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五年が経ち、仲間は五人になっていた。もっとも、うち一人は“仲間になる予定”にすぎない伊三郎だ。伊三郎にはまだ仕事に参加させていない。今年で十三になるので、そろそろかと考えてはいたのだが。早いものだ。あのちびも今やすっかり――


「叔父上、いいかげんに起きてください。また遅刻をするつもりですか」


「……すっかり小姑だな、お前も」


のそりと起き上がり、大あくびで返すと、掛け布団を派手にひっぺがしながら生意気な口調を寄越してくる。


「お祖父さまとお祖母さまからよくよく頼まれましたから。叔父上の暮らしの面倒を見るようにって」


そう、昨年父は早くも隠居をし、母とともに郊外に居を移していた。家督を継いでおきながら、相変わらず佐保を離縁せず、従って後添えをとることも後継ぎをもうけることもしない自分に対し、両親は何も言わずにいてくれた。いざとなれば、息子よりもかわいい孫の伊三郎に継がせればよいと、あるいはそう考えていたのかもしれなかった。


いつか小松家に戻ることもあるかもしれないと思い、正式な養子縁組はしていない。伊三郎は今も小松のままだ。けど、まあ、引田を継ぐことになったとしても、それはそれで別に構わない。


「叔父上、昨日道場でふたつも年上の人を負かしました」


向かい合って朝飯を食べていると、真っ赤なほっぺたで誇らしげに告げてくる。こんなところはまだ子どもだな、と思う。


「へえ、やるじゃねえか」


このぐらいの年頃でふたつの歳の差は、大きな力の差があるはずだ。そうは見えないが、道場ではめきめきと腕を上げているらしい。


「はい! だから、そろそろ…」


「だーめだ。なんだ、そういう魂胆か」


額をこづいてやると、頬をぷうっとふくらませる。


「見習いでもよいから、私も早くお手伝いをしたいです」


「まだまだ」


伊三郎には、ひとりで“あちら”へ行くことをいまだ禁じていた。もっとも、ずっと力を使わずにいてやり方を忘れたら困る、と主張され、それもそうかと思い、時折誰かに付き添わせて行き来はさせている。


「剣ならだいぶ強くなったのになあ」


「腕っぷしだけじゃねえ。お勤めとなりゃあ、判断力が問われるんだ」


「判断力はどうすれば身につくのですか?」


「そりゃあ…経験、だろうな」


「判断力がないからといって経験させてもらえないのに、経験しないと判断力がつかなかったらどうすればよいのですか」


「あーもう! お前は口だけは一人前だよ」


さらさらと飯をかきこみ、立ち上がる。


「まったく誰に似たんだか……なンだよ」


膳を下げにきた女中と伊三郎が、顔を見合わせうふふと笑い合っている。まったく。もう一度額をこづいてやり、仕事に出かけた。



朝早いというのにすでに日差しは強い。また夏が来ていた。


日々の暮らしがあまり心地よいのは困るんだがな。


そんなことを思いながら、けれどそれに身をまかせているのが最近の自分だった。


「旦那、おはようございます」


「ああ」


伊三郎が小姑なら、自分はいっぱしに「旦那」などと呼ばれるようになっていた。


「朝一番で人探しの依頼が一件来ています」


「どれ」


「…例の件は、どうなりましたか?」


依頼書に目を通す自分に、ためらいがちに声をかけてきた男は、五年前真っ先に仲間に加わった吉田だ。


「うむ、今日このあと沙汰を聞きにいくことになっておる」


五年前、まず人を揃えることを先決として動いていた自分に、小野田はひとつの指示をした。“その場所”がどこなのか、明確にしろというのだ。異界、異界と言っているだけでは上の者は納得しない。理屈なんざどうでもいい、信じるか信じないかも相手に任せればよい。ただ、判断を問えるだけの材料は用意せねばならないぞ、と。


