二話 お世話係
ニルヴェルヘーナ。
それは、魔法使いの世界において、もっとも異端で恐れられる一門だ。昔、ある少女を崇拝する者達が集まって、彼女が死んだ今もなおその面影を追い求め続ける集団である。
破壊のみを求め続け、時には近親間での『交配』すら行う。
まさに、狂っているとしかいいようの無い集団。
しかし彼らの狂気の象徴は、もう一つの特徴にある。
破壊を求めた一門だが、彼らは同時に世界でも並ぶもののいない幻術系の魔法式の使い手の宝庫でもあった。時に世界すらも騙すとされ、見た目だけではなく感触さえも変化できる。
その象徴が、里を出た一門の『魔女』だ。
皆が一門の神のような存在である魔女ファリ・ニルヴェルヘーナの名を名乗り、生前の彼女の姿を幻術で模す。白い髪に赤い瞳、そして黒いドレス、日傘。それが白銀の魔女の姿。
かくしてそのファリも、里から出ることを許された――いうならば、実力を認められた『魔女』の一人。ファリを名乗ることを認められた、何番目かのファリである魔法使い。
里に残る師曰く、世界には十数人のファリがいる、という話だ。
しかし、たとえ何十人いようと、三桁に上ろうとも。
「ファリ、おはよう」
一国の姫君の添い寝を命ぜられ、なおかつその姫に起こされるファリは一人だ。
何でこうなったのか、本人にも分からない。
あえて言うなら、綺麗な箱に詰めた綺麗な土に植え、綺麗な水と清らかな日光だけを注がれて育てられた、この筋金入りの箱入りお姫様がもつ、どうにも逆らいがたい雰囲気のせい。
彼女に『だめですか?』などと、涙目で言われてオチない者はいない。
「おはよ、ラス」
名前で呼んで、ファリは自分の傍にちょこんと座っているラスの頭を撫でた。
一応、例の宮廷魔女――ミレアナ・シェルシュタインには、名前ではなく姫様と呼ぶように言われたが、当の姫本人はそれを拒否。雇い主に従順なファリは、その意思に従っている。
一応は雇われている身だ。給料だって出してもらえる。
それにニルヴェルヘーナの、唯一といっていい掟もあった。
――裏切りは許さない。
かつて、裏切られて絶望に身を浸した《一番目》を思い、作られた掟。ファリを名乗る名乗らないを問わず、一門に属する限り、決して裏切ってはいけない。
それは大体、助力を乞う依頼主に対するものだ。
こちらも裏切らないし、向こうも裏切らないという契約。
ある種、傭兵のような生業ゆえ、信用こそが何にも勝る武器だった。ゆえに、ここにいるファリも――多少仕事を選り好みするものの、一度仕事を請け負えば決して裏切りはしない。
選り好みといっても、そう面倒なことではない。
人命を脅かすような仕事はしない、たったそれだけのこと。
どんな金を詰まれても、ファリは人を殺そうとも思わないし、殺したくもないし、その手伝いすらしたくない。他のファリが何でもやるのと比べると、実に大人しいファリだった。
だから、なのだろうか。
この幼さが残る王女に気に入られ、懐かれてしまったのは。
「あのね、もうすぐご飯だって」
「そう」
大体同じくらいの背格好の二人が寝転がっても、まだ余る大きなベッド。起き上がったファリは適当に長い髪をまとめる。侍女は食事の準備をしているらしく、隣から物音がした。
自分の身支度を適当に整えると、次はラスだ。
ドレッサーの前に座った彼女の後ろに立ち、くしを使ってその長い髪を整える。少し癖のついているファリと違って、彼女の髪はまっすぐだった。うらやましいぐらい。
「ラスの髪は綺麗だね」
「えへへ、ありがと」
「今日は……特にまとめなくてもいいかな。あとでいろいろやるし」
「んー、そうだね。じゃあお願い」
自分の髪で慣れているので、てきぱきと作業を進める。それにラスの髪は彼女の心を映したかのように素直で、本職の美容師なんかに触らせたら泣いて喜ぶかもしれない。
さっとくしを通すだけにし、身支度は終わった。
直後、扉がノックされ、食事ができるようになったと告げられる。
ラスはよっぽどおなかがすいていたのか、勢いよく立ち上がってファリの手を引いた。
「あんまり食べ過ぎないようにね、ラス」
「えー?」
「今日はパーティがあるじゃないか。そこでいろいろ食べることになるよ。普段は食べられないような異国の料理だって並ぶ。それに食べ過ぎると……」
言いながら、ラスのおなかをするりと撫でた。
「コルセットつける時、地獄を見るよ?」
「う……」
何度も地獄を見ているのか、言葉を失うラス。
ころころと変わる表情、わかりやすい反応。
そのすべてが、ファリにとっては興味を引いた。まるで足に鎖と錘をつけられ、湖に投げ込まれるがごとく何かに引きずり込まれていく。深入りしたくないのに、後ろを振り返れない。
ずっとここにいたい、という言葉を飲み込んで。
ファリは、仮面のような笑顔を浮かべ、朝食の席に向かった。




