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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第4話『危機一髪の大量殺戮者(ジェノサイダー)』
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その3「デビルバスターVS大量殺戮者(ジェノサイダー)」

 作戦というのはそこにある程度の理屈が存在し、筋が通っていると、これで大丈夫、これで上手くいくはずだとついつい信じ込んでしまうものだ。

 先ほどもそう。それを提案したのがいまいち好きになれない相手であったにもかかわらず、語る言葉にはそれなりの筋が通っており、その場にいた誰もが、おそらく敵はその通りに行動するであろうと信じて疑わなかった。

 しかし、である。

 現実はそうは甘くなかった。

 敵がどう考えてそのような選択をしたのか、今、この場ではわからない。こちらの考えを読んだとか、まったく別の理由があったとか、あるいは何も考えていなかったとか、はたまた、こちらがおとりとして考えていた人物の存在に気付かなかったという可能性すら考えられる。

 つまり完璧に思える作戦なんて、所詮はその程度のものでしかないのだ。全知全能、すべての運命を掌握し、すべての不確定要素を予測できる神のごとき存在でもない限り、必ず上手くいく作戦なんてあり得ない。


 その結果が――これである。


「……おい、ルクレツィア。確かお前、棒術の免許皆伝とか言ってたよな?」

「創作物の読みすぎですわ、ルーンさん。私のような若輩者が免許皆伝だなんて、世の中そんな簡単にいくはずないではありませんか」

「で? 実際はどのぐらいやれるんだ?」

「物干し竿も持ったことありませんわ」


 ――絶望的だ。


 辺りには彼らを追ってきた複数の気配。

 そして視線の先には、暗闇の中、ぼんやりと浮かぶ薄緑色の光。ゆっくりと近付いてくるそれが大きな剣の形であると気付くまでにそれほど時間はかからなかった。

 やがて姿を現すその持ち主――生い茂る木々の隙間に、大陸最強と謳われるデビルバスターの姿を見て、ルーンの心はさらなる絶望感に包まれた。



 

~デビルバスター VS 大量殺戮者ジェノサイダー




 これはさしずめキツネ狩りであろうか。

 視界が極端に制限された暗闇の森を駆け抜けながら、俺はそんなことを思った。

 俺の役目は敵の目を引き付けることにあるから、あまり本気で逃げるわけにはいかない。追いつかれないように、引き離し過ぎないように、加減することが大事だ。

 ――なんて。

 最初はそんなことに気を遣って走っていたのだが、途中でふと気付いたのである。周りを囲む複数の気配は一定の距離を保って追いかけてくるばかりで、仕掛けてくる様子がまったくない、ということに。

 俺も向こうを傷つけたくはなかったのでそれはそれで良かったのだが、それでふと、猟犬に追い立てられるキツネのような気分になってしまったのだ。

 向こうが手を出しあぐねているというだけならばいいのだが、何か思惑があってそうしているのではないかという一抹の不安が鎌首をもたげてくる。

(どうしたものか……)

 小屋を飛び出してから30分以上は経っている。ミュウたちも今頃逆の方向に逃げているに違いないのだが、正直なところ、俺自身、今どちらの方角に向かって逃げているのかわからなくなっていた。

 自分でも忘れかけていたが、俺はそもそも方向音痴なのである。町の中ですら迷子になってしまうのだから、こんな目印のない森の中で、辿った道を記憶しながら逃げ回るなんて器用な真似ができるはずもない。

 そう考えると、周りを囲んでいるであろうグリゴーラスの人々の存在は、俺にとってむしろ光明といえるのかもしれない。もしも彼らが突然、俺を追い詰めることをやめて撤収でもしてしまえば、俺はここで遭難したまま餓死してしまうかもしれんのだ。

 いや。

 それはともかく。

(……嫌な感じがする)

 不安は消えない。

 俺が抱えている不安というのはつまり、敵に俺たちの思惑が見抜かれていること――早い話、一定の距離を保とうとしているのは相手も同じ考えで、こうして時間を費やしている間に、ミュウたちのほうへ追っ手が向かっているのではないか、ということなのだ。

 そもそも俺を標的にしているのであれば、こうして30分以上も仕掛けてこないのはいかにも不自然なのである。

「……」

 それからも少し迷った結果。

 俺は決断した。

 確かめる必要がある。

 ……どうやって?

