その5「危機一髪の大量殺戮者(ジェノサイダー)」
“最強”と呼ばれるようになったのはいつの頃だったろう。
デビルバスターになったのが八年前。グリゴーラスの隊長となったのが三年前。初めてそう呼ばれたのはその少し前だったから、そう呼ばれるようになったのはおよそ三年半ぐらい前のことか。
自分より優れたデビルバスターの存在をすでに知っていたから、自分が本当に最強だと思ったことはないし、そう呼ばれたいと思ったこともないが、同時に、そう呼ばれることを拒否したことも一度もなかった。
周りが最強であることを自分に期待するのであれば、そう振る舞う。
呼び名に見合うだけの働きをする。
そう心がけるだけ。
この状況になってもそのことは忘れない。
“最強のデビルバスター”は“最強の人間”ということでもある。
ならば、人間の底力を示すのも自分の役目だ。
精魂尽き果てたかに思えた体に再び血が駆け巡る。
肩の腱が切れて左腕が上がらなくなっても。右足が重度の凍傷で満足に動かなくなっても。
愛剣を振るう右腕が動く限り戦い続ける。
最強の呼び名に恥じることのないように。
“狂嵐”を振るう――。
同時に飛び掛ってきた三人の上位魔が一撃で地面に崩れ落ちた。引き換えに左手首辺りに痺れるような痛みが走ったが、左腕はとうに捨てている。問題はない。
そうして、すぐに正面にいる二人の将魔に注意を向けた。
周囲には無数の死体。もはや数えるのは止めていたが、将魔が七人、上位魔がおそらくは三十人前後。今相手をしている連中で三セット目だったが、それでも周囲には多数の気配が潜んでいる。相変わらずの敵の余裕から考えてもまだ半分も行ってないのだろう。
どこまで行けるだろうか――
一瞬頭を過ぎったその考えを掻き消す。
考える必要はない。
行けるところまで行くだけだ。
何度目になるかわからない、体中に残った搾りカスのような力を引きずり出す。
まだ、戦える。
まだ――
その、瞬間だった。
「……ッ!!!」
右腕に抉られるような痛みが走って鮮血が噴き出した。
油断というべきか。
あるいは限界というべきなのか――。
袈裟懸けに切り落とされ、足元で絶命していたはずの上位魔がニヤリと笑みを浮かべて見上げている。
その手から伸びた剣が、彼の右腕に深々と突き刺さっていた。
「……!!」
激痛に奥歯を噛み締めながら、剣を逆手に持ち直して足元に突き立てる。
うめき声とともに鮮血が飛び散った。
だが、突き刺した感触は手の平に返ってこない。
――これまでか。
右手首から先の感覚がほとんどなかった。剣は不思議と手の中に収まったままだったが、逆手にしたそれを持ち直すこともできない。
これでは――戦えない。
セオフィラスはついに観念して夜空を見上げた。
そして、見る。
「――」
夜天を覆いつくす、漆黒の闇。
「……アレ、は――」
夜鳥の鳴き声よりも遥かに不吉なその兆しに、セオフィラスは世界の終焉を予感した――。
~危機一髪の大量殺戮者~
「……いたぞ!」
と、いうその声に、敵かと思って振り返った俺の目の前に現れたのは、見慣れた褐色肌の少年だった。
「ヴェスタ! よかった、無事だったのか!」
「ルーン!?」
その姿を見た瞬間、俺がどれだけ安堵したことか。エルダの話を聞いて積もりに積もっていた不安が、熱湯をかけられた氷のようにすぅっと消えていった。
さらに、そんなルーンの後ろからルクレツィアも姿を現す。
「……ヴェスタ様! はぁっ……」
「ルクレツィア! おお、貴女も無事であったか!」
俺は喜びのあまり、二人に駆け寄っていく。
そのままいっぺんに抱きしめてやろうかと、そう思ったのだが。
「!」
途中で、止まった。
視線をルーンの背中へと移動させる。
そして、
「ミュウ!?」
ルーンに背負われたミュウが力無くぐったりと目を閉じているのを見て、背筋が凍りついた。
俺は思わずルーンの肩を掴んで、
「ル、ルーンよ! いったいなにがあった!? ミュウは! ミュウは大丈夫なのか!」
「うわぁっ、お、落ち着けよ、ヴェスタ! ちゃんと生きてるって――ああ、もう! おい、ルクレツィア! 説明してやってくれ!」
「……はぁっ、人使いの、はぁっ……荒い方ですわね……ほんとに、もう……」
肩で大きく息をしながらルクレツィアがゆっくり顔を上げる。
「まずは……落ち着いてくださいませ……ヴェスタ様……」
「う、うむ……すまん」
ルクレツィアにそう言われ、ルーンの肩を離す。
そうして俺は改めて彼らの姿を見た。
