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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第4話『危機一髪の大量殺戮者(ジェノサイダー)』
23/32

その4「史上最悪の大量殺戮者(ジェノサイダー)」

 ……やってしまった。

 暴発した力は周囲のあらゆるものを吹き飛ばし、枯れ木の枝で埋め尽くされた森の天井に大きな風穴を穿っていた。

 いつかの再現。

 眼前に煌いた白刃。喉もとに感じた死の匂いに、俺の制御の枷はあっさりと外れてしまっていた。

 罪なき人を二度と傷つけぬよう、罪なき人を理不尽な暴力から救えるよう、そのためにこの力を制御しようと密かに続けた努力。

 それも結局はすべて無駄だったということか。

 弱い。

 俺は弱い人間だ。

 こんなことでは、贖罪など夢のまた夢。


 これでは――俺は大量殺戮者のままだ。


 足元からゆっくりと視線を上げる。

 少し離れた場所に、人間だったらしきものの下半身が転がっていた。

 胴体から上はどこにも見当たらない。


 それが――先ほどまで俺と戦っていた女性のものであることに疑いはなかった。




~史上最悪の大量殺戮者ジェノサイダー




「すまぬ……俺が、力を制御できなかったばかりに」

 ガクリと膝から崩れ落ちる。

 急速にあふれ出す力を抑えきれないと判断し、せめて目の前のエルダに被害が及ばないようにと力の向きをとっさに上空へと変えたつもりだった。

 が、しかし。

 暴発したその力は俺が想像していた以上のものだったらしい。

 目の前にいたエルダは――胴体から上がない無残な姿となって俺の目の前に転がっていた。

 いや。

 正確に言うと俺の目の前に逆立ちしていた。

 ……逆立ち?

 胴体がないのに逆立ちというのも変な話だから、逆さになって地面に着地しているというべきか。

 ああ、いや。

 下半身が綺麗に着地しているとか見事な月面宙返りを決めたとか、そんなことはどうでもいい。

「……」

 ここで重要なのは、俺がこの罪深き力で再び犠牲者を出してしまい、それを後悔しつつも二度と犠牲者を出すことがないようにと決意を新たにする大切な場面だということなのである。

 では、最初から。

「すまぬ。俺が力を制御できないばかりに……」

「……」

「む? 今、なにか声が聞こえたような気がしたが――」

 キョロキョロと周りを見回してみる。が、辺りには人の気配どころか草木に潜む虫の気配すらない。それらもすべて暴発した俺の力によって死滅してしまったようだった。

 人の声など聞こえるはずもない。

 いや、あるいはこれは、志半ばに散ってしまったエルダの怨念の声なのだろうか。だとすれば、俺にだけ聞こえるというのも納得だ。

 と思ったら、突然、地面から生えたエルダの下半身が動き出した。

「おおっ!? これはまさか怨霊の仕業か!」

「……」

「……ふむ」

 うめき声らしきものはその下半身のさらに下の地面から聞こえているようだ。

 試しにジタバタ暴れている足をつかんで引っ張ってみる。

 すると、

「……ぷはぁッ!!」

 ズボッという音がして、地面の中から泥まみれになったエルダの上半身が現れた。

「おぉっ」

 なるほど。どうやら下半身が着地を決めていたわけではなく、上半身が土の中に埋まっていただけらしい。そういえば俺がさっきまで立っていた辺りはかなりの量の土が抉れて吹き飛んでいたし、吹き飛ばされて転倒したところに大量の土が降ってきて埋まってしまったのだろうか。

