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宇宙船絆号

 私はいわゆるコスモポリタン(国際人)というものだ。

 コスモポリタニズム(世界市民思想)というものは古代ギリシャから伝えられている思想ではあるが、その考え方はいまだに世界に馴染まず、そしてそれが意味することはいまだに世界から思想の対立という争いが消えないということでもあった。

 近年のコスモポリタニズムは古代ギリシャのそれとは若干異なる性質をはらんでいる。すなわち、自国の文化をも飛び越えた全世界的な市民思想、つまり、世界こそ一個の国家で我々はそこに所属する同一な存在なのだという考え方だ。自国の文化も他国の文化も私にとってはすべて平等に捉えることができる。もちろん、カニバリズムや選民思想でさえも。それで私が酷い目に遭ったとしても、私はそれらを否定するつもりはない。

 だが、思想の対立による闘争状態だけは別に捉えなければならない。

 同種間で憎しみという感情でもって殺しあうのは人間だけだ。たしかに野生動物なんかは縄張り争いで殺しあうこともあるだろう。しかし、そこには少なくとも憎しみという感情は介入していない、ただ単に自分の生存圏を守るための行為に他ならない。

 人間は野生動物とは違い、とても多感な生き物だ。だからこそ自らが作り上げた文化圏を守るために争いあう。そう、人間はその土地、つまり、生存圏を守るために争うのではなく、自分たちが生と死の輪廻を繰り返しながら築きあげてきた文化こそ、守ろうと争うのである。これは人間が高次な存在であるという証拠でもある。

 私が何を言いたいのかと言うと、なぜ人間は文化を守るために互いを憎む必要があるのかということだった。人間は感情的にも合理的にもなれるはずなのに、どうしてかいまだに有機的な部分については合理的になれずにいる。もし、有機的な部分について感情的になることで争いあうというのなら、私はそんな感情は要らない。

 これはまさしく当然の帰結であった。私は幼少の頃と言えば、その国の極めてその国らしい文化の根付く場所にいたはずなのに、触れるものは私の文化圏とは異なるものばかりだったからだ。私はその国にいながら周りの世界のことばかりその目に、感情に焼きつけてきたのだと思う。

 私はそうした環境の中で二十数年生きた。やがて真に世界というものを理解するために、まず論文や学術書を読み漁り、そして世界を自由に駆け回ってみた。事前に得た知識とも相まって、私は世界のことをより身近に感じるようになり、またいまだに世界に蔓延る対立そのものに矛盾を感じるように「なった」。いや、ここは語弊を感じさせてはいけない。むしろ、「なってしまった」。

 仕事柄さまざな人種と関わり、そして対立の中間に立って彼らの政治的・軍事的ネゴシエーションの橋渡し役として働いている私だが、いつまで経っても対立の炎が鎮静化することはない。もしかしたら私はすでに惰性でこの仕事を続けているのではないか、と半ば疲弊しきっていた。

 ある日の仕事帰りである。ネゴシエーションが行き詰まって、かなり時間的にも遅い時分だったので、私はいつもは通ることのない帰り道を急いていた。

 山道である。辺りは暗く、車のフロントライトだけを頼りに細い道を慎重に進んで行く。幽霊でも出るんじゃないかと戦き、おっかなびっくりの私は視界の端に映る木々の影にすらいちいち体を震わせていた。

 山道もちょうど半分、つまり山の頂上付近にたどり着いた。

 ここからはくだり道だ、とようやく緊張が解れてきた瞬間、私の視界の右端が強烈に光り始めた。まるでカメラのフラッシュのような光が断続的に私の視界を覆う。このままでは車を運転できない。映画の撮影かなんかでもしているのだろうか。

 私は目を瞑っても網膜に焼きつくその光りを止めてもらうために、いったん車を降り、その光の方に向かって繁みの中に分け入っていった。

 ところが、しばらく歩いてもその光の原因までたどり着くことができない。それどころか、だんだんと視界を覆い尽くしてゆく強烈な光に私は気分が悪くなってきた。

 これはなにかおかしい。

 そう直感的に感じとった私は踵を返し、もと来た道を足早に戻り始めた。しかし、いくら歩いても光源にたどり着けなかったように、もはや私は自分の車にさえたどり着けなくなっていた。

