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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第5話『大量殺戮者(ジェノサイダー)の休息』
27/32

その1『温泉宿の大量殺戮者(ジェノサイダー)』


 戦士にも休息は必要だ。

 いかに強靭な肉体、強大な魔力を持っていようと、疲労は必ず蓄積して心身に悪影響を及ぼすものだ。時にはそれが取り返しの付かないアクシデントを招いてしまうこともあるだろう。

 特に我々のように、人々の――そして仲間の命を預かる戦士には充分な休息が必要なのだ。


 そして休息といえば温泉。

 これ以外の至福はあり得ない。


 この硫黄臭漂う自然のわき湯に浸かって心身を癒す文化は、大陸の真ん中、帝都ヴォルテストより北の地域にしかないそうだ。それより南の地域にはその風習がない――というより、厳密に言えば人の生活圏内に温泉の湧き出るところが存在しないのである。


 と、まあ。

 なぜ俺がわざわざこんなことを説明したのかというと。


 ヴォルテスト領の北端、グリゴラ山脈の麓にあるその小さな町の温泉宿に滞在している我々は、俺とミュウを除く全員がそれより南の土地の出身であり“温泉初体験”の連中ばかりだったからである。




~温泉宿の大量殺戮者ジェノサイダー




「結論から言うと、私、お前、ミュウ、ルーンの順じゃないか?」

「そうでしたか? 貴女と私の順はそれで構いませんけれど、その後はルーンさん、ミュウちゃんではありませんの?」

「いいや――」

 温泉から上がってきたばかりで、ほんのりと肌を上気させた女性二人がなにやら議論を繰り広げている。

 かたや黒髪のショートボブで、やや大きめの理知的な瞳をもつ背の高い大人の女性。

 かたや黒翡翠の瞳にウェーブがかった柔らかなブロンドの髪、可憐で儚げな雰囲気を漂わせた少女。

 彼女らのおかげで温泉宿の夜は華やかであった。

「いいや、お前の見解にはミュウの外見年齢が十一、二歳であるという先入観が含まれている。客観的に言ってミュウ、ルーンの順だ」

「貴女のほうこそ個人的な好みや願望が混在しているのではありませんの? 冷静に見ればルーンさん、ミュウちゃんの順ですわ」

「それはいったいなんの議論なのだ?」

 俺はそんな二人の会話に割って入ってみることにした。彼女たちは温泉から上がってきてずっとその議論を続けており、どうやらルーンとミュウの間に何らかの順番を付けようとして意見が食い違っているようなのである。