「そうかそうか。どうやら俺の努力は無駄ではなかったようだな」

 エルダの足を持ち上げたまま納得していると、逆さで宙吊りになったエルダはしばらく状況を理解できなかったらしく、視線だけを左右に動かしていた。

 が、やがてそれを下に――いや、逆さになっている彼女から見て下だから、実際には上か――つまりは俺の顔に止めると、いきなり暴れだした。

「きッ、貴様ッ! これはいったいなんの真似だ!! 離せ!!」

「うぉっ、ちょ、ちょっと待つのだ! そんなに暴れたら――」

 パッ、と、手が離れる。

「……え?」

 直後、ゴキッといういい音がエルダの首の辺りから聞こえた。

「~~~~~~~!!」

 悶絶して地面を転げ回るエルダ。

「きっ……貴様、私を殺す気かッ!!」

「い、いや、決してそんなつもりは。というか今のは貴女が暴れたから……」

 言い訳が必要なのかどうかも微妙だったが、一応そう弁解すると、エルダは左手で首を押さえながらゆっくりと立ち上がり、右の人差し指を俺に向けて言った。

「ふふふ、しかし残念だったな! 今の決定的な機会に私を殺せなかったこと、後悔することになるぞ!」

「む……そ、そうか」

「さぁ、今度こそ死んでもらおう! ……って、ああ! 私の武器が無いッ!!」

「……」

「くッ、あの破魔具がなければ魔力の壁を破れない。万事休すか……」

 がくりと膝をつくエルダ。

 ……なんだろう。そんな彼女の独り芝居を見ていると、今まで英雄のような存在だと思っていたデビルバスターがとても身近なもののように感じてきた。

(しかし魔力の壁、ねぇ……)

“魔力の壁”というのは、すべての魔が持つとされる体を覆うバリアのようなものだ。人間は“聖力”と呼ばれる力と、それを増幅する“破魔具”あるいは“神具”という武具を用いて魔力の壁を破る。

 エルダはその“破魔具”の力がなければ俺の魔力の壁を破ることができないと、そう考えているらしい。

 が、

(俺にそんなものあるのだろうか……)

 あまり自覚がない。

 というか、ルーンの蹴りとか結構頻繁にクリーンヒットしたりしてるので、そんなものないんじゃないかという気がしているのだが――まあ、事実にせよ勘違いにせよ、彼女が戦意を喪失してくれるのであれば有難い話である。

 結果的にはあの暴発も無駄ではなかったということだろう。

(さて、と)

 それでは予定どおりミュウたちを助けに行くとしようか。もう一人のデビルバスター……最強と謳われるセオフィラスという男は、おそらく一筋縄ではいかないだろう。

 話し合いで解決できればそれが一番いいのだが――

「ま、待て! 貴様、どこへ行くつもりだ!?」

 踵を返した俺の背中にエルダの声が聞こえてくる。

「知れたこと。仲間を助けに行くのだ」

 顔だけ振り向いてそう答えると、エルダはゆっくりと立ち上がって膝の泥を払いながら、言った。

「馬鹿な。私に勝てたからといって、セオフィラス様にも同じように勝てるとでも思っているのか? セオフィラス様は私のようなひよっことは比べ物にならない強さだぞ」

「別にそんなことは思っていないが、あの三人は俺の子供たちだ。勝てないからといって見捨てられるものではあるまい」

「子供……?」

 エルダは怪訝そうな顔をした。

 俺の言葉を額面どおりに受け取ってしまったのだろうか。

「正確にいえば、俺が腹を痛めたわけではないが」

 するとエルダはあからさまな嫌悪感を顔に浮かべて、

「つまり攫っていった人間の女に無理やり産ませた子供ということか。……まさか私もその毒牙にかけようというつもりでは――」

「……違うわぁぁぁぁッ!!」

 場を和ます冗談で言ったつもりが斜め上に曲解されてしまった。

 ……というか、どこまで俺を鬼畜外道に落とすつもりなのだ、この女は。

 コホン、と、気を取り直して。

「子供のようなものだという意味だ。苦楽を共にする旅の仲間だからな」

「……意外だな。貴様がそんなことを言うなんて」

「いやいや。意外も何も貴女は俺のこと何も知らんではないか」

 俺がそう突っ込むと、エルダはフンと鼻を鳴らして、

「直接はな。しかし……」

 そう言いながらゆっくりと左右に視線を動かした。武器を探しているらしかったが、どこか遠くに飛ばされたか、あるいはその辺の土の中に埋まってしまったのか、見当たらないようだ。

「“黒ずくめの魔”のことは知っている」

「……黒ずくめの魔?」

 その単語を耳にするのはとても久しぶりだ。

 そしてルーン以外の人間の口から聞くのは初めてのことだった。

 エルダは続ける。

「たった一人の従者とともに多くの町と村を滅ぼした恐るべき魔のことだ。貴様がその魔であるならば、ここで息の根を止めなければならない。……少なくともセオフィラス様はそうお考えだった」

「……」

 それは俺のことではない――と。

 そう言いたい。

 言ってやりたいが――

 と。

「……?」

 ガサ、と。

 静寂の中、微かに葉の擦れる音が聞こえた。

 エルダの仲間か――と、咄嗟にそう考えたが、どうやらそうではない。

(この殺気――)

