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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第5話『大量殺戮者(ジェノサイダー)の休息』
32/32

その6『宣告の大量殺戮者(ジェノサイダー)』


 月明かりが僅かに差し込む温泉宿の廊下。

 日も変わり、多くの宿泊客たちが寝静まった頃、自分の部屋に戻ろうとしていたエルダは、ドアの前に一人の少女が佇んでいることに気付いてその足を止めた。

 気配に気付き、顔を上げたのはウェーブがかった髪の可憐な美少女。

「ずいぶん遅いお帰りですこと」

「大人には色々事情があるのさ」

 エルダの素っ気無い返答にルクレツィアは軽く鼻を鳴らし、その行く手を遮るかのように部屋のドアに背を預けて言った。

「ではその事情とやらをお聞かせ願いましょうか。ルーンさんの件、原因はなんだったのです?」

「私がそれを調べに行っていたと?」

 ルクレツィアは可笑しそうにクスッと笑って、

「出かけてくるというのはそういう意味だったのでしょう? あれで無関心を装ったつもりだったのだとすれば相当な大根役者ですわ」

「……役者が本職ではないのでな。まあ隠すつもりもなかったが」

 そう言いながらもエルダは仕方なさそうにため息を吐いた。

「原因は、もちろんあの画家だ」

 その言葉に、ルクレツィアも予想通りといった顔をしながら、

「ミュウちゃんは普通の人間だと言ってましたけれども?」

「厳密にはあの男というより、持っていたキャンバスのほうだな。魔導器と呼ばれるものの一種だ」

「魔導器、ですか」

 ルクレツィアは一応その単語を知っていた。魔導器とは特殊な技能を持つ魔が道具に魔力を込めたもので、普通の人間でも魔力のようなものを行使できるようにするアイテムのことである。

「孤児院の例の女の子も、数日前にあの画家のモデルになったと聞いていたのでな。症状そのものは幻魔にイタズラされた人間に多いものだったから、原因を特定するのはそう難しいことではなかった」

「ああ、あの子……そういうことでしたの」

 そこでルクレツィアは初めて、エルダがあの少女を気にかけていた理由を悟った。

「さあ、納得したならそこを退けてくれ。それとも今夜の夜伽の相手でもしてくれるのか?」

 エルダがそう言うと、ルクレツィアは口の端をくっと上げ、ゆっくりとドアから離れてエルダに近付いた。

「私など貴女の興味の対象外でしょうに。そもそも貴女に本当に同性愛の気があるかどうか、それすらも疑わしいですわね」

「どういう意味だ?」

「真っ当な追求を避けるために、わざとおかしな行動を取っているのではないか、と、そういうことです」

 エルダは眉をひそめ、十センチほど背の低いルクレツィアを見下ろすようにして、

「……本当に可愛げのない公女だな。セオフィラス様がご苦労なされたのも頷ける」

「あら?」

 ルクレツィアが珍しく意表を突かれた顔をした。

「セオフィラス様がかつて私の従者であったことをご存知でしたの?」

「いいや」

 エルダが笑みを浮かべる。

「カマをかけてみた。セオフィラス様は過去のことを言いふらすような方ではないのでな」

「……貴女も人のことは言えませんわね」

 ルクレツィアが一瞬だけ不本意そうな顔を見せる。

 エルダは小さく声を出して笑うと、

「たまには手玉に取られるほうの気持ちも理解してもらわないとな」

 ルクレツィアは小さくため息を吐いた。

「まあいいでしょう。そのほうが話しやすいこともありますものね。……そういう事情で、私はセオフィラス様の性格をよく存じております。だから貴女の行動があの方の意思の一端であることもとっくに気付いておりましたわ」

「気付くはずだと、セオフィラス様もそうおっしゃっておられたな」

 でしょうね、と、ルクレツィアは頷いて、

「かといって、あの義理堅いセオフィラス様が、命の恩人であるヴェスタ様やミュウちゃんに危害を加えるために貴女を送り込んだとは考えられない。部下にそれほど無謀なことを押し付けるような方でもありません」

「……仕方ないな」

 最後まで言わせることなくルクレツィアの質問の趣旨を悟り、エルダは言葉どおり仕方なさそうな顔をして、一歩後ろに下がった。壁に背を預け、小さく首を回してすぐ近くの小さな窓から月夜を見上げる。

