三話 エスレディアの後継者
メルフェニカの城に着いたのは、その日の夜だった。
城の入り口に立っていた兵士に紋章がある手紙を見せると、兵士の一人は城に向かって慌てた様子で走り出し、もう一人の兵士はおどおどしながらフィールの通行を許可した。
やはり紋章入りの手紙というのは、効力があるらしい。
貴族でもなければ宮廷仕えの魔法使いでもない男が、ありえない時間帯に城に入ることを許されるという珍事に、侍女や侍従といった者たちは不思議そうにフィールを見ていた。
アレは誰だ。
王子の知人か。
それとも姫様のご機嫌取りにきた、どこかの貴族か。
三番目は辺りだな、とフィールは薄く笑う。
そこに、見慣れた女性が、やや緊張した面持ちでやってきた。
「あなたが、あのフィール・エスレディア?」
「あぁ」
出迎えたのはミレアナだった。ラスのことで心労が溜まったのだろうか。少しだけ元気が無いように見える。無理に凛々しく振舞っているのを、隠しきれていない。
「……ボクに強がりなんて必要ないよ」
ファリの声でつぶやくと、その目が大きく見開かれた。
里を出たニルヴェルヘーナは、それが恋人や伴侶と呼ばれる相手でも、決して真実の姿を晒さない。幻術を使い、常に本当の姿を秘す。それもまた、彼らの掟のようなものだった。
言葉が出ないミレアナを無視し、フィールは勝手に城の奥へ進む。
謁見の間に来ると、先に走った兵士から知らせを受けたのか、国王夫妻が待っていた。傍らには五人の王子。どうやらラス以外の主要王族が全員揃っているらしい。
「……お前が、フィール・エスレディアか」
「はい」
ファリとして何度か顔をあわせた国王は、その目を細めて微笑んでいる。遠い日にいなくなった友人の息子との再会が、よほどうれしいのだろうか。
「師に手紙を送ったと聞いて、参上しました」
「あぁ。まさか魔法師に拾われていたとは」
「あれは……わたくしの魔法式の、暴走が原因でしたから。師のおかげで、もうあんな悲劇を起こしはしないと誓うことが出来ます。自分は死んだものと思い、修行してきましたから」
「それはもう聞いている。……さぞ、辛かったであろう」
「……いえ。それよりわたくしは、ぜひ父の跡を継ぎたいと思っています。今までは己のしでかしたことが恐ろしくて逃げていたのですが、いい加減、逃げるのも終わりにしようかと」
爵位のことを話すと、なぜか王子たちが表情を曇らせる。
まさか、今更あれはナシになった、とか言い出すというのか。
「すまないが、今はそれどころではないんだ……ラスが、行方不明になって」
第二王子がため息混じりに告げる言葉に、フィールは我が耳を疑った。
彼は今、何と言った。
この国の第一王女で彼らの妹のラスが、城にいるはずの彼女が。
「行方不明? ラスが? 城にいるんじゃなかったの?」
「あ、あぁ」
いきなり口調の変わったフィールに、近くに立っていたミレアナが表情を変える。長年使ってきたファリという名前の仮面は、フィールよりもずっと強く、色が濃い。
とっさに出てくるのは、どうしてもファリの方だった。
「どこの? 誰に? っていうか何でこんなところで突っ立ってるんだよ。助けに行く話とかはないわけ? もし何かあったら、ラスは自分で命を絶ちかねないことぐらいわかるだろ!」
「だが……宮廷魔法師や魔女を、うかつに動かすわけには」
「父上、だからあの魔女を追い出すなと私は言ったのです。あれなら、こういう場合に自由に動かせるのだと。第一、ラスを手篭めにしようとした男になど、どうして嫁に出せましょう」
目の前で始まる家族会。
……という名の、犯人にとって都合のいい時間稼ぎ。
しばらくは静かに聞いていた、見守っていたフィールだが、結局はこれという結論が出そうに無いということに気づくと、目を閉じて意識を集中させ始めた。
普段は無意識でかけっぱなしで、切る、ということをしない魔法式。
里に戻るので一度切ったそれをもう一度、無意識の中で紡いで展開していく。
だが、あまりにも外野がうるさかった。
解決策が出るなら多少の騒がしさもガマンできるが、意味の無いやかましさは論外だ。
「……あぁもう、うるさい。お前らちょっと黙れ」
頭をガリガリをかき、フィール……いや、ファリは吐き捨てた。
「犯人はわかってるの?」
「えぇ。例の貴族と敵対関係にある侯爵で」
どうやら、この場で役に立つのはミレアナだけらしい。
彼女からその貴族の名前、領地の場所などを聞き出して頭の中にメモする。
「じゃあちょっと行ってくる。跡形も無く半殺しにしても、いいんだよね?」
「……えぇ」
よろしいですよね、とミレアナは王に問う。しばらく迷って、国王はやむをえないならばと付け足しつつ、ファリの提案を許可した。何だかんだで、誘拐犯への怒りもあるらしい。
「じゃあ、戻るまでにボクの爵位のことと――」
王族に背を向けて、ファリは歩き出した。
そして謁見の間を出る直前に、唖然とする王族方を振り返って。
「二度も助けるんだから、ボクがラスを娶っていいよね」
一瞬でその姿を変え、笑みを残して消えた。
数秒の時が流れ――謁見の間は、疑問と絶叫に満ちた空間へと変貌するのだが。
すでに城を飛び出し、ラスの元に向かっている彼は、知りもしなかった。