無茶な要求だとは思ったが、上司の言い分はもっともだ。そこで自身は引き続き人集めに専念し、仲間に加わった者たちに“異界”の正体を調べさせることにした。そして五年をかけてひとつの結論にたどりつき、それを報告したのが先日のこと。我々のやろうとしていることが正式に許可されるかどうか、小野田預りとなったその案件は頭の固い上の連中の討議を経て、ようやく沙汰が下りることになったというわけだ。


==========


はじめにその可能性を言い出したのは吉田だった。仲間に加わってから、比較的早い時期だったように思う。


「ひょっとしたら、と思うことがあるのですが、あまりに突拍子が無いもので」


「今さら常識なんざ期待してねえよ。構わないから思い当たることはすべて話せ」


「は、では……そのー、あそこはひょっとしたら、我々の住むこの世界から何年か時間を超えた未来、ではないかと」


「……そいつぁ確かに突拍子ねえな。なぜそう思った?」


「あちらで出会った少年が、私を指差して『お侍さんだ』と申したのです」


「ほぅ」


それはつまり、あちらの世界にも侍というものがいるということだ。吉田がうなずきを返す。


「私も驚きまして、侍を知っているのか?と少年に問うたところ、昔はこういう人がいたと学校で教わった、と申すのです」


「昔……それは、どのくらいの昔だって?」


「はい、私もそれを聞きたかったのですが、聡そうな女児がやって来まして、『知らない人と話してはいけない』と言って連れて行ってしまいました」


「どこにでも、こまっしゃくれたのはいるってか」


そのようで…と吉田が苦笑する。まあ、確かに突拍子は無いが、あてもなく闇雲に動き回るよりはいいだろう。


「よし、お前はその推論を立証してみせろ。無ければ無いでよい。可能性をひとつずつつぶしていこう」



その後、二人めの坂本が加わってからは、俄然効率がよくなった。二人を別々に“あちら”に行かせ、そこが同じ場所なのか、時間の流れかたはこちらと違わないのか、ひとつずつ確かめていった。


幸い、あちらの人間とは服装が違うだけでほぼ同じ見た目だった。時おり不可解な単語は混じるものの、言葉も同じ。とかく奇異の目で見られたのは頭髪ぐらいで――なにせあちらには月代(さかやき)がいない。そこで仲間に加わったものは皆総髪にさせた。そうしてあちらの人間が着ている着物を入手すれば、まったく怪しまれない。そんなふうにして、手探りで徐々に情報を集めていったのだった。


その場所の正体を探るのに、いくつか可能性を挙げ、それらを検証していくつもりだったのだが。調べれば調べるほど、吉田の言った「時間を超えた未来」説が濃厚になっていく。極めつけは、最後に仲間に加わった井原の言葉だった。この男は、その力を使って私的に人探しを商売にしていたという。そのためあちらとの行き来も多かった。


「神隠しに遭ったあと、そのままあちらの世界に住み着いちまったじいさんがいるんです。そのじいさんが言うには、場所は変わらねえ、ただ時だけが違うと」


「それはまことか!」


「して、どのくらい時が違うのだ?」


「十年くらい前に聞いた話では、あちらの最高齢の男性が当時百二十歳近かったんですが、それでもじいさんより――我々よりも年下らしいと」


「なんと!」


「旦那、これで小野田様に報告ができますね」


興奮した部下たちが口々に言う。しかし。


「いや、まだだ」


そこが未来であるならば、では何年先の世なのか。そこまで確かにしてみせなければ、それはやはりただの絵空事と片付けられてしまうだろう。無茶だとは思いながら、それが何年後の世界なのかを明らかにせよと命じた。その間に自分は規則を整える。道が開けたとき、すぐにその仕事を始められるように。そして探索にあたる者たちの安全を守るために。自分自身がその力を持たぬからこそ、部下を守るのが己の役目なのだ。


