その3「潜入捜査の大量殺戮者(ジェノサイダー)」
行き当たりバッタリだ。
風来坊に安定した収入がないのは当たり前。だからこそ、路銀がなくなる前に何らかの方策を早め早めに練っておくのが普通である。大きい街なら日雇いの働き口はそれなりに見つかるが、それも確実な話じゃない。2、3日程度探し回って全く見つからないことだってないわけじゃない。
にもかかわらず、だ。
あの男は正真正銘“無くなる”まで本当に何も考えていないのだ。計画性がないというか脳天気というか……そのくせ、食費を稼ぐのは大黒柱である自分の役目だから心配するなとか偉そうにのたまうのである。
不安だ。
とてつもなく、不安な毎日を送っている。
だから――少なくとも数ヶ月分の路銀が保証されるであろう今回の話。……思わず身を乗り出してしまったのは仕方がない、と、言い訳ではなくそう思う。
そう思う……のだが。
実際のところ、やはり不安だ。
あの女が信用できないということもあるけれど、それ以上に。
――こんなもので上手くいくと本気で思っているあの馬鹿男の脳天気さが。
~潜入捜査の大量殺戮者~
「ルクレツィア――」
「御心配をお掛けしました、姉上」
なるほど、この女性か――と、俺はすぐにその人物の正体を理解した。
玄関ホールで真っ先にルクレツィアを出迎えたのは、なんともきらびやかな雰囲気の女性である。装飾品のたくさん付いた高価そうな衣装に、顔が隠れてしまいそうなほどボリュームのある巻き髪。
「……よく無事で」
何かを噛みつぶしたような複雑な表情。
この女性については事前にルクレツィアから聞いている。12人の姉のうちの1人で、名はカディーナというらしい。幼顔のルクレツィアと並んでいるのを見るとかなり年長のように思えてしまうが、13人姉妹の中では下から4番目でまだ10代らしい。
そういう目で見るとなるほど、その有閑マダムのような装いとは裏腹に顔の化粧は薄く、肌には若々しい健康的な輝きがある。衣服と髪型を変えればまたガラっと違う印象になるのではないか。
そしてもう1人。
「ルクレツィア!」
ホールに姿を現し、ルクレツィアの姿を目に止めるなり今にも泣き出しそうな顔になって駆け寄った女性。
「ああ、ルクレツィア。無事なの? 怪我は? どこか痛めてしまったところはないの?」
と、大事そうに彼女の手を取る。
ルクレツィアは心の底から申し訳なさそうな顔をして女性に答えた。
「フローラお姉様にも御心配と御迷惑をおかけしてしてしまったようで、申し訳御座いません」
「迷惑だなんて……あなたが無事だったならそれで――」
そこで言葉を詰まらせ、ようやく安堵の表情を見せる。
その女性についても事前に聞いている。カディーナとは対照的に清楚な白をベースにしたシンプルな服装とストレートロングの髪。いかにも穏和そうなこの女性はフローラといって、ルクレツィアの1つ上、つまり一番歳の近い姉らしい。
手を取り合うフローラとルクレツィア。そしてその2人を少し離れたところから冷ややかな視線で見つめるカディーナ。
「うぅむ。なんとも華やかな光景ではないか」
可憐なルクレツィアの美しさについては以前に何度も触れたが、この2人の姉もなかなかどうしてかなりの美女である。気の強そうなカディーナ、穏和で優しそうなフローラ、可憐なルクレツィアと、姉妹にしてはバラバラな個性ではあるが、それぞれに視線を奪うだけの魅力を持っている。
美人姉妹とはまさにこういうことを言うのだろう。
と、そんな俺の呟きを聞いたルーンが面白くなさそうに言った。
「金持ちには見てくれのいい女の遺伝子が集まるってだけだろ。珍しくもない」
「む」
まあ確率的にはそういう考え方もできるのかもしれない。
「だが、それでもいいであろう。別に彼女たちの美しさに罪があるわけでもないのだから。なぁ、ミュウよ」
「御主人様のおっしゃるとおりです」
ミュウはゆっくりと俺を見上げて頷いた。
「ああやって少し極端にでも特徴付けしないと書き分けが大変なのです。ルクレツィアさんとフローラさんは微妙にキャラがかぶってますけど、ニーズが多様化、細分化されている昨今では仕方ありません」
「? なにを言っているのだ、お前は?」
また何か変な本でも読んだのだろうか。
ひとまず放っておこう。
「それで? 今までどこで何をしていたの、ルクレツィア」
視線を戻すと、カディーナが見た目から推測されるとおりの厳しい声でルクレツィアにそう問いかけたところだった。彼女と手を取り合って無事を喜んでいたフローラが雰囲気を察して一歩離れ、代わりにカディーナが一歩だけ歩み寄る。
