kill oneself in despair
揺り動かしているものは小さな小さな衝動です。意識する以前に意識されている衝動。それはただ私の生活のために、また今日を生きるための歯車でもあります。
それはこれから歩む道にも少なからず落ちているものです。奇跡、ミラクル、言い方はさまざまあると思いますが、私はただそこに石ころみたいに転がっているものを拾っただけの奇跡──。
あるいは私が見ているものがすべて嘘で、トゥルーマンショーのようにカラクリの屋内で躍り狂うピエロの人形だとしたら、こんなに空虚な空間で、私はピエロのように泣いているのではありませんか。
できるのならば殻を破って、その先のそのまた先の五鷺沢へ。私は五鷺沢へ行きたいのです。そういえば、クスリを打って頭がクルクルパーになったら五鷺沢へ行けると聞きました。
今どこかで子どもがまたひとり死にました。生きることはたしかに苦しみを感じるという点では苦しいですが、でも楽しさも嬉しさも同時に感じられる場合が多いです。死ぬ間際がいちばん嬉しいのか、笑っているんです。
何も考えずに何かできるわけがないなんて言わないでください。そう言いつつあなた、無意識に爪噛んだり指先触ったりしてませんか。無意識だからわかるわけないですね。すみません。
物理的な痛みは痛いもんだってほぼ万人が知りえて当たり前ですが、心の痛みはだれが最初に言い出したんですか。私は心は痛むものだと思ってないのでわかりません。
必ず起こりうることと絶対に起こりえないこと、そんなのだれがわかりますか。教えてください。
私が見てる世界はカラフルです。花は赤、シャツは白、なんだか知らずに心おどりますね。こんなにカラフルなのに何も感じないあなた、ひょっとして頭がおかしいのではありませんか。
お肉はおいしいです。でもそれより魚、それよりは野菜。でもやっぱりいちばん美味しいのは澄んだ空気だと思うのですが、あなたはどうです。
髪の毛が長くて、風でなびくと気分はもはやメデューサ。ゴルゴンの目は持ってないです。でも私の髪の毛を見ると、みんな私の方を見て固まるんです。ちょっとおもしろい。
ところで五鷺沢への道はこっちでいいですか。
自転車で坂道を降りながら目を瞑ってみると、なんだか空を飛んでいる気分。やってみてください。そのまま天国へ昇天しても私は知りません。ぜひそのときは五鷺沢へ行った感想もお聞かせください。
最後とはいつなのか、それはおそらく私の死によってなのか。終わりはいつか来るもので、さまざまな終わりをその一瞬一瞬に感じているにもかかわらず私はそれを知りません。
雨音をひとつひとつ数えていたらいつの間にか無料大数になっていました。でも無限も永遠も基本的にないのでそのまま数えていたら、雨があがって太陽が顔を覗かせました。無料大数回目の雨。さようなら。
情緒のなかに私は宿ります。だれかが孤独はその人の中にあるのではなく人々の間にあるって言っていましたが、それはつまり私はいないってことになりませんか。
この世にあるものはすべてあってしかるべきだと思うんです。殺人や強盗や戦争があってしかるべきだなんておかしいって。じゃあ私にとってあなたはあってしかるべきものではないので消えてください。ぽーん。
人間社会はアプリで地球はその情報を展開するスマートフォンです。人間はアプリを動かす諸プログラム。不本意ながら五鷺沢は人間社会をも取り込んでいます。私の目的地はそこではありません。
スケートよろしく上滑りだと思いませんか。何もかもが上滑りで水は凍って氷なのに、そんなことも知らずにこの下に水はあるとか、地の底があるとか、ばかみたい。
見えたら見えたでそこにありますか。もしかしたら健常者が異常で、でも数が多すぎるから正常と見なされているだけだとか。私は世間一般でいう健常者ですが、とりあえず五鷺沢へ行きたいと思っています。
言葉は私の中のどこから生まれるのか、私はそのことを知らずに日々を生きていましたが最近は気になって夜も眠れません。だって知らないまま、もう何千年か経ってるんです。
ゴミ箱はゴミを入れる箱だからゴミ箱なんですか。それともゴミを入れてるからゴミ箱なんですか。たとえばこんな些細なことで争いは日々起きてます。でもそれは気にしたら負け。
私はただの観測者。たとえ私が死んでも、まただれかの人生を歩む。知らない土地で、知らない親を持って、知らない言葉を話して。またゼロから歩んで消えていく。
あ、五鷺沢につきましたか。
私の名前ですか。
いいですよ。
教えてあげます。
五鷺沢に向かって流れたから、五鷺沢流です。
では、また流れるときまでさようなら。
終
「だれですか。これ書いたの」
「まぎれもない君だ」
「うそだあ……。それよりも、私こんな気持ち悪い性格してませんよ。救いようのない馬鹿ですし」
「うそじゃない。あと、君は馬鹿だ。単位ぎりぎりだぞ」
「こいつ……どういうことか説明を」
「君の心の奥底には〝自然〟が住み着いている。決して剥がれない。この散文は君の〝自然〟が書いたもので、君自身の意思とは関係ない」
「じゃあ私がここにこうしている意味は」
「〝自然〟と共存するための手ほどきとしてのセミナーをだな」
「ふざけるのは授業のときだけにしてもらえませんか」
「ふざけてない。授業のときもな。〈自然〉が表に出てくると、端から見たら精神が尋常でない人と見られるぞ」
「うーん……。それは困りますね」
「だからセミナーをだな」
「めんどくさいので帰ります。さようなら」
「なに、待て」
「まだなにか」
「五鷺沢流という名前を自ら語るなんて今までならありえない。だから、本当は研究したいんだ」
「具体的には、なにを、どうやって」
「人為的に〈自然〉を表面化するために薬品投与とか電気ショックとか精神攻撃とか……」
「はあ? 教授の趣味ですよねそれ。冗談じゃないですよ。本当に帰りますから」
「くっ、仕方ない……。だが君は本当に素晴らしい逸材だよ」
「そうですか。まあ私はこの散文どおり五鷺沢流ですから、そう簡単には捕まらないと思います」
「え」
「さようなら」
終




