられた小説になった。


題名は  アン レプリカ



ありがとうございました。

昔に書いたものの中ではこれが一番好きです。地味だけど!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