「皆、お前が急に消えたと聞いて探し回っていたのですよ。ヴィルヘルム様も大層御心配なされて――ルクレツィア。皆に心配をかけて、お前は今まで一体どこで何をしていたの?」
「それは――」
ルクレツィアが少し視線を落としたところへ、フローラが遠慮がちに口を挟む。
「カディーナお姉様。戻ってきたばかりですのに、いきなり――」
「フローラ。お前は黙っていなさい」
「ですが――」
「……お姉様」
ルクレツィアがフローラを制する。気の強そうなカディーナに比べ、儚げな彼女の姿は一見頼りなさげに見えてしまうが、実際にははっきりとした口調で姉に向き合った。
「皆様に御迷惑をおかけしてしまったことはとても申し訳なく思っております。あの爆発で気が動転しわけもわからずに逃げ出してしまい……道がわからなくなって途方に暮れていたところを――」
ルクレツィアが振り返って俺と真っ直ぐに視線が重なった。
「こちらの司祭様に助けていただいたのです」
「……」
カディーナの鋭い視線と、フローラの戸惑ったような視線がこちらを向いた。
ようやく俺の出番のようだ。
コホン、と、軽く咳払いをして一歩前に出る。
「お初にお目にかかります、お嬢様方。私は旅の司祭でヴェスタ=ランバートと申す者。こちらは旅の供で修道士のルーンと修道女のミュウでございます」
ペコ、と修道女姿のミュウが礼をする。修道士姿のルーンは何故か居心地が悪そうに引きつった笑顔だった。
紹介を終えて正面に向き直ると、
「……」
「……」
2人の女性の視線が不審そうに俺とルクレツィアの間を行き交う。
……まあ、無理もなかろう。俺のように若くて美形な司祭を見る機会などそうそうないであろうからな。
俺は少し声を張り上げて続けた。
「ミス・ルクレツィアより事情は伺いました。彼女の婚礼の儀に関して何やら不穏な気配があるとか。これも神のお導きかと思い、是非協力させていただこうかと参上した次第であります。なに、御心配なく。私は各地を旅しているだけあってこういう事態には慣れておりますゆえ」
なんともいえない顔の姉二人に対し、ルクレツィアはオルゴールのような細く可憐な声で言った。
「あのような騒ぎの後ですが、せっかく司祭様がお助け下さると仰せですので、明後日の吉日、正午に再度婚礼の儀を行いたいと思っております。ヴィルヘルム様には私の方からご説明いたしますわ」
俺たちが案内されたのは2階の客間だった。
「ふぅ、どうやら上手くいったようだ」
俺の後にミュウが続き、最後にルーンが入ってパタンとドアを閉めた。
「上手くいった、ね……」
「む?」
ルーンが何か言いたげだ。
「何か気になることでもあったのか、ルーンよ?」
「気になるもなにも」
手を大きく広げて、
「あんな説明で何も疑問に思わないのはよほどのアホかお前ぐらいのもんだよ」
「なにっ。まさか俺の演技が完璧ではなかったとでも?」
「設定そのものが無茶だって言ってんの。……あの姫さんは承知の上だろうけどさ、きっと」
手を振りながらルーンが俺の視界を横切っていく。
「何にせよ屋敷に入ることには成功したわけだ。これからどうする?」
「……ふむ」
その物言いにはどうも納得できないものがあったが、追求しても仕方あるまい。それよりもルーンの言うようにこれからどうするか、だ。
俺はクッションの効いたソファに腰を下ろして腕を組んだ。
最終的な目的は言うまでもなく、ルクレツィアの命を狙う犯人を捕まえることだ。その犯人は彼女の12人の姉のうちの誰かであり、もちろん今日会ったあの2人も例外ではないということだ。
「相手の動機ははっきりしている。だったらそれを逆手にとってあぶり出す、なんて方法はどうだろうか」
ルーンはひどく意外そうな顔をした。
「お前にしちゃまともそうな切り出しじゃないか。それで、具体的にはどうするつもりだ?」
「そうだな、まずは……」
まず、婚礼の儀が済めばルクレツィアは夫であるヴィルヘルム公の屋敷に移り住むことになる。そうなればおいそれと手を出せなくなるだろうから、彼女を狙うチャンスがあるとすれば、婚礼の前か、直後――ヴィルヘルム公の屋敷に移る前ということになる。しかしながら、儀式後ならほとんどヴィルヘルム公と行動を共にすることになるし、犯人の動機を考えればヴィルヘルム公を巻き添えにすることは望まないだろうから、やはり儀式前に狙ってくる可能性が一番高いと考えられる。
つまり今日と明日、あるいは婚礼の儀の当日である明後日の午前中。この2日半ほどの間、俺たちは彼女の身辺警護をし、犯人の正体を暴かなければならない、ということになる。
