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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第4話『危機一髪の大量殺戮者(ジェノサイダー)』
25/32

その6「破滅の大量殺戮者(ジェノサイダー)」

~破滅の大量殺戮者ジェノサイダー




「――ヴェスタ=ランバート、ここに見参!!」


 ……決まった。

 圧倒的な数の敵を前に大ピンチに陥った仲間。

 絶対絶命となったそのとき、颯爽と現れる我らがヒーロー。使い古されていながらも決して色あせることのないお約束の展開だ。

 もちろんそれに続く敵の言葉も決まっている。

 突然現れたヒーローに驚愕する敵。

 そして狼狽しながら口にする言葉は――

「はじめまして、ヴェスタ様。私はこのディセニウスのまとめ役をやらせていただいております、ガラティアと申しま――」

「違ぁぁぁぁぁうッ!!」

「……え?」

 俺はそのガラティアと名乗った女性にビシッと指を突きつけて言った。

「そこのセリフは『一体何者だ!?』しか認めん! やり直しを要求するッ!」

「……」

 ガラティアという女は何故か困惑の表情を浮かべた。

 もしかするとこのロマンは男にしかわからないのかもしれん。

 ……ん? 女?

 俺は後ろのセオフィラスを振り返って尋ねた。

「もしかしてあの女が敵のボスなのか? ……ラスボスが女というのは俺としてはなんというか、こう、いまいち盛り上がらないのだが……」

「お前が言っていることの意味はよくわからないが」

 セオフィラス――想像していたよりずっと小柄な青年だった――は、全身血だらけ傷だらけの割には案外平気そうな顔で答えた。

「あの女がまとめ役であることはおそらく確かだ」

「ふむ……まあ、それならば仕方あるまい」

 ちょっと肩を落として敵に向き直った俺に、セオフィラスは言う。

「それよりも、ヴェスタ、といったか。私を助けるつもりか?」

「む?」

 そのセリフに、俺のやる気ゲージがみるみるうちに上昇した。

 俺は彼に背を向けたまま、

「確かに昨日までの我々は互いにいがみ合う敵同士だったかもしれん。……しかし、もともと我らは平和を守るために戦う、いわば同志ではないか」

「勝手に決めているようだが、私は平和とかいうものを守るために戦っているつもりは――」

「さあ、今こそ手を取り合って巨大な悪を打ち倒そうではないか!!」

 同じ男で、このロマンをわかってくれるはずのセオフィラスにも何故か困惑されてしまった。

 どうやらビルア領と違い、ヒンゲンドルフ領のノリは俺と感性が合わないようだ。

「私はもともとビルア領の出身だが――」

「とにかくやるぞ、セオフィラス殿! いや、同志セオフィラスよ!!」

 こうなってくると演出もクソもない、やけっぱちである。

 いや、そもそも演出とかどうでもいいのだ。

 俺は彼を助けにきた。ただそれだけだ。

 だから、その……まあ良いではないか。

 で。

 あるいはセオフィラスも、エルダのように助けを拒否するかと思ったが、

「……よくわからないが、今の私にお前の助けを拒否する理由はない」

 そう言って逆手にしていた右手の剣をゆっくりと持ち直した。

「魔であるお前が血迷って我々人間の味方をするというのであれば、せいぜい利用させてもらうとしよう」

「……むぅ」

 なんとも助け甲斐のない男である。が、ヒーローというのは見返りを求めたりしないものだし、いがみ合いながらも協力して敵と戦うというのも、これはこれで燃えるシチュエーションといえなくもない。

 と。

「!」

 ざわ、と、空気が俺たちの周りで渦を巻いた。

 螺旋を描くようにして流れるその風の行方を目で追う。

 すると、

「本来はルール違反なのですが……」

 その風はガラティアと名乗ったディセニウスのボスである女の手元へと集結しつつあるようだった。

「ゲームの難度が著しく変化するほどの障害が発生した場合、全力をもってその障害を排除することが認められています。つまり――」

 その手の中で風の渦が球体状に凝縮される。

「ヴェスタ様。我々はまず全力をもって貴方をこのゲームから除外します。……今なら自ら退場することも認めますが、そのつもりはないのですよね?」

「ゲーム? なんのことだ?」

 俺はその言葉の意味するところがわからずにガラティアへとそう問いかける。

 ガラティアは微笑を浮かべて答えた。

「もちろん大陸最強のデビルバスターであるセオフィラス様の命を狩り取るゲームです」

「……」

 彼女のその笑みを見ただけで、俺は悟る。

(これが、デビルバスター・ハンターズか……)

