君子和而不同、小人同而不和
日常のすべてはマジョリティに支配されている。徹底的に糾弾されるのはいつだってマイノリティたちのほうだ。つまり、弱者。
社会は人間の波に乗っている気がする。ちょっと社会現象に興味がある人間ならばそれはごく自然に身につけるであろう覚りだ。べつに特別なことじゃない。
俺はマイノリティな存在だ。淘汰され続ける不運な人間に育ってしまった。でも、マイノリティたちを不運だと決定づけてしまっているのもマジョリティなのだということは、彼ら自信は気づく余地もないらしい。なぜならマジョリティたちは本来の「人間の波に乗るべき社会」、の上に乗っかってサーフィンしているから。
図的に説明するなら配達用の蕎麦のような多重構造。上に、上に乗っかってサーフィンしているものほど下の揺れに左右されやすい。だからこそ、流されやすい。
その点マイノリティたちは多重構造が必然的に低くなり重心がとれやすいのだ。つまり、流されにくい。
ただ、マジョリティが動くと揺れが大きいがゆえに社会も大きく動くが、マイノリティは揺れが小さいゆえに社会の動きも小さい。マイノリティたちの唯一の弱点は、つまるところ社会への影響の低さなわけだ。
俺は明かりの乏しい卓上ライトが照らす紙の上に万年筆を置いた。母さんが俺が大学生になったときに買ってくれた大切な形見だ。
今現在、マイノリティたちはマジョリティたちに駆逐されようとしてる。新しい世界は新しい思想を生むように。
古典中国世界では、新しい支配者が生まれたとき、それまでの思想を説いた書物や人間を徹底的に糾弾し殲滅した──プロレタリア文化革命時も似たようなことが為された──らしい。それとまったく同じことが起きていると思っても差し支えない。
俺たちはマジョリティたちから逃れるように隠れながら生きている。きっと昔のマイノリティ中国人もびくびくしながら日々を生きていたに違いない。
マジョリティたちの支援する新思想は俺たち旧思想とは正反対だ。
例えば「社会こそ一個の生命。したがって皆一様に社会の存続のために生きるべきである」とか「人間の大多数の意思こそ社会全体の意思である。よって決定された社会の意思には従わなければならない」とか、マジョリティを最大限尊重する内容だ。
対してマイノリティの旧思想は「人間ひとりに意思ひとつ。それぞれ違って当たり前である。強制はあり得ない」とか「様々な思惑を聞き入れ、妥協点において決定されたことのみ社会の意思であると言える」とか、マイノリティを最大限尊重する内容だ。
俺は強制されることは嫌いだ。なにより、マジョリティたちの「社会存続のための人間というセル」という考えが気に入らない。しかも、結局マジョリティ側にいるということはイコール反対意見を持つことは許されないことと同義なのだ。もし反対しようものならマイノリティと認識され、殺される。
彼らは自分たちで互いの首を締める行為をしているに過ぎないのだ。少なくともマイノリティ側から見たらそう見える。
マジョリティたちはそんな窮屈な世界にマイノリティを引き入れるか、抵抗するなら殺そうとする。それがマジョリティで決定された社会の意思だからだ。
そして前述したとおり、彼らはそれを自分の意思で決定したことであると勘違いしており、それに気づく余地はない。多重構造の一番下に居座る連中がそう仕向けていることを知らないからだ。
彼らからしたらそれは心地よいことだろう。新思想教育は「社会のセルである自分」という存在意義こそ人間の快楽であるとも教えているらしいから。
マイノリティ側で言い換えるなら、新思想教育とは、心底に植えつけられた化学反応性の麻薬と大差ないということになる。言い方はかなり悪いが。
マジョリティは暴走しやすく、また今現在暴走中だ。昔はマジョリティの暴走を止めるためにマイノリティが存在していたとも聞かされたことがあるが、それももはや今は昔の話だ。
狂った人間たちは耳を貸すことはない。ただ自分の意思が社会と同じであるということに快感を感じる、何も考えず社会全体に奉仕する、糸に操られていることにも気づかない傀儡人形に過ぎない。
マイノリティはそんな一個人の存在すら尊重されない世界は真っ平ごめんだ。だからこそ俺たちは俺たちで一個人が尊重されるマイノリティになっているんだ。
もちろん「自分はマイノリティでなければならない」なんて無意識な暗示はいらない。意見が違えば喧嘩をするし、共感すれば肩を支え合う。マイノリティとはつまり、なにより一個人の感情や感受性を重視している。
たしかにそのせいで議論が行き詰まることもある。だけど、俺たちマイノリティはどんな意見の相違も必ず妥協点に行き着くということを知っている。これはマジョリティにはない考え方だ。
俺たちはマジョリティたちにもマイノリティであることを強制したりはしない。他人の意見に合わせることに息苦しさを感じたらマイノリティ側に来ればいいだけなんだ。それこそが俺たちの願いなんだから。
もしマイノリティがマジョリティに侵されそうになるときは俺たちも全力で抵抗する。俺たちの自由が決して奪われないように、全力で抵抗する。
終