「よし。まずは情報を集めることだろうな。ある程度容疑者を絞るところから始めなくては」
奇をてらっても仕方あるまい。まずはセオリー通りにいくべきだろう。
「情報収集といえば聞き込みが基本だ。屋敷で聞き込みといえば使用人しかなかろう。よし。では早速皆で――!」
「ちょ……ちょっと待てよ、ヴェスタ」
意気込んで立ち上がろうとした俺の服の裾をルーンがはしっと掴む。
「む? どうした?」
「いいから待て。落ち着け。まず座れ。――お前、ホントにちゃんと考えてるか?」
やはり呆れ顔をされてしまった。
「失礼な。俺はいつも熟慮に熟慮を重ねてだな――」
「じゃあ聞くが、お前、誰に何を聞くつもりだ?」
「誰にって、もちろん執事やメイドではないのか?」
「執事やメイドに何を聞くんだ? 誰があの色男に横恋慕しているか聞くのか? 嫉妬してあの姫さんの命を狙いそうな人は誰ですかって尋ねるのか?」
「む……」
言われてみれば確かに難しい。
「しかしルーンよ。それでは何も進展しないではないか」
「だから落ち着けって言ってんだよ。情報を集めるのは悪くない。けど、こっちは一応旅の司祭とそのお供ってことになってんだから」
すでにかなり疑われてると思うけどさ――なんて呟きながらルーンは続けた。
「これ以上ボロが出ないように色々練ってから動き出さないと。適当に動いて相手にこっちの正体が知られでもしたら本末転倒だろ」
「ふむ。なるほどな」
確かにルーンの言うことには一理ある。
俺は感心して、
「ルーンよ。お前はなかなか潜入捜査の素質があるな」
「ああ、お前よりはあると思うよ」
真顔で即答されてしまった。
「ともかく。お前らは少しここで待機していてくれ。情報は私が集めてくるからさ」
「む? 何かいい方法があるのか? そうなら俺も――」
「とりあえず何もしないでくれ。それが一番助かる」
「む」
言い方は気になるが、不思議とルーンがやる気になってくれているようだからとりあえずよしとするか。
「わかった。真打ちは最後に登場するものだからな」
「ああ。じっとしててくれるなら真打ちでも秘密兵器でも何でもいいよ。じゃ」
パタン、と。適当に受け流すような感じでルーンは出ていってしまった。
「うぅむ。……ミュウよ。なんだか俺たち邪魔者扱いされてないか?」
「そうですか?」
俺たちのやり取りの間、ずっとマイペースに紅茶の準備をしていたミュウが顔を上げてこっちを見る。
「きっとルーンさんなりに最善を追求した結果だと思います」
「なるほど。そういうことか」
それならば仕方あるまい。
「……ん? とすると、やはり俺は邪魔者だということに――」
「御主人様。紅茶が入りました」
「ああ、すまぬ――」
「お菓子も御用意しました」
「む……」
畳みかけるようにミュウが数種類の焼き菓子を目の前に並べる。……なにか誤魔化されているような気がしないでもないが、深くは考えまい。そう。人生は深く考えたら負けなのだ。
というわけで早速、菓子をいただくことにしよう。
さくっ。
気持ちのいい感触とともに甘い香りが喉の奥から鼻へと抜けていく。
「うむ。美味い」
お世辞抜きに上等な菓子である。
「上手くなったものだ。少し前までの料理が嘘のようだぞ、ミュウ」
そう言うと、
「御主人様、それはもう……」
ミュウが珍しく恥ずかしそうな表情を見せた。彼女は彼女なりにあの頃のアレが失敗作だったことを理解しているようだ。
に、しても――
(随分と愛らしい表情をするようになったものだ)
ミュウは日を追うごとに人間らしい感情を見せるようになってきた。きっと人間の読む本を色々と読ませてきた効果だろう。――時折不可解な言動をすることも増えた気はするが、それはともかく。
気も利くし、料理上手だし、このままあと3、4年もすればどこに嫁に出しても恥ずかしくない娘になる、かもしれない。
父親(代わり)としてはそれが嬉しくもあり少々寂しくもある。
「あとはそれが俺以外の人間にも向いてくれるようになればいいのだが……」
「?」
「いや、なんでもない。なんでもないのだ――」
と。
コンコン、とノックの音がした。ルーンにしては随分と早い。あるいはルクレツィアだろうか――念のため咳払いし、声を整えてから返答した。
「どなたですか?」
「司祭様。カディーナです」
「え?」
カディーナ……上の姉だ。俺は少々面食らいながらも、
「ミス・カディーナでしたか。どうぞ」
「失礼致します」
立ち上がって出迎える。ドアの向こうにいたカディーナは相変わらず気の強そうな目を真っ直ぐにこっちに向けながら上品な仕草で入ってきた。別にこちらを威嚇しようとしているわけでもないのだろうが、その毅然とした姿からは自然と威圧感のようなものが滲み出ている。