 その、向けられている先。

 それに気付いた俺はすぐに叫んだ。

「エルダッ!!」

 その直後。

 一閃の雷鳴。

 暗闇に包まれた森が一瞬だけ真昼のように白い光に照らされた。

 鬱蒼と生い茂る木々の合間を縫うようにして奔った幾筋もの稲妻が、エルダを目掛けて飛んでいく。

「ッ――!」

 しかしそこはさすがというべきか。エルダは森の奥に潜む何者かの動きにとっくに気付いていたらしく、体の動きだけで稲妻を捌きつつ懐から二本のナイフを取り出すと、暗闇目掛けてそれを放った。

 うっ、という、うめき声。

 エルダはさらに懐から短剣を取り出して構えながら、うめき声のした方角へと駆けていく。

「お、おい!」

 成り行きで、俺もその後に続くことにした。

 マントに引っかかる枯れ枝に苦戦しながらも、エルダの薄緑色の制服を追いかけていくと、三十メートルほど進んだところで彼女に追いついた。

「いったい何が――!?」

 そう言ってさらに駆け寄ろうとすると、

「止まれ!」

「!?」

 振り返りざま、エルダの手元で白刃がきらめく。驚いた俺がその場に急停止すると、その鈍色の輝きは俺の喉元を指したところでピタリと止まった。

「エルダ殿……」

「貴様の仲間か?」

「なに?」

「答えろ。貴様の仲間か?」

 言いながらエルダが足元を示す。

「……」

 見ると、そこには若い男が倒れていた。

「魔、か……」

 稲妻を放った雷魔だろう。エルダの放ったナイフは首と背中に深々と突き刺さっていて、どうやらすでに事切れている。ナイフの刺さっている角度からすると、攻撃して逃げようとしたところにナイフが飛んできた、というところだろう。

 もちろん俺には見覚えのない男だった。

「俺は知らぬ。仲間などではない」

 信じてもらえるかどうか疑問だったが、エルダは案外あっさりと納得して、

「……だろうな。あの状況でこんな小物に不意打ちをさせてもおそらく意味はない」

 と、短剣を俺の喉元から下ろした。

「しかし、だとするとこいつはいったい……」

 独り言を呟き、雷魔のもとに屈みこんで死体を調べ始める。

「……」

 俺は念のために周囲を警戒することにした。

 辺りは相変わらず静まり返っている。

 気配は感じない。

「エルダ殿? なにかわかったかな?」

「……」

「エルダ殿?」

 返事がないので振り返ると、エルダは雷魔が着ている服の襟元を覗き込んだままで固まっていた。

「? どうした?」

 あまりにも動かないので、俺は彼女へと――また短剣を向けられたらたまったものではないので、ゆっくりと、恐る恐る近付いていった。

「……」

 手が届く距離まできても彼女は動かない。

 その体勢のまま気を失っているのではないか、と、そんなことを考えてしまったほどだ。

「エルダ殿?」

 三度目の呼びかけ。

 それでも反応がないので、俺はついに彼女の肩に手を伸ばす。

 そして俺の指先が彼女に触れるか触れないか。

 そこでようやく彼女がポツリと口を開いた。

「……ディセニウスの紋章だ……」

「む?」

 聞きなれない名前だった。

「ディセニウス? なんなのだ、それは?」

 問いかけた声にゆっくりと振り返った彼女の顔は、

「……エルダ殿?」

 この暗闇の中でもはっきりとわかるほどに青ざめていた。

「……しかしどうして。……いや、例の山賊とやらに偽装していたのか? とすると、町で部下たちを殺したのも――」

 呆然とした表情でそう呟くと、エルダはゆっくりとした足取りで再び木々を掻き分けて森の先へと進んでいく。

「エルダ殿?」

「……」

 わけがわからずに彼女を追いかける。

 ミュウたちを助けに行かなければならないことはもちろん頭の中にあったが、エルダの――曲がりなりにもデビルバスターである彼女の尋常ではない様子に、嫌な予感が胸の中で膨れ上がりつつあった。

 静寂の暗い森をしばらく進んでいくと、彼女の姿はすぐに見つかった。

 そして――

「なっ……!?」

 その光景に俺は愕然とした。

 そこにも人が倒れていた。それも一つではなく、二つ、三つ――全部で七名。ただしそこに倒れていたのは魔ではなく、薄緑色の制服に身を包んだグリゴーラスの隊員たちだった。