ルーンはいつも使い古した服を身に着けているので目立たなかったが、ルクレツィアを見ると、身に纏っている上質な洋服は泥や引っかかった枯れ枝やらで見る影もないほどボロボロになっていた。
そしてルーンに背負われたミュウ。
彼らがどんな状況でここまでやってきたのか。
だいたい想像することができる。
「ヴェスタ様。実は――」
ようやく息が整って、ルクレツィアはチラッと俺の後ろのエルダを一瞥し、すぐに俺の方へ視線を戻して言った。
「ヴェスタ様と別れた後、私たちはセオフィラス様に追いつかれてしまい、一時は対峙したのですが……そこを突然、正体不明の魔に襲撃されたのです」
「正体不明の魔……だと!」
エルダを振り返ると、彼女は無言のままに頷いた。
――デビルバスター・ハンターズ。
おそらくその連中に間違いないだろう。
ルクレツィアは続けた。
「私たちはセオフィラス様にその場から逃がしていただいて、それでヴェスタ様を探して、ここまで来たのですわ。ミュウちゃんもつい先ほどまでは意識があったのですが、ヴェスタ様の姿を見て安心してしまったのかもしれませんわね」
「……そうか。セオフィラス様はお前たちを逃がしたか」
エルダがポツリとそう呟いた。
複雑そうな、それでいて納得したような、そんな呟きだった。
エルダの視線がルーン、ミュウ、そして最後にルクレツィアを捕らえる。
「ならば……セオフィラス様のおかげで救われたその命、せいぜい大事に使うことだな」
「……」
俺はルーンに背負われたミュウに顔を近づけた。
彼女の体が呼吸しているのがわかる。
ルーンの言ったとおり、生きていた。
「ミュウ……」
自分の目でそれをまず確認してひとまず安堵した。
次に、視線を彼女の全身へと移動させる。
いつも真っ白な法衣は黒く汚れていた。泥だけではない。血の乾いた跡のようなものもある。返り血ではなくミュウ自身の血だろう。その証拠に、幼く見えるその顔には多数の擦り傷や血の跡が残っていた。
痛々しい。
幼い外見の彼女だからこそ、余計にそう感じてしまう。
ポツリ、と、ルクレツィアが言った。
「ミュウちゃんは、私たちを守るために一生懸命戦ってくださいましたわ」
「……そうか」
そんなにも頑張ったのであれば、あとで誉めてやらねばなるまい。
が。
今はそれよりも――
「エルダ殿」
俺は一人で先に進もうとしていたエルダを呼び止めた。
「……」
無視されるかもしれないと思ったが、エルダは立ち止まってこちらを振り返る。
「なんだ?」
俺は問いかけた。
「セオフィラス殿はどうしてこの子らを逃がしてくれたのだろうか?」
「……ディセニウスの存在を知って、貴様らが無実であると悟ったのだろう。さっきも言ったように、セオフィラス様は無用な殺生を好まれる方ではない」
「つまり我々は無罪放免ということでよろしいのかな?」
「ひとまずはな。さっきも言ったが、我々にはもう貴様らに構っている余裕がない」
「それを聞いて安心した」
俺はホッとして笑った。
「……ヴェスタ?」
「ヴェスタ様?」
背後でルーンとルクレツィアの怪訝な声が上がる。
俺はそんな二人にチラッと視線だけ向けて、再びエルダのほうへと向き直った。
「エルダ殿。貴女はセオフィラス殿の加勢に行かれるつもりのようだが――どうせ死ぬつもりなのだろう? ならばその命、もっと有意義なことに賭けてみないか?」
「有意義なこと?」
怪訝そうなエルダ。
俺は深く頷いて、
「うむ。我が家には“受けた恩は借金してでも返せ”という家訓があってな」
「……ひでぇ家訓だな」
ルーンの突っ込みが入ったが、ひとまずさらりと流しておく。
「エルダ殿がその命を今、俺の娘たちを守るために使ってくれるのであれば、セオフィラス殿から受けた恩と合わせ、大いに報いてみせようではないか」
エルダはしばし思案するような表情を見せて、
「……回りくどい言い方だな。つまり、言うとおりにすれば貴様がセオフィラス様に加勢する、とでも言いたいのか?」
「味気なく言えば、そのとおりだ」
「馬鹿馬鹿しい」
取るに足らないという表情でエルダはそう言った。
「行ったところで無駄に命を落とすだけだ。それに、デビルバスターでもない貴様がディセニウスと争う理由はあるまい」
「理由ならある。……知らぬのか?」
そんなエルダに、俺は手にした長剣を肩に乗せて言った。
「俺たちはもともと山賊退治をするためにこの町までやってきたのだ。それを後から来たあなたがたがゴチャゴチャと掻き回しただけ。山賊とやらの正体はどうやら何とかいう魔の集団だったようだが、そんなことは関係ない。いわば、これは最初から俺の領分なのだ」