 いつしか私の視界は真っ白な光に包まれ、そしてそのまま意識を失った。

 目を覚ましたら車の中だった──ということはなく、私はどこかわからぬ天井を眺めていた。無機質なシルバーの天井。鉄とは違うしコンクリートではもちろんなかった。不思議な金属光沢を放つ天井はまるで水銀のようにぬらぬらとしたものだ──その時点で私は仰向けだった体を弾かせるように起き上がらせた。

 私はそのまま体を硬直させる。

 私の周りを取り囲むようにして立っていたのは、おおよそ人間ではないとわかる化け物たちだった。

 君たちはエイリアンやETといった映画を見たことがあるだろうか。そのエイリアンとETを足したような褐色の膚をした気色の悪い化け物が私の周りをぐるりと取り囲んでいるのだと思ってくれればいい。

 まるで壁のように私を取り囲んでいる正体不明の化け物は、なんと私の話す言語を用いて話しかけてきた。

『ワ。カ。ル。カ』

 酷くたどたどしいその言語は、単語ずつ組み合わせて構成する私の母国語としては非常に聞き取りにくいものだ。それでも何と言っているのかは判るレベルなので、私は首を縦に小刻みに振った。これでも頭は混乱しているのである。

 化け物は続けた。

『ワレワレハキミタチガイウトコロノウチュウジンダワレワレハアルチョウサをモクテキニコレマデニイクドカコノホシヲオトズレテイル』

 今度は一単語ずつがすべて繋がったかのような流暢すぎる調子で言葉が紡がれた。あまりに早口すぎて聞き取りにくいと身振り手振りで意図を伝えると、ようやくちょうどよい早さで言葉が紡がれるようになった。

『ワレワレハ、キミタチガ、イウトコロノ、ウチュウジンダ。ワレワレハ、アルチョウサノ、タメニ、コノホシヲ、イクドカ、オトズレテイル』

 宇宙人だって。この世は本当に宇宙人が存在したんだ。NASAの野郎、今までひた隠しにしてきやがって。

 などという俗的な考えはせず、私は彼らに単刀直入になぜ私が君たちに取り囲まれているのかを尋ねた。

 ぐるりと取り囲んでいた者のひとりが、指が七本あるその手を掲げてひらひらと数回振ってみせた。すると、ぬらぬらとした水銀のような天井がぐにゃぐにゃと変質し私の目の前まで降りて来ると、その表面が鏡のようにピカピカになり私の姿を写し出した。

『オマエニハ、ワレワレノ、ジインヲ、トリイレタ。オマエナラ、リカイデキル』

 私の姿は人間ではなくなっていた。私の体は彼らと同じくエイリアンとETを組み合わせたような褐色の膚をした化け物に変貌していたのだ。

 思わず叫びそうになるのを堪えて、七本指があるその手で全身をべたべたと触って確認した。ざらざらしたようなゴツゴツしたような、亀の甲羅のような感触が手を伝わって脳に届く、その感覚すら感じとれた。電気信号が体を駆け巡る感覚を感じとっている。

 次いで、おそらく彼らと同じであろう爬虫類のような目で自分の体を視認する。指七本の足、鋭い爪、褐色の膚──。

 さらに、断続的に駆け巡る電気信号に意識をとられ、全身がむず痒いような気がした。こんな感覚は人間には無い。

 紛れもなく私は彼らと同一の存在になってしまっていた。だが、なぜかその事実はわりかしすんなり受け入れることができている。本来ならもっと取り乱してもいいはずのシチュエーションだ。そう、フィクションの中では、まず取り乱すはずなのだ。