 その方法は簡単だった。

 右足を土の地面に突き立てるようにして急ブレーキをかける。

 ざ……ざざ……

 取り囲むように追いかけてきていた周囲の気配が動きを緩める。やがて俺が立ち止まったことを確認したらしく、向こうの動きも変わった。

 戸惑ったように気配がざわつく。

 ……が。

 待てども待てども仕掛けてはこない。

 悪い予感は当たっていそうな気がした。

 さらに敵の動きを確認するべく、俺は大声を張り上げた。

「やめた! 俺はもう逃げも隠れもせんぞ! 話し合おうではないか!」

 ざわ。

 ざわ……

 風の音か、人の気配か。周囲の草木がしきりに擦れあい、ざわめく。

 じっと待つ。

 動きはない。が、気配はある。

 あるいはこちらから仕掛けるべきなのかもしれない、が、反射的に攻撃してくる可能性を考えると、なるべくならそれは避けたい。

 俺に戦う気はないのだ。

 結局、俺はさらに声を張り上げることにした。

「話し合おうと言っているのが聞こえんのか! こちらには濡れ衣を晴らす準備があるぞ! 責任者出て来い!」

 ざわ。

 ざわ……

(……ダメか。ならば――)

 と、そう思った矢先のことだった。

「何を言い出すかと思えば……話し合う?」

 突如、薄暗い木々の隙間から浮かび上がるように、人の気配が現れた。

「む……?」

 見覚えのある薄緑色の制服。グリゴーラスの一員であることは間違いなさそうだが、意外だったのはその人物が女性だったということである。

 歳は20代前半ぐらいだろうか。黒髪のショートボブ。やや大きめの理知的な瞳。いかにも頭が良さそうで、なおかつ比較的優しそうな印象の女性。

 どうやら話が通じそうな相手だった。

 が――セオフィラスというデビルバスターの姿はない。

「話し合う、というのはどういうことだ?」

 口調がやや男っぽいのは職業柄だろうか。

 手には抜き身の剣を携えたままだ。

 俺は言った。

「貴女が責任者か? まずは名乗らせてもらいたい。俺の名はヴェスタという」

 そう言うと、女性は律儀にもすぐに返答した。

「私はエルダ。セオフィラス様の副官だ」

「副官か、なるほど。それではエルダ殿。貴女に伺いたいことがあるのだが――」

「お前と分かれて逃げた3人のことか?」

 あっさりと。

「う、うむ。そのとおりだ」

「なるほど。やはり我々の目をこちらに引き付けて、まずは向こうを無事に逃がす算段だったか」

「……むぅ」

 やはりバレていた。

 エルダという女性は少しだけ笑った。

「残念だったな。どういう事情か知らないが、セオフィラス様はお前があの連れを見捨てないであろうことをすでに見抜かれていた。ならば向こうを先に押さえ、あとは全戦力をもってお前を討ち取ればいい、とな」

「……」

 わざわざ説明してくれるとは、見た目どおりの親切な女性なのかもしれない。

 俺は尋ねる。

「あの3人は無事なのであろうな?」

「どうかな。ただ、セオフィラス様は殺生を好む方ではない。少なくとも誰がお前に従い、誰がお前に脅されていたのか、それが判明するまで命を奪うことはないだろう。……無駄な抵抗さえしなければな」

「……」

 その辺、ルクレツィア辺りならば上手くやるだろう。ルーンもただの人間の少年だし、ミュウのことが心配ではあったが、一目で魔だと気付かれるようなことはないはずだ。

 とすれば、仮に先に捕まっているのだとしても、ひとまず現時点では最悪の事態は免れていると考えていいだろうか。

「しかし……」

 腑に落ちないことが1つあった。

「貴女の今の説明が本当だとすると、理にかなわぬことがある」

「なんだ?」

 エルダは微笑んだままだ。

 俺は言った。

「先ほども言ったように完全なる濡れ衣とはいえ、貴女たちは俺のことを、仲間を殺した犯人だと思っているはずだ。そうであろう?」

「濡れ衣? 誰がそんなことを信じると?」

 まあ、それはそうだろう。あのときあの現場にはすでに俺しかいなかったし、真っ向から申し開きのできない事情があったとはいえあの場から逃げ出してしまったのだから、彼らが俺のことを犯人だと考えるのは当たり前のことである。