カディーナは部屋の中を一瞬で見回して、
「あら、修道士様……ルーンさんとおっしゃいましたか。どちらかへお出になられたのですか?」
「え。ああ、彼だったらご不浄に……」
言ってから、しまった、と思った。いない理由がトイレでは、長く戻ってこないとさすがに不審に思われてしまう。
「そ、それとついでに少々屋敷の中を見学したいと申しておりました。いや、まだ若いもので屋敷が珍しいようです」
慌てて取り繕ったが、カディーナは特に疑った様子もなく、
「そうですか」
と、言っただけだった。
俺はホッと胸をなで下ろして、
「ええっと……それで、ミス・カディーナ。私に何か御用でしょうか」
「ええ。少々お伺いしたいことがございまして」
ソファに腰を下ろして向き合ったカディーナは見た目の印象どおり無駄なくテキパキとした口調で話し始めた。
「単刀直入にお聞きします。――ルクレツィアの先ほどのお話、全て本当のことでしょうか」
「……え」
本当に単刀直入だ。
「な、ななななにをおっしゃるのです。聖職者である私が嘘をつくはずがないではありませんか」
ドキドキしながらどうにかそう答えたが、幸いカディーナも何か確信があって言ったわけではないらしい。少し思案深げな顔をしながら、
「司祭様が嘘をついているということだけではなく、錯誤なさっているという可能性……つまり、ルクレツィアが司祭様を謀っているという可能性も含めてお尋ねしております」
「謀る? ルクレツィア嬢が我々を、ですか?」
俺は驚いた顔をして、
「……彼女に限ってそのようなことは」
本心からそう言った。それはそうだ。俺たちが嘘をついていることは確かだが、こうして司祭に扮する作戦は俺が考えたことだ。あの可憐で純粋な姫のことである。他人を騙す方法なんて思いつきもしないだろう。
するとカディーナはどこか非難するような目をした。
「司祭様の目にはそのように映っておられますか」
「は?」
見ると、カディーナは初めて視線を斜めにそらした。
「あの子は少し、見た目とは違う面もあるものですから……」
「はあ……」
俺には彼女の言葉の意味がまったく理解できなかった。
疑う余地のない、見たままの可憐な姫だと思うのだが――
「あら、ルーンさん。どうなさったのです? 私に何か御用でも?」
そよ風のような可憐な声が妙に気に触るのは、実態がその印象とかけ離れていることを知っているからだろうか。
ルクレツィアは身に纏うドレスとまったく同じ、白を基調とした部屋の奥でやはり白い木製の椅子に腰掛けていた。窓から流れ込むそよ風にカーテンがそよいでいる。
なるほど、何の汚れも知らない純真無垢な子供が見ればそれは確かに可憐で儚い美しい姫の姿そのものだろう。しかし残念ながらルーンは見た目をそのまま信じ込めるほど世間知らずでもなかった。
「用もなしに来るかよ」
やはり彼女は自分と相性の悪い種類の人間のようだ――と、そこまで考えてルーンは少しだけ可笑しくなった。
本来ならば、隣をすれ違うこともないような相手である。相性がどうとか考えること自体がナンセンスだ。
ルクレツィアは手にしていた本をそっとテーブルに置いて音もなく立ち上がった。
「どうぞお掛けになってください。遠慮などなさらずに。あなた方は私の命の恩人ですもの」
「馬鹿丁寧な物言いはやめろよ、気持ち悪い。私相手に猫かぶる必要ないだろ」
ルクレツィアはクスッと笑う。
「疑り深い女性は殿方に敬遠されましてよ。……いえ申し訳ありません。今のルーンさんは修道士様、男性のフリをなさっているのでしたね」
「……ふん」
扮装するときに有無を言わさずこの格好にさせられてしまっただけだ。もちろんヴェスタに悪気がないのはわかっている。
「ヴェスタ様が常識外れにニブい方であるのは承知しております。ですが私はどちらかというと、ルーンさんがどうして間違いを正そうとしないのか、ということの方に興味がありますわ」
「ふん、別に理由なんかないよ。説明するのが面倒くさいだけだ」
言いながらも憮然とした表情を隠せないルーンに、ルクレツィアは楽しそうに目を細めながら居住まいを正した。
「ではそちらについては事件が解決した後にお聞きするとして、今はルーンさんのお話を伺うことにいたしましょうか」
後の機会なんてあるもんか、と、ルーンは心の中で毒づいて、
「私はあんたみたいに回りくどい言い方は嫌いだから単刀直入に聞く」
そう言いながら上品そうな匂いのする椅子にわざと粗雑に腰を下ろす。