『ヤハリ、オマエナラト、オモッテタ』

 ひとりがそう呟く。お前なら、という言葉の真意を訊ねると、そのひとりが説明してくれた。

『オマエハ、チキュウジンニ、シテハ、コ、ノ、キョウカイガ、ナイ。スナワチ、チキュウジンニ、シテハ、キワメテ、ゴウ……ゴウリテキナ、ハンダンリョクヲ、モッテイルノダ』

 地球人にしては極めて合理的な判断力。

 私はそれを聞いてはっとした。

 私はコスモポリタンであった。国や民族などに関係なく、何が善か、何が悪かといったことも引っくるめて、この世界のすべてを愛していた。誰よりも世界のことを愛しているのだという自負もあった。それをこの宇宙人たちは見きわめて、私を彼らと同じにしたというのだろうか。

 だとしたら、なぜ、という部分が判然としない。それに、彼らの言う調査とは何を対象にしていたというのか。

 それらすべてを彼らに聞くと、私は思わず目を見開いた。

 彼らは地球時間で数百年前から来訪しては地球人の生態を調査してきたのだという。それはひとえに地球人と星間協定を結んで、新しい世界を互いに拓こうという名目でのことらしい。にわかには信じがたい。しかし、信じなければならない理由はすでに充分用意されている。そして、地球人のことをいくら調査しても、どうしても理解しがたい行為が星間協定の締結を遅延させているようだ。

 その理由として対立による無意味な殺しあいがある。彼らにしてはそれはもっとも忌むべきことであるとしている。地球人もそのことは充分理解しているはずなのに、どうしてか殺しあいを止めることができていない、というのが理解できないようだ。そんなもの、生粋の地球人である私だって理解などできていない。

 加えて、彼らの星では惑星民全員が協定を結びたいとしているが、愚かな行為だとわかっていながら蛮行に及ぶ地球人と協定を結ぶのは怖いとして、消極的でもある。それも協定締結の足踏みを助長している一端でもあるようだ。

 要するに、彼らは協定締結をしたいと切に願ってはいるが、地球人の蛮行に賛同することになる事実は許されないということだ。

 そこで、地球人の中でもっとも合理的な判断を下せる人間に協定締結の手助けをしてもらおうと言う意見が出た。そうして選ばれたのが私だった。

 そして、地球人のその自他共に認める蛮行に終止符を打つ作戦を、地球人そのものに、つまり私に考えてもらいたいらしい。そうする理由は、同じ地球人が考えたアイデアなら誰も文句は言わないだろうということだ。彼ら自身は私の考えたアイデアを手助けするだけのようだ。

 なるほど。これはたしかに合理的な判断だ。地球人の蛮行に終止符を打て、さらに宇宙への門戸が解放される。こんなに素晴らしいことはない。

 しかし、具体的にはどうするべきだろうか。

『アセラズニ、ユックリ、カンガエロ。コレハ、ワレワレノ、モンダイデハ、ナイ。キミタチ、ジシンノ、ミライノ、モンダイダ。──ソレト、キミハ、モトノ、チキュウジンノ、スガタニ、モドレル』

 彼らのその声で、えっ、と思った私は、本当かと思いながら元の姿に戻れと念じてみた。すると、また全身がむず痒いような感覚に襲われて、次の瞬間にはもう元の私本来の姿に戻っていた。不思議な能力だ。