そして、ある日井原が持ち帰った一枚の紙切れが、すべてを決定づけた。


「旦那! これを…これを見てください」


常ならぬ様子に、その場にいた全員が「号外」と書かれた紙切れに集まる。


「天皇陛下、崩御…?」


「裏に系譜が」


「今の帝の、四代先でいらっしゃる…」


なるほど、為政者も、暦すらも違うその場所で、変わらぬ存在がいらしたのだ。


「それで、ご在位の期間から計算するとそこは、」


井原はそこで一旦、ごくりと唾を飲み込んだ。


「百五十年後、でした」


「百五十年……」


近すぎる、というのが率直な感想だった。どうやら間違いはないだろう。この紙を見せれば上の連中も説得できる。しかし。


「……矛盾と思うかもしれないが、皆聞いてくれ」


手にした紙切れに書かれている「歴史」を、知ってしまうのはとても危険なことに思えた。


「あちらとの、必要以上の接触を今後は避けてほしい」


「旦那…?」


「そして、あちらで見聞きしたことは、極力他言無用だ。百五十年は、近すぎる」


「……」


誰も異論の声は挙げなかった。



井原が持ち帰った紙を、「重要機密事項」として小野田に提出した。こんな規則を添えて。


――ひとつ、迷い人・罪人を問わず、明らかな神隠しの場合を除いてまずこちらを先に探し、それでも見つからない場合のみあちらへ渡ること。


――ひとつ、いずれの探索も、手配書のある場合のみあちらへ渡ってよいこととし、独断で自由に渡ることを禁ずる。


――ひとつ、いずれの場合も三日のうちに見つからぬときは一旦戻ることとし、あちらで長期に滞在することを禁ずる。




==========

「小野田様から正式にお許しが出たら」


吉田の声に、意識を戻す。そう、このあと小野田のもとに呼ばれており、そこで沙汰が降りることになっている。


「今朝来たその依頼が第一号になりますかね」


言われ、改めて手元の書類に目を落とす。数日前に家を出たきり戻らないという男の探索願いだ。この五年間、ただ異界の調査ばかりをしていたわけではない。それだけが仕事ではないのだ。しかし今後につながるように、主に人探し――罪人であったり、迷い人であったりの探索を主に引き受けてきた。今ではすっかり頼りにされ、人探しは引田のところへ持っていけ、と言われるほどになっていた。


「依頼を持ってきたのは、男の仕事仲間です。箸職人だそうで、材料にする木を採りに山へ入って、はぐれたそうです」


「例の問いにはなんと?」


「“それはありえない”と」


行方知れずの人を探すとき、まずはじめにひとつ質問をすることにしている。その人物が、自身の意志で身を隠している可能性はないか?――それによって探し方も変わるからだ。神隠しのほとんどは、かどわかしか人殺しか己の意志による失踪のどれかだ、とは、小野田の弁だ。自分のように「そんなはずはない」と皆答えるものと思っていたが、中には気まずそうに目を泳がせる者もいて、なるほど小野田の言うことも外れてはいないようだった。


「ありえない、か――その根拠は?」


「はい、はぐれる直前、女房と子どもへの土産は何がよいかと、そんな話をしていたそうで」


「ふん」


「その者、辰造と申しますが、辰造はとにかく女房子どもを大事にしているそうで、五、六年前に女房と一緒になったときは、“頭を下げて嫁に来てもらった”と、無口な男が珍しく喜んでいたとか――まあとにかく出てくるのはそんな話ばかりでして」


「ふん――お、辰造とやらは麻布村の者か。父上のお住まいの近くだな。探索の拠点に使わせてもらうか」


「や、そのような――そうさせていただければ非常にありがたくはありますが」


八丁堀から麻布まで、日帰りできぬ距離ではないが、日参するには少々きつい。両親の隠居宅に寝泊まりさせてもらえれば好都合だ。


「気を遣わずともよい。お勤めのためとあれば喜んで協力してくださるだろうよ。父上あてに一筆書いておくから、お前たちは先に向かってくれ。俺は小野田様のところへ伺ってから行く――ああ、」