「あんたを狙ってるのはどっちだ? 趣味の悪いオバさんみたいな格好したヤツか? それとも大人しそうに見えるお嬢さんの方か?」
「あら。以前にも申し上げましたとおり私には12人もの姉がおります。犯人がここに来ているとは限りませんわ」
「んなわけないだろ。あんたはここで何か起きるとわかっていたからあんな騒ぎを起こして私らを引き込んだんだ。確信がなきゃあんな無茶な芝居を打ったりするもんか。つまり、犯人はこの街に来ているあの2人のどちらかだ。少なくともあんたはそう思っている。違うか?」
「得体の知れない……ですか」
ルクレツィアはくすぐるような声で笑った。
「何がおかしいんだ?」
「いいえ。特に可笑しくありませんわ」
笑ったままそう言った。
「……」
いちいち癇に障る。
「ですが、ルーンさんのおっしゃるとおりです。ただ、ヴェスタ様は少々間の抜け……いえ、正直な御方のようでしたので、話すタイミングを計った方が良いのではないかと」
「……あぁ」
それについてはルーンも大いに納得した。
あのヴェスタのことである。最初から犯人の名前を聞かされていれば、出会い頭にあっさりボロを出してしまう可能性は否定できない。
「で、どっちなんだ? ヴィルヘルムとかいうヤツに横恋慕してあんたを狙っているのは」
「それもルーンさんのお考えどおりです。つまり――」
「どちらかってところまで、と?」
「はい」
「……」
本当だろうか。完全に信用はできないが、少なくともここに至って真相を隠す理由はルーンには思い浮かばなかった。
「いずれにしても――」
ここでルクレツィアが初めて笑顔を崩した。僅かに斜め下に動いた視線は演技ではなく本当に憂いの色を秘めているように見えた。
こんな性格の彼女であっても、実の姉に狙われていることには本当に心を痛めているのだろうか――。
彼女を信用していないルーンですら、ついそう思ってしまう。……彼女の容姿にはそんな類の魔力が秘められているのかもしれない。
「いずれにしても、明後日までに動きがあるはずですわ。それまでお姉様方に悟られないようにお願いいたします」
「ああ。……とりあえずヴェスタのヤツはあの2人に接触させない方がいいな。それと――なぁ」
と、ルーンは少し声を低くして言った。
「約束は大丈夫なんだろうな?」
「約束? ああ、報酬の件ですか」
ルクレツィアの表情に笑みが戻った。
「それならば御心配に及びません。約束どおり、私の全財産をお譲りいたしますわ」
「……」
ルーンが今回の話に乗った理由。それはお人好しのヴェスタの主張に流されたから、というわけではない。もっと現実的かつ切迫した止むに止まれぬ事情ゆえ、なのである。
「もっとも、先日も申し上げましたとおり、末の娘ですからそれほどの財産は持っておりませんけれども……身の回りの貴金属などを全て換金したとして、ルーンさんたち3人が数年遊んで暮らせる程度でしょうか」
「充分だよ。けど――」
数日後の食事すら保証されていないルーンたちにとっては充分すぎる。
「どうも胡散臭いな。だいたい全財産譲っちまったらお前はどうするんだ?」
ルクレツィアは可笑しそうに目を細めて笑った。
「本当に疑り深いのですね、ルーンさんは。今回の件が終われば私はヴィルヘルムの家に嫁ぐのですから余計な荷物が処分できてかえって好都合ですわ。ヴィルヘルム様とて、私のちっぽけな財産など最初からアテにしておりません」
「なるほどな」
言ってることは真実なのかもしれないが、やはり疑心は拭えない。
「まあいいや、けど、あんまり私を甘く見ないでくれよ」
ルーンは声にドスをきかせてソファから立ち上がった。彼女にそんなものが効くとは思っていなかったが、あまり与し易い相手だと思われるのは都合が悪い。
案の定、ルクレツィアは相変わらずの楽しそうな笑みを浮かべたままだった。
ルーンはまた苛々が募るのを感じながら部屋を出た。
さて――。
長い廊下には誰もいない。ルーンは数秒間そこで立ち止まり、これからの行動に思いを馳せた。
ひとまずルクレツィアを狙う人物が、彼女を出迎えた2人の姉のどちらかだというところまではわかった。とすれば――
(何か探りを入れてくるかもしれないな……)
何しろ彼らはどこから降って沸いたどこからどう見ても怪しげな3人組である。相手が仮に箱入りの世間知らずなお嬢様だったとしても、彼らの芝居を完璧に信じた、なんて都合のいいことはないだろう。
(まずはヴェスタのヤツに余計なことを喋らないよう釘を刺しておくか)
そう決めると、ヴェスタたちが待つ客間に向かって歩き出す。
