その4『夢の中の大量殺戮者(ジェノサイダー)』
これはさしずめ、眠れる森の美女といったところか。
崩れるようにベッドに倒れこんだルーンは声をかけても肩を揺すっても目を覚まそうとはしなかった。
疲れきって気絶するように眠ってしまうというのは俺にも経験のあることだが、今回のこれは明らかにそれとは違っている。
安らかな寝息を立てながらも、何をしても無反応なその様は、まるで眠りの呪いにかかってしまったかのようだった。
病気か。
あるいは別の何かか。
そして、どうすれば良いかわからずオロオロする俺にミュウはポツリと、
「起こしにいきましょう」
「起こしに? 行く? ……どこへだ?」
怪訝に思って尋ねた俺に、ミュウは平然と言ったのだった。
「もちろん、ルーンさんの“夢の中”へ、です――」
~夢の中の大量殺戮者~
「ゆ、夢の中だとぅ!?」
「はい」
あんぐりと口を開けた俺に、ミュウはやはり何でもないことのように頷いた。
少し離れた場所で見ているルクレツィアも、その発言にはちょっとだけ驚いたような顔をしており。ベッドでは、これだけ大きな声で話しているにも関わらずルーンが相変わらずの静かな寝息を立てていた。
俺はミュウに問いかける。
「夢の中ってつまり――いや、待て待て。その前にミュウよ。そもそもお前はルーンが何故こうなってしまったかわかっているのか?」
「わかりません」
俺は盛大にずっこけた。
「……御主人様? どうなさいました?」
「ど、どうって……原因もわからぬのに、夢の中に入るというのか?」
そう尋ねると、ミュウは一瞬不思議そうな顔をした後、
「大元の原因はわかりませんが、目を覚まさない理由はわかります」
「ああ、そういうことか」
言葉とは難しいものだ。
「それで、その理由というのは?」
そう尋ねると、ミュウはチラッとルーンの寝顔を一瞥して、
「見たところルーンさんの精神は幻魔の力に縛られてしまっているようです。解放するには夢の中に入り、その力を断ち切るのが一番早いと思われます」
「幻魔の力? 何故ルーンがそのようなものに……」
幻魔といえば精神に影響を及ぼす力を持った魔のことで、人間界に現れる種類の魔としては比較的レアなタイプだ。
少なくとも最近そんな相手と接触した覚えは無い。あるいは、我々が知らないうちに悪意を持った何者かがルーンに接触していたというのだろうか。
ミュウは少し申し訳なさそうな顔をして、
「すみません。大元の原因まではわかりません」
「む。そうだったな……」
そこへルクレツィアが口を挟んだ。
「あの画家の男性はどうなのです? タイミング的に、いかにも怪しいと思いますけれど」
「うぅむ……」
もっともな話だが。
俺は先日、間近で見た画家の男のことを思い出しながら、
「あの男にそんな気配はなかったな。見た目も普通の人間そのものだったぞ」
するとルクレツィアは軽く首を傾けながらミュウを見て、
「ミュウちゃんはどう思う?」
「私も御主人様と同じ考えです」
その返答にルクレツィアは納得顔をした。
「そう。でしたらきっと間違いありませんわね」
「……ルクレツィアよ。俺の言葉はそんなに信用ないのか?」
不満を向けると、ルクレツィアはちょっと考えて、
「ゼロということもありませんが――たとえるならミジンコぐらいでしょうか」
「……」
ゼロよりはマシ、なのだろうか。まあいい。考えたら負けだ。
今はそれよりもルーンのことが先である。
俺はミュウに問いかける。
「それで、夢の中に入るというのは具体的にはどうすれば良いのだ?」
「御主人様はやったことないのですか?」
「うむ。残念ながらな」
この先もおそらくやることはないだろうが、どうやらミュウにとっては茶飯事のようだ。
最近はまったく意識しないようになっていたが、ミュウも幻魔に類される一族らしいから、その辺りのことには特に詳しいのだろう。
「では私の力で強制的にお連れします。はぐれないよう気をつけてください」
「う、うむ……」
具体的にどうするのかいまいちピンとこなかったが、まあなるようになるだろうと思い、とりあえず頷いておくことにした。
と、そこへ、
「……ん? どうしたんだ?」
ノックもせずに部屋に入ってきたエルダが、ベッドの上で寝息を立てるルーンとそれを取り囲む俺たちの様子を見て怪訝そうに言った。
「全員でルーンを辱める計画か? だったら私も参加させてくれ」
「……ルクレツィア、警邏隊に連絡してくれんか。ここに変質者がいるとな」
