その3「子供好きの大量殺戮者(ジェノサイダー)」
それにしても奇妙である。
俺は確か、償いの旅をしている途中で、この村に立ち寄ったのは、俺が何かの役に立てないか、と思ったからで……まあ、特に何もなければ、ここは素通りするつもりであった。
それなのに――今のこの状況。確かに、役に立ってないというわけではないのだろうが、なんとなく、俺が望んでいた形とは違っているような気がする。
そう。俺はこういうのを望んでいたわけではないのだ。
――え? 何をやっているのかって?
まあ、色々と言い様はあるのだが、端的に述べるとこういうことだ。
「ヴェスタのおじちゃーん! こっち来てよーっ!!」
「お、おじちゃんではないぞ……」
子守り、である。
~子供好きの大量殺戮者~
「なんか違うと思わんか、ミュウ」
「なにがですか?」
いかん。前回とほとんど同じ出だしだ。
が。幸い(?)状況は著しく違っている。
「だから、だな……」
と、説明しかけた俺の言葉は、
ぐにっ!
横からの突然の攻撃によって遮られる。
「きゃははははっ! おじちゃん、変な顔ーっ!」
「それは君が俺の顔を歪めているからだぞ、お嬢ちゃん」
ぐいっ、ぐいっ!!
「どうどうっ! はいやぁーっ!!」
「坊や。俺の髪は手綱ではないよ」
ついでに木の枝で尻を叩くのもやめてくれんか。
「おじちゃん、おじちゃん! 私とも遊んでよーっ!!」
「……だから、おじちゃんではないと言うに……」
これではクールでニヒルな俺の印象が台無し。ついでにせっかく今朝、時間をかけて整えた髪も、俺のビューティフルなブラックの装束も台無しだ。
(な、何故、俺がこのようなことを……)
ついでに、子供が相手では俺の高度で超ワンダフルな冗談も全く通じないし、完全に主導権を取られっぱなしであった。
――これではおそらくミュウも、俺のことを呆れて見ているであろう。
と、同じように子守りをさせられているミュウの方を見ると、
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。そこ、違うよー!」
「?」
「そこは、そうじゃなくて、こうやって……」
「こうですか?」
「……」
そこには……子供たち(主に女の子)に囲まれて、花の冠を作っているミュウの姿があった。
それを見て、俺は愕然とする。
(……な……なんなのだ、この差はぁぁぁぁぁ!?)
しかもミュウはいつもながらの表情で、別に子供たちに愛想を振りまいているわけでもないのだが、絶大なる人気を得ているらしい。見たところ、髪を引っ張られていることもないし、何か悪戯されるような気配もない。
(しかも、俺は“おじちゃん”なのに、あいつは“お姉ちゃん”なのか……)
そりゃあ、ミュウの外見を見て“おばちゃん”だなんて言う奴は、彼女の実の甥か姪だけであろうが、それにしても、この差はあんまりといえばあんまりであろう。
(微笑ましいといえば微笑ましいのだが……)
心なしか……俺の単なる希望的観測かもしれないが、ミュウも少しだけ楽しんでいるように見える。もしそうだとすれば、それは俺としても、非常に喜ばしいのだ……が。
「おじちゃーん! おじちゃーん!」
(こ……このやり場のない怒りは……)
「おじちゃん、もっと速く走れよー!」
(どこへぶつければいいのだ……)
「きゃはははは! おじちゃん、ブタ、ブターっ!!」
「……ブタでもおじちゃんでもないぞ~」
と言いつつ、笑顔でこんなことを続けている俺は、ひょっとすると、とんでもない子供好きなのかもしれない。
(だが、所詮俺はブタ……)
これではせっかくの笑顔も報われまい。
と、そこへ、
「御主人様?」
「ん?」
子供を背に乗せて四つ足でズリズリと走り回っていた俺は、目の前までやってきたミュウに気付いて足を止める。
彼女はさっきまで花の冠とやらを作っていたはずだが……もう終わったのだろうか。
(丁度良い……そろそろ助けてもらわねば、身がもたぬ……)
俺はそう思い、四つん這いの体勢のままゆっくりと彼女を見上げ、
「おお、丁度良いところに――」
そう口にすると同時だった。
ぽふっ☆
「……ん?」
彼女の手にしていた何かが、ゆっくりと俺の頭の上に乗せられる。と同時に、微かな心地よい香りが周りに溢れ出した。
(これは……)
それが、先ほど彼女が作っていた花の冠だということに気付くまで、それほど時間はかからなかった。
(花の冠……か)
「お似合いです、御主人様」
そう言って、ミュウは……微笑みこそしなかったが、なんとなく、にこやかな雰囲気を漂わせている――ように思えた。
……勘違いだろうか?