 犯人は俺ではない。

 しかし、俺は誰が彼らを殺したのか説明することもできないのだ。

 だから今はとりあえずその話は置いておくことにして、

「いやつまり、貴女の説明どおりなら、そちらは全力をもって俺を討ち取る予定だったのではないのか? しかし見たところ――その辺りに部下を待機させているのかもしれないが、俺の目の前には貴女しかいない。少なくとも、大陸最強と謳われるセオフィラス殿が戻ってくるのを待たなくては、その計画は意味がないのではないか?」

 と、俺は言った。

 至極当たり前のことである。

 そんな俺の疑問に対し、エルダはすぐに答えた。

「部下たちがここに姿を見せない理由は簡単だ。……部下たちではおそらくお前に傷を付けることはできない。彼らを連れてきたところで無駄な犠牲を出すだけだからな」

「……ふむ」

 傷を付けられないかどうかはともかくとして、とりあえず向こうはそのように考えているらしい。それは理に適っている。

 しかし。

 向こうがこちらを過大評価しているのだとすると、ますます腑に落ちない。

 彼女がセオフィラスの到着を待たずに俺の前に姿を現した理由。

 ……腑に落ちないといえば、もう1つある。

 いったい誰が、グリゴーラスの隊員を殺したのか。

 2つの疑問。――それらには、何か関連性があるのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 一見無関係に見える2つの疑問。それらが実は裏で繋がっていたなんてのは、ミステリものの定番でもある。

 とすると――

 俺はまっすぐに目の前の女性――セオフィラスの副官エルダを見つめる。

 理知的なその表情が、一瞬、深慮遠謀を企む策略家のようにさえ思えた。

「ではなぜ――」

 俺は尋ねた。

 その、変わらぬ微笑みを浮かべる女性に向かって。

「なぜ、貴女はわざわざ俺の前に姿を現したのだ?」

「それはもう、察しておられるのでしょう?」

 女性の浮かべていた微笑が、ほんのわずかに喜色を増した。

 俺の心の中で警告音が鳴り響く。

(まさか、この女性――)

 そんな俺の警戒を涼しい顔で真正面から受け止めて。

 そして、エルダは言った。

「セオフィラス様を待たずに私が1人で出てきた理由はただ1つ。……1人でお前を退治し、セオフィラス様に褒めていただくためだ!」

「……」

「……」

「……?」

 一瞬。

 相手が何を言ったのか理解できなかった。

「……すまぬ。今、なんと?」

「聞こえなかったのか?」

 と、エルダは相変わらずの毅然とした態度で繰り返す。

 キリッ、という擬音が聞こえたような気がした。

「お前を1人で退治し、セオフィラス様にお褒めの言葉をいただくため。そしてナデナデしてもらうためだ!」

「……」

 俺の中で勝手に固まりつつあった、目の前の理知的な女性のイメージが一瞬で崩れ落ちた。

「そ、そうか……ナデナデか……」

 いや、待てよ。

 その“お褒めの言葉”とか“ナデナデ”とかはもしかするとグリゴーラス特有の何かの隠語で、彼女の将来とか出世とかそういったものに多大な影響を及ぼす事柄なのかもしれない。

 例えば彼にナデナデされた部下は出世が約束されるとか、運気が上昇して幸せになれるとか、肩こりが治るとか――きっとそういうご利益があるに違いないのだ。

 だから、笑ってはいかん。

 笑ってはいかんのだ。

 ……と。

 必死に笑いをこらえる俺に気付かず、エルダは話を続けた。

「どれほどの力を持った魔か知らないが、お前ごときは私1人の力で十分。セオフィラス様は心配しすぎなのだ」

 カチャ、と、エルダの剣の切っ先がこちらへと向けられる。

 どう見ても戦う気満々のようだったが、俺は一応聞いてみた。

「エルダ殿、話し合いは……?」

「問答無用と言っただろう!」

「やはりそうくるか……」

 俺とて、ここまで来て戦いを避けられると本気で思っていたわけではない。

 それにこちらとしても、主力があちらに向かったという事実が判明した以上、ミュウたちを助けに戻らねばならない。町に連れ帰られ魔を判定する精密検査にかけられれば、ルーンやルクレツィアはともかく、ミュウは間違いなく処刑されてしまう。

 不本意ではあるが、ここは戦うしかあるまい。

 幸い、敵は無駄な犠牲は出したくないという考えから、集団でかかってくる気はなさそうだ。つまり目の前のエルダという女性さえ制圧すればこの場を抜け出せるということになる。