エルダは心外そうな顔をして、
「私を見損なうな! そういう犯罪的な意味ではなく、目を覚まさないのをいいことに顔にラクガキして笑ったり抱き枕代わりにして悶えたりしようというだけの話だ!」
「よし。通報だ」
「お待ちください、ヴェスタ様」
半分本気で言った俺に、ルクレツィアが苦笑しながら間に入って、
「今はそれよりもルーンさんをどうにかするほうが先ではありませんの?」
「……む、それもそうだが」
「目を覚まさないのか?」
その言葉にエルダは素早く反応し、無造作にルーンへ近付いていく。
そして、
「なるほど。幻魔の力に捕らわれたか」
ルーンの顔を上から覗き込むようにしながらそう言った。この辺はさすがデビルバスター兼魔界学者といったところであろうか。
これで、変態でさえなければ頼もしいことこの上ないのだが。
「それで、どうするつもりだ?」
そう言ってこちらを振り返るエルダ。
俺は答えた。
「夢の中に入って連れ戻してくる……そうだ」
いまいち自信がなかったりする。
しかし、
「夢の中? なるほど、ミュウの力か」
エルダは納得顔で俺のそばにいるミュウを見ると、
「それは面白そうだ。是非、私も一緒に連れて行ってもらえないか?」
「遊びに行くわけではないが……」
とはいえ、俺も夢の中に入るなど初めてのことだ。彼女が一緒なら心強いかもしれない――と、そう思って尋ねる。
「ミュウよ、できるのか?」
「それはできません」
即答だった。
しかしエルダはどうやらその返答を予想していたようで、すぐに、
「どうしてできないんだ?」
「私が連れて行けるのは、私の力と同調できる御主人様だけです」
「つまり、お前の契約主であるこの男でなければ不可能ということか?」
「はい」
わかったようなわからないような話であるが、ミュウが言うのだから間違いはないだろう。
「なるほど」
エルダも納得した様子だったが、
「そういうことなら、ヴェスタ。貴様は一緒に行かないほうがいいかもしれないな」
「む? どういう意味だ?」
意味がわからずに尋ねる。
隣を見るとミュウも不思議そうな顔をしていた。
しかし、
「ただの直感だ」
エルダは適当な感じでそう答えて背中を向けると、
「私はちょっと出かけてくる。ルーンのことは任せたぞ」
言われずとも――と、俺がそう返す間もなく、エルダはそのまま部屋を出て行った。
……いったいなんなのだろうか。
彼女の言葉が気にならないわけではなかったが、それでも今はとにかくルーンを助けるのが先だと気を取り直し、
「ミュウ。では行くとしようか」
「はい」
頷くミュウ。
俺は続けてルクレツィアのほうを見て、
「後は頼むぞ、ルクレツィア」
「あぁ、ええ」
彼女はエルダの言葉が気にかかっていたのかドアの方を見つめて思案するような表情を見せていたが、俺の言葉にはすぐに頷いて、やはり悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「お気をつけて。ルーンさんの恥ずかしい過去か何かをお土産に持って帰ってくだされば有難いですわ」
「貴女といいエルダといい、何故そういう発想しか出てこないのか……」
嘆かわしい、と、額を押さえながらそう呟きつつ。
そうして俺はミュウとともにルーンの夢の中へと入っていったのだった。
――煙が上がっている。
あれは――炊事の煙だろうか。それが一本、二本――いくつも、いくつも。
見慣れた景色。
見慣れた道。
その道の先には村がある。
『――んさま』
毎日毎日働き通しで、余裕のない生活だ。
隣のオヤジは酒癖が悪く、夜になると怒声が聞こえた。
二軒向こうの若い男は最近私のことをイヤらしい目で見てくる。正直キモチ悪い。村の中でこの年頃の若い娘といえば私ぐらいだし、まあ仕方ない気もしているのだが――
貧しいし、楽しみもない。
嫌なこともそれなりにある。
それでも。
『ごしゅ……さま――』
家がある。
血は繋がっていなくても家族がいる。
理不尽な暴力を受けることもない。
あそこが私の帰る場所。
帰る場所がある。
それだけで私は満足なのだ。
……満足、だったのに――
「――御主人様!」
「ッ!?」
耳の奥に飛び込んできたのは珍しく大きく張り上げたミュウの声だった。
「う、む……?」
