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雪解け水は青い

 家の中にいては絶対に感じることの出来ない感動を、たった今感じた。そう、私の右手に広がる景色から見えたのは、凍りついた氷柱だった。つまり、雪解け水は青い、という感動を。

 ふ、と思い立ったのは、「そうだ、一線を越えてみよう」ということだ。「一線」というのは厳密に言うと、県境とか国境とかいったものだ。今、私は青森から東京までの時間を新幹線に揺られている。三月とは言っても、北東北以北はいまだに冬と言っても通ずる。雪は四月まで残る。それが普通だ。

 私が最後に青森を出たのはたしか小学四年生のとき、沖縄旅行のためだった。飛行機で行ったから、当然見える景色は雲海と太陽ぐらいだ。地上が見えたのは着陸のときだけだった。

 今回は新幹線なので、今度見える景色は山ばかり。しかも、雪が残っていると言えどやはり多少は解けているもので、白銀の世界などという神秘的な言葉とは無縁な、日本の山らしい寂れた景色のみ。

『まもなく盛岡駅に到着です。お降りの方はお忘れ物のないよう、お願い致します』

 業務用にマニュアル化された無機質で気だるい台詞が耳に入り込む。続いて英語が滑り込んできたが、言ってることはそのままなのだろう。「まもなく盛岡駅に到着です。お降りの方はお忘れ物のないよう、お願い致します」私は小さく呟いた。

 盛岡は山に囲まれて寒い。らしい。たしかに雪がちらついている。盛岡の地を踏んだことのない。数分後にはその景色は流れていった。

 再び景色は山になった。変わり映えしない山の景色。早く脱け出したいものだ。また、あの青い氷柱があれば話は別だが。もう二度と見られないのではないか。「一線を超える」とは、諸行無常の響きなり。

 不意に景色が明るくなった。車内販売の濃縮還元アップルジュースを飲みながら上を見ると、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせている。にこり、というよりは、ギロリ、という雰囲気だ。私は居たたまれなくなりシェードを下ろした。

 私がシェードを下ろした途端、チッ、と舌打ちをして太陽が雲に隠れた。なんだ、と思いつつもシェードを元に戻した。

 そのあと濃縮還元アップルジュースを飲み終わると、唐突に睡魔が襲ってきた。

 睡眠薬でも盛られたかな、そうだったら面白いのにな。

 実際にはそんなわけはなく、無意識にため息を吐きつつ眠りに落ちた。




 目を開けたら目の前にあの氷柱が聳えていた。あれ、新幹線の中にいたのに、という疑問はさして湧くこともなく、ほお、と感心のため息を吐いた。息が白い。

 足下を見るとブーツのまま冷たい小川に浸かっている。ただでさえ冷え症なのに、追い討ちをかけるように冷水とは。優しさを感じない。

 けれど、その極めて冷徹な物事はどこかへ行ってしまう。私はもう一度、視線を足下から氷柱へと戻した。

 繊維のような絹ごし氷柱。近くで見たそれは、実際は少し白かった。極細の長い素麺を垂らして干したように見えなくもなく、それが面白い。

 周りはやはり山らしい山ばかり。ふたたび足元に視線を落とすと、そこら中に松ぼっくりが落ちていることに気づく。小川に浸かった一つを手に取る。水滴が垂れるのを見届けてから辺りを見渡す。

 ここはどこだろうか。氷柱を解け切るまで眺めていたい気分だが、そうもいかない。

 そういえば、私は新幹線の中で濃縮還元アップルジュースを飲んで、それから微睡みに心奪われた記憶がある。まさか、窓から投げ出されたわけではあるまい。目覚めたら立っていた、なんて、私は夢遊病者ではない。

 はて、としばらく考え込んで、もう一度氷柱を見上げて、ああなるほど、これはゆ──




『まもなく終点、東京駅に到着です。お降りの際はお忘れ物のないよう、お願い致します』

 車内アナウンスの声で目が覚めた。無機質な声は雑音のおかげでさらに無機質に聞こえる。目覚ましとしては不快すぎる。

 あれは夢だったのだ。おそらくは私の足が重度の冷え症で、あの氷柱をもう一度見たいなという願望からのものなのだろう。

 私はスーツケースを棚から下ろし、降りる準備をした。

「……?」

 不意にコートのポケットの中に違和感を覚えた。なんだろうと思って手を突っ込んでみた。

ざらざらとした手触りのそれは、松ぼっくりだった。

 いついれたんだろう、まさか、と思ったが、あり得ないことなので考えるのをやめた。

 私はここから一線を超えるために、一歩踏み出した。




 終

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