 ルクレツィアもその視線を追った。

 静寂。

「ヴェスタは」

 ポツリ、と、エルダは呟くように言った。

「あと二、三年のうちに命を落とすだろう」

「……それはミュウちゃんと関係が?」

 一瞬言葉に詰まったルクレツィアが平静を保って言葉を繋ぐ。

 エルダは視線だけを夜空からルクレツィアに戻して、

「鋭いな。まあ、そういうことだ」

「それは――」

 と、その理由をルクレツィアが問い詰めようとした、そのときだった。


「――その話、できれば俺にも聞かせてもらえんか?」


「!」

 同時に振り返った二人の視線の先。

 そこには、丈が短くてどうにも様にならない寝巻きに身を包んだヴェスタが立っていた。




~宣告の大量殺戮者ジェノサイダー




 翌朝。

 清清しい朝日の出現とともに俺は目を覚ます。

 ババッと着替えを終え、すぐ近くの姿見でスタイルチェック。

 今日もクールでビューティな美青年がそこに立っていた。

「おーい。そっちは全員起きているかー?」

 仕切りの向こうに声をかけると、一番最初に返ってきたのはルクレツィアの声だ。

「ええ。おはようございます、ヴェスタ様」

 その言葉を聞いてから向こう側に顔を出すと、ルクレツィアは鏡台の前にいて、ベッドの上ではルーンが、ミュウの長い髪を櫛で梳かしているところだった。

 なんとも微笑ましい光景である。

 俺はそんな彼女たちに近付いていき、同じベッドの端っこ辺りに腰を下ろすと、

「すまんな、ルーン。俺がやるとミュウが痛がってしまってな。やはりそういうのは女の子のほうが何かと丁寧でありがたい」

 そう言うと、ルーンがぷいっと横を向く。

「変なお世辞はやめろって。いきなり女の子扱いされると調子が狂うだろ」

「む、そういうつもりはなかったが」

 一夜明けてルーンの調子は若干戻っていたが、それでもどこかギクシャクした感じは残ってしまった。

 どうしたものか、と、そう思っていると鏡台のルクレツィアが言う。

「男と女で扱いが変わるのは当然ですわ。前と同じということにそれほどこだわる必要はないのではありませんの?」

 それもそうかと俺は納得し、ルーンも反論はしなかった。ただ“こいつが勝手に勘違いしてただけで……”とかなんとか、口を尖らせながらブツブツ言っている。

 まあ、いいだろう。

 新しい関係もきっとそのうち馴染む。もともと俺たちは性別などそれほど関係ない、家族のような関係なのだから。

 そこへ、コンコン、というノックの音。

 失礼します、と顔を出したのはウォードだった。

「何かとお騒がせしてしまってすみません。どうもあちらの急な都合らしくて」

 彼がそう言って謝罪したのは例の画家のことである。エルダの活躍によって、あの画家が持っていたキャンバスが危険な代物であったことが判明したのだが、画家本人はただ魅入られていただけで意識することなく使用していたものらしい。

 そんな事情もあって、ウォードを含め、周りの人間にその事実は知らされていない。ただ、画家自身はそのキャンバスの入手経路等、色々と調べるため、デビルバスター協会を通してこのヴォルテスト領の警邏隊へと出頭したそうだ。