「は」


「今日の沙汰がどう出ようと、同じことだ。いつも通りの探索を進めておけ」


「はっ」



部下と別れ、小野田のもとへと向かう。



――五、六年前に女房をもらったときは、頭を下げて嫁に来てもらったのだと――



「ふん」


それを聞いて、かつて自分も頭を下げたことを思い出した。もっとも、嫁に来てくれと頭を下げたのではなく、佐保が嫁に来ることが決まったのがうれしくてありがたくて、父親に頭を下げたのだ。ありがとうございます、と。父とのやりとりを思い出す。傍らでは母が微笑んでいた。



『神尾が、佐保をお前に嫁がせたいと言って来た』


『――誠にございますか、父上……やった!』


『はしゃぐな、みっともない』


『これがはしゃがずにおれますか。いつ父上にお願いしようかと考えていたところです』


『ふん、お前の考えなどわかっておったわ。神尾の申し出は断った』


『なっ……父上!』


『ああうるさい。お前なんぞまだ所帯を持つには未熟すぎるわ。三年だ』


『は?』


『三年待ってくれると言うから、お前は三年で一人前になれ。それまでは許婚だ』


『あ…ありがとうございます!』


『うむ。だからお前もこれからは……おい、待て。話は終わっておらん! どこへ行く!』


『佐保に伝えに参ります。私の願いが叶ったと』


『お前……! 祝言の前に孫ができるようなことがあったら承知せんぞ!』


『それはご心配なく。昔から言うではありませんか、仲の良い夫婦のもとには子が遠慮してゆっくり参ると』


呆れる父の声を背に受けながら佐保に会いに行ったのだが。当の佐保は「約束が違う」と言ってその日は顔を見せてくれなかった。それは照れ臭さから来る難癖に過ぎなかったが、佐保の言う「約束」をすっかり忘れていたことは確かだったので、睦事をささやくより前にまず謝らねばならなかったのだった。


その約束は幼いものだった。


『今すぐってわけじゃないんだが…佐保を妻にしたいと、父上に申し上げてもよいか?』


『…ひとつお願いを叶えてくだされば…』


恥じらいながら告げたのは、


『お父様のお許しをいただけたら、佐保に求婚してくださるときは夜に来てくれませんか』


『……』


大胆なことを、と茶化しかけたが、まだ15やそこらの娘がそんなことを考えるわけもない。理由を問うと、なんでもないただの小さな夢だと笑った。


『だあれもいないところで、お星さまだけが見ているの』


それはいい年をした男にはむずがゆくなるような夢だったので、


『そんならせいぜい盛大に見せつけてやろうじゃねえか。星がよく見えるのは……冬の最中じゃ寒くて敵わんから、天の川の時期がいいか? ん?』


茶化してしまい、拗ねられたのだった。



(結局、父上の言葉に浮かれてすっかり忘れてたんだよな)


気がつくと、小野田の屋敷の前まで来ていた。


以前ほど、佐保が頭から離れないというようなことは無くなったが、今日のように、何かをきっかけに記憶が蘇ることがある。不意をつく分、深みにはまって厄介だ。次から次へと記憶があふれ、すれ違う声も皆、佐保のものに聞こえてくる。それでなくとも夏は――佐保をなくしたこの時節はより濃くなるのだ。佐保が。


「参ったな…」


「なんだ、ため息なんぞつきおって。怖じ気づいたか」


「小野田様…!」


どこかからの帰りらしい小野田が、屋敷に戻って来たところだった。


「心配せんでもお前の企みは通してやったわ」


「は、とおっしゃると…」


「お前に任せるから、やってみよ」


……まったくこの御仁は。そのように重要なことを立ち話のついでに言う。


「あ…ありがとうございます!」


「正直に言えば、匙を投げたようなものだ。あんなもの、結論なんぞ出るわけがない」


「それはまあ……そうでしょうな」


「上の連中には黙認させたから、実績を出して納得させろ」


「はっ!」


上司に向けて頭を下げる。と、ついでのようにぽつりと加えられた。


「軌道に乗ったら佐保を探してやれ」


「……」


上司が立ち去るまで、顔を上げられなかった。




==========


百五十年後のその世界を調べてきたこの五年間、ごくまれではあったが、神隠しに遭い、飛ばされてきた人に出会うことがあった。許可の降りる前だからと言って無視はできない。連れ帰り、家へ戻してやったその人々から話を聞くと、身元不明の人を一時的に収容してくれる施設に入れた人、世話好きの浮浪者の寝床に置いてもらっていた者など、いずれにせよ危険な目に遭うようなことはなく――仮に佐保がそちらにいるのだとしても、女子が苦界に身を落とすようなことはないようで。人知れず胸をなでおろしたものだ。