勘違いではないと思いたい。
(ミュウ……)
と、俺は少し感動にも似た気持ちを覚えていたのだが、
「……御主人様? お気に召しませんでしたか?」
黙って見上げる俺に、ミュウは少しだけ表情を堅くすると、その一瞬の無言が肯定だと思ったのか、
「申し訳ありません」
そう言って、俺の頭の上の冠に手を伸ばす。
「あ、あー、ちょっと待つのだ」
と、俺はミュウの手を制止する。
彼女の作った冠は、子供たちが作ったそれよりもボロボロで不格好ではあったが、気に入らないなんてことは、天地神明に誓って有り得ない。
だから、こちらを見つめるミュウに向かって、俺は笑顔を浮かべ、
「気に入った。ありがとう」
「は……はい」
俺の返答に、ミュウは少し驚いた顔をして――
(お……)
そして、今度こそ、少しだけ微笑んだのである。
(やっぱ、笑えない……ってわけではないのだな……)
それを再確認して、俺はますます嬉しかった。
「おじちゃーんっ! 止まっちゃダメだってばーっ!!」
「おじちゃん、ブターっ」
相変わらず、背中に乗っている子供や、追いついてきた少女が俺の顔を変形させたりなんだりしてはいたし、
「あ……いえ、御主人様が私ごときに礼などおっしゃる必要はありません」
ミュウもすぐさま、思い出したようにいつもの態度を復活させてしまったが、
(……ま、良しとするか……)
なんとなく、何もかもを許せる気分で、俺はその日の“お勤め”を終えることが出来たのであった。
「ごめんねー、ヴェスタさん。子守りなんかさせちゃって」
と、その日、夕食を終えた席で突然、リタが謝ってきた。
ちなみに、ここに滞在している一週間の間、俺たちはずっとこの家に世話になっているのだが、
「うむ。まあ、タダで世話になっているのだ。このぐらいは仕方あるまい」
俺は食後に出された牛乳を飲み干し、そう答えると、
「しかし、リタも大変だな。あれだけの子供を産んで養うとは――」
「私の子供じゃないわよ!!」
速攻で突っ込みが入る。
「おぅ……そうであったか」
てっきり、あそこにいた総勢十人ほどの子供は、全員彼女の子供だと思っていた。
「違ったんですか?」
と、ミュウも怪訝そうに言う。
そりゃそうだ。彼女に言われて世話をしていたのだから、彼女の子供だと思うのは至って正常な反応であろう。
……そうだろう?
「ミュウちゃんまで……」
俺の言葉はどう受け止めたか知らないが、ミュウの方は百パーセント本気だということに気付いたのだろう。リタは、ふうっ……と、大きなため息をついて、
「あのね。私は子供なんていないし、まして結婚もしていないわ。見たらわかるでしょう?」
「とすると、あれはリタの――」
「言っとくけど、弟でも妹でもないわよ」
先を越されてしまった。
「ふーむ、それはそうと……」
俺はキョロキョロと辺りを見回して、
「母上はどこへ行ったのだ?」
今朝の朝食の席で見掛けてから一度も会っていない。まあ、昼食は弁当で、ほとんどを外で過ごしていたから、会っていなくてもそれほど不思議ではないのだが……それでも、この時間にリタの母親がいないのは初めてであった。
「ああ、母さん? 母さんなら村の会合よ」
「会合?」
と、俺が聞き返すと、ミュウが横から、
「御主人様、会合というのは、相談、討議などのために人が集まることです」
すぐさまフォローが入る。
……というか、別に意味がわからなかったわけではないのだが――まあ、いいか。
と、リタはそんな俺の気持ちに気付いたのか、クスクスと笑い声を漏らすと、
「ほんと……あなたたちって奇妙な組み合わせよね」
「む……? そうか?」
確かに、普通でない自覚はあるのだが、そんなに奇妙奇天烈に映っているのだろうか。少なくとも俺自身は、ちょっとクールでニヒル、納豆嫌いで子供好きな、単なる善良一般市民のつもりなのだが。
「そうよ。でも、いいコンビだと思うわ」
リタが笑いながら答える。
「いいえ」
と、そんなリタの言葉に、ミュウが夕食を食べる手を急に止めて、
「コンビという言葉は同列の方に対して使用される言葉ですので、御主人様に対して失礼です。私は御主人様の――」
「!?」
ヤバイ。このパターンはすでに経験済みだ。
(のおおおおっ! 待てっ!!)