 彼女に――いや、彼女たちにとって、これは正真正銘の“ゲーム”なのだ。生きるためでもなく、主義主張に則ったものでもなく、ただ娯楽としての狩り。一部の人間が動物相手にやるあの“狩り”を、彼らは人間の、それもデビルバスターを相手にやろうとしている。

 俺はその事実を悟り、目の前にいるその魔が女性であることを忘れることにした。

 ここに至れば性別なんて関係ない。

 人の世の平和を守るため、彼らはここに居てはならない存在だ。

 ガラティアは言葉を続ける。

「先ほどの力を見る限り、貴方は王魔のようですね。最強のデビルバスターと一緒に希少な闇の王魔も狩れるとは、私たちはとても運が良い」

 そして、この余裕。

 出会い頭の一撃でかなりの数の敵を戦闘不能に陥れたはずだが、まったく動じた様子もない。

 敵の予想外の反応に、俺の背中には冷や汗が浮かぶ。

 相手の力量も考えずにこうして出てきてしまったが、少々無謀だったか――と。

 引き下がるつもりは毛頭ない。

 が、しかし――

 エルダとの戦いで感じた、死と隣り合わせの嫌な気配。

 それと同じ匂いが、ガラティアの手の風の渦から薫っていた。

「……あの、女」

 セオフィラスがポツリと呟く。

「ただの将魔じゃない――」

「む?」

 聞き返そうとしたが、その呟きの意味は、すぐに身をもって知ることとなった。

「最期にご紹介しておきましょう」

 と、ガラティアが左手を右肩へ添える。

「……?」

 今まで暗くて気が付かなかったが、黒い小さな鳥が彼女の右肩にとまっているのに気付いた。

「この子は風の契約者で“眠鳥”と呼ばれる種族です。名前はパールといいます」

「……契約者?」

“契約者”――久しぶりに聞くその言葉は、魔界に住んでいながら、魔界に住む者ですら滅多に見ることがないという、人と獣の特性を併せ持つ――つまりはミュウのような存在を指す言葉だ。

 つまり――

 ガラティアは指先でそっとその鳥の首筋を撫でた。

「この子はその通称どおり普段は眠ったままなのですが、主が力を振るうときにだけ目を覚まし――」

 ゆっくりと。

 黒い鳥の目が開く――。

 その、瞬間。

 突風が周囲で渦を巻き、天に昇った。

「な……ッ!!」

 たちまち完成する、俺たちを外界から隔離するかのような分厚い風の壁。そばにある大人数人分はあろうかという太さの木々が、まるで爪楊枝か何かのようにポッキリと真っ二つに折れ、次々となぎ倒されていく。

 重たく、厚い、風の津波。

「く……ッ!」

 まともに目を開けていられない。

 視界がほとんどゼロになった。

 鼓膜を襲う轟音に、聴覚もおかしくなる。

 その場から一歩も動いていないのに、方向感覚さえ狂ってきた。

「……ッ!」

 立っていることさえままならず、セオフィラスが片膝をついたのがわかった。

 そしてどこからか、ガラティアの声だけが響いてくる。

「このとおり“眠鳥”は主の風の力を増幅してくれます。私は戦うことは苦手なのですが、この子のおかげで、あなたがた王魔ですら凌駕するほどの魔力を振るうことができるのです」

「……ッ!」

 この力を見ればそれがハッタリでないことはすぐにわかる。

 つまり、それが彼女の余裕の理由。

 彼女は一人でもその“ゲーム”を攻略できるほどの力を隠し持っていたのだ。

(冗談抜きで、ヤバい……ッ!)