 と。

「あら」

 そんな俺の問いかけに、まるでそれを待ち受けていたかのように天使の――いや、小悪魔のような微笑みを浮かべたのはルクレツィアである。

「ヴェスタ様。女性同士の会話にいきなり割り込んでくるなんて、あまり誉められたものではありませんわよ」

「う……し、しかしだな。ルーンがなかなか戻ってこない今、それを禁止されてしまうと俺の話し相手がまったくいなくなってしまうではないか」

 現在部屋の中にいるのはルーンを除く全員。

 つまり男は俺しかいないのだ。

 そんな俺に対し、

「ちょうどいい。この男にも意見を聞いてみようじゃないか」

 そう言ったのはルクレツィアと口論をしていたエルダである。

 そしていきなり俺に質問してきた。

「ヴェスタ。貴様はどっちが上だと思う? もちろんミュウだろう?」

「いやいや、エルダよ。俺はまだあなたたちが何を話していたのか聞いておらんぞ」

「わかりませんか?」

 と、ルクレツィアはやはり悪戯な笑みのまま言った。

「私たちが話していたのは、皆さんの胸の大きさの話ですわ」

「……ぶっ!」

 思わず吹き出してしまった。

 そんな俺の反応を楽しげに眺めるルクレツィア。

「温泉から上がってきての話題ですもの。それ以外にないではありませんか」

「わかるか、そんなもの!」

 どうやら本当に踏み込んではいけない話題だったようだ。

「……というかだな。女性同士で比べるというのならまだしも、曲がりなりにも男であるルーンをミュウと比べてしまうというのはどうなのだ」

 と、俺は二人に言った。

 いくらミュウが幼い外見をしているとはいえ、いくらなんでも――である。

 しかしルクレツィアはやはり可笑しそうに答えた。

「あら。ルーンさんはああ見えてなかなか女性らしい体をしておられますのよ?」

「む……まぁ、確かにあいつは男の割に華奢な体をしてはいるが、さすがに乳房が膨らんだりはしないだろう」

「さあ、どうでしょう? 世の中には不思議なことが色々とあるものですわ」

「……む?」

 俺は彼女がどうしてそんなに可笑しそうにしているのかまったくわからず、結局それ以上その話題には近付かないことにして彼女たちから離れた。

 部屋の真ん中辺りに置かれた大きな仕切りの向こう側へ。

 ちなみに――俺たちは現在、この仕切りの入った大部屋に全員が一緒に泊まっている。

 いくら家族同然とはいえ年頃の男女が寝所を共にするというのは道徳的にいかがなものかと最初は躊躇したものだが、この人数なら逆にそういったことを気にすることもないかと思うようになった。寝るときや着替えのときなども仕切りのあっちとこっちで分かれるので、実際にもほとんど不便はないのである。

 そうしてルクレツィアたちから離れ、部屋の隅で一人、月を眺めながら少量のぶどう酒をたしなんでいると、

「御主人様」

 ミュウが音も立てずに仕切りのあちら側からやってきた。彼女も温泉から上がって間もないため、顔はまだ少し上気している。

 俺はそんな彼女を振り返り、

「どうだ、ミュウ? 温泉を堪能しているか?」

「はい。とても心地よい初体験でした」

「ふむ」

 頷き、そして先ほどのルクレツィアたちの会話を思い出した俺は、思わずミュウの胸の辺りに視線を向けた。いつものだぼっとした法衣姿ではまったく体のラインが出ないのでわからなかったが、こうして見てみると一応、多少は女性らしい膨らみができているようだ。

(となると、ルーンのやつは……)