 辺り一面に漂う血の匂い。

「これはいったい!? エルダ殿! ディセニウスとはいったいなんなのだ!?」

「……」

 ゆっくり。

 ゆっくりと、エルダは俺を振り返る。

 その顔面はやはり蒼白。

 そしてエルダは呟くように言った。

「……デビルバスター・ハンターズだ」




 冬の夜空に怪鳥の鳴き声が響き渡った。

 このヒンゲンドルフ領では“夜中に鳥の鳴き声を聞くと不吉が起きる”という言い伝えがある。この近辺には夜中に鳴く種類の鳥がそれほど生息しておらず、いるとすればほとんどがこのグリゴラ山脈に住み付いた鳥型の獣魔のものであったから、その言い伝えは単なる迷信というより、それなりの根拠に基づいた、危険を回避するための先人の知恵ということになる。

 そんな言い伝えのせいか、ヒンゲンドルフ領に住む人々は昼間であっても鳥の鳴き声を聞くと反射的に嫌な顔をするのだと聞いたことがあった。

 とはいえ。

 セオフィラスはもともとヒンゲンドルフ領の出身ではない。ここに来たのはすでにデビルバスターの称号を得た後だったし、その言い伝えを知った後も、獣魔といえば彼にとってむしろ追いかけて倒すべき存在であったから、不吉の象徴だなどといわれてもいまいちピンとは来なかった。

 が、しかし。

「はじめまして、セオフィラス様。私は風の将魔ガラティア。このディセニウスのまとめ役をやらせていただいている者です」

 焦げ茶色の洋服をベースにおびただしい数の色とりどりの羽を装飾とし、肩に小さな鳥型の獣魔を乗せたその小柄な女性の言葉を聞いて、なるほど、言い伝えはどうやら領外から来た人間にとっても有効なものであるらしい、と、セオフィラスは思った。

 不吉な者ども――ディセニウス。

 現存する中ではもっとも古い歴史を持つデビルバスター・ハンターズとして名を馳せる彼らの存在は、もちろんセオフィラスもよく話に聞いて知っていた。

 十数年に一度だけ表舞台に現れ、おおよそ一人か二人のデビルバスターを標的とする。

 標的を仕留めそこなったことはこれまで一度もないという。

 さもありなん――

 セオフィラスはガラティアと名乗った風魔の後ろに視線を送る。

 その視線に気付いたガラティアが慇懃な口調で言葉を続けた。

「ご紹介いたします。右にいる彼は地の将魔サルヴァトス。左の彼は同じく地の将魔クエンティン。そして後ろの彼は氷の将魔イーニアスです」

「……」

 ガラティアを含めて四人の将魔。それだけでもたった一人のデビルバスターを仕留めるには十分すぎる戦力だ。

 加えて――

「彼らが率いているのはすべて上位魔たちです。数は全部で十三名。ディセニウスには他に下位魔たちも多数所属しているのですが、偵察や監視、あるいは――あなたたちを誘き寄せるための工作などが主な任務でして、戦闘には加わりません。また、私はいわば審判員ですので、他のメンバーが全滅するか、セオフィラス様が故意に攻撃してこない限り戦闘には参加しません」

「……」

「また、こうして私が説明している間に背後から不意打ちする、というようなこともありません。私がセオフィラス様にもわかるような開始の合図をして、それからようやく攻撃を始めることになります。毒の類を用いることもありません。……それと」

 ガラティアは少しだけ顎を上げ、セオフィラスの背後の暗闇に視線を送った。

「先ほどあなたが逃がした方々を追いかけて人質にするようなこともありません。これらはすべて我々が自ら定めたルールです」

 もっとも――と、付け加える。

「あなたを仕留めた後で、ついでに片付けてしまうことはあるかもしれません。ですから、あなたが頑張れば頑張るほど、彼女たちの生存率は上がることになるでしょう」

「……」

「さて。何かご不明な点はございますか?」

 そう言ってガラティアは微笑んだ。

 目の周りの筋肉がまったく動かない、無表情な鳥の目を想起させる不気味な笑みだった。

 セオフィラスはデビルバスター・ハンターズの類に接触するのは初めてだったが、彼らがそれぞれにいくつかのルールを定め、それを破ることは決してないという話を聞いたことはあった。