「馬鹿かお前は――」
「馬鹿ではない。ヴェスタだ。強いて付け加えるなら正義の味方の、な」
「――」
エルダが返す言葉に詰まった隙に、俺はさらに続ける。
「ついでに、この子たちを逃がしてくれたセオフィラス殿への恩と――」
俺はそう言って、寝息を立てるミュウの頬をそっと撫でた。
乾いた血の跡。
一瞬だけ、沸騰しかける。
「……可愛い娘をボロボロにしてくれた恨みも、倍にして返してやらねばならぬのでな」
「おい、ヴェスタ――」
ルーンがいつになく心配そうな声を上げる。
「お前、本気なのか? 奴らとんでもない数だったぜ。いくらお前でも……」
俺は少し意外に思ってルーンの顔を覗き込む。
「心配してくれるのか、ルーンよ?」
「そういうわけじゃねぇけど……」
いつもなら即座に否定するはずのルーンの歯切れが悪い。
どうやら本当に心配してくれているようだった。
「心配いらぬ」
その気持ちを感じるだけで体の底から力が沸いてくる。
「けど――」
「何故ならば……正義の味方は必ず勝つものだからな!」
漆黒のマントを翻し、俺は胸を張って歩を進める。
心配はない。
俺は決意する。
――“最悪”の連中が相手だというのであれば。
同じく“最悪”のこの力を存分に振るってみせようではないか――と。
「……誰かが近付いてくる?」
第一報がガラティアの耳に入ったのは、フィロメーナの率いる第二部隊の敗色が濃厚となりつつあった頃だった。
何者かがこの狩場に近付いてきている。
それは気持ちよく狩りを楽しんでいたガラティアにとって、決して気分の良いものではなかった。
「おそらくは一緒に山に入っていたもう一人のデビルバスターですね。……さて、どうしたものでしょうか」
ガラティアは肩に乗せた黒鳥の首筋を人差し指で軽く撫でながら思案する。
第一部隊で十分にセオフィラスを討ち取れるものと見込んでいた彼女にとって、今、第二部隊をも全滅させようとしている彼の抵抗はまさに想像以上のものだった。
が、しかし。
それは単に想像以上だった、という、ただそれだけのことに過ぎない。
今世代のディセニウスが戦闘要員として集めたのは、二十一人の将魔と九十三人の上位魔たちだ。
これは、小国が相手なら人間の国に戦争を仕掛けることさえ難しくないほどの戦力であり、セオフィラスに追い詰められつつある第二部隊が仮に全滅したとしても、被害はまだ全体の三割にも満たない。
一方のセオフィラスはといえば、最強のデビルバスターの名に恥じることのない戦い振りをここまで見せてはいるが、すでに限界の色が見え始めている。どう転んだとしても次の第三部隊を乗り越えることは叶わないだろう。
後ろを振り返る。
第三部隊から第七部隊までを率いる将魔たちがそこで出番を待っていた。
ガラティアは言った。
「……アースラ。良かったですね。貴方にも出番がありそうですよ」
声をかけた相手は、第七部隊を率いる氷の将魔、銀色の髪の少女アースラだ。
「我々にとっては少々物足りない相手ですが、向こうもデビルバスターであることに変わりはありません。行ってきなさい」
「……」
ガラティアの言葉にアースラが無言で頷くと、周囲がざわめき、やがてその音は波が引くようにして離れていった。
邪魔者を排除するために。
「……さて」
ガラティアが視線を戻すと、第二部隊最後の上位魔がセオフィラスの剣に胸を貫かれて絶命したところだった。
彼らの被害はこれで、将魔六人、上位魔が二十六人となる。
しかし。
「……」
死体の海の中に立つセオフィラスは、最初と変わらぬ様子でそこにたたずんでいる。遠目には呼吸を乱している様子もないし、まだまだ健在、というように見えなくもない。
だが、実際の戦いぶりを見ていればわかる。
彼がどれだけ傷つき、どれだけ消耗しているのか。
ガラティアは言った。
「どうやら貴方の手柄となりそうですよ、アンブロウズ」
第三部隊を率いる炎の将魔、燃えるような赤短髪の少年アンブロウズは、ディセニウスの中でも最年少で、まだ十三歳だった。幼いながらも将魔としての力はディセニウスの中でもすでにトップクラスで、これからの成長分を見込めば、十数年後、彼が次代のディセニウスを率いるようになっているかもしれない、と、ガラティアは考えている。
そういう意味でも、彼がここでセオフィラスを仕留めるというのは、なかなかよくできたシナリオだった。
が、
「……」
最年少の少年はガラティアの言葉に反応せず、あらぬ方向を見つめていた。
いや。