靄のかかった意識の中、薄っすら目を開いて最初に飛び込んできたのは黒い宝石のはめ込まれたサークレットだった。そこから視線を少し下に移動させると、大きくて愛らしい瞳があり、小さな鼻、薄い唇があって、その下の体は白い法衣に包まれている。背中には白い翼があって、頭の上には天使の輪。
いつものミュウだ。
「こ、ここは……」
徐々に頭がはっきりとしてくる。
どうやら俺は荒れ果てた砂地の上に仰向けに転がっているらしい。ミュウは隣で心配そうに俺の顔を覗きこんでいた。
記憶が戻ってくる。
「そうか、俺は確かルーンの夢の中へ……ここが、そうなのか?」
ゆっくり上半身を起こしながらミュウにそう尋ねると、
「はい。上手く入れたようです」
と、答えた。
その言葉に頷きながら辺りを見回す。
一面の荒野だ。かろうじて道とわかる程度の曲がりくねった道路が目の前に続いていて、先には微かに煙のようなものが上がっていた。
その光景に、今さっきまで見ていた記憶が脳裏に蘇ってくる。
「今のは……もしかするとルーンの記憶か?」
自分のことを“若い娘”と表現していたし、明らかに俺とは違う意識だった。
とすると“村”というのは、かつてルーンやウォードが暮らしていたという村のことだろうか。
ひとまず状況の確認を終え、俺はその場に立ち上がって服についた泥と砂をポンポンと払った。
――と。
「む?」
尻の辺りを叩いたとき指先に妙な感触があった。何か太い紐のようなものが尾てい骨の辺りにくっついている。
「なんだ、これは――」
ゴミかと思ってそれを引っ張ると、
「いたぁっ!!」
髪の毛を数十本まとめて引っこ抜いたような激痛が腰に走った。
「な、なんなのだ、いったい……?」
怪訝に思い、そのゴミの正体を確かめようと腰の辺りを振り返ると――
「……尻尾?」
そう。俺の尾てい骨の辺りから、長さ一メートルほどの真っ黒でツルツルした尻尾らしきものが生えていたのである。
尻尾の先は矢じりのような形をしていた。
「……ミュウよ」
「はい」
「俺は夢を見ているのだろうか」
「ある意味、そうです」
まあ、そのとおりである。
そうして改めて見てみるとミュウの姿もいつもとは違っていた。背中には清楚な四枚の白い翼が生えていて、頭には光輝く輪っかが乗っかっている。
一方の俺はといえば、どことなく不吉な感じを連想させる形の尻尾に、おでこの辺りからは細い触角のようなものが生えているようだ。
ミュウが言った。
「ここはルーンさんの夢の世界です。私たちの姿形もルーンさんが持っているイメージに多少影響されてしまっているようですね」
「……ルーンの中の俺はこんなイメージなのか!?」
天使と悪魔。
まさにそんな出で立ちである。
ミュウが天使なのは全面的に同意するとしても、俺がこんな格好というのはどうにも納得できない。
「とてもよくお似合いです。御主人様」
「……」
ミュウは俺のこの格好がなにを意味しているのかもわかっていないのだろうし、当然悪意もないのだろうが、とりあえず俺は深く傷ついた。
「ま、まあ良い。それよりもこれからどうするのだ?」
「ルーンさんを探しましょう」
シンプルな回答だった。
俺はポンと手を打って、
「それならおそらくはあの煙の方角ではないかな」
と、俺はそっちの方角を指差した。その先にはおそらくルーンが暮らしていたという村がある。彼女はきっとそこにいるだろう。
その主張にミュウが異論を唱えることもなく、俺たちは歩き出した。
夢の中、ということで一体どんな不思議な世界かと思っていたのだが、体の感覚は現実のものとそれほど変わらない。不思議なことといえば太陽がないのに明るいのと、煙が上がっている方角以外はすべて障害物のないまっ平らな地平線だったということぐらいか。
腰に生えている尻尾の感触も妙にリアルで、意識するとピコピコ動かしたりもできる。普段ないものが体にくっついているというのはどうにも気持ち悪かったが、それもこの夢の中を出るまでの間だと割り切って俺は先を急いだ。
案外遠い。
体感で一時間ほどは歩いただろうか。
俺はふと気になって隣を歩くミュウに尋ねた。
「ミュウよ。ここと外の世界での時間の流れはどうなっているのだ?」
「個人差はありますが、夢の世界は現実世界の数倍から数十倍の速さで進むことが多いです」
「速い――ということはつまり、外のほうが時間の流れが遅い、ということでいいのか?」
「はい。私たちがルーンさんの夢に入ってからまだ数分だと思います」
「なるほど」
そういうことであれば、夢から戻ったらいつの間にか数ヶ月経っていて、ルーンも俺たちも衰弱死していました――なんて、浦島太郎的な展開の心配はなさそうだ。