 無駄なけが人を出したくないというのはこちらも同じ考え。

 ならばここだけ、全力でやるしかないだろう。

 俺はそう決意し、手にした長剣を正眼に構える。

 これで相手が大陸最強を謳われるデビルバスターであれば絶望的だが、そうではない。それにセオフィラスという男の本来の作戦は、先に向こうの3人を押さえた後、自分が合流してから俺に仕掛ける、というものだったようだ。そこから逆に考えると、この状況はこちらにも勝ち目が十分にあるということだろう。

 それなら――

「!?」

 直後。

 風を切る音に、体が反射的に動いた。

 キィ……ン、という甲高い金属音。

「……受けた、か」

「な――」

 コンマ数秒前まで、数メートル先に立っていたはずのエルダがすぐ目の前にいた。

「な、に……?」

 僅か十数センチ。彼女の剣は俺の首元に迫っている。受け止めていなければ、今頃俺の頭は胴体とお別れしていたに違いない。

 背中に汗が滲んだ。

 この女性――只者ではない。

「セオフィラス様がいないからと、油断していたか?」

 剣を重ねたまま、女性は微笑んだ。

「む……うぐ……」

 力を込めて押し返そうとしてもビクリともしない。

 その力。

 とても女性とは……いや、普通の人間とは思えなかった。

「まさか、貴女もデビルバスターなのか……?」

 奥歯を噛み締め、両腕に力を込めながら俺は言った。

「言っただろう? 部下たちならお前に傷を付けることはできない、と。それはつまり、私ならばお前と十分に戦えるということだ」

「……ふぅん!!」

 渾身の力を込めて剣を弾き返す。

 押されて――いや、自らそうしたのか。離れて数歩後ずさったエルダの顔には余裕の表情が浮かんだままだった。

「さあ、邪悪なる魔よ。私の剣の錆となるがいい」

 エルダは手にした剣をくるりと回し、芝居がかった大仰な言い回しをする。

 デビルバスター。

 それはほんの一握りの人間しか得ることのできない称号。

 魔を退治する者であり、そして最強の戦闘能力を持つ者たちの証。

 まさか、自分が本当にそんな連中を相手にすることになるとは思ってもいなかった。

(……どうするか)

 逃げるか――いや、それはない。ミュウを助けに行くならば逃げ回っている暇など無いし、この距離で背を向けて逃がしてくれるほど楽な相手でもないだろう。かといって、デビルバスターを相手に剣だけではどう考えても勝ち目は無い。

 ならば。

 甚だ不本意ではあるが、力を使うしかない。

「……ん?」

 剣を逆の手に持ち替えた俺の行動を見て、エルダは怪訝そうな顔をした。

「なんのつもりだ? まさか本当の利き手は逆で、手加減をしていたとでも言うつもりか?」

「……そんなはずはあるまい」

 が、当たらずとも遠からずといったところか。

 確かに利き腕のほうがコントロールしやすいのだ。

 剣も。

 闇の力も。

 ……チリチリ。

 手の平に感じる、微弱な電気のような感触。

 人間をターゲットにするのはこれが初めてだ。

 細心の注意を払う必要がある。

 ……チリチリ……チリチリチリチリ!

 急速に膨れ上がる、その力。

 それを見たエルダが、驚きの呟きを発した。

「黒い……光? 闇の魔族とは珍しい……」

 その呟きが、ひどく遠く聞こえる。

 それもそのはず。

(く……うむむむむ……!!)

 俺はその力を制御するのにすべての神経を注いでいた。気を抜けばあっという間に膨張しそうな力を押さえ、少しずつ、少しずつ、スケッチブックの上に色鉛筆を塗り重ねるときのように、薄く、薄く束ねていく。

 いつかのように森を消し飛ばすわけにはいかない。

 あれから約10ヶ月。

 密かに行っていた特訓の成果を見せるときだ。

 そうして――全神経を費やしていた俺にとってはかなり長く思えた時間。

 実際にはほんの数秒。

「……むん!」

 右手の中で闇色の光が収束した。攻撃的なエネルギーを内包したまま、球体の形となって安定する。

 どうやら上手くいったらしい。

 ふぅ……と、大きく息を吐いて、その手をエルダへと向けた。こちらの意図を悟ったらしい彼女はすでに地面を蹴って横に動いていたが、全神経を研ぎ澄ませていたおかげか、最初の一手と違い、今度は彼女の動きを目に捉えることができる。

(……まともに当たらんでくれよ!)