頼りにならない仲間に胡散臭い依頼主。どう楽観的に考えても上手くいくとは思えないが、ダメで元々と考えればいいだろう、と、ルーンは半ば開き直っていた。何しろ、上手くいけば数年分の路銀である。身に危険が及ぶ可能性もないではないが、この別荘には物騒な私兵もそれほど大勢いるわけではない。自分の身軽さには自信があったし、ヴェスタやミュウの力もこういうときばかりは役に立つだろう。
と。
そんなことを考えながら歩いていて、ふと顔を上げた。
「……?」
1つの部屋の扉が開いて、そこから黒髪の女性が姿を見せる。ルクレツィアの姉――大人しそうな下の姉、フローラだ。
「ち……」
咄嗟にそばにあった騎士の彫像のかげに身を隠す。
フローラはその外見のイメージそのままのゆっくりとした動作で部屋の中に一礼し、隠れているルーンの存在には気付かずに廊下の向こう側へと立ち去っていった。
ホッと胸をなで下ろす。
別に隠れる必要はなかったのかもしれない。が、彼女は容疑者の1人である。ルクレツィアの部屋の方から戻ってきたのを見て、何かを感じ取るかもしれない。
(……ま、温室育ちのお嬢さんにそこまで考える力があるかどうかはわからんが……)
彫像の影から出て一歩。
ピタ、と立ち止まる。
――まさか。
フローラが出てきた部屋を再確認してそう思った。
廊下に並ぶ扉の数を数える。
1、2、3……
「……まさか!?」
ルーンはハッとして駆け出した。そしてその勢いのまま、フローラが出てきた部屋の扉を勢いよく開ける――
バタン!
「おい、ヴェスタ!」
「ん? おお」
ルーンが戻ってきた。
「随分と長かったではないか。何か悪い物でも食べて腹を壊したか?」
「……はぁ?」
おっと。トイレにこもっているというのは方便な嘘の話だ。
「――って、そんなことはどうでもいい! おまえ、今、部屋を出ていったのは……」
「む?」
ルーンの視線が俺の前にあるテーブルに注がれている。そこにあるいは客人がいたこと示す、主を失ったティーカップがあった。
「ああ、先ほどフローラ嬢が訪ねてきてな。楽しく世間話をさせてもらったところだ。しかしさすが良家の姫というのは気品があるだけでなく博識なものだ。人生経験が少ないと謙遜なさっていたがなかなかどうして聡明で知識の豊富な――」
「何を喋った!」
「お、おい、ルーン」
今にも掴みかからんばかりの勢いのルーンに俺は少したじろいだ。ティーポットを片づけようとしていたミュウが不思議そうにこちらを見る。
「ど、どうした、何か悪いものでも食べたのか。――も、もしや1ヶ月前、空腹に耐えきれなくて密かに鍋に投入したあのキノコか!? あのキノコの毒が今になって回ったのか!?」
「んなわけあるか――って、キノコ!? 初耳だぞ、そんなの!」
「い、いや、心配ないぞ。色鮮やかでいかにも美味そうなキノコ――」
「アホか、お前はッ!! い……いや、待て、とりあえずそんなことは後回しだ」
ルーンは咳払いをして気持ちを落ち着けるような仕草をした。
どうやら最近、彼の神経は少しずつ図太くなってきているようだ。
「……で? お前、あのお嬢さんに余計なこと言わなかっただろうな?」
「何を心配しているのかわからんが、ただの世間話だぞ。ま、あの大人しそうな姫が犯人などということはまずないだろうが、一応潜入している身だからな」
するとルーンはようやく少し安心したような顔を見せた。
「根拠もなく信用すんなよ……ま、それでも潜入してる自覚があるようで安心したよ」
それで? と、ソファに腰を下ろす。
「世間話って、何の話をしていたんだ?」
「ルーンさん。ホットミルクです。どうぞ」
「お。サンキュな」
ミュウからカップを受け取ったルーンはそれに軽く口をつける。
「主に旅の話をな」
「旅の話?」
「うむ。やはりああいう身分の者は自由に外を歩けないらしいのでな。旅の途中の色々な出来事を話すと興味深そうにしていた」
自己主張の弱そうなフローラ嬢が、そのときだけ食い入るように聞いていたのが印象的だった。無理もない。自らの足で何もない荒野を何キロも歩く、あるいはたき火をして野宿をする……おそらくあのような姫には一生体験することのない出来事だろう。
と。
「旅の、話?」
「どうした? ルーン?」
カップに口をつけたまま、ルーンが変な顔をしていた。何事か考えるように視線を左右に揺らし、それからゆっくりカップを下ろす。
「ヴェスタ。その旅の話だが……もしかして、このビルア領に入る前の話もしたか? いや、聞かれたか?」