 周囲は風の壁に囲まれ、逃げ出すこともできない。

 ならば――とにかく力の限り抵抗するしかないだろう。

 やがて来る敵の攻撃に備え、俺は腹の中心辺りに力を込める。

 そこからあふれ出す力。

 エルダとの戦いのときは懸命に抑えようとしたその力を、逆に体の底から搾り出す。

 チリ、チリ……ヂリヂリヂリヂリ……

 痺れるような力の奔流が全身に広がり、やがて右腕に収束する。

 小細工はしない。

 する余裕もない。

 ……あとは祈るのみだ。

 この体に宿る力が、この死地を乗り越えてくれることを。

 視界ゼロの暴風の中。

 やがて“何か”の弾ける気配が、耳と、肌と――五感のすべてに伝わってくる。

 迫り来る。

 天地を二つに引き裂く、禍き凶将の風。

 俺は、吼えた。

「……ぉぉぉぉぉぉぉ――――ッ!!!」

 右腕に宿したありったけの力を闇雲にそれに向けて叩き付ける。

 迸る黒き閃光。

 人智を超えた二つの力はやがて激突する。

 衝撃の波。

 大地が沈み。

 天が震える。

「――」

 残っていた幾人かの将魔たちも。

「ッ――」

 傷ついた最強のデビルバスターでさえも。

 いずれも身動きすることすら叶わず。

 ただ黙って見つめるしかなかった。

 二つの力が激突するその瞬間を。

 そして拮抗した二つの力は――いつ果てるとも知れぬ綱引きのように――


 ……は、ならなかった。


「……え?」

 惚けたような呟きが誰のものかよくわからなかったが、女性の声だったのでおそらくはガラティアのものだろう。

 その彼女の呟きは、そのまま俺の心の声でもある。

 呆気なく。

 あまりにも呆気なく、死の匂いを撒き散らしていた禍禍しき風は、俺の放った黒い光とぶつかった瞬間、まるで空気中に溶けるように四散していた。

 そして、

「嘘――……」

 蘇った視界の中、ぽかんと口を開けた、まるで子供のようなガラティアの表情が妙に印象的だった。

 そして、


 ……ちゅどーん。


 と、いう音が鳴ったかどうかは定かではないが、最悪のデビルバスター・ハンターズ“ディセニウス”は一瞬にして壊滅したのだった。






「くそくらえ、でしたね」

 と、ミュウが言った。

「……うーむ」

 そんな簡単なものでもなかった気がするのだが、結果だけ見るとそういうことになるのだろうか。

 事件から三日後の昼。

 よくわからんが、ガラティアたちディセニウスのメンバーは数名が命を取り留めて、今はグリゴーラスの用意した魔力を封じる特別な牢屋の中にいるそうだ。これだけ多くの将魔を生きたまま捕らえることは歴史上でもかなり稀なことらしく、謎に包まれていたデビルバスター・ハンターズたちの姿が多少なりとも解明されるのではないかと期待されているらしい。

 まあ、その辺りのところは専門家に任せることとして。

 山賊退治という当初の任務を終えた俺たちは、ミュウが怪我をしていたことと、その影響なのか彼女にしては珍しく体調を崩してしまったこともあって、事件以降も町の宿に留まり続けていたのだった。

「その、俺は死ぬかもしれないという覚悟で戦っていたつもりなのだが……」

 なんだか壮大な肩透かしを食った気分である。

 これが英雄譚だったなら、歌い手の吟遊詩人は観客から総スカンを食らうこと請け合いだろう。

「御主人様がそんなくそくらえな連中に負けるはずはありません」

 ミュウは相変わらず地味に毒舌だった。……というか、いつの間にか“くそくらえ”が口癖になってたりするんじゃないかと、お父さんは少し心配である。

「結局大した敵じゃなかった、ってことでいいのか?」

 ルーンが不可解そうな、物の怪に化かされたみたいな顔でそう言った。

 それにルクレツィアが異論を唱える。

「そんなはずありませんわ。……ミュウちゃん、ようやく熱も下がってきたみたいね」

 ミュウが横たわるベッドの横に座った彼女は、この三日間ほとんど彼女のそばを離れずに、まるで実の妹の看病をする姉のように献身的だった。

 本当はルーンが最初にそれを申し出てくれたのだが、やはり女性の看病は女性に任せるべきだろうと俺が主張し(その後、何故かルーンに蹴られた)、結局その大半をルクレツィアに任せることとなったのである。

 ミュウもそんな彼女には感謝しているようで、

「もう平気です。ルクレツィアさんのおかげです」

「そう? でも今日いっぱいは横になってたほうがいいわ」

 身を起こそうとしたミュウの肩を優しく押して、ルクレツィアはルーンのほうへと向き直った。

「先ほどの話ですけれど……私も一般的な知識しかありませんが、デビルバスター・ハンターズというのはいずれも危険な存在ばかりです。つまり敵が大したことなかったわけではなく、ヴェスタ様が強すぎただけですわ」