「悪かったな、ルーン。せっかく快く引き受けてくれたのに」

「ああ、いいよ。私もちょうど飽き飽きしてたところだしな」

 ルーンはヒラヒラと手を振ってそう答えたが、ウォードはそれでもすまん、と、もう一度頭を下げた。

 このウォードという男はルーンのひいき目を抜きにしても、本当に誠実ないい男なのである。

「ところでウォード。今朝の話だが――」

「あ、ええ」

 俺が水を向けるとウォードが頷いて、それを聞いたルーンが“今朝の話?”と怪訝そうな顔をした。

 実は今朝、俺はみんなが目を覚ますより早くに一度起きて、日が昇る前から働いていたウォードに“ある相談”を持ちかけていたのである。

 俺は言った。

「ちょうど全員が揃っていることだし、改めてお願いしたいと思うのだが、どうだろうか?」

「おい? なんの話だ?」

 怪訝そうなルーン。

 後ろにルクレツィアの視線を感じながら、俺はルーンを見て答えた。

「実はお前の今後のことを、彼に頼もうと思ってな」

「……はぁ? なに言ってんだ?」

 案の定、ルーンはいつもの馬鹿にしたような顔をする。

 俺は少々心外に思って、

「そんな妙な顔をすることもあるまい。ウォードはお前の兄貴のようなものなのだから、お前のことを頼むというのは別におかしなことではないだろう」

 しかしルーンが反論する。

「馬鹿言うなよ。ウォードだってただの雇われ管理人なんだから。そんな余裕あるはずが――」

「いや」

 しかしウォードがそこで口を挟んだ。

「お前が了解するなら、僕としてはむしろそうして欲しいと思ってるよ。今朝ヴェスタさんに色々聞いたけど、危険な旅なんだろう? お前だってもう子供じゃないし、あと数年養っていくぐらいの余裕はある。……大変なときそばにいてやれなかったし、その罪滅ぼしとしてもな」

 と、言った。

 俺もルーンが言ったようなことは承知済みで、その上で突然かつ無茶な願いであることをわかっていながら駄目元で頼んでみたのだが……ありがたいことだ。

 俺は小さく頷いて再びルーンに向き直ると、

「と、いうことだ。あとはお前さえ良ければ、俺はお前をここに置いていこうかと思っている」

「ルーンさんとは、ここでお別れなのですか?」

 と、そこへ、ルーンに髪を梳かしてもらっていたミュウが不思議そうな顔で口を挟んできた。

 事前にこのことを知っていたのはルクレツィアだけである。ミュウにとっては本当に唐突な話だっただろう。

「そういうことになるな。この先、旅はさらに危険が増える。こうして旧知の者と出会えたのもきっと神の思し召し。ルーンにとってはここに残ってもらうのが一番なのだ」

「それは……」

 言いよどむミュウ。

 視線を泳がせて、そしてほんの僅か、悩ましげに眉間に皺を寄せた。

「それは、少しだけ淋しい気がします……」

 その呟きは、本当に淋しさの感情に彩られていて。

 俺は少し胸を打たれた。

 ……たとえば今、ルーンが何らかの理由で俺にナイフを向けたとして。ミュウはかつてのように、そんなルーンを問答無用で排除しようとすることができるだろうか。

 おそらく、不可能だろう。

 それは彼女の成長の証であり、そんな彼女に対し、そのきっかけとなったルーンとの別れを強いてしまうのは少々酷な気もする。

 しかし。

 ミュウの事情だけでルーンのことをないがしろにするわけにもいかない。

 俺はすでにミュウだけの保護者ではなく。

 このパーティメンバーの責任を背負う存在でもあるのだから。

 ……しかし。

「いやいや、勝手に話を進めんなって! ちゃんと説明しろよ!」

 ルーンはすぐには首を縦に振らなかった。

 意外、といえばいいのか。

 それとも当然、というべきだろうか。

「だからだな。この先の旅はさらに危険になるから……」

 そう言うと、ルーンは即座に食って掛かってくる。

「だったらそこの、口先ばっかで運動神経さっぱりのお姫様のほうがよっぽど危険じゃないか!」

「相変わらず口の減らない方ですわねぇ」

 ルーンの悪口にもルクレツィアは相変わらずの微笑みのまま、

「ヴェスタ様? ウォード様もこの時間はお忙しいでしょうし、いったん戻っていただいたほうが良いのでは? 結論が出たらまたお知らせするということで」

「む、そうだな」

 宿の人間としては慌しい時間だろう。それにすんなり行かないとなれば、ウォードに聞かれてはまずい話もしなければならなくなる。

 ルクレツィアの気遣いに感謝しつつ、俺は入り口付近に立つウォードに小さく頭を下げて、

「すまぬが、ウォード。また後でそちらに伺わせてくれ」

 そんな勝手な言い分にも、ウォードは嫌な顔一つせずに、

「ええ。どちらにしても、僕にできることならなんでも協力させてもらいます」

 と、言ってくれた。 


 ウォードが部屋から去った後。


 俺はベッドの上に座り込んだルーンと対峙する形になっていた。

「さあ、説明してもらおうか。なんで急にそんな話になったんだ? そっちの性悪の入れ知恵か?」

「まあ、当たらずとも遠からずですわね」

 平然と答えたルクレツィアを軽く睨み、ルーンは俺の方へと向き直った。

「理由は先ほども言ったとおりだ。事情があってな。これからはさらに危険なところへ向かうことになる。ルクレツィアが危険なのはもちろんだが、お前と違って帰るところがないのでな」