 ギリギリ掠めるとか、そういうことを考えていられる相手ではない。当てる気で撃って、後は向こうが凌いでくれることを祈るばかりだ。

 手の平がエルダの動きを捉える。

 距離は約5メートル。

 緊張する。だが、もう躊躇はしない。

(よし……行けッ!!)

 心の中でトリガーを引くと、手の平に収束していた力が闇色の光となって閃く。放出された力は一条の束となり、エルダを捉えんと迸った。

 ――が、しかし。

「この程度か!」

「!」

 俺の放った闇の力は、エルダの剣の一閃によってあっさりと四散してしまった。

 驚愕。

 一瞬の隙。

 それが命取りだった。

「!?」

 瞬時にエルダの剣が迫ってくる。

「くッ……」

 手にした剣で防御に回ろうとするも、相手の剣が早い。

 受け切れない。

(このままでは――)

 薄暗い視界の中、微かな月明かりを反射しながら迫り来る白銀色の切っ先。

(死ぬ――?)

 ――死。


 その言葉が脳裏に焼き付いた――その瞬間。


「!」

 ドクン……ッと。

 異質な鼓動音が体の中心で鳴り響いた。

「ぁ……うぉ……」

 心臓から押し出された灼熱のような血液が一瞬にして全身を駆け巡る。

 体が沸騰する。

 頭の中のどこかが焼き切れたような、そんな感覚があった。

 あふれ出す力。

 止まらない。

 止められない――!

「なに……ッ!?」

 誰かの驚愕の声。

 そして、

「……ぉぉぉぉぉぉぉ――――ッ!!!」

 喉を付いた獣のような咆哮。

 そして迸った闇の光は、まるで神に反逆する者の上げた狼煙であるかのように、夜の帳に包まれた天空を切り裂いていった。




「……御主人様?」

 山を震わせる振動。

 恐怖に飛び立つ鳥たち。

 遠くで響いていた獣の遠吠えが一瞬で静まった。

「おい、ミュウ……」

 木々の隙間から確かに見えた、天空へと登っていく一条の黒い光。

 それを視線で追いかけて空を見上げるミュウに、ルーンは問いかけた。

「今の地震みたいの、まさかヴェスタのヤツか?」

「……」

 ミュウは無言で頷いた。

「マジかよ……」

 驚愕の呟きとともに、ルーンもまた、ミュウと同じく黒い光が登っていった上空を見上げる。

 ルーンとて、ヴェスタが強い力を持つ魔であるのは知っていた。

 が、しかし。

 この巨大なグレゴリ山脈を震わせるほどの強大な魔力。

 こんなにも遠くにいるのに、息が詰まってしまうほどの圧迫感。

(化け物か、アイツは……)

 それはルーンの想像を遥かに超えるものだった。

「どうやらヴェスタ様も交戦状態にあるようですわね」

 同じく、その方角を見つめていたルクレツィアがポツリと言った。

 落ち着いている。

 いや、そう装っているだけかもしれない。

 そしてルクレツィアは続けた。

「今の力を見てもなお、ヴェスタ様との戦いを望むおつもりですか? 大人しく引き下がったほうがよろしいのでは?」

 場違いなほどに穏やかなルクレツィアの言葉。

 向けられた先にいたのは、もちろんルーンたちではなかった。

「いかがです? セオフィラス様?」

「想定の範囲内です。ビルア公女、ルクレツィア様」

 その場にいてたった1人、天空へ登っていった黒い光に見向きもしなかった人物――セオフィラスの口調もまた、平静を保ったままだった。

「……」

 ルーンは自分たちの置かれていた状況を思い出し、首筋に浮かんだ冷や汗を拭いもせずに正面に立ったその男を見つめる。

 彼女たちとそう変わらぬ背丈の小柄な男。だが、その体格に似合わぬ巨大な剣はまだ背中に抱えたままで、表情も佇まいも先ほどまでと微塵も変わらない。

 平静な態度は、虚勢ではないのだろう。

(……こいつも、化け物か)

 ルーンとてこれまでの人生、おそらく同年代の少年少女たちと比べれば遥かにたくましく生きてきた。その辺のチンピラ程度なら、たとえ大人の男が相手であっても負ける気はしない。