俺は手にしていたスプーンをカシャン! と、放り投げ、慌ててミュウの口を塞ごうとする。
……が、
「御主人様の従者ですので」
ピタッ。
俺はミュウの口元に手を伸ばした格好で止まった。
(……ほっ)
どうやら喜ばしいことに、ミュウには学習能力があるらしい(当たり前か)。
……というか、遊ばれてるようにも思えるのは気のせいか?
「御主人様?」
不自然な格好で停止した俺を、ミュウが怪訝そうな顔で見上げてくる。
「ヴェスタさん。そんなに焦らなくてもいいわよ」
と、そんな様子を見ていたリタが、おかしそうにしながら、
「なんかミュウちゃんが自分のこと、ヴェスタさんの奴隷だとか言ってるのは、何回も聞いてるから」
「なっ、なにぃぃぃぃっ!!!?」
ずざざざざざっ!!! ←椅子ごと後ろに下がる音
ごんっ!! ←勢い余って壁に頭を打ちつけた音
「~~~~~~~~~っ!!!!」
「ちょっ、ちょっと、ヴェスタさん……大丈夫?」
リタがちょっと心配そうな顔をするが、今の俺はそれどころではない。後頭部を片手で押さえつつ、目に少し涙を浮かべながら、ぶん、ぶん、と手を左右に振って、
「まっ、待て、俺は無実だっ! そりゃあ、目が覚めたら可愛い女の子が目の前にいたらいいな、などとは思ったが、それとこれとは全く別の問題ではないかっ!!」
「あ、あのね……私はまだ何も言ってな――」
「やっ、やめるのだっ!! そんな犯罪者を見るような目で俺を見ないでくれぇぇぇぇぇっ!!」
「……」
そんな俺の姿を、リタは少し呆れたような顔で見ながら、
「……ヴェスタさんっていつもこう?」
そう言って、ミュウの方を伺う。
「はい」
ミュウは頷いて、
「二十五日ほど前からこうです」
「に、二十五日って……それまた随分、具体的ね」
「はい。それは――」
そう言って、ミュウがリタに俺の記憶喪失のことを説明する。
そして、その頃には、
「だいたい、普段の態度見てれば、ヴェスタさんがミュウちゃんのことをどういう風に扱ってるかぐらい、簡単に想像つくわよ。……少なくとも、“奴隷”だなんて扱いを受けていないことぐらいね」
という、リタの言葉もあって、俺はなんとか落ち着きを取り戻していた。……どうやら、彼女の言葉からすると、俺は牢獄に入らずに済みそうである。
「それにしても、記憶喪失ねえ……」
ちなみに……当然だが、ミュウがそれを彼女に説明する前には、ちゃんと俺の許可を求めてきた。隠す必要も特になかったので、もちろん許可したのだが。
「ヴェスタさんも大変なのね、色々と」
「大変なのか?」
「他人事みたいに言わないでよ」
「うむ……そう言われても困るな」
正直、記憶喪失なことについては、あまり大変だとは思っていない。問題は、記憶喪失以前の俺がやってきたことであって、記憶喪失になったこと自体は特に……というか、以前の俺がとんでもない悪人だったということを考えると、記憶を失ったことは逆に歓迎だったといえるであろう。
「でも、ミュウちゃんの言葉からすると、大分、性格が変わったみたいだけど?」
と、すでに食事を終えたリタは(俺たちも終わっていたのであるが)、テーブル上の食器をとりあえず重ねつつ、
「以前のヴェスタさんって、どんな人だったのかしらね」
「……」
「それは――」
と、ミュウが再び俺の方を見た。許可を求めている……のかと思いきや、
「私の口からはお話できません」
俺の返答を待たずして、彼女の口から飛び出したのは拒否の言葉だった。
「……え? どうして?」
と、リタが不思議そうな顔をする。
(……気を遣っているのだろうか)
俺は驚きとともにミュウを見る。
彼女がそこまで考えているのかどうかはわからないが、気軽に話してはいけないことだというのは理解しているようであった。
「どうして?」
と、今度はリタが俺の方を見る。
それは単なる好奇心から来る質問であったのだろうが、
「……」
俺としても、以前のことについて詳細に話す気にはなれなかった。それを話してしまえば……いくら、今の俺が以前とは別人だと言ったところで、彼女は俺のことを許しはしないだろう。
「すまないが、詳しい話はできない」
