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「おぅ、来てたのか。久しいな」
「ごぶさたしております。皆様お変わりないようで」
「もうお前が来る季節か。早いのう――勘太」
折り目正しく礼を取る青年にそんな言葉をかけると、苦笑いを返してくる。
「先ほどから皆さんに散々からかわれましたよ。私の訪れはすっかり風物詩だと」
「毎回ぴったり春と秋の彼岸に箸持ってやって来るんだ。鳥だの虫だのよりよっぽど正確だわな」
あれから年に二回、箸の新調のたびに辰造の元で求めている。はじめはこちらから使いを出していたが、いつからか勘太が届けるようになった。その訪れが季節の便りに数えられるくらいの年月が経っている。
「私にご用がおありだと聞いてお待ちしておりましたが」
「ああ、足留めしちまってすまねえな。ちっとお前に頼みがあンだ」
「頼み、ですか」
「うん。伊三んトコにやっと嫁が来ることになってな」
幼い頃から伊三郎になついていた勘太が、パッと顔を輝かせる。
「それはそれは…! おめでとうございます。今はどちらにお住まいでしたか、このあと立ち寄ってお祝いを申し上げなければ」
逸る勘太をまあまあと手で制する。伊三郎は正式にお勤めを始めるときに、この屋敷から出ていた。そのほうが風聞が耳に入りやすいから、なぞといって、あろうことか長屋に引っ越して行ったのだ。おそらくは引田の家に対する気遣いもあったのだろう。つまらない遠慮のせいでずいぶん退屈になったと、しばらくは文句を言っていたものだったが。いろいろあって、彼はいま“あっち”に居を構えている。こちらから探索に出向く際の拠点があれば、とかねて考えていたのだが、まあ、いろいろあって――そういうことに、なっている。
「お勤めの関係でちょいと遠くにいてな。ちょくちょくこっちに来るから、伝えておいてやるよ。で、頼みってのは、祝いの夫婦箸をお前に作ってもらえまいかと思ってね」
「私に…ですか。そのような晴れの膳を、私なんぞが作らせていただいてよいものか」
「なぁに、伊三もお前も息子みたいなもンだ。息子の祝いを息子が作る――まあ儂の夢だと思って叶えてくれりゃいい」
しばらく躊躇したのちに、誠心誠意つとめさせていただき…などと難しいことを言って、勘太は頭を下げた。が、それを上げると再び眉根を寄せる。
「私の箸はいかがでございますか」
「儂に箸のことはわからんよ」
「父の腕を見込んでわが家とお取り引き下さってきたのに、私に代替わりした途端に質が落ちたでは申し訳が立ちませんから」
「またその話か。お前のそのくそ真面目なところは辰造そっくりだな。いつも言ってんじゃねえか、辰造から箸を仕入れることにしたのは別に腕を見込んでのことじゃねえ。お前のお袋様が初恋の相手なもんで、下心だよ」
これまで何度となくくり返されてきた来たやり取りに、ようやく勘太の顔に笑みが浮かんだ。
「またそのようなことを…」
「おっ、信じてねえな? 嘘だと思うんならお袋様に聞いてみろ」
「母は呆れて笑っておりますよ。よくもまあ二十年以上も同じ冗談が言えるものだと」
「そうか、笑っておられるか……笑えるように、なったか?」
含みをもたせて問えば、勘太もそれを受け止める。
「しばらくはさすがにふさいでおりましたが、先だって無事に父の三回忌を済ませてからは…ああ、その節は過分なご配慮をいただきまして」
また頭を下げようとした勘太を制する。
「なに、俺は辰造に返しても返しきれない恩があるのでな」
「……父のほうこそ、いつもそう申しておりました。引田様の旦那には感謝してもし尽くせないご恩があると…お二人の間にどのようないきさつがあったかは、ついぞ教えてもらえませんでしたが」
辰造が話していないのであれば、こちらから言うことは何もない。口の端を上げるだけでそれに応え、話をもとに戻した。
「それで、お袋様は元気に?」
「ええ、妹のところの初孫に今は夢中ですよ。…ああ、その節も過分なお祝いを…」