『ナニカ、オモイツイタラ、マタ、ヨルニ、ココニ、クルガ、イイ』

 私はその言葉に大きく頷くと、次の瞬間また強烈な光に視界を奪われた。眩しさに目を閉じる。

 真っ暗になったことに気づくと、そこはすでに私の車の中だった。車内ライトを点けてバックミラーで自分の姿を確認すると、ごく普通の普段の私が写っている。

 あれは夢だったのだろうかと思いつつも、念のためあの宇宙人の姿を思い出し、念じてみた。

 すると、例のむず痒い感覚が全身を駆け巡り、私の体はあの宇宙人と同じになっていた。あれは夢ではなかったということだ。

 私はもう一度人間の姿に戻ると、急いで自宅への帰路に車を走らせた。


 目を開けたら目の前に広がるのは私の家の寝室の天井。真っ白でくるくると回る室内循環器がある。私は目が覚めたのだ。

 思わず自分の体を眺めるが、いつもと変わりない人間のままの姿。そう何度も確認をとる必要はないか、と思い、宇宙人に変身するのはやめておいた。

 一度キッチンに行ってコップ一杯の水を飲み、再び寝室に戻りベッドに腰かける。そして思案した。

 正直言って古来より続いている対立を私ごときがどうにかできたら訳ないのだ。しかし、今回は地球人に友好的な宇宙人がバックに付いているから心強い。私のかなり特殊な職業も、ようやく意味をはらんできたと言えるのかもしれない。がぜんやる気が出てくるというものだ。

 朝起きた直後に考え事をするのが私の日課であったので、このままアイデアについても考えてしまおうと思う。しかも、今日はアラブのある国家とその中にいる少数民族のゲリラ部隊とのネゴシエーションがある。飛行機の時間までは考えていたい。

 私とて人間のことを知り尽くしているわけではない。むしろ、人間のことをより良く知っているのは彼ら宇宙人のほうだ。異人種と協定を結ぶために数百年も地球人のことを調査し続けるなんて、彼らがいったいどれほど長寿なのかは置いといて、数百年など人間が何世代入れ替わっていることだろう。私たちにとって無謀とも言える調査を、彼らは地球人と協定を結びたいというその一心で数百年間行ってきたのだ。

 彼らはおそらく外圧による強制的な協定締結を望まないはずだ。私たち人間が愚かさに自ら気づくことを望んでいるはずなのだ。ごく自然的にそうならなければ、宇宙人たちは協定締結に至ることはない。

 なんとなくだが、それは世界史に関する学術書を読んでいたときに感じていたことでもある。つまり、外圧による教化は結果的に泥舟程度の価値しかないということだ。一雨降れば脆くなるし、当然対岸に渡ることなどできはしない。まるで砂上の楼閣で甘んじた庇護を受けいれる国民が根付く腐敗した国のようだ。それはただの突貫工事でしかない。意味のない外部からの教化は、悲劇しか生み出さない。

 外圧による教化で、いつかボロが出ては意味がない。宇宙人たちが『キミタチ、ジシンノ、ミライノ、モンダイダ』と言っていた理由がそれだ。赤ん坊でもないかぎり、自分で気づかなければならないのだ。

 人類が誕生して何年経ったかは愚問だ。私たちはすでに赤ん坊ではない。

 私はベッドから立ち上がり、早めに出発の準備をした。明日のネゴシエーションが終わって自宅に戻ったら、その次の日の夜には彼らの所に行ってアイデアの内容を話したいと思う。


 そうして私は二日後の夜、つまり今現在、彼らの周りの取り囲まれながら作戦を話そうとしていた。

『ハナシテ、クレ』

 ひとりがそう言うのを皮切りに、私は考えていたアイデアについて話し始めた。

 アイデアの内容はこうだ。

 今現在、世界の国々ではほぼ必ずと言っていいほど対立関係にある国を個々に抱えている。それを逆手にとって、私は対立関係にある国の長をすべてトレードしようと考えた。つまり、国民はそのままでリーダーだけを取り替えるのだ。もちろんそのことは国民に伝えない。そして、君たちにはそのリーダーが逃げないように監視していてほしい。暴力は必要ない。ただそのリーダーが部屋を出ようとしたら、君たちの転移装置で元の位置に戻させる。ただし、部屋から出られないことと、作戦に支障を来たす行動以外で不自由をさせてはいけない。議院内閣制の国では、その国で対立の火種となっているもっとも有力な人をトレードさせる。もし対立している国がたくさんあったら、権力と対立を秤にかけて妥当な者をトレードさせる。そして、トレードした人物には自由に政治を行ってもらう。ただし、国民を虐げるために酷い政策をしたら、代わりにトレードした国側も国民を痛めつける政策をしてもらう。これを五年から十年かけておこなう。