 実を言うとルクレツィアにもビルア領へ戻ることを勧めたのだが、戻るなら死んだほうがマシだと言い張って聞かなかったのである。

「それに理由はもう一つある。お前が俺に付いてくる理由がなくなったということだ」

「どういう意味だ?」

 不審そうな顔をするルーン。

 俺は答えた。

「俺が記憶を取り戻す可能性が万に一つもなくなったのだ」

「え?」

 ルーンは一瞬不思議そうな顔をして。

 数秒。

 ようやくその言葉の意味を悟ったようだった。

 俺は続ける。

「つまり俺に付いていても、俺が村の仇であるかどうか確認する方法はなくなった。お前が俺に付いてきていたのはそれが一番の理由だっただろう?」

「あ……」

 なにか言おうとしてルーンは口を噤んだ。眉をひそめて考えている。

 彼女と出会って約一年。

 一緒にいたことが復讐のためだけだったとは俺も考えたくはない。が、それでも今は、彼女が当初のその目的を思い出してくれることを願った。

 それほどに危険なのだ。

 この先の旅は。

 ……しかし。

「そんなの」

 期待に反して。

 ルーンは苦悩の表情をしながらも、顔を上げて言った。

「どうでもいい」

「……どうでも?」

「いや。むしろ良かったじゃないか。理由はわからんけど、以前のお前が記憶を取り戻すことはなくなったんだろ。いいことじゃないか」

「しかし、お前にとっては良くないこと――」

 ふ、と。

 空気が震える。

 その感覚は、ルーンの夢の中で感じたのとまったく同じもので。

 ルーンはベッドの上に両手をつき、身を乗り出して言った。

「記憶が戻らないってことはお前がお前のままでいられるってことだろうが! いいに決まってんだろ、このバカ!」

「っ……!」

 ああ、何故だろう。

 バカと言われたはずなのに目の奥が熱くなる。

「ルーン、お前……」

「っ!」

 そんな俺を見て、ルーンが慌てて視線を逸らした。照れているのか顔が赤くなっているのがわかる。

「と、とにかく私は付いてくからな! お前やそっちの性悪に任せちゃミュウのことだって心配だし!」

 私が正しい道に導いてやんなきゃ――というようなことを早口でまくし立てたが、俺の耳にはあまり入っていなかった。

 ……どうするべきか。

 この先、いつまでルーンを連れて行けるかはわからない。本当のことを言うとルクレツィアも同様だ。

 そのとき。

 最後の最後まで一緒にいてもいいものか。

 悩ましい。

 が。

 そんな俺の迷いを後押ししたのは、

「本人の意思ですわ。尊重すべきでしょう」

 いつになく真剣な表情でそう呟いたルクレツィアの言葉と。

「……」

 無言のまま、何かをねだるように俺の袖をきゅっと掴んだミュウの淋しげな顔だった。

 そして俺は決心する。

「わかった。ルーン」

「……なんだよ」

 真正面から目を合わせようとすると、ルーンはそれを拒んだ。

 先ほどの自分の発言がよほど照れくさかったらしい。

 そのまま俺は続けた。

「お前にとってはここに残ることがきっと幸せなのだ。それでも――」

「そんなの」

 目を逸らしながらも、ルーンは強い調子で答えた。

「何が幸せかは私が決めることだ。……平凡な花嫁衣裳は、私の幸せじゃない」

「……そうか」