麻布村の両親の隠居宅へ着くと、出迎えたのは意外な人物だった。


「あっ! 叔父上、お待ちしておりました」


玄関先をたまたま通りかかった様子で、伊三郎が座布団を抱えて立っていた。


「なんだ伊三、お前も来てたのか」


「はい。吉田さんたちからお話を聞いて…お祖父様たちが代わりに八丁堀の屋敷にお戻りになるのなら、お供をしようと思って一緒に来たんですけど」


話を聞きながら苦笑する。吉田たちはおそらく、隠居したとはいえ身分の高すぎる父を訪ねるのに遠慮があったのだろう。伊三郎を間に立たせて和らげようと、それとなく誘ったに違いない。


「それで、父上たちは?」


「はい。吉田さんたちからお話を聞いて、ちょうどよいからと、お祖母様と湯治にお出かけになりました。屋敷は好きに使え、伊三郎もお勤めを手伝うように、とおっしゃって」


「なんとまあ…」


「吉田さんたちは皆さんお出かけです。辰造さんがいなくなった場所へ行っています」


「ふん。で、お前はここで座布団の行商でも始めたってか」


伊三郎の抱える大量の座布団を指して言ってやると、ぷうっと頬をふくらませた。


「違いますよぅ。これは…とと…お客様が来ているんです」


「客?」


よろけた座布団を支えてやると、伊三郎は「あっ」と高い声を出した。


「ごめんなさい、真っ先に言わなければいけませんでした。辰造さんのおかみさんがお待ちです。叔父上が話を聞くだろうからって、吉田さんが呼んでいたんです」


「そうか。で、辰造の女房が一体何人いたらそれだけ座布団が必要になるんだ」


「おかみさんがお子さんを連れて来ていて、坊やが眠ってしまったんです。布団をしきましょうかと言ったんですけど、申し訳ないと固辞されるので、じゃあせめて座布団を、と」


「ふうん。そいつはご苦労だな」


誰に似てここまで気のきく子どもに育ったのだか。いや、もう子どもでもないか。大きな座布団を六枚も抱えられる腕っぷしがついている。その腕をぽん、と叩いてやった。


「坊主を寝かしてから話を聞くとしよう。手が空いたら部屋にくるよう言ってくれ。ああ、その坊主ってのは赤ん坊か?」


「いえ、清五郎よりも少し下くらいです」


伊三郎が名前を挙げたのは、小松家の末弟だ。あれより少し下となれば、五つか六つか。


「なら母親が目を離しても大丈夫だな。かわりにお前がついていてやれ」


多少、危なっかしい足取りで座布団を運んでいく背中を見送り、自分は客間へ入る。吉田の置いていった、辰造の探索願に改めて目を通した。今日一日、探して成果がなければ。明日はいよいよ“あちら”に行かせることになるだろうか。いよいよ、佐保を――。



「失礼いたします」


背後で女性の声と、床に座る衣ずれの気配がした。


「ああ、待たせてしまいましたな。ご心配のことでしょうが、少し話を――」


「こちらこそ、ご厄介をおかけしております」


ふり返ると、辰造の女房が顔をあげた。


「……」


人間は、本当に驚いたときは驚くまでに時間がかかるようだ。ああ、このあたりは江戸よりも蝉の声が濃いのだな、などと頭の隅で思ったりする。先に声を発したのは、女のほうだった。



「旦那さま…」



「――佐保」



そこには、佐保がいた。


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