 が、しかし。

 そんなルーンであっても、この異常な状況に、まるで丸腰のまま猛獣の檻の中に投げ込まれてしまったかのような、そんな錯覚に陥ってしまっていた。

 セオフィラスがチラッとルーンを見る。

「!」

 背筋が凍る。

 だが、セオフィラスはすぐにルクレツィアへと視線を戻した。 

「しかし……ルクレツィア様。こちらも部下が先走ってしまったようであまり時間がない。こちらの質問に速やかに答えていただきたい」

「なんでしょう?」

「あなたは――いや、あなたを含めたそちらの3名は、そのヴェスタという魔に自ら付いていっているのですか?」

「さあ、どうでしょう? だとしたらどうします? 女性を3人も侍らせてけしからん、と、ヴェスタ様を断罪なさいますか?」

 含み笑いを浮かべてルクレツィアはそう答えた。

 大陸最強のデビルバスターを相手に、まるで人を食ったかのような言い回し。

 ルーンは自分のことをそれなりに度胸のある人間だと自負していたが、ルクレツィアのこういうところは到底真似できそうにない。

「……おい、ルクレツィア。どうするつもりなんだ」

 ルーンは相手に聞こえないよう、小声でルクレツィアの脇腹を突付いた。すると、ルクレツィアはチラッとルーンを振り返り、やはり小声で答える。

「……どうしようもありませんわ。セオフィラス様はここで私たちを皆殺しにしてしまうような野蛮な方ではありませんが、捕まって検査を受けることになればミュウちゃんの身が危険です。ルーンさんも、魔の協力者とみなされればただでは済まないでしょう」

「だったら……」

「今は少しでも時間を稼ぎ、ヴェスタ様が来てくださることに望みを託すしかありませんわ」

「時間を稼ぐといったって……」

 これ以上はどうしようも――と、そう言いかけたルーンは途中で口を噤んだ。

「時間を稼げばいいんですか?」

 と、それまで黙って2人の会話を聞いていたミュウがそう言って前面に歩み出たのである。

「では、あの人間を動けないようにします」

「お、おい、ミュウ……」

「それは危険よ、ミュウちゃん」

 さすがにルクレツィアも少し慌てた様子だった。

 だが、2人の制止にもミュウは眉一つ動かすことなく、

「平気です」

 そう言ってセオフィラスと向かい合う。

「……」

 セオフィラスはそんなミュウに何かを感じたのか。無言のまま、背負った大剣の柄に初めて手をかけた。

「ちょっと待てよ、ミュウ――」

「いきます」

 さらに制止しようとしたルーンの言葉と、ミュウの両手が光を放ち始めるのはほぼ同時だった。

 止める間もない。

「!」

 眩い閃光。

 そのあまりのまぶしさにルーンは思わず目を逸らした。

 ミュウの両手から放たれた幾筋もの光の束が、螺旋を描きながらセオフィラスの体を捉えんとする。

「……」

 セオフィラスが目を細める。

 大剣を持つ手に力がこもった。

 そして、その唇が“呪文”を紡ぐ。

「吹き荒れろ、狂王の風――」

 傍目に見ればそれはただの一太刀。

 背負った剣を振り下ろしただけの動作に過ぎなかった。

 しかし“それ”がもたらした結果は、その大剣の冠する名のごとく。

 その剣の名は――“狂嵐”。

「――え?」

 一瞬の無重力。

 何が起きたのかわからなかった。

「って……!」

 そして数瞬後に気付く。

 ルーンの体はいつの間にか、まるで木枯らしに吹かれた枯れ葉か何かのように宙を舞っていたのだ。

「ッ――!」

 反射的に伸ばした手が、隣にいたルクレツィアの手を掴む。彼女の体も同じように宙に浮かんでいたが、彼女はルーンよりも遥かに今の状況を理解できていないようだった。

(……頭でも打ったら――!)