 私は自分の説明に不備がないかを確認し、同時に理解できたかを訊ねてみた。すると彼らは『グモン、ダ』と言っていっきにバラバラになる。すぐに作戦に取りかかったようだ。

 彼らはまず自分の惑星から仲間をたくさん呼んできた。全世界で同時にトレードを開始するためだ。トレードは秘密裏に行い、国民に宇宙人の存在を悟られぬようにもする。宇宙人の存在を知られた時点ですべての人類に強烈な外圧が加わったと考えられ、人類は宇宙人のテクノロジーに畏怖するだろう。そうなれば当然侵略行為と見なされ協定どころの騒ぎではなくなってしまう。あくまで気づかせ自覚させるのが最大の目標だ。

 彼らが手際よく準備してくれたおかげで、一ヶ月ほどで作戦が可能になった。それまで私がしていたのは根回しだ。ネゴシエーションの場で、それらしいことを仄めかしておいたのだ。

 あとは私の一声で、全世界の国々の長は一斉にトレードされる。

 私の周りにはその一声を待つ多くの宇宙人がいた。

『……』

 彼らと頷きあい、私はその一声を出す。

「みんな、よろしく頼んだよ」

 彼らは途端にその場から消え去った。残されたのは私だけだ。あとは彼らが何とかしてくれる。

 今、世界を混乱の坩堝に陥れている人間は何を思っているのだろうか。


 ──アフリカ大陸、某国。

「うわ……わ……な、なんだお前らは!」

『ハナシヲ、キケ』


 ──中東、某ゲリラ部隊本部。

「くそっ、どこから入ってきた!」

『オマエタチ、ハ、トレイド、サレル』


 ──中央ユーラシア、某大国。

「うわああああああああああああああ!」

『アンシン、シロ』


 ──某宗教総本山。

「どこだ……ここは……」

『クルシイ、コトハ、ナニモ、ナイ』


 ──欧州、某国。

「敵対国だって? ふざけるな!」

『アトハ、スキナヨウニ、シロ』


 私は続々と帰ってきた彼らに労いの言葉をかける。

『スベテ、オマエノ、ヨテイ、ドオリダ』

 その後五時間ほど経って、ようやくほぼ全員が宇宙船に帰ってきた。残りの者は地球に残り、五年から十年を地球で過ごした後、自身の惑星に戻る予定だ。

「ありがとう。みんなのおかげでうまくいきそうだよ。さあ、行こう」

 私は彼らとある約束を交わしていた。それは人類よりひと足早く彼らの惑星に降り立つことだ。

 作戦結果は現在から百年後に出る。すぐには効果が現れないだろうし、世代に渡って蛮行の愚かさを自覚しなければ意味がないことも考慮に入れた上だ。百年経つまで私は彼らの惑星に居候するという約束を取りつけたというわけだ。彼らの遺伝子を取り込んだ今の体なら、百年は造作もないのだという。

 そして、宇宙船はゆっくりと上昇を始めた。

 一瞬で地球が砂粒のような大きさになった。


 私はそれから彼らの惑星で様々なことを学んだ。彼らの惑星はまるでファンタジーとサイエンスフィクションを融合した世界のようだった。

 地球の常識が通じない物理学。感じたことのない味覚が味わえる果実。見たこともない動物や植物たち。言語も文字ももちろん地球上のものとは似ても似つかない。そして、政治形態はニュースで報道された人物が投票によって選ばれて行う絶対君主制だ。理由は、「良いことをしたひとは絶対にニュース番組で報道されるから」だそうだ。悪い行いをしたひとは一票足りとも投票されることはない。