 見守る者としては不本意に思うところもあるが。

 もっとも優先されるべきはやはり本人の意思だろう。

「ウォードには謝ってくるとしよう。……力不足でお前を説得できなかったとな」

 ルーンは鼻を鳴らした。

「きっと喜ぶさ。過去の恥ずかしい秘密を色々知ってる厄介者を連れてってくれるんだからな」

 そんな強がりはいかにも彼女らしかった。

 そこへ、俺たちの会話を黙って見守っていたミュウが口を開く。

「ルーンさんと、お別れしなくてもいいのですか?」

「ああ。そういうことになった」

 そう答えると、ミュウはホッと小さく息を吐いて、

「お、おい、ミュウ……」

 戸惑うルーンにギュッと抱きついた。

 よほど嬉しかったらしい。

 なんて。

 かくいう俺も、彼女と旅を続けられることを内心喜んでしまっていることは否定できなかった。

「……ところで、さ」

 抱きついたミュウの頭を優しく撫でながら、ルーンが思い出したように俺を見る。

「さっきからしきりにこの先は危険だって言ってるけど、今度はどこに向かうつもりなんだ?」

 と、聞いてきた。

「ああ、言っていなかったな」

 そして俺は答える。

「魔界だ」

「……魔界?」

 そんな俺の言葉に、ルーンは呆気に取られた顔をしたのだった。




 ――前日の夜。


「感応幻蝶族は力の強い魔に寄生し、その力を吸い尽くして成虫になる。子孫を残す方法は具体的には不明だが、その僅かな成虫が数匹の子を産み、細々と系を成しているのだと聞く」

 エルダの部屋で語られたのは、ミュウ――感応幻蝶族と呼ばれる特殊な契約者にまつわる話だった。

「寄生された魔は一時的に魔王のごとき力を得ることになるが、五年以内に力を吸い尽くされて死亡する。……おそらく、お前が記憶を失くしたのも彼女と無関係ではないだろう。魔力とは精神の力。感応幻蝶族は精神を食い尽くす。あるいは、以前のお前はすでに食い尽くされていて、たまたま宿っていた副人格のお前が表に出てきただけなのかもしれないな」

 そう語るエルダは普段とは違っていて、いかにも学者というような知的な雰囲気に満ち溢れていた。

「いずれにしろ、お前の人格が目覚めてからそろそろ一年。言い伝えが本当なら、お前の命は長くともあと四年程度だろう」

「ふむ」

「ふむ、って。ヴェスタ様。今のエルダさんのお話、きちんと理解しておられます?」

 と、ルクレツィアが小馬鹿にしたような顔で俺を見た。

 心外である。

「もちろん理解しているぞ」

「にしてはあまり驚いていないじゃないか」

 エルダも少々拍子抜けしたような様子で、

「長くても四年。通常ならあと二、三年で死ぬということだぞ? お前が生き延びるにはミュウとの契約を解除するしかない。が、それはあいつの死を意味する。今のあいつはいわばサナギの状態だが、栄養、つまり魔力がなければ生きていけないからな」

 と、言った。

 もちろんいくらなんでもそんなことは理解できている。

 ただ、

「ミュウはそのことをわかっているのか?」

 そうエルダに尋ねると、

「あの様子を見る限り、おそらくわかっていないだろうな。すべての感応幻蝶族がそうなのかはわからないが、彼女に関しては自分が何のために寄生しているのかもわかっていないのだろう」