「しかし、なんというか」
俺は改めて周りを見回して、
「ずいぶんすっきりした世界ではないか。これもやはり個人差があるのか?」
「はい。見慣れた景色や印象の強い光景が選択されることが多いみたいです」
「ふむ……」
ルーンらしいといえばそうなのかもしれないが、年頃の少女の夢だと考えると少々味気なさ過ぎる気もする。
そんなことを考えながら正面に視線を戻すと、ようやく立ち上る煙の元、つまり家らしきもの頭が見えてきたところだった。
――と。
「む?」
同時に、俺たちが進む道の途中に人影が現れる。
見覚えのある背中だった。
「……ルーン、か?」
「そのようですね」
ルーンらしき人影はボロボロになった厚手のフードを身にまとい、道のど真ん中に立ち止まって村の方角を眺めていた。
なにをしているのだろうかと思い、
「おい、ルーン。どうしたのだ?」
声をかけてみる。
すると、
「……誰だ?」
ルーンは背中を見せたまま身じろぎ一つせず、声だけが返ってきた。
「わからぬのか? 俺だ。ヴェスタだ」
「ヴェスタ……? ああ――」
わかったのかわからないのか、いまいちはっきりしない声だ。
「おい、ルーン――」
俺はそんな彼女にさらに近付こうとした。
と、
「御主人様!」
危険を知らせるミュウの叫びが荒野に響き渡る。
同時に、白刃が煌いた。
「な――ッ!」
振り返りざまに振るわれた、ルーンのナイフが俺の頬を掠めていく。
俺は驚き、目の前のルーンの顔を見てさらに驚愕した。
「ル、ルーン!?」
ルーンは今まで俺が見たこともないような、まるで死人のような恐ろしい形相をしていたのだ。
そしてその喉の奥から、まるで老婆のようなしわがれた声が溢れる。
「お前さえ、殺せば、ワタシはあそこに帰れる――!」
「っ……!」
口走ったその言葉に体が固まった。
せまる白刃。
直後、
「御主人様!」
ミュウの声とともに背後に閃光が溢れ、歩いてきた道の幅よりも太い光の束がルーンの体を飲み込んだ。
断末魔の叫び声が上がる。
「……ルーン!」
ルーンの姿は跡形も無く消し飛んでいた。
「お、おい、ミュウ! ルーンは――!?」
慌てて背後を振り返ると、ミュウは平然として、
「大丈夫です。あれはルーンさんの本体ではなく、記憶や思念の残りカスです」
「の、残りカス?」
「わかりやすく言えば未練のようなものでしょうか」
「そ、そうか。つまりルーンは無事なのだな?」
「はい」
そんなミュウの言葉にひとまず安堵しつつ。
(……未練、か)
視線を落とすと、足もとには彼女の手にしていたナイフだけが残されていた。
屈んでそれを拾い上げようと試みたが、俺の指先に触れるとナイフは砂のように崩れて地面の中へ消えてしまった。
――忘れていたわけではない、が。
ルーンは元々“黒ずくめの悪魔”を殺すために旅をしていた。
そしてこの、悪魔の尻尾が生えた俺の姿。
おそらく彼女は今も、俺がその“黒ずくめの悪魔”であると考えているのだろう。
俺はそれを否定できない。
否定できないどころか、俺自身でさえ、状況からしてその可能性が高いのではないかと思っているぐらいなのだ。
――ルーンはどうしたいのだろうか。
再び煙の方角に向かって歩き出す。
俺は今でも、ルーンに殺される覚悟はできている。身に覚えがないこととはいえ、もしそれが事実だったのならばいつでも大人しく仇討ちされようと考えている。
それで気が晴れ、それで幸せになれるのなら――
――幸せ。
ルーンにとっての幸せとはなんだろう。
俺は父親面をしていながら、それを真剣に考えたことすらなかった。……まぁ、娘を息子だと思っていた時点で父親面もなにもない気はするが、それはさておき。
(……帰る場所があるだけで満足、か)
ほんの少しだけ覗いた、ルーンの心。
しかし、ルーンの帰る場所はなくなってしまった。おそらくは記憶を失くす前の俺が奪い去ってしまった。
だったら、今のあいつの幸せとは――
「御主人様――」
「どうした?」
隣を見るとミュウは微かに眉をひそめていた。
指を正面に向ける。
「あれを」
「……なッ!?」
目指していた先、立ち上っていた灰色の煙はいつしかどす黒い色に変わり。
その根元は、真っ赤なオレンジ色。
一面に火柱が上がっていた。
そして、
「あれは――」
そんな俺たちの視線の先。
燃え盛る炎をバックにした黒衣の男。
“黒ずくめの悪魔”が、そこに立っていた――