そこで、俺は少し真剣な顔になると、
「ただ、一つだけ言えるのは……俺が旅をしている理由は、以前の自分の罪を償うため……ということぐらいだ」
とだけ言った。
もちろん、そんなこと自体、本当は口にするべきではないのだろうが……このリタという少女には色々と世話になっているし、それぐらいのことは言ってもバチは当たらないだろうと思ったのである。
そんな俺の表情から、リタも何かを読みとったのだろう。
「……そっか。わかった、もう聞かない」
それ以上、そのことについて追求しようとはしなかった。そして、すぐに陽気な口調に戻ると、
「ま、大事なのは今だしね。少なくとも、今のヴェスタさんは悪い人じゃないわ、絶対」
「一日一善がモットーであるからな」
いや、本当に。善人であるということに関してならば、多少、自信アリである。
そんな俺の言葉にリタは笑って、
「いや、でもさ、正直なところ、どうなの?」
と、ミュウの方を見る。
「ミュウちゃんはずっと前からヴェスタさんと一緒にいるのよね?」
「はい」
ミュウが頷くと、リタは興味津々の表情で、
「じゃあさ、じゃあさ。今のヴェスタさんと以前のヴェスタさんって、どっちがカッコ良かった?」
(ぐはぁ……)
なんという質問を。
確かに、以前の俺の性格自体に触れる質問ではないが、これはこれで酷な質問ではある。
“え~、そりゃあ前の御主人様に決まってるじゃん♪”
とか、音符記号付きで言われたら、俺はショックで半年は立ち直れないであろう。……音符が付いてなかったら五ヶ月半ぐらいで済むかもしれないが。
(……あまり変わらんな)
が、幸い(当然?)ミュウがそんな返答をすることはなく、
「私ごときが御主人様のことを評するなど、許されることではありませんから」
相変わらずの言葉でそう返しただけであった。
(……ミュウならば、当然、そう答えるだろうな)
少しだけ、“今の方がいい”なんて答えも心のどこかで期待していたのであるが、まあ、これは仕方のないことであろう。
「……なんだ。ミュウちゃん、相変わらず生真面目ね~」
と、リタ。
ミュウのことを“生真面目”という単純な言葉で括っていいのかどうかは、ちょっとだけ疑問であるが。
(生真面目というよりは――)
と思ったが、的確な言葉が思い浮かばない。
(……やっぱ、生真面目でいいのか?)
それとはどこか違うと思うのだが。
などと、俺が自分の語彙不足を勝手に悩んでいると、
「でも……」
一瞬の間を置いて、ミュウが今度は自分から口を開いた。
「?」
俺とリタがもう一度注目すると、ミュウは俺の方に真っ直ぐな視線を向けて、
「御主人様はお花を受け取ってくださいました」
「……」
「花?」
リタは不思議そうにそう言って……ふと、近くの棚に置いてある花の冠に目を止めた。もちろん、いくらなんでもずっとかぶっておくわけにもいかないので、先ほど、そこに置いといたのである。
「……なるほど」
そして、リタは納得したように頷くと、ニコッと笑顔を浮かべて、俺の方を見ると、
「良かったわね、ヴェスタさん。少なくとも、悪くなったとは思われてないみたいで」
「……そ、そうなのか?」
と、俺はちょっと半信半疑にリタを見る。
もしもそれが本当だとするなら……ちょっと嬉しい。それはつまり、今の俺の教育方針(?)が嫌がられていない、ということであるからして――。
「ヴェスタさん……なんか、幸せそうね」
「……お?」
気が付くと、リタがテーブルに肘を付いて、微笑ましそうにこっちを見つめていた。
「そんな風に見えるのか?」
「それ以外には見えないわよ?」
「むぅ」
俺はそんなに顔に出やすいタイプなのだろうか。
だが、今日は昼間のことといい、嬉しいことが二つもあったわけだから、いくらクールな俺であるとはいえ、多少は顔に出てしまっているかもしれない。
「……」
と、リタは一人納得している俺を、笑顔を浮かべたままでしばらく見つめていた。
が、やがて、
「ふう……」
一つ、憂鬱そうに息を吐いた。
「?」
そのため息に、場の雰囲気が少し変わった……ように思える。
(……なんだ?)