 そんなミュウと比較できるほど――つまりは胸に膨らみができるほど贅肉がついてしまっているということだろうか。

 あいつは小食だし体も動かしていて細身だから、まったくそんな風には見えないのだが――

「お注ぎします」

「ん? おお」

 空になったグラスにミュウがぶどう酒を注いでくれる。

 最近は人間の風習にもずいぶんと馴染んできたようだ。

 俺はそんな彼女に、ふと思いついて、

「ミュウよ、お前もここから月を眺めてみないか? 今夜は風情のある朧満月だ」

「月、ですか?」

 もしかしたら興味ないかと思ったが、ミュウは意外にもすぐに反応して窓の外に視線を送った。が、窓が小さいため彼女の位置からでは角度的に月が見えない。

 俺はそんな彼女を抱きかかえ、膝の上に乗せてやることにした。

 そして夜空に浮かぶ朧な春の月を指差し、

「わかるか?」

「霞がかかっています」

「そうだな。そして月もぼんやりとしている」

「あれが“ふぜい”なのですか?」

 きょとん、とした顔でこちらを振り返るミュウ。

 俺は頷いて、

「そうだ。一部の人間はあれを見て、そこに秘めた儚さや美しさを感じるのだ」

「……よくわかりません」

「ふむ。まだ難しかったかもしれんな」

 この感覚は人間であっても個人差のあるものだ。無理に感じる必要もないだろう。

 結局ミュウは首をかしげたままだったが、しばらく俺の膝の上で朧月を眺め続け、やがていつの間にか静かな寝息を立て始めた。

 ――こうしてみると、本当に特別なことなど何もない、ただの幼い少女である。

 俺はそんなミュウの頭をそっと撫で、起こさないようにゆっくりと彼女をベッドの上に横たえた。


 ――さて。


 ルーンがなかなか戻ってこない。

「そういえば……」

 ふと俺は気付いて、再び仕切りの向こう側へと出て行くと、

「エルダよ。あなたに聞きたいことがあったのだが」

「なにか?」

 先ほどの議論はもう終結したらしく、エルダとルクレツィアは各々バラバラに、髪の手入れやら武器の手入れやらを始めていた。

 俺はそんなエルダに問いかける。

「なぜ、あなたがここにいるのだ?」

「……いまさらかよッ!」

 俺の言葉にそう突っ込んだのはエルダではなく、ちょうど良いタイミングで戻ってきたルーンだった。

 なんというか、まあ“突っ込み役ご苦労様”といったところである。

 エルダはそんなルーンをチラッと横目で見て、それから再び俺の方へ視線を戻すと、

「なんでもなにも、私がぶらっと一人旅を楽しんでいる先にたまたま貴様らがいるだけのことだろう」

「んなわけあるか! おい、ヴェスタ!」

 ずんずんと部屋の中に入ってきたルーンは、仕切りの向こうでミュウが寝息を立てていることに気付いたのか、ほんの少し声をひそめつつ、

「いつまであの女を放っておくつもりだ!? いい加減、気味悪いぜ!」

「放っておくもなにも、偶然一緒になるのでは仕方ないではないか」

「偶然なわけねーだろうがッ!」

「ぅ……ん。あれ、私……」

 思わず大きくなったルーンの声に、仕切りの向こうでミュウの身じろぎする音と声がした。

 ルーンがしまったという顔をして口を押さえる。

 俺は目を擦りながらこちら側にやってきたミュウを手招きし、近くに座らせて頭を軽く撫でながら、憤るルーンを見上げて答えた。

「まあいいではないか。偶然にせよそうでないにせよ、旅の仲間は多いに越したことはない。なにかあったときには互いに助け合うこともできるからな」

「あのなぁ……」

 ミュウを起こしてしまったことで少しバツが悪くなったのか、ルーンはややトーンダウンしつつも、

「あいつがなにか良くないことを企んでいるとは考えないのかよ……」

「良くないこと? そうなのか、エルダ?」

「ん?」

 俺の問いかけに、ベッドの上であぐらを掻いたエルダは少し考えて、

「そうだな。あるとすれば、貴様の横にいるその可愛い生物をどうやって奪い取ろうかと画策しているぐらいか」

 その言葉にミュウが少し身を固くしたのがわかった。今日まで散々いじられてきているので、さすがに警戒しているらしい。

「よし。あやつを追い出せ、ルーン」

「だから、お前らなぁ……」

 渋い顔でさらに言葉を続けようとしたルーンだったが、考えた挙句に結局何も口にすることはなく、ただため息だけを吐いた。

 そこへ、

「いいではありませんか、ルーンさん」

 ルクレツィアが相変わらずの微笑みを浮かべながら会話に参加してくる。

「仮になにかを企んでいるのだとしても、どうせ彼女の力ではなにもできやしませんわ。それは本人が一番御存知でしょう」

 さらっと毒を吐く。

「……ルクレツィアよ。それはいくらなんでも彼女に失礼ではないか?」

 エルダは仮にもデビルバスターである。そんなプライドを傷つけるようなことを言ってはさすがに気分を悪くするんじゃないか――と俺はちょっとドキドキしたのだが、エルダは自分の手の爪をいじりながら、

「ま、そのとおりだな。だから気にすることはない」

 事も無げにそう言った。

 ルクレツィアはそんなエルダを少しだけ目を細めて一瞥した後、すぐにいつもの表情に戻ってルーンを見ると、

「そんなことより、ルーンさん。後ろの殿方が先ほどから所在無さげにしておりますわよ?」

「え、あ!」

 ハッとして振り返ったルーン。

 部屋の入り口では、ルーン一緒にやってきた男性が俺たちのやり取りを苦笑しながら見守っていた。

 どうやらルーンはその存在を忘れ、ついつい俺たちへの突っ込みを優先させてしまっていたらしい。

「ウォード。わ、悪い」

「いや。お前が楽しそうで良かったよ」

 その男性はルーンに笑いかけながらポンと頭を軽く叩き、それから一歩前に出ると、

「どうも皆さん。楽しんでいただけているようでなによりです。ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。僕はこの宿の管理を任されているウォードといいます」

 非常に丁寧な口調でそう言った。

 その男性――ウォードは、温和そうな口調とは逆に外見は結構威圧感があった。俺よりは若干背が低いものの長身で大柄、いかにも屈強といった見た目で、歳は二十代半ばだろうか。