 ガラティアの話を聞く限り、それはどうやら本当だったようである。

「……一つだけ」

 そして初めて、セオフィラスは彼女に対して口を開く。

「どうぞどうぞ。なんなりとご質問ください」

 慇懃に微笑むガラティア。

 そんな彼女に対し、セオフィラスは言った。

「お前たちは本気で私を狩るつもりなのか?」

「何を言うかと思えば……」

 ガラティアは可笑しそうにクスクスと笑った。

「ここまでのお膳立てを冗談でやったとでも? 我々はもちろん本気ですよ、セオフィラス殿」

「そうか」

 馬鹿にしたような彼女の言葉にも、セオフィラスは変わらぬ淡々とした口調で、

「……そうか。本気か。本気でこの私を殺すつもりか」

 そう言って、手にした愛剣“狂嵐”を軽く握り締めた。

 空気が動く。

 微かな風が周囲を渦巻き、小柄なセオフィラスの全身が闘気をまとう。

 ゆっくりと顔を上げ。

 睨む。

 口元がゆっくりと歪んで、それは最終的に狂気の笑みを象る。

 そしてセオフィラスは、喉を鳴らすようにして笑った。 

「……その程度の戦力で?」

「! ……サルヴァトス。クエンティン、イーニアス」

 ガラティアが目を細め、右手を小さく上空に掲げた。

 そしてゆっくりとセオフィラスに向かって振り下ろす。

「開始です。見事、あの獲物を仕留めてみせなさい!」

 その言葉を合図にして。

 三人の将魔。そして十三人の上位魔。

 それらが持つ殺気のすべてが一人の男に集約された――。




「……しかしエルダ殿。セオフィラス殿は大陸最強のデビルバスターではないか。そのような連中にやすやすと倒されるようなことはないのではないか?」

「……」

 エルダはそんな俺の言葉に何も答えようとはせず、微かに盛り上がった土の中にキラリと光るものを見つけ、それを掘り起こした。

 彼女が持っていた剣だ。

 そのまま、再び暗い森の奥へと進んでいく。

 どうやら加勢に行くつもりのようだ。

(……どうしたものか)

 彼女の話によると、デビルバスター・ハンターズというのはゲームのような感覚でデビルバスターを狙う頭のイカれた連中らしい。デビルバスターを狙う以上、その連中にも犠牲が出ることが大半なのだが、そういったことはまるで意に介さない。

 彼らが何故そのような行いをするのかは定かではないが、一説によれば“デビルバスターとはいえ我々が本気になればいつでも殺せるのだぞ”という、魔としての力の誇示が目的ではないかと言われているらしい。

 つまり“人間ごときが調子こいてんじゃねーぞ、コラ”というわけだ。

 実につまらん理由だ。が、それを実行しているというのだから、腹立たしい限りである。そういう連中がいるから、俺のようにたまたま魔だったりしただけで何の罪もないさわやか好青年があらぬ疑いをかけられたりするわけで、つまり俺がこんな面倒くさい状況に陥っているのはすべてそういう連中のせいなのだ。

 が、まあ。

 そいつらが腹立たしいのはひとまず置いておくことにしよう。

 俺はエルダの背中を追いかけながら、

「貴女がセオフィラス殿を慕っているのはわかっているし、加勢に行きたいという気持ちもわからんではないが、貴女は俺との戦いで怪我をしているではないか。その体で戦いに赴くのはかえって危険ではないか? ここはセオフィラス殿を信頼して彼に任せるというのも――」

「……変なヤツだな」

 ようやくエルダは反応した。

 先ほどまでは顔面蒼白になって少々取り乱していたが、さすがはデビルバスターといったところか、早くも平常心を取り戻している。

「私のことなど放っておけばいいではないか。こうなると町で部下たちを殺したのもディセニウスである可能性が高い。貴様らは無罪――かどうかはまだわからんが、いずれにせよ今の我々には貴様らをどうこうする余裕はない。ボロが出ないうちにこのヒンゲンドルフ領を出ていくのが身のためだ」

「それは有難いのだが、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな……」

 俺がさらに食い下がると、エルダはぴたりと足を止めてこちらを振り返り、少しだけ眉をひそめて俺の顔を覗き込むようにする。

「それともまさかアレなのか? いい人のフリで安心させた挙句、事業を始めるとか結婚するのに借金を返す必要があるとかわけのわからん理由を付けて私の財産を搾り取ろうという魂胆か?」