 ルーンは咄嗟にルクレツィアの体を引き寄せて抱え込む。

 ――受け身。

 どっちが空でどっちが地上か、それすらもはっきり認識できない中、ルーンはルクレツィアの体を抱えたまま、かろうじて受け身の体勢を取ることに成功した。

 そのまま、落下する。

「ぅぐ……ッ!」

「……ルーンさん!?」

 腕の中でルクレツィアの悲鳴のような声が聞こえた。

 ……こいつ、こんな声も出せたのか――なんて、そんなことを考える余裕がルーンにあったのは、背中から地面に叩きつけられたことで息が詰まりはしたものの、衝撃は想像していたほどのものではなかったからか。

 どうやらそれほど高く吹き飛ばされたわけではなかったらしい。

 体は動く。

 どこにも大きな痛みはない。

「大丈夫だ……それより」

 ルクレツィアの体を下ろし、自分も上半身を起こしたルーンは、ようやく自分を吹き飛ばしたものがとてつもない質量をもった“風”であり、それを起こしたのがセオフィラスであったことを悟る。

 ルーンはすぐにミュウの姿を探した。彼女たちよりも前にいたミュウは、その風の影響をもっとも大きく受けているはずだった。

 視界に最初に入ったのは剣を振り下ろした体勢のセオフィラスだ。彼の頭上は、まるで丸く切り取ったかのように枝葉がすべて消し飛んでいる。

 が、

「ミュウ……?」

 ルーンたちとセオフィラスの間にいたはずのミュウの姿はどこにもなかった。

 嫌な予感がして、辺りを見回す。

 そして、見つけた。

「……ミュウ!?」

「……」

 ミュウはルーンたちの後方にいた。そこにあった大きな木の根元に座り込んで――いや、その状況から察するに、そこに叩きつけられたのだろう。体を斜めにして座り込み、首はぐったりと後ろへ垂れている。

 まるで死んでいるかのように見えた。

「おい……おい、ミュウ!!」

 嫌な予感が胸を過ぎり、ルーンは慌ててミュウへと駆け寄った。

 だが、

「……平気、です」

 ミュウがそう言って、ゆっくりと正面を向く。

 ……どうやら無事のようだ。

 ルーンはホッと胸を撫で下ろした。

 が、

「それよりも……ルーンさん。ルクレツィアさん。下がってください」

「お、おい、ミュウ……」

 ミュウはまるで油の切れたカラクリ人形のようにぎこちない動きでゆっくりと立ち上がる。

 白い法衣はどす黒い土に汚れていた。

 足に力が入らないのだろうか、膝が小さく震えている。

 いつもと変わらぬ無表情。

 だが、その口元には薄っすらと血のようなものが浮かんでいた。

 それでも。

「下がってください」

 ミュウはもう一度そう言って、ゆっくりとルーンとルクレツィアの前に進み出る。

「ミュウ、お前――」

 その後姿にルーンは叫んだ。

「無茶だ! そんな体で!」

 ミュウの様子はどう見ても平気ではなかった。あの風を受けて背中からまともに大木に叩きつけられたのだから、それも当然だろう。ルーンは彼女がどういう類の魔であるか知らないし、体の構造が人間とどう違っているのかも知らないが、普通なら背骨がポッキリ折れてしまっていてもおかしくはない、それほどの深刻なダメージのはずだ。