「おお、これはご丁寧に」

 俺はそんな彼の元まで歩み寄って握手を求めた。

「俺の名前はヴェスタという。連れはこの温泉というものが初めての者ばかりだったのだが、皆たいそう気に入ったようだ。感謝する」

 ガシッと手が重なる。ゴツゴツした、いかにも男らしい手だった。

「こちらこそルーンが大変お世話になったそうで。ワガママで皆様にご迷惑をかけたりはしておりませんか?」

 ウォードがそう言うと、ルーンはその言葉に即座に反応して、

「おい、ウォード! さっきも言ったけどいっつも迷惑かけられてんのはこっち――」

「いやいや。ルーンは歳の割にはなかなかしっかりした子でな。我々も何かと助けられているのだ」

「僕が一緒に暮らしていた頃は本当に手のつけられない悪ガキでして。とするとあれから多少は成長したと考えてもいいのでしょうか?」

「うむ。きっと育った環境が良かったのだろう」

「それはありがたいお言葉です。なにせこの子が村に来たばかりのときなど――」

「……おい! やめろって!」

「む?」

 見ると、ルーンが顔を真っ赤にして俺たちを睨みつけていた。

「んな昔話はどーでもいいだろ! 挨拶終わったんならとっとと帰れよ!」

「なにを言うんだ、ルーン。僕はお前の兄貴分としてちゃんとこの方々にお礼を言わなければ――」

「だからいらないんだって! 余計なことすんなっ!」

 と、ルーンはウォードを無理やり部屋の外へ押し出そうとする。

 俺はそんなルーンをたしなめて、

「おいおい、いかんぞルーン。せっかく仕事の忙しい合間を縫って来てくださったのだ。そう邪険にするものではない。そもそもお前はそういうところがだな――」

「お前もその保護者ヅラやめろッ! ほら、ウォード! とっとと出てけって!」

「お、おい、ルーン……」

 ルーンに押し出されながらもウォードは苦笑しつつ、ではまた――、などと言って部屋の外へと消えていった。

 バタン、と、ドアを閉めてルーンが戻ってくる。

 そして――

「……お前らッ! なんだよ、そのニヤニヤ顔!」

 一同を見回し、ルーンは憤慨してさらに顔を真っ赤にした。

 ルクレツィアが含み笑いをしながら、

「ああ、申し訳ありません。あの方を必死に追い返そうとするのを見て、昔の貴女がどれほどひどかったのかと、ついつい妄想してしまっただけですわ」

「くっ……! あ、あれはただ、こんなところでするような話じゃなかったから――」

「今でさえこのような有様ですのに、ねえ?」

「おい、お前! そりゃどういう意味だ!」

「そう怒るな、ルーン」

 エルダがそんな彼女のフォローに入る。

「あまりツンツンしてると衝動的にベッドに連れ込むぞ」

「くたばれこのド変態が!!」

 そうそう。最近知ったのだが、エルダはこうして頭に血が上ってわめいているルーンのことがミュウと同じぐらいお気に入りらしい。怒鳴られるのも嫌いではないようだ。

 なんとなく気付いてはいたが、ルーンの言うとおり紛れもない変態である。


 ――さて。


 ここらであのウォードという男の素性についても少し説明しておくとしよう。

 先ほど自分でも言っていたとおり、彼はこの温泉宿の管理人にして我々をここに招待してくれた人物であり、そして元々はどうやらルーンが育った村の住人――しかもルーンとは一時期を同じ家で育った間柄なのだそうだ。

 ルーンがもともと孤児だったことは俺も聞いている。つまりウォードはルーンの養親の実子ということになるのだろう。

 ルーンから聞いた話によると、ウォードは昔から聡明な少年だったらしい。貧しい村でまともな教育を受けることもできない環境ながら、時折訪れる行商などから様々な知識を吸収し、やがてとある商人にその才覚を認められた彼は、養子として引き取られることとなったそうだ。