今度は頭を下げる前に先んじて制する。
「勘太はどうなんだ? いい人はいるのか」
すると勘太は少しばかり頬を赤らめ、手を頭の後ろへやった。
「ええ、まあ…いつかは嫁にと考えている娘はおりますが…まだまだ一人前の職人になってからでないと」
もうそんな年齢になったか、と思うと同時に、その生真面目な台詞に呆れてしまう。
「またそんなことを……いいからその娘をとっとと捕まえておけよ。誰かにかっさらわれてもいい程度の気持ちなわけじゃねえんだろ?」
「いえいえ、真剣に想っているからこその慎重さですよ」
腰が低いようでいて、物怖じをしない物言いは子どものころから変わらない。初めて会ったころを思い出し、笑みが浮かんでしまう。
「まあ――ともかく、妹は無事に嫁いで子どもも授かった。兄のほうも仕事・嫁取りともに順調、と。こういうわけだな?」
確認するようにくり返すと、勘太はきょとんとしながらうなずいてみせた。
「しかしお袋様も、まだ孫に夢中になるにゃあ早いだろうに」
「まあ元気になったのは安心ですが……そうですねえ、まだ若いですから茶飲み友達でも作ってくれれば」
ふむ。
ひげの伸び始めたあごをさすりながら、冷めた茶を口に含んでみたりする。なんだか急に、口の渇きが気になったのだ。
「そいつは儂が手を挙げてもよいものかな」
「は?」
「つまり――」
言いかけて思い直し、あぐらを正座に組み直す。ますます勘太の目が丸くなった。その目をしっかりと見据える。
「勘太どの、母上を口説いてもよろしいか?」
「……」
開いたままふさがらない口をやっと動かし、かすれた声で勘太が応える。
「また、そのようなお戯れを……第一、母はお目にかかったことがないはずで……本気で、言っておられるのですか」
後半はたしなめるでもなく問うでもない、確認する口調だった。冗談で流せないことを、勘右衛門の目から悟ったらしい。
「するとつまり、母が初恋の相手だというのもいつもの軽口ではなく、本当の……いやしかし、旦那様には……ああ、奥方様は、おられませんでしたか…」
しばし動揺を隠せない様子であったが、何かが腑に落ちたのだろうか。こちらの目をしっかりと見返してきた。
「私は何も申しません。母の気持ちに任せます」
ふーっ、と、息をつく。緊張していたのだろうか。自分が? まさか。
「かたじけない…が、それがいちばん怖いな。さてお前のお袋様は口説かれてくれるものかのう」
足を崩し、口調もいつものものに戻す。と、勘太もまた肩の力を抜いた。
「さて、難しそうですねえ。ああ見えて頑固な人ですから」
「まったくだ。そんならそろそろ出掛けるか」
「は…?」
「お前、これから麻布村まで帰るんだろう? 連れて行け」
「今日、母に会いに行かれるのですか!?」
ポキポキと首を鳴らし、準備を整える。健脚で鳴らした身だ。一日仕事を終えてからの遠出も苦ではない。第一、
「お許しが出た以上、のんびりしておれぬわ」
「しかし、今からですと着くころには日が暮れておりますよ」
言いながらも、勘右衛門につられて慌ただしく身仕度を整える。
「なに、ちょうどいいさ」
口説きに行くなら夜にせねばならない。連れ立って屋敷を出ると、雲ひとつない空に、端のほうがかすかに朱に染まりはじめていた。この分なら、彼女に会うころには星がたくさん出ていることだろう。
旦那の過去にはこういうことがあったのでした。
とても人気をいただいていた人物でしたので、あえて過去話を書くことには少し緊張もありましたが、「サムライ・ラヴァー」本編で旦那が言っていた「そこにいることの大切さは皆同じ」という台詞につながるものと思っていただければです。つーか果たしてこれは恋愛小説なのか…?
タイトルは山崎まさよしの名曲「one more time, one more chance 」からヒントをもらいましたが、この話のBGMにはぜひ「アルタイルの涙」のほうを聴いてみてください^^ こちらも泣ける名曲です。