「……貴女はどんだけ俺を悪党に仕立て上げたいのだッ!?」

 本当にもう……真面目なのかふざけているのか本気なのか冗談なのか、まったくわからん変な女である。

 エルダはそんな俺を一瞥すると、ぷいっと正面を向いて、

「なんでもいいさ。私はこう見えて浪費家だからそれほど財産を持っていないしな。どうしてもというならデートの一回ぐらい付き合ってやっても良いが」

「それはいいのか……」

 まったくわからん。

 ふん、と、エルダは鼻を鳴らして再び歩き出す。

「ま、どちらにせよその機会はおそらくないだろう。……貴様はさっさと仲間を探しに行くがいい。連中の標的はセオフィラス様だろうが、気まぐれで貴様の仲間が殺されないとも限らないからな」

「だから先ほどから言っているではないか。セオフィラス殿ならばそんな連中にやられたりしないのではないか? と」

「……」

 少しの沈黙。

 エルダは俺に背を向けたままで言った。

「セオフィラス様は最強かどうかまではわからんが、間違いなくトップクラスのデビルバスターだ。たかがデビルバスター・ハンターズごときにやすやすと殺されてしまう方ではない」

「だろう? ならば貴女が行くとかえって――」

「だが」

 俺の言葉を遮ってエルダは続けた。

 落ち着いた口調。

 しかし――

「ディセニウスは、その“たかが”の枠には収まらない」

 口から出る悲観的な言葉とのギャップに、隠し切れない違和感を感じた。

「やつらは十数年に一度、その時代でもっとも名を馳せているデビルバスターを常に標的としてきた。……にもかかわらず仕損じたことは一度もない」

 小さくそう呟き、エルダは肩越しにこちらを振り返った。

「言うなれば、そう。ヤツらは“史上最悪”のデビルバスター・ハンターズだ」

「史上最悪……だと……?」

 使い古されたその表現。

 それが事実と一致する場合が、果たしてどれほどあるだろうか。

 しかし俺は彼女の態度から、それが脅しでも誇張でもなく、おそらくは真実であろうということを感じていた。

 そしてその瞬間、俺は悟る。

 ――その落ち着きは覚悟を決めたが故。

 彼女は死ぬつもりなのだ、と。

「しかし、それが本当なら貴女が行ったところで――」

 エルダは視線を斜め下に落として、

「私ごときで力になれるかどうかはわからんが、それでも私はセオフィラス様の副官だ。生も死も、すべてを共にする義務がある。だから私は行く」

 ゆっくりと歩き出す。

 悲壮な決意。

 彼女の語る敵の姿が本当だとするならば。

 彼女の死もまた、その言葉どおり避けられぬものとなるだろう。

「エルダ殿――」

 と、俺はそんな彼女を追いかけようとして、

「……いたぞ!」

「!?」

 静寂の森に突然響いた叫び声に、俺は心臓が飛び出るほど驚いて振り返った。




 左肩が裂ける。

 右の太ももから血が流れ出す。

 しかし、それらはいずれも軽い。致命傷となるはずだったダメージを紙一重で大幅に軽減した結果であり、しかもセオフィラスはそれと引き換えに大きな成果を得ていた。

「……化け物か、貴様……!!」

「化け物はお前たちのほうだろう」

 その傷と引き換えに放った斬撃は荒れ狂う風を刀身に纏い、氷の将魔イーニアスの右わき腹から右肩辺りまでを一太刀のもとに吹き飛ばしていたのだ。

 確認するまでもない、致命傷だった。

「人間と侮ったお前の愚かさだ。氷の将魔よ」

「……」

 頭部と左半身だけ残ったイーニアスの体が、糸の切れた操り人形のように力なく地面に崩れ落ちる。

 それで、ちょうど十六人目だった。

「さて」

 辺りは一面、どす黒い血の海。

 三人の将魔と十三人の上位魔の死体。自らが流した血の数十倍の返り血を浴びてもセオフィラスは眉一つ動かすことはなく、紡ぐ言葉には少しの乱れもなかった。

 そして、

「次はお前の番だ」

 その戦いの元凶である傍観者に向けた眼光は依然衰えず。

「……強い」

 そんなセオフィラスの視線を受けた風の将魔ガラティアは、額に微かに冷や汗を浮かべ、予想外といった表情で引きつった笑みを浮かべていた。

「人間と侮った……確かにそうかもしれません。見込み違いであったことを認めましょう。私はこのディセニウスを引退した父から譲り受け、まだ八年しか経っていない。これが私の初陣なのです」