「む? うむ、最初は最近の話から始めたのだが、もっと前のことも聞きたいというのでな。ああ、いや、もちろん疑われそうなことは話していないぞ。我々はあくまで旅の司祭とそのお付きの者ということになっているのだからな」
「……やられた」
カチャ、と、ルーンはカップをテーブルに置いて立ち上がると、おもむろに部屋のドアを開けて注意深く廊下を覗きこむ。
「む? どうした?」
そうかと思うと、
「いや……そうとは限らないか。単に興味本位ってことも……」
ブツブツ言いながらすぐに戻ってくる。
「むむ? 一体どうしたというのだ?」
まったくわけがわからない。
腕を組んだルーンは少し間をおいてチラッとこちらを見た。
「……ヴェスタ。もう遅いかもしんないけど、今後はこのビルア領に入る前の話はしない方がいい」
「何故だ?」
すると、ルーンはいつものようにバカにしたような表情で小さく首を横に振る。
「お前にも理解できるように簡単に言うとだな……前のところは、このビルア領とは宗教の力関係が正反対なんだ。つまり、私たちが扮しているクライン教の司祭があの領地をウロウロするのはあまり自然なことじゃない」
「ふむ、なるほど……む?」
その話を聞いて俺にもピンと来た。
「ということは、彼女たちはそれを確かめるために俺に旅の話をさせたのではないか、と?」
「それ以外の意味に聞こえるのか? まあ、必ずしもそうとは限らないが――って」
ピク、と、ルーンが眉を動かした。
「ちょっと待て。……お前今、彼女“たち”と言ったか?」
あ。ヤバい。
とは思ったものの、今さら誤魔化すわけにもいかず、
「う、うむ。なんと言うべきか、つまり、フローラ嬢が訪ねてくる前にだな、その……カディーナ嬢が訪ねて来てだな。彼女と同じように旅の話を――」
「……」
ルーンの表情が固まった。
と、そのうち見る見るうちにこめかみの青筋が浮かんでくる。
予感は当たりそうだ。
怒鳴られるであろう、予感――
「アホかッ!! 少しは疑えよ、このバカ――ッ!!!」
キン……と、耳が鳴った。
「ま、待て、落ち着くのだ、ルーンよ。心配はいらぬ。俺の推理によると、フローラ嬢もカディーナ嬢も犯人ではなくてだな……」
「誰もお前のトンデモ推理なんて聞いてないっつーの!」
テーブルのカップ類が1センチほど宙に浮いてガチャンと音を立てる。
「あー、もう! これなら1人でやった方がいくらかマシだった! だいたいお前、あの2人が犯人じゃなかったら誰が犯人だってんだ!? 言ってみろ! お前の名推理とやらでとっとと捕まえてみせろよ、ほらッ!!」
「お、落ち着くのだ、ルーン。た、確かに彼女たち2人が怪しくないという根拠はないが俺の直感的なアレがビビビッと……」
「テーブルの角に小指ぶつけて死ねッ!!」
それはさすがに無理なんじゃないかと思ったが、反論すると今度は拳が飛んできそうな気配だったので自重した。
というか、何もしなくてもそのうち拳が飛んできそうだ。
ピンと閃く。
「そ、そうだ! さっきからご不浄に行こうと思っていたのだ!」
シュタッ、と、ソファから立ち上がる。
「あっ、こら、ヴェスタ! 逃げる気かッ!!」
「生理現象だけはどうにもならぬ! というわけでさらばだ!」
我ながら華麗な身のこなしで部屋を飛び出した。
さすがに屋敷の人間に騒ぎを聞かれるのはマズいと思ったのか、ルーンは外まで追ってこなかった。
「……ふぅ、やれやれ」
ホッと息をつく。
さて、これからどうしようかと考えた結果、せっかくなので本当のご不浄に向かうことにした。
キノコの毒のせいにして1時間ぐらいこもっていようと思う。
(しかしまぁ、あんなに怒らなくても良いではないか……)
まあ、ルーンの言うことにも一理あるようには思うが。
(実際、どちらも疑わしくなかったのだから……)
「おや、あなたは――」
「へ?」
ご不浄へ向かう途中、見慣れぬ男性と鉢合わせた。服装からして使用人ではない。
どう挨拶すべきか迷っていると、男性はスマートな仕草で礼をすると、
「ルクレツィアをお助けくださった司祭様ですね。私はヴィルヘルムと申します」
「え、あ、ああ、あなたが……」
不覚にも新郎の顔を覚えていなかったわけである。パレードのときに遠目に見たのとは細部で違っていたが、やはりハンサムな青年だった。
もちろん、この俺ほどではないが。
「お連れの方々は?」
「部屋で休んでおります。長旅と先日の騒動で疲れてしまったようで」
うむ。我ながら自然な回答である。
すると、
「そうだ……この機会に……」
ヴィルヘルム公は何事か考え始めた。
「?」
「司祭様」
と、顔を上げる。
