言葉はない
君は昆虫の良さを語ることができるか。
ベンチに腰かけて煙草を吹かしながら通りを行き交う車の群れを眺めていると、どこからともなくそんな質問が俺の頭を通りすぎていった。何気なく右を見ると、そこには無精髭を生やしたホームレスみたいな冴えねえおっさん。
「だれ」
気だるくそう問う。
君は鳥の良さを語ることができるか。
俺の問いを無視した上に質問が変わったことに少しばかり腹立たしさが込み上げてくる。こんな奴構ってられるか、とベンチから立ち上がり足早にそこから去ろうとするが、それはおっさんが俺の腕を掴むことで阻まれた。
そして奴は、君は自分の良さを語ることができるか、と訊いてきた。
「はあ、知らん、離せ」とやる気の無い抗議をするも、おっさんはがっちりと俺の腕を掴んで離さない。いやそうではなく、俺はこのおっさんの手を振り払えなくなっていると気づいた。こんな年老いたおっさんの力でまだ若い俺の力が劣る訳がない。
質問を変える。君は昆虫をどのように見ている。
「はあ」
昆虫の見方なんて生まれてこの方考えたことのない俺に、いきなりそんな質問をされて咄嗟に答えるのは無理な話だ。だから俺は自分でもとんちんかんな答えを用意した。
「気持ち悪いとは思う」
違う。そういう意味じゃない。
やはり俺の答えは一蹴される。
そういう話じゃない。昆虫や鳥というものをどうやって知覚や感覚上体系的に論理付ける、ということを訊いている。
「はあ」
そんなもの分かるわけがない。それに、このおっさんの言っている意味が俺には理解できない。ただ、誤解してもいいくらいに解釈していいならおそらくそれは、昆虫や鳥を感覚的に定義できるか、ってとこだろう。しかし、そう解釈してもわからないものはわからない。だから俺は素直にこう言った。
「そんなものが説明できたら今ごろ警察はいらねえよ」
おっさんは暫しのあいだ沈黙する。そして、こう謂う。
なるほど。原始的だ。しかし、わかりやすい解答でもある。どうもありがとう。
謂ったあと、おっさんはぱっと俺の腕を離してくれた。痛くもなく痒くもなく跡も残らず次の瞬間にはおっさんが手を触れていた感覚は消え去っていく。
時間をとらせてすまない。失礼する。
そう謂ってホームレスみたいなおっさんは向こうへ行き、向こうのベンチに座ってる女に話しかけ始めた。
俺は、なんだあいつ頭大丈夫か、と思いつつ煙草を吹かしながらその場をあとにした。
終