「……」

「貴方の足もとに倒れているイーニアスは、昔、父がこの日のためにさらって育ててきた子供でした。私は七つになるまで彼が本当の弟だと信じていました。氷魔である彼が私の弟であるはずはないのですが」

「お前たちの内情に興味はない」

 傍目にはそれとわからない態度でセオフィラスは息を整える。

 三人の将魔と十三人の上位魔を相手にして、造作もなかったといえばそれは嘘だろう。彼自身もかなりの血を流していたし、平静を装っていても体はかなり疲労している。

 しかしそれを表には出さない。

 出さずに少しでも回復を計る。

 残り一人とはいえ、目の前に居るその女は将魔族だ。どれほどの実力者か読みきれなかったし、万全を期すに越したことはない。

 それに――

 まったく表情を動かさずに、セオフィラスはガラティアの一挙手一投足を注意深く見つめていた。

 腑に落ちない――と、セオフィラスはそう感じている。

「興味はない、ですか。それは残念です」

 そう答えるガラティアの態度には余裕がある。劣勢に追い込まれているという空気を微塵も感じない。

 所詮頭のおかしな連中だから、そういうものなのだろう――なんて。セオフィラスは物事をそんなに楽観的に考えられる性分ではなかった。何の利益も求めず、ただ単にデビルバスターを殺すことを目的とする彼らの行動はセオフィラスにとって理解に苦しむものだが、それでもデビルバスター・ハンターズを名乗り、それに命を賭ける以上は、その行為に何らかの価値を見出しているはずである。

 目の前の女の態度には、それが潰えたという悔しさが微塵も見えない。

 それが何を意味するのか。

 楽観的ではないセオフィラスは、その答えをすでに持っていた。

 それは至極簡単なこと。

 目の前の女は、一対一の戦いでも十分に勝機があると思っている。

 あるいは――

「……」

 セオフィラスはほんの僅かに視線を上げた。数メートル先に立つガラティアの肩越しにその先の暗闇を見据える。

 ガラティアがふふ、と笑う。

「気付きましたか?」

「……」

 その背後に広がる無限の暗闇。

「……まだ、仲間がいたか」

 そこに複数の気配があった。

 その暗闇からぼんやりと人の輪郭が浮かび上がってくる。

「ご紹介いたしましょう」

 そして再び。

 慇懃な口調でガラティアは少しだけ声を張り上げた。

「右の彼は地の将魔ギリル。先ほど貴方が殺したサルヴァトスの実弟です。左の彼女は水の将魔フィロメーナ。そして後ろの彼が、雷の将魔レナックスです」

「……!」

「そして――」

 セオフィラスの表情が微かに動いたのを見て取ったのか、ガラティアが喜悦の笑みを浮かべた。

「彼らが率いる十三名の上位魔たちです」

「……なるほど」

 細く、長く、セオフィラスはゆっくりと息を吐いた。

「余裕の根拠はそれか。……しかし愚かな」

 愛剣“狂嵐”を構え、その表情が再び笑みを刻む。

 息は整っている。

 体はもちろん万全ではないし厳しい戦況であることにも違いはないが、まだ十分に戦える状態だ。

 セオフィラスは言った。

「わざわざ戦力を二分するとは。最初から全力でかかればお前たちにもまだ勝機があったものを」

「二分?」

 だが、ガラティアは少しも態度を変えずに言い放つ。

「二分というのはなんのことですか、セオフィラス様?」

 そして今度こそ、セオフィラスの顔に微かな動揺が走った。

「――!」

 ざざ。

 ざざざ――

 底なし沼のような暗闇がしきりに波立つ。

 ピリピリと肌が痺れる。

 無数の気配。

 無数の殺気。

 十や二十ではない。

 もっと、もっと。

 目の前にいる十六人よりも遥かに多い。

 視線、視線、視線――

「……」

 その光景は、セオフィラスの不動の心にさざ波を走らせた。

 見たこともない数の魔。

 見たこともない数の敵――

「この巨大なグリゴラ山脈に例えるのであれば――」

 そしてガラティアは微笑んだまま言った。

「貴方はようやく裾野を登り切ったところです。……では、本当の山登りを始めましょうか、セオフィラス様?」

「――」

 ほんの一瞬だけ目を閉じ。

 無言のまま、セオフィラスは戦いの姿勢を取った。

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