 聞き及ぶ村の状況から察するに、おそらくは金銭で取り引きされたのだろうが、それは彼にとっても悪い条件ではなかっただろうと想像できる。

 それが七、八年前のこと。

 そして昨日。

 ルーンはそんな彼と偶然にも再会を果たすことになったわけだ。


「しかし、こういう奇跡的な出来事というのもあるのだな」

 ルクレツィアとエルダによる“ルーンいじり”がひと段落したところを見計らい、俺は憮然とした顔のルーンへ話しかけることにした。

「ウォードがここにいることはお前も知らなかったのだろう?」

「ん? ああ、まぁな」

 不機嫌そうに腕組みをしたルーンが部屋の隅にあった椅子の上に腰を下ろす。

「私はとにかく遠くに行くってことしか聞いてなかったんだ。二度と会うことはないだろうと思ってたしな。……ま、昔から頭のいいヤツだったけど、あんな立派になってるとは思わなかったよ」

「ふむ」

「お節介なとこも変わってないしな。背は昔から高かったし。体は一回り大きくなってるけど顔はぜんぜん変わってない。ああ見えて喧嘩はあんま強くないんだぜ」

「ほう。体も大きいし、とてもそうは見えんが」

 度胸がないんだよ――と、馬鹿にしたようにウォードのことを話すルーンはこれまで見たこともないほど饒舌で、俺はそんな彼らの間にある絆のようなものの存在を否応なしに感じることとなった。

 一通り話し終えた後、俺はそんなルーンに一言、

「本当に兄弟のような間柄だったのだな」

「まあ……そうだな。少なくとも周りからは本当の兄妹みたいに扱われていたよ」

 ルーンは少し遠い目で言った。

 と。

「御主人様?」

 そこへミュウが会話に入ってくる。

「ここにはいつまで滞在なさるおつもりですか?」

「ん? そうだな……」

 ミュウの言葉に腕を組む。

 正直言うと、何も考えていなかった。ほとんどタダ同然で宿泊させてもらっているので、そう長居するわけにもいかないのだが――

「……なんだ?」

 俺の視線に気付いたルーンが怪訝そうな顔をする。

(どうしたもんか。せっかく再会した彼らをすぐに別れさせるというのも――)

 それが悩ましい。

 せめてここに滞在する別の理由でもあれば、真っ当な宿泊費を払ってしばらく居続けるということも可能なのだが、今日の昼間に歩いて回った限り、この近辺で俺の出番がありそうな事件に当たることはできなかった。

 考えた結果、俺は一つ頷いて、

「まあせっかくのご好意だし、向こうが迷惑しない程度に厄介になるとしようか。こうしてゆるりと休める機会はそうそうあるものではないしな。……ルクレツィア。それで構わんだろうか?」

「私は異論ありませんわ」

 と、言葉が返ってくる。

 続けて、

「私も別に問題はない」

「お前は部外者だろ!」

 エルダに対し、ルーンの厳しい突っ込みが入る。

 俺は言った。

「エルダよ、もう時間も遅い。そろそろ自分の部屋に戻ったらどうだ?」

 実はというか当然というか、彼女は別の部屋に普通の宿泊料を払って泊まっている。

「うん? そうだな」

 外を見てエルダはようやくベッドから下りると、

「ではまた明日来る」

「来んなッ!」

 そんなルーンのきつい言葉に何とも嬉しそうな笑みを浮かべ、エルダはそのまま部屋の外へと消えていった。

(……なんというか、相変わらずよくわからんやつだ)