 だが、ミュウは下がらず。

 相変わらずの抑揚のない口調で言った。

「……御主人様はこの先も皆さんと一緒に居ることを望んでいます。そんな御主人様の期待を裏切るわけにはいきません」

 両手に光を集め始める。

「そのためなら、この程度のことは“くそくらえ”です」

 そして放つ。

 圧倒的な力を持つ光の束。普段ならその辺りの名も無き戦士が紙切れのように一斉に吹き飛んでしまうほどの強烈な魔力。

 しかし――今回ばかりは相手が違いすぎていた。

「……」

 セオフィラスが大剣“狂嵐”を振るうと、彼女の放った力はいとも容易く四散する。

「この程度のことは――」

 それでも諦めず、立て続けに2度、3度――

 そのたびにミュウの呼吸は乱れた。

 そして4度目……誰の目にも無駄であることが明らかな攻撃を放った後、ついにミュウは膝から地面に崩れ落ちた。

「……?」

 ミュウは小さく首をかしげ、自分の足元を見つめる。

 膝に力を入れる。

 少し動いて、また崩れる。

 その繰り返しだった。

「……」

 その行動を10回ほど繰り返した後、ミュウは地面に視線を落として動きを止める。

 やがて、ポツリと呟くように言った。

「すみません。ルーンさん。ルクレツィアさん。……私、動けないみたいです」

「……」

 ルーンは無言で、後ろからそっと彼女を抱きしめた。

「……すみません」

「いい。気にすんな」

 そう言ってルーンはミュウの頭を撫でた。

 責められるはずもない。そもそもこの作戦は、敵がこちらの思惑を読んで主力をこっちに向けた時点で破綻していたのだ。

「謝らなきゃなんないのは、そもそもこの騒ぎのきっかけを作ったあのアホか、この作戦を立てたあっちの性悪女か――」

 ぎゅっと力の抜けたミュウの体を抱きしめる。

「口ばっかで結局何の役にも立ってない、この私だ」

「……性悪だなんて、失礼ですわね。それに作戦なんてものは所詮確率の問題ですわ。結果論で語ることはあまり好きではありませんの」

 歩み寄ってきたルクレツィアが不満そうに言った。

「ですが、ミュウちゃんに責任がないというのは同意ですわ。……さて、と」

 そう言ってルクレツィアが静かに目を閉じる。

「こうなっては私も覚悟を決める必要がありますわね」

「……ルクレツィア?」

 怪訝そうなルーンの問いかけには答えず、ルクレツィアは視線を横に動かした。

 その視線の先には、その場から微動だにしないセオフィラスが立っている。

 ルクレツィアは言った。

「セオフィラス様」

「……なにか?」

 真正面に立ったルクレツィアに、セオフィラスがほんの少しだけ表情を動かす。

 そこに浮かんでいたのは、困惑、だろうか。

 ルクレツィアは続けた。

「こうなってしまった以上、はぐらかしても仕方ありませんので白状いたしますけれども、私は――私たちはいずれも、自らの意思でヴェスタ様と行動を共にしております」

「……自分が何を口走っているかわかっているのですか? それはつまり魔に加担する者――デビルサイダーであると告白しているようなものですよ」

「解釈は御自由になさってください。いずれにしろ――」

 と、そう言って、ルクレツィアは懐から例の魔石を1つ取り出すと、いきなり上空へ向かって放り投げた。

「そういうことですので、貴方が私たちを見逃してくださらないのであれば私は死ぬまで抵抗することになるでしょう。……幸い」

 上空で魔石が弾け、一瞬、眩い光がその場を支配した。

「……」

 セオフィラスが目を細める。

 そんな彼を見据えたまま、ルクレツィアはさらに2つめの魔石を取り出した。

「ご覧のとおり、私たちはそのために必要な力を一時的に所持しておりますわ」

「ハッタリではない、と、そう言いたいのですか?」

「ええ」

「私があなたの肩書きに遠慮をするとでも?」

「まさか」

 ルクレツィアはこの状況にもかかわらず、天使のような小悪魔の微笑みを口元にたたえた。

「私は貴方自身と、そして自らの強運に賭けているだけですわ」

「……」

 セオフィラスは微かに俯いた。

 笑ったように、ルーンの目には見えた。

「私に期待をされるのは迷惑だが、あなたがあなたの運に賭けることは勝手だ。さぁ――」

 顔を上げたセオフィラスが真っ直ぐに正面を見据える。

「それでは結果を見てみるとしましょうか。美しきビルアの末姫様」

「!」

 セオフィラスの体に満ちる闘気を感じて、ルーンも懐から魔石を取り出した。

 残弾は3つ。

 ルクレツィアの持っている分と合わせて5つ。

 ミュウの直接攻撃さえ通じなかった相手に、それが役に立つとは到底思えない。

 が――

(何もしないより、マシさ……)

 ルーンは心の中でそう呟いた。

 腕の中の小さな温もり――小さな体でこれだけ頑張ったミュウの心を感じて、ルーンの胸にも勇気が沸いてくる。

(別にヴェスタのヤツのことなんざどうでもいいが――)

 ゆっくりと立ち上がる。

 そしてルーンは叫んだ。

「ここで引いちゃ、女が廃るってもんだ! なぁ、ルクレツィア!」

「……あら。ご自分が女だとちゃんと覚えてらしたのですね」

「うっせーよ、この性悪!」

 空元気。

 それでもないよりはマシだと、自らに言い聞かせて。

 ルーンは目の前の絶望的な敵へ立ち向かう決意を固めたのだった。

「……」

 そんな彼女たちを見つめていたセオフィラスの視線。

 一瞬緩んでいたそれが、これまでになく厳しく、鋭く引き絞られる。

 そして、


「……動くな」


 低く、鋭く。

 セオフィラスの足が地面を叩き、凶悪な力を秘めた大剣“狂嵐”が振り下ろされた――。

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