「ならば、まあいいではないか」

「なにが、ですの?」

 ルクレツィアは呆れ顔だった。

 エルダも不審そうな顔をしている。

 俺は逆に、そんな二人の反応を不思議に思って、

「なにがおかしいのだ? 何度も言っているではないか。俺はミュウの保護者だと」

「保護者だから、自分が殺されても構わないというのか?」

 眉をひそめたエルダの問いかけに、俺は首を横に振った。

「ミュウは別に俺を殺そうとしているわけではないだろう? ただ、大人になるために俺を頼っているのだ」

「モノは言い様だな」

 皮肉っぽくエルダはそう言ったが、俺はそれを否定して、

「違う。そもそも父親とは子を育てるために自らの命を削るもの。貴女たち女性が命がけで産んだ子供を、命を削りながら守って育てる。それが父親というものだ。ならば」

 何枚か隔てた壁の向こう、安らかな寝息を立てているであろうミュウの姿を思い浮かべながら俺は言った。

「今の我々の状態は、少々せっかちではあるが正しい親子の姿ではないか。何を問題視する必要がある?」

「……」

 二人とも黙ってしまった。考えてみれば、この二人が俺の言葉に黙り込んでしまうというのは非常に珍しい光景である。

 俺は自分がとてつもなく変なことを言ってしまったのではないかと少々不安になり、付け加えることにした。

「まあ、なんだ。確かにミュウやルーンが一人前になった後を見守れないのは残念ではあるが、そこは天罰というものだろう。記憶がないとはいえ、元大量殺戮者なのだしな」

「ホント、人の良い大量殺戮者ですこと」

「誉められていると思って良いのか? ……いずれにしても、エルダ。ルクレツィア。今の話はミュウには秘密にしておいてもらいたい」

 俺がそう言うと、

「話せるわけもありませんわ。貴方にあんなに懐いている姿を見てしまってはね」

「可愛い娘を悲しませるのは私の本意ではない」

 二人とも即座に頷いてくれた。

 ひとまず安堵する。


 そして僅かな沈黙。


「……エルダさん」

 ため息を吐きながら、ルクレツィアがエルダを見た。

「本当に、このお人好しを救う方法はありませんの?」

「ないな。文字通り救いようがない馬鹿だ」

「……上手いことを言いおってからに」

 馬鹿にされているのに反論する余地がない。

 エルダは、ただ、と付け足して、

「こちらの知識では、という但し書きが付くことになるがな」

「というと?」

 ルクレツィアが少し表情を動かす。

「契約者自体が我々人間にとっては未知の存在だ。未知の存在についての未知の方法を探るならば、未知の場所に行くしかない」

「……つまり」

 そして、さしものルクレツィアもその馬鹿馬鹿しさに乾いた笑みを浮かべ、言った。

「魔界へ行く、ということですのね――?」




 温泉町を出て、次の目的地へ。

「御主人様。雲が――」

 ピッタリと寄り添うように歩くミュウが青空を指差す。

 視線を伸ばすと、綿アメのような雲が風上の方角に顔を覗かせていた。

「積乱雲というやつだな。雨が近そうだ。ルクレツィア。次の町まではどのぐらいだ?」

「あと三時間ほどですわ、ヴェスタ様。降り出す前にはたどり着けるでしょう」

「ふむ。ではそこで宿を取るとしようか」

「休む話もいいけどさ」

 と、少し後ろを歩いていたルーンがちょっと不満そうに言った。

「そろそろ仕事も探さないと。路銀だって無限じゃないんだから」

「む、そうか。ならば次の町で少し働くとしようか」

 急ぐ旅でもない。

 のんびりと人助けをしながら、彼らとともに過ごせればそれでよいのだ。

「次の町は――」

 弾んだミュウの声。

「どんなところでしょうか。楽しみです」

「何か面白いことがあれば良いのだがな。ついでに美味いものでも――」

「だから、そんな贅沢する金はないっての!」

「まあまあルーンさん。可愛い娘がこれだけ揃っているのですから、誰かが犠牲になれば贅沢の一つや二つ――」

「死んでもゴメンだッ!」

 それはもちろんルクレツィアの冗談だと思うが、本気なら父親として断固阻止せねばなるまい。

「まあ贅沢の話は仕事を見つけてからにするとしよう。エルダはどうしたのだ?」

「次の目的地は伝えてありますわ。先に入っているか、後を追っているかはわかりませんけれど」

「ふむ」

 最終的に魔界に行く方法は彼女頼みになる。

「いい加減、一緒に行動してもいいと思うのだが……」

「まあ、あの方にも色々事情があるのでしょう」

 そんなルクレツィアの言葉に、俺はとりあえず頷いた。


 ――春は終わり、俺にとって二度目の夏が迫っている。


 背後ではいつの間にかルーンとルクレツィアの口喧嘩が始まっていて。

 ミュウは俺に腕を絡め、鼻歌を歌いながら楽しそうにしている。


 一年前、この旅が始まった頃には考えられなかった光景。

 俺を含め、彼らにどんな未来が待っているのか、今はまだ想像できないが。


 不思議な充足感。

 そう。

 今はただ、この幸せな旅を楽しむこととしようか――。


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