不思議に思ったが、その原因はすぐ目の前にあった。リタの表情から笑顔が消え、代わりに、視線がテーブル上に落ち、少し気落ちしたようなものに変わっていたのである。
「なんか……あなたたち見てると、罪悪感を感じちゃうわ」
「……む? なにがだ?」
当然のように聞き返す。別に、彼女が俺たちに対して何か悪いことをしたとは思えないのだが。
「……うーん……」
リタはそのままで、しばらく何事か考えるようにしていたが、
「……もうダメ。やっぱり隠しておけない……」
そう言って、顔を上げた。
「?」
「?」
俺たちがクエスチョンマークでシンクロしていると、リタはちょっと苦笑して、
「えっとね。……怒らないで聞いてほしいんだけど」
「怒る?」
「ええ。隠していたことがあるの。とても大事なこと」
「隠していたこと?」
俺は眉をひそめてリタを見る。彼女の表情は真剣そのもので、その視線は真っ直ぐに俺へと向けられていた。
(むう……?)
こんな真剣な顔で言う“隠していたこと”というのは、一体、なんであろうか?
そりゃあ、最近までサンタクロースを信じていたとか、実は去年までおねしょをしていたとか、隠していてもおかしくないことはたくさん予想できるが、おそらく、彼女の言い方からして、なにか俺に関係のあることなのであろう。
(ふーむ……)
少し考えてみて……俺はハッとした。
(ま、まさか……)
バッ、と顔を上げ、リタの顔をもう一度見る。
――真っ直ぐに向けられた真剣な瞳。そして、なにか言いにくそうにしている雰囲気。
とすると、これは――
(あ、愛の告白かっ!?)
そう思って見てみると、なんかそんな感じに見えてくるではないか。
(そ、それはまずい! まずいぞっ!)
俺は焦って、すぐさま声を張り上げた。
「ま、ままままま、待つのだ、リタっ!!」
両手を前に出し、彼女に対して制止のポーズを取る。
「? ……なに?」
その行動に、リタが不思議そうな顔をして、紡ごうとしていた言葉を止める。
ひとまず先手を打てたことにホッとしながら、俺は言った。
「な……なんというか、だな……。う、うむ。何も言わなくても、リタの言いたいことはわかっているのだ」
「わかってる?」
リタが驚いた顔をする。
……半信半疑の表情だ。
「う、うむ……その、それで、だな……」
と、俺は両手をゆっくりと下ろすと、こちらを見つめてくるリタから視線を逸らし、視線を泳がせながら言葉を懸命に探す。
――以前の俺はどうだったか知らないが、少なくとも、俺自身の記憶の中では、女性に告白された、ということは一度たりともないのだ。どう答えればいいか、すぐに思いつくはずもない。
「……そ、そう。俺はだな……まだ十日ほどの付き合いだが、リタのことは非常に気に入っている。うむ、とても大切な“友人”だと思っているわけだ」
友人、を強調する。
まあ、断るときの基本というやつであろう。
……え? どうして断るのか、って?