「なんだよ。ミュウと同じこと言ってるだけじゃんか」

「そうとしか言いようがありませんもの」

 澄ました顔でルクレツィアがそう言うと、

「……ふん」

 ルーンは何故か面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 ……と。

 コン、コン。

 ノックの音に、ルクレツィアが即座に返事をする。

「開いてますわ、エルダさん」

「む?」

 何故、エルダだとわかったのか、と、そう質問する前にドアが開く。

 するとそこには、ルクレツィアの言葉どおりの人物――見慣れた薄緑色の制服に身を包み、腰に剣をぶら下げたエルダが立っていた。

「おお、エルダ殿。元気であったか?」

 思いもかけぬ来訪者に俺が歓迎の意を示すと、エルダはチラッと俺を一瞥するなり、すぐにルクレツィアへと視線を向けた。

「何故、私だとわかった?」

 ルクレツィアはリンゴの皮を剥きながらにこやかに答える。

「貴女以外にここを訪れる客は考えられませんもの」

「宿の人間だとは思わなかったのか?」

「そうだったとしたら、人違いでしたとお茶目に舌を出すだけですわ」

 と、ルクレツィアはその言葉どおり、エルダに向かって小さく舌を出してみせた。

 エルダは目を細めて、

「……聞いたとおりのしたたかなお姫様だな」

「いいえ。見たとおり一人では何もできない、か弱き乙女です」

「まあいい。……今日はそっちの娘の様子を見に来たのだ」

 エルダはベッドの上のミュウを見る。

「そっちへ行っても構わないか? ……ああ、心配であれば剣は誰かに渡そう」

 と、腰の鞘を外し、入り口付近にいたルーンへそれを差し出す。

 俺は言った。

「無用だ。いまさら貴女が我々に危害を加えて得をすることは何もなかろう」

「私はデビルバスターだからな」

 外した鞘をルーンに押し付けるようにして渡し、エルダはこっちに近付いてきた。

 ルクレツィアが席を空ける。

「……」

 ミュウは無言のまま、近付いてくるエルダを見つめている。

 無表情だった。

 警戒しているのか――と、一瞬そう思ったがすぐに考え直す。

 ……これはもともと彼女が持っていた普通の表情だろう。違って見えたのは、ミュウがルクレツィアやルーンに対してそれとは違う表情を見せるようになっていたから。むしろそっちが特別なのだと考えるべきだ。

 エルダがベッドの脇に腰を下ろす。

 無表情に彼女を見つめ返すミュウ。

「ミュウ、といったな」

「はい。何の御用ですか?」

 エルダは何か確認するように、ミュウの体の上で視線を小さく動かした。

 ミュウは微動だにせずエルダを見つめている。

 やがて、

「……なるほど」

 エルダは小さく頷いた。

 俺は怪訝に思って、

「エルダ殿? どうしたのだ?」

「いや」

 エルダはチラッと俺を振り返って、

「私は今でこそデビルバスターが本職になっているが、もともとは魔界学者でな」

「魔界学者?」

「魔のことはもちろん、魔界の環境、社会構造などありとあらゆることを研究する学者だよ。昔は研究するだけで魔の側に立つ者だと迫害されたらしいが――昔の人間は何故か、魔を研究することが連中に対抗する一番の近道だということに思い至らない者が多かったらしい」