 彼らの惑星に着いてから、わからなかったこともだんだん理解できるようになった。しかし、そのころにはもう半世紀近く経っていた。時が経つのは早い。

 人が物事を修了するというのは、もはや一生かかってもできなくなった。

 以前読んだ経済学者の著書にそのようなことが書いてあった気がするが、まさにその通りだと思う。そう思うだけで、深くは、考えない。

 それからの半世紀も、私は彼らの惑星の文化を学び学問を学んだ。

 そして、来たる日が来た。盛大な出発式を経て最初に出会った者らとともに宇宙船に乗り込み、懐かしの故郷星である地球に飛び立った。

 一瞬で地球の姿が目の前に見えた。青く、美しい。くすんだ緑と茶色のコントラストが映える、これが私の故郷の地球なのだ。

 私は地表に降り立つまであとは何も見ないことにした。もっともっと地球や世界の美しさを激流のように受け止めたい。

『ツイタ。アケルゾ』

 操縦席のひとりがそう言った。私は立ち上がって扉の前に立った。

 扉がゆっくりと焦らすように開いた。

「……」

 感動ではなかった。ただ、言葉が出なかった。

 目の前に広がるのは荒廃した都市の様相。朽果てたり、瓦礫と化した建築物がところせましと敷き詰められている、その様相だった。

 私は仲間とともにしばらくその様子を呆然と見つめる。

 この様子ではおおよそここには人間などいないだろう。私はひとりに生体スキャナを起動させ、地球全体を調べた。だが、どこにも人間とおぼしき生体反応はみられない。どういうことだ。

 私は原因を突き止めるために荒廃した都市を探索し始めた。やがてひとつのアパートの中で、辛うじて文字が読める本のようなものを見つけた。

 そこにはこう書かれてあった。

『もし……私た……生物と呼べ……ら、こ……までに野……生……いない。……ついに……愚……気づかな……。私たち……試され……自身……。ああ、……た……なぜ、今まで……気づ……。……れ……後……』

 これは日記だろうか。かすかに読みとれる日付は今から六十年ほど前だ。

「……」

 私は静かにその日記を持ち帰った。

 宇宙船に戻ると、いつものように無表情な彼らの顔が並んでいる。

 私は作戦が失敗したことを彼らに告げた。すなわち、人類はついにその蛮行の愚かさに真に気づくことはなかった、と。

 それを聞いた彼らは、突然顔を歪ませて笑い始めた。

「え……」

 今まで無表情だった彼らが、突然こんなに笑い出すのはおかしかった。だが、私は人類が過ちに気づかなかったことに頭が一杯で、

「ひとが悲しんでいるのによく笑えるな」

 そう言って、笑っているひとりを殴り倒してしまった。

 途端に、ピタリと笑い声が止む。

『オマエ……ワカッテルト、オモッテタ、ノニ』

 はっ、としても、すでに遅かった。彼ら全員によって恐ろしい力で船外につまみ出されると、宇宙船は推進機を蒸かしさっさともとの惑星へと帰っていったのだ。

 しばらく何が何だかわからず呆然としていると、不意に、彼らがなぜ笑いだしたのかわかった。

 あれは彼らの悲しみの表現だったのだ。

 悲しみという感情が生まれないほど彼らの惑星は平和だった。家族や仲間が死んでも、それは理不尽な理由からでは決してなかった。生物としての尊厳のある死に方ばかりだった。遺族はみな、彼はこの世に満足したから逝ってしまったのだと、そう思っていた。だから、それを悲しむ者は決していなかったのだ。みな、満足していた。

 私は、結局は彼らそのものを知り得たことにはなっていなかった。悲しい時には大笑いするという彼らの生理現象までは把握しきれてはいなかったのだ。

 自分のことを国際人などと自負していたにもかかわらず、それさえ結局は地球杓子のちっぽけなものでしかなかったのである。

 人類が消え失せたこの惑星でどう生きようかを考えた。そして、また気づく。

 私は地球でのひとりぼっちの生き方などこれっぽっちも知っていない。彼らの惑星でのサバイバル術は頭の中に残ってはいたが、それはすべてが異なる地球では無意味だ。

「……」

 手元に残ったのは、人類の蛮行の歴史を嘆き記した日記だけだ。

 私は宇宙人の姿のまま不意に悲しくなった。しかし涙は流れず、ただただ虚空を見つめるばかりだった。




 終

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