(そりゃあ……俺が普通の平凡な男だったら断りはしないぞ)
と、思う。
リタは基本的に明るくていい娘だし、料理は出来るし、面倒見はいいし……悪いところはなにもない。特に女性のタイプにこだわりがあったりしない限り、欠点はほとんどないと言ってもいいだろう。
そして、俺にはそれほどのこだわりはない。本当の話、例えば俺が、単なるこの村の一員だったとしたら、決して断りはせず、彼女の愛を素直に受け入れていただろう。
(けど、俺は普通の平凡な男ではないのだ……)
そう。俺は……罪人だ。そして、それを償うために、これからも旅を続けなければならない。
そう心に誓ったのだ。
そして、それに彼女を付き合わせるというのは……あまりに酷な話であろう。
俺はそう思い、
「さっきも言ったように、俺は償いの旅をしている途中でな。俺が出来る範囲で、今、現在も、そしてこれからも人々の役に立っていかなければならない……役に立っていきたいと思っている」
言うべき言葉が見つかって、大分落ち着いてきた。
「……」
リタは真剣な顔で俺の言葉を聞いている。かなり遠回しな言い方ではあったが、おそらく、俺の言いたいことは彼女に伝わっているであろう。
「で、あるから――」
と、俺はようやくリタの顔に視線を戻して、
「その先の言葉は言ってはならん」
そう言い切った。
なんかちょっとだけカッコいいかもしれない。
「……」
リタは俺の言葉が終わってからも、じっと俺の顔を見つめていた。
真剣な表情である。
(すまぬ、リタ……)
俺は心の中で彼女に謝罪した。
だが、俺も男である。一度決めたことは、最後まで実行しなければならなかった。ここで、のほほんと安穏とした一生を送るわけにはいかないのである。
「……ふう」
長い沈黙の後……リタが大きな息を一つ吐いた。
……気持ちの整理がついたのであろうか?
一度、小さく首を振って、再び、ピタリと俺の顔に視線を止めると、
「普段は三枚目だけど……やっぱ、本当は二枚目かもね」
そう言って、リタは少し冗談っぽい笑みを浮かべると、
「ずっとそんな感じだったら、もしかしたら惚れちゃってたかも」
そうだろう、そうだろう。
俺自身、今のセリフは決まったと思った。彼女が惚れてもおかしくないぐらい――
(……もしかしたら?)
ふと……そこで、俺は彼女の言葉に不自然な部分を発見して、思考を止めた。
(もしかしたら惚れちゃってた“かも”と言ったのか、今?)
それはおかしい。絶対におかしい。
すでに惚れてるはずの人間が口にする言葉ではない。
(ど……どういうことなのだ?)
俺の頭は再び混乱し始めていた。
聞き間違えかと思ったが、まさかそんなはずはない。一字一句、見逃さずに聞き取ったはずだ。
「でも……まさか、気付いていたなんてね」
そんな俺の混乱に気付いた様子もなく、リタはそう言うと、
「それに、躊躇いもせずにそんな危険なことを引き受けてくれるなんて……」
少し感動したように胸の前で両手を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。
(き……危険?)
いや、そりゃあ旅を続けることはそれなりに危険なことであるが、引き受けたというよりは、自分でそう決心したというか。
「でも……気を付けてね、ヴェスタさん」
と、リタは胸の前で手を組んだまま、目を開いて、
「ヴェスタさんが強いのはわかってるけど……相手は人魔だから。どんな力を持ってるかもわからないし」
(……はい?)
相手? 人魔? ……なんだそれは? まるで俺が人魔と戦うみたいな口振りではないか。そんなの冗談ではない。人魔ともなれば、どんなに下級でもいつかの狂犬とはわけが違う。
(な、何がどうなっているのだ……?)