「ふむ」

 あまり耳にしたことがないので、おそらくは今も一般的とはいえない分野なのだろう。

「それで、貴女が魔界学者だったこととミュウを見つめていたこととはどういう関係が?」

 俺がそう質問すると、エルダは答えた。

「別に関係ない」

「関係ないんかい!!」

 何のための説明だったのだ、今のは。

 と。

 脱力した俺をよそに、エルダは再びベッドの上のミュウに視線を戻す。

 そして呟いた。

「やはり、な」

「む?」

「可愛い」

「は?」

 聞き返す間もなく。

 ……むぎゅぅぅぅぅぅぅ。

 唐突にミュウを抱きしめるエルダ。

「むぐっ……ご、御主人様、く、苦し……」

「だぁぁぁぁ――ッ!」

 エルダを無理矢理ミュウから引き剥がす。

「……あぁん」

「あぁん、ではない! 貴女はいったい何がしたいのだッ!」

 近所迷惑も顧みずに俺がそう怒鳴ると、エルダは胸を張って言った。

「私は男も女も可愛い子が好きだ。それがなにか?」

「聞いとらんわッ!!」

「……でも、確かにセオフィラス様は小柄で童顔ですわね」

 何故か納得顔のルクレツィア。

 エルダは大きく頷いて、

「わかっているではないか。あの見た目で三十歳とかもう考えただけで涎が――」

 俺は悲鳴を上げる。

「わかった! わかったからもうやめてくれ! これ以上デビルバスターに憧れる少年の夢を壊さないでくれ!!」

 俺の中のデビルバスター株は完全にストップ安である。

「そうか?」

 エルダは少し不満そうだったが、

「そこまで言うなら、セオフィラス様のチャームポイントの話は置いておくか。ああ見えて既婚者だしな。略奪愛は不道徳だからな」

「……」

 俺にはこの女性の思考が何一つ理解できない。

「では、邪魔したな」

 やがて、エルダは椅子から立ち上がりベッドから離れた。

「……結局、何しに来たのだ……」

「だから言ったではないか。その子を見に来たのだと」

 と。

 エルダはふと思い出したように振り返って、

「この町にはいつまで滞在するつもりだ?」

「む?」

 初めてまともな質問をされた気がする。

 俺はチラリとミュウを見て、

「調子を見つつ、だが……あさってぐらいには発つことになるだろうな」

「あさってか。早いな。……そうそう。その娘は大事にしてやるのだぞ。セオフィラス様相手にずいぶんと頑張ったようだからな」

 そう言い残し。

 エルダはさっさと出て行ってしまった。

「……なんなのだ、あの人は」

 結局、なにがなんだかさっぱりである。

「……けほっ」

 軽く咳き込む声に、俺はベッド上のミュウへと視線を戻すと、

「ミュウよ。平気か?」

「あ、はい。……あの、御主人様」

 ベッドの上からミュウが俺を見上げる。

「どうした?」

「あの人が今言ってました……私、御主人様のお役に立ててましたか?」

「む?」

 言われて思い出す。

 彼女の頑張りを労ってやるのをすっかり忘れていたのだ。

「……」

 ミュウは少し不安そうな顔をしていた。

 まるで捨てられることを恐れる小動物のように。

 ……そんな顔をする必要はこれっぽっちもないというのに。

「もちろん役に立っていたとも。……な、そうだろう?」

 そう言って俺が他の二人に水を向けると、ルーンが真っ先に答えた。

「まぁな。お前がいなきゃ私も姫さんも死んでただろうし……発端がそこの馬鹿だったってことは置いといてな」

 相変わらず一言多かった。

「ま、そういうことだ、ミュウよ」

 俺がそう言うと、ミュウは少しだけホッとした表情をした。

「ですが、私、今回は最後まで御主人様のお力になることができませんでしたから……」

「気にすることはない」

 俺は彼女にそっと手を伸ばす。

 ぽん、と、頭に手を乗せて撫でてやると、ミュウは少しだけ目を細めた。

「お前はよくやってくれた。俺の方こそ、お前にこんな怪我をさせてしまったことを謝らねばならぬ」

「そ、そんな、御主人様が私に謝ることなんてあり得ません。……でも」

 そう言って。

 ほんの少しの躊躇。

 ミュウは上目遣いに俺を見た。

「もしも誉めていただけるのであれば……御主人様」

「む?」

 何かをねだるような表情。

 ミュウがこんな顔をするのは初めてのことだった。

 俺は少し嬉しくなって、

「どうした? 遠慮せずに言ってみろ」

「……」

 さらに躊躇。

「……あの、さっきの――」

「む?」

「……」

 ミュウは少し視線を伏せて言った。

「ぎゅっ……て、してください」

「……」

 その言葉を聞いた瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。

 華奢なミュウの体をそっと抱きしめる。

 と。

「……」

「……」

 いつの間にかルーンとルクレツィアも集まって、同じようにミュウを抱きしめていた。

「むぐ――……」

 ミュウは少しだけ苦しそうな声を出したが、

「……」

 確かめるように、ルーンの手、ルクレツィアの手。

 最後に俺の手に触れて。

「……御主人様」

 嬉しそうに微笑む。


 そして俺は改めて思った。


 ああ、皆が無事でよかった――と。


 そして、俺たちの旅は、これからも変わらずに続く――。






「……セオフィラス様」

「エルダか。ご苦労だった」

 あの戦いから三日目。

 町に戻ってすぐに医師の治療を受けたセオフィラスはまだ自力で満足に歩くこともできない状態だったが、それでも後始末のため、この日から執務に復帰していた。

 執務室に入ってきたエルダは、いつものとおり直立不動で敬礼をする。

「四点、ご報告があります」

「ああ。頼む」

 短く先を促すセオフィラス。

 エルダが口を開く。

「一点目については、順調に回復している模様です。心配はありません」

「……」

 セオフィラスは何も答えなかった。

 エルダもそれについて深く説明することはなく、

「二点目、ディセニウスについてですが、生け捕りにしたメンバーから聞き出せた範囲での話で推測も多分に含まれております。……アンブロウズ、アースラという二名の将魔が姿を消していたようです。事実だとすれば、いずれディセニウスは再建されることになるかもしれません」