 俺たちと一緒になるのは偶然なのだとしても、本来の仕事はどうしたのだろうか。彼女は確かヒンゲンドルフ領主に仕えるデビルバスターだったはずなのだが。

 考えて――ふと閃く。

「もしかするとアレだろうか。超絶ハンサムのこの俺様に一目ぼれしてついつい追いかけてきてしまったとか、そういう心躍る展開があったりするのだろうか」

「どんだけおめでたい思考だ、そりゃ……つか、あんな残念な女でも心躍ったりすんのかよ、お前」

「女性に好かれればだいたいは良い気分になるものだ。ルーンよ。お前も同じ男ならわかるだろう?」

「……わかんねっての」

 一瞬何か言いたげな顔をして、そっぽを向くルーン。

 よくわからんが、なにやら気分を害してしまったようだ。


 ――そして、再び部屋のドアがノックされたのは、それから十数分後のことだった。


「何度もすみません。……ルーン。ちょっといいか?」

 顔を出したのはウォードだった。

「ん? なんだよ」

 手招きされたルーンがベッドを降り、ウォードのところまで歩いていく。

 そしてなにやらヒソヒソ話を始めたかと思うと――

「ええっ、マジかよそれ!」

 ルーンのあげた大声にビックリして、俺たちは一斉に彼らを見た。

「無理にとは言わないけど、僕を助けると思って引き受けてくれないか?」

 ウォードは片手で“お願い”のポーズを取っていて、ルーンの表情はこちらからは見えなかったが、どうやら渋い顔をしているようだ。

 その内容が少し気にはなったが、あまり聞き耳を立てるのも悪いだろうと思い、俺は引き続きのんびりとぶどう酒を楽しむことにした。

 やがて――

 バタン、とドアが閉じてルーンが戻ってくる。

 少し浮かない顔だ。

「どうなさいました?」

 俺よりも先にルクレツィアが問いかけた。

 ルーンはそんな彼女をチラッと一瞥して、すぐに俺の方を見ると、

「ヴェスタ。ここにはしばらく滞在するんだったよな?」

「む? ああ、そのつもりだったが。もちろん先方が迷惑しない程度にな」

「実は――ちょっと、あいつに頼みごとをされちまって」

「頼みごと? 良いではないか」

 俺は内容を聞く前にすぐそう言った。

「せっかく再会した兄貴分なのだから、なんでも手伝ってやれば良い。なんだったら俺も力を貸すぞ?」

「あー、いや、そういうんじゃなくてな……」

 と、ルーンが頭を掻く。

 なにやら歯切れが悪い。

「どうしたのだ?」

 さらに尋ねると、ルーンは意を決したような顔をして、

「……なんかよくわかんないんだけど、この宿に今、お得意様の画家が泊まってるみたいでさ」

「うむ」

「それでモデルになって欲しいって言われたらしいんだ」

「……モデル?」

「あら、まあ」

 ルクレツィアがちょっと楽しげな声をあげた。

「モデルというのは、絵のモデルということか? どうしてまたお前に?」

 なにげなくそう問いかけると、ルーンは何故かバツの悪そうな顔をして、

「そんなの私にもわかんないよ! どっかそのへんで見かけてイメージにピッタリだったとかなんとかで――」

「ふむ。それでウォードを通して依頼がきた、ということか」

 俺は絵のことは良くわからないが、あの手の芸術家と呼ばれる人々はいきなりピンときたりするものだというのを聞いたことがある。

 今回のこともその類なのだろう。

「それで、まあ、お得意様だからウォードのヤツも無下にはできないらしくてさ。もし引き受けるならその間の宿泊費はサービスするって言ってくれてるんだけど……」

 困った様子のルーンに、俺は膝を軽く叩いて、

「そういうことであれば、快く引き受けてやるのがいいのではないか? 別に断る理由もなかろう」

 と、軽くそう言ってやった。

 これでこの宿に長く滞在する理由ができるわけだし、ルーンのヤツも慣れない話に困惑した顔をしてはいるが、それだけ再会した昔馴染みと一緒にいられる時間が増えるのだから悪い話ではないはずだ。

 ただ、

「いや、それはそうなんだけど……絵のモデルなんかやったことないし」

「そう難しいものでもあるまい。なぁ、ルクレツィアよ」

 俺が同意を求めると、ルクレツィアはニッコリと微笑んで、

「ヴェスタ様が想像なさっているほど簡単ではないと思いますが、ルーンさんにこなせないようなものでもありませんわ。きっと良い経験になるのではありませんか?」

「……その経験が今後の役に立つとは思えねーけど」

「いえいえ、そうとも限りませんよ。それに――」

 と、ルクレツィアはチラッと俺の方を見て、

「そろそろ、ややこしい問題は片付けておいても良い頃合かと思いますし」

「む?」

「どういう意味だ?」

 俺とルーンは揃って怪訝な顔をしたが、

「そのほうが面白そう、ということですわ」

 そんなルクレツィアの返答に俺はまったくわけがわからず、そしてルーンは不審そうにそんな彼女を見つめたのであった。


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