あらぬ、ではない。
彼が見ているのは、アースラ率いる第七部隊が向かった方角、つまり何者かがやってくる方向だった。
「アンブロウズ? どうしました?」
「……ガラティア様。その手柄、第四部隊のレイノルドにお譲りします」
「なんですって?」
「嫌な予感がします」
怪訝な顔のガラティアに、アンブロウズは真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「私をアースラの援護に向かわせてください。ガラティア様もご存知のとおり、この辺りには正体不明の魔がうろちょろしています。相手がデビルバスター一人でなかった場合、彼女の部隊だけでは“万が一”があるかもしれません」
「その可能性は確かにありますが、でも本当に良いのですか? 十年に一度のことですよ?」
「私には“次”がありますので」
「……いいでしょう」
“次代”を意識したアンブロウズの発言に、ガラティアは逆に満足して彼の要望を受け入れることにした。
アンブロウズが頷いて第三部隊がその場を離れ、入れ替わりにレイノルドの率いる第四部隊がセオフィラスと対峙する。
シナリオは少々変更となったが、いずれにしても、これが最後になることに変わりはない、と、ガラティアは思っていた。
“最強のデビルバスター”セオフィラスは、もう満足に足を動かすこともできなくなっていたし、剣を振るう右腕はまだ健在だったが、それももう時間の問題だ。
だから、さらに第四部隊の将魔が一人討ち取られたとき、ガラティアはセオフィラスの底力に心の底から感服し、しかしそれでも、第四部隊が最後になるだろうという予測が変更になることもなかった。
事実――
「――ッ!」
セオフィラスが初めて上げた苦痛の声。
一人の上位魔が死の間際に放った一撃。
右腕を深々と貫いた剣。
その光景に、ガラティアはこのゲームの終局を確信したのだ。
――が、しかし。
ふと不穏な気配を感じ。
見上げた空に、ガラティアは見た。
「な――……」
星屑の空を覆い尽くす、魔界の夜よりもさらに深い暗夜の帳。
すべての破滅を予感させる、真闇の光――。
「……レイノルド! 下がりなさい!!」
ガラティアがそう叫ぶのとほぼ同時に。
闇はガラティアたちとセオフィラスの間を分断するように墜ちてきた。
刹那の無音。
そして――破裂。
「――!!」
耳を引き裂く衝撃。
大地を震わす爆風。
それは落下の中心点だけではなく、離れた場所にいるガラティアたちの方にも及んだ。
「くッ……」
ガラティアは風の壁を周囲に展開してそれを凌ぐ。
そばに控えていた将魔たちもそれぞれにやり過ごしていたが、周りにいた上位魔たちは大半がその衝撃をこらえ切れずに吹き飛ばされていった。
――吹き飛ばされた?
その事実を再確認して、ガラティアは思わず笑った。
いや、笑うしかなかった。
彼らは上位魔だ。
人間の女子供ではない。
それが今、目の前でまるで紙くずか何かのように吹き飛ばされているのだ。
しかも彼らが被ったのはあくまで余波。
中心地から漏れ出した余剰分の力に過ぎない。
にもかかわらず――
あまりの荒唐無稽さに、ガラティアは笑わずにいられなかったのである。
やがて――衝撃が止む。
「……」
ガラティアは風の壁を解いてその中心地の状況を視た。
その場にいたレイノルドたち第四部隊の姿はどこにもない。それも当然だろう。離れたところにいるガラティアの周りでさえこれだけの被害が出たのだから、直撃を受けた彼らが無事であろうはずもなかった。
少し視線を上げる。
セオフィラスがさっきまでと同じ位置に立っていた。ガラティアたちよりもその中心地に近い彼が無事でいるということは、力のベクトルが完全にガラティアたちの方向を向いていたことを示している。
それはつまり――
「アンブロウズの予感が当たったということですね……」
ガラティアはさらに口を歪めた。
「面白い。ゲームというものはこうでなくては――」
視線を戻す。
中心地。
その力の発生源となったその場所に、一人の男が立っていた。
漆黒の衣装。
漆黒のマント。
最悪を自称する彼らですら、不吉を感じずにはいられないその力の持ち主。
終局を迎えるはずのゲーム盤をひっくり返した、破滅の使者――黒衣の男は、左手に持った大きな剣を肩に乗せ、右手の人差し指を真っ直ぐ彼らに向けると、声を張り上げてこう叫んだのだった。
「そこまでだ、外道の者ども! この大陸に悪の栄えた試しなし! 平和を守る正義の使者、ヴェスタ=ランバート、ここに見参――!!」