「そうか」

 セオフィラスは短く呟いた。

 この機会に“最悪のデビルバスター・ハンターズ”の歴史を終結させられればと願っていたが、どうやらそれは叶わない可能性が高い。

 セオフィラスが視線で先を促す。

「三点目、ガラティアに憑いていた風の契約者はいずこかへと消えたようです。……契約者は命を落とすと塵のように消滅するという説があります。死亡したとも考えられますが――」

 セオフィラスは小さく頷いて、

「契約者はそう容易く主人を変えないと聞く。生きているにしろ死んでいるにしろ、無理に追跡する必要はないと考えるが、魔界学者である君の意見は?」

「私も同じ考えです」

「そうか。ではそれでいい。四点目は?」

 少し、間があった。

「もう片方の契約者のお話です」

「……あの娘、やはり契約者か?」

 セオフィラスの問いかけにエルダは頷いて、

「確認してきました。左右の肩甲骨に小さな四つのしこり。四枚の羽。かなり古い文献にしか名前がありませんが、その記述が正しいとすれば“感応幻蝶族”と呼ばれる、幻魔に属する白蝶型の契約者です」

 手に残る感触を再確認するように、エルダは微かに指先を動かした。

「根拠は四枚の羽だけか?」

「それだけではありません」

 エルダは直立のまま続ける。

「感応幻蝶族は主の力を吸い取ってそれを糧に生きると言われていますが、このとき吸い取るのは、主が本来有する力と正反対の力です。つまりは十属性の対極、主が炎魔ならば水、風魔ならば地、氷魔ならば雷――」

「闇の対極は光、か」

 辻褄が合う。

 それだけでも彼女の推測を裏付けるには十分だとセオフィラスは思った。

「その、感応幻蝶族について、ですが――」

 エルダは淡々と続けた。

「感応幻蝶族は吸い取ったその力を自ら行使することに加え、対極の属性を吸収することによって主が持つ本来の力を相対的に増幅します。……つまり、感応幻蝶族と契約した者は、自らの力を増幅しながら、元の自分に匹敵する力を有する忠実な従者をも手に入れることになります。他にもやや信憑性は低くなりますが“朧”と同等の偽装能力――人間を装う力も授けられると書かれた文献もあります」

 セオフィラスは少し眉をひそめた。

「我々にとってはありがたくない話だな」

「……」

 そこで初めて。

 それまで淡々と話していたエルダの表情に僅かな陰が差した。

「どうした?」

「……感応幻蝶族は将魔クラスが手に入れると国、王魔クラスが手にすると世界を滅ぼしかねないほどに危険な存在です。しかし当然のことながら、実際に世界が滅ぼされたことはありません」

「それほどに希少な存在ということではないのか?」

「それもあります。ただ――」

 と、エルダはずっと脇に抱えていた一冊の本を手に取り、セオフィラスの執務机の上で開いた。

 セオフィラスは不自由な体を小さく動かしてそれを覗き込むと、

「ずいぶんと古いな」

「これでもかなり後に作られた写本です。原本は遥か昔に失われたと聞きます。……それほどに古い文献ですので、どこまでが信用できるのかわかりません」

 並んでいる言葉には古い文字がかなり混じっていて、セオフィラスにはすぐに解読することができなかった。

「ここに感応幻蝶族についての一文があります」

 エルダはその中の一節を指し示す。

「其は破滅の兆し、其は破滅の従者、其は――」

 節をなぞっていた指がピタリと止まった。

「其は――破滅を食らう者也」

「……なるほど」

 セオフィラスはその意味するところをすぐに察する。

「別の文献には“死の蝶”や“寄生し尽くすモノ”と表現しているものもあります。……もし、これが正しいのだとすれば――」

 エルダが少しだけ、珍しく感傷的な声を出した。

 セオフィラスはそれに気付かないフリをして、

「……破滅をもたらす者を食らい尽くす、死の蝶か。それが本当だとするなら、我々人間にとっては天使のごとき存在なのかもしれないな」

「……」

「あの男が破滅をもたらす者なのであれば、な。いずれにせよ――」

 いずれにせよ、それをどうすることもできない。

 セオフィラスは途中で言葉を止め、そのカビ臭い本から視線を外す。

 エルダは思いつめた表情でその文献を見つめ続けていた。

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