その後、リタの母親が帰ってきて、ようやく真相が判明した。
彼女らの話に寄ると……どうやらこの村は、少し前から近くに住み着いた人魔によって、脅かされているらしいのだ。毎月二回、定期的に金品や食料を要求され、近くに大きな街もなく、森に囲まれたこの村の人々は大人しくその言うことを聞くしかなかったらしい。
デビルバスターを雇おうにも、その金がない。領主はこんな小さな村ごときのために動いてはくれない。
……そこへ現れたのが、俺たちというわけである。
リタの発言から、俺が獣魔を追い払ったことが広まり、この人ならあるいは、と思ったそうだ。だが、本当のことを話せば、すぐに出ていってしまうかもしれない。あるいは、仕事と称して法外な金額を要求されるかもしれない。
先ほども言ったように、この村にそんな金はないわけで……そこで考えついたのが、半月に一回、人魔が金品や食料を要求に来るときまでそのことを隠しておき、俺と人魔をバッタリと引き合わせる、という作戦だ。
相手の人魔は相当警戒心の強い奴らしく、俺は見た目、結構強そうで武器も持ってるわけだから、自然と戦いになるのではないか、という読み――つまりは“バッタリでドッキリ! 人魔VS超絶美形青年、壮絶バトル!!”作戦だったというわけである。
(なるほど……)
ちなみに作戦名は俺がたった今付けた。
で……リタの母親が行った今日の会合とやらは、実を言うと俺に真相を話すべきかどうか、ということだったらしい。村人たちも、昼間、子供たちの面倒を見ている俺たちの姿に、隠しているのが辛くなってきて、やはり話すべきだ、という意見が増えてきたそうで。
なんだかんだで、この村は気のいい人たちの集まりだな……というのはとりあえず置いておこう。
つまり、リタの言う“隠してたこと”というのは、こういうことだったのである。
(た、確かに……俺の返答との噛み合いもしっかりしているではないか……)
俺がリタのことを“大事な友人”だと言ったり、“償いの旅をしている”と言ったりしたことも、つまりは“そんなことをわざわざ言わなくても、引き受けるに決まってるだろう”という意味に取られてしまったらしい。
いや、別に“愛の告白”が勘違いだったことは良いのだが。
問題は――
(……ぬおおおおおっ! もはや断れる状況ではないではないかっ!!)
リタに対してあれだけカッコいいことを言い(単なる勘違いであったが)、俺が秘密を察してて、さらにそれを快諾した、という美談(?)は、この夜……ほんの一時間ほどの間に、もう村中に広まってしまっている。
もはや後戻りの出来る状況ではなかった。
(……どーするのだ……人魔となど、戦えるのか……)
いくら剣の扱いが上手いとはいえ、俺は所詮人間だ。人魔とは基本的に能力が違う。
そりゃあ、デビルバスターなんて人々がいるぐらいだ。人が人魔を退治するのは、無理な話ではない。が、それは本当に一握りの人間だけだ。彼らは特別なのだ。言うなれば超人。ある意味、人間ではない。
俺の力がそこまでのものだとは、どうしても思えなかった。
チラッ。
隣で布団を直しているミュウを見る。
余談であるが、そんなに広い家ではないため、俺たちはリタの部屋を借りて泊まっており、リタは母親のところで寝ている。
「? どうなさいました?」
俺が見ていることに気付いて、ミュウがこちらを見た。
彼女だけはいつも通りである。
(頼みの綱は……ミュウだけだ)
そう思った。
この家に来た日、彼女が見せたあの力。契約者であり、人魔と同じ魔界の住人である彼女。彼女がもしも、俺より圧倒的に強いのであれば――。
(あまり気は進まぬが……)
俺としては彼女に戦わせるのは極力避けたい。中身はよくわからないが、外見は小さな少女であり、それならばやはり、年上で男である俺が彼女を護らなければならないだろう。だが、彼女が魔界の住人としての力を持ち、その力が普通に……それこそ、俺のようなちょっと剣の扱いが上手い人間など、足下にも及ばないような力を持っているのであれば――ここは彼女に任せるしかないと思う。
「なあ、ミュウ」
そして、俺は少し期待を込めながら、
「謙遜とかはせずに、正直に答えてくれ」
「はい」
と、ミュウが布団の上に正座して姿勢を正し、俺を見る。
「俺とミュウは……どっちが強いのだ?」
「御主人様です」
「……あ、そう……」
即答。
俺の心はあっという間に、一割ほどの安っぽい自尊心の安寧と、九割ほどの途方もない落胆に包まれてしまったのである。
そして、そんな俺にミュウの追い打ち。
「私の力など、微々たるものです。手品程度のことしかできません」
「な、なるほどな」
つまりは納豆の皿を吹き飛ばす程度のことしかできないということであろう。
それでは、彼女を戦わせるなど、言語道断であるが――
(しかし……それで良く、四つもの村を……)
そう思ってしまう。
もしかして俺は知能犯だったのだろうか?
(……って、記憶を失った今の俺はほとんど能なしではないかっ!!)
ますます絶望的。というか、ホントに本気でヤバいではないか。
(終わった……思えば、短い人生であった……サヨナラ、みんな、サヨナラ……)
そして俺は、ほんの二十五日ほどの人生にお別れを告げたのであった――。
人魔がやってくる日まで、あと二日――