「いかがでしょう。たまには男同士でティータイムなど。……いえ、正直に申し上げますと、司祭様の旅のお話をお聞かせ願えないかと……」
「……旅の話?」
一瞬、先ほどのルーンの剣幕が頭を過ぎったが、よくよく考えれば彼は今回の事件のいわば被害者であり、容疑者ではない。今度こそ、何を喋ってもルーンに怒られるようなことはないだろう。
それに――しばらく部屋に戻らない口実としてはあまりにちょうど良いではないか。
俺は答えた。
「特に面白い話もありませんが、それでよければ――」
そう答えると、喜び――というより安堵の表情を見せたヴィルヘルム公によって、俺は彼の部屋へ案内された。
同じ客間の並びにあったヴィルヘルム公の部屋は、間取りも我々の部屋とまったく同じだった。彼が冷遇される理由はないから、きっと我々が厚遇されているということなのだろう。
「ルクレツィアから私のことはお聞きになられているのですか?」
紅茶とケーキを運んできた侍従が部屋を出ると、ヴィルヘルム公はまず最初にそう尋ねてきた。
「とても誠実な方であるということはお聞きしております」
「そうですか……他には?」
「?」
違和感を覚えた。旅の話を……と言っていた割に、それを尋ねてくる気配はまったくといっていいほどない。
「他に、というと?」
「いえ、つまり……」
そう言ってヴィルヘルムは言葉に詰まる。
「本当に結婚する気があるのかどうか、とか……」
「?」
どういう意味であろう。さっぱり話が見えない。
ヴィルヘルム公は黙り込んでいた。
「どういう意味ですか?」
率直にそう尋ねると、ヴィルヘルム公は困ったような顔で視線を左右に動かした。何かを迷っているようであったが、そのうち決心したような顔で軽く身を乗り出すと、
「司祭様が口の堅い方であると信じて、率直に申し上げます」
「む……」
確かに俺は口が堅く信義に厚い人間である。しかしこの青年とは先ほど会ったばかりで信じてもらえる要素など皆無に等しい。
それともこの青年は一発で俺の本質を見破ったというのだろうか。
だとすれば、なかなか侮れない人物だ。
「何故私の口が堅いと?」
一応、そう尋ねてみると、ヴィルヘルム公は迷いのない口調で答えた。
「それはもう、司祭様ですから」
「……なるほど」
見た目通りの実直な青年らしかった。どことなく親近感を覚える。
「司祭様だけにお話しいたしますが……」
そして司祭という肩書きにすっかりこちらを信用しているらしいヴィルヘルム公はとつとつと語り始めた。
「実を言うと……今回の婚礼はルクレツィアの方から申し込んできたものなのです」
「ほぅ、それは男性として冥利に尽きますな」
俺は素直に思ったことをそのまま言葉にしたが、ヴィルヘルム公は何故かますます困った顔をした。
「ルクレツィアはあのとおりの容姿です。それこそ国中のあらゆる男性から求婚を受けましたが、そのすべてを断ってきました」
「そうらしいですな」
「そのルクレツィアが私に求婚するなど、どう考えてもおかしいのです」
「む?」
いったい、この青年は何を言い出したのだろう。
「そんなことはないのではないか? じゃなくて、ないでしょう」
思わず素の口調が出てしまった。が、思い悩んでいる様子のヴィルヘルム公はそのことに気付いた様子もない。
俺は言葉を続けた。
「私の目には、あなたにはそのぐらいの資格が充分にあるように見受けられるが……」
だがヴィルヘルム公は何故か頑なに否定した。
「そんなことはありません。彼女に見合う男性などこの国のどこにも……それこそ大陸上に5人いるかいないかでしょう。それに、今回のことは半月前に突然、一方的に決まったものなのです。いくら何でも急だとは思われませんか?」
「……」
彼が何を言おうとしているのかさっぱりである。見合うとか見合わないとかではなく、実際に求婚されているのだからそれで問題はないと思うのだが――
「ですから司祭様から彼女の真意を確かめて欲しいのです。私はしがない一貴族の嫡子でしかありません。よほどの事情がない限り、ビルア公家の姫から申し込まれた婚姻を拒否する権限などありません。ですから――せめて彼女が本心からこの結婚を望んでいるのかを確かめて欲しいのです!」
ヴィルヘルム公の瞳は真剣だった。
あまりに突然すぎて俺の頭はぜんぜんついていけてなかった。ただ、目の前の青年の訴えが真摯であることだけはわかった。
――何が不満なのだろう。
それがあまりにも気になって、俺は率直に尋ねていた。
「結局、あなたは何をどうしたいのだ?」
「……」
しばし考えた後、ヴィルヘルム公は答えた。
「私には他に好きな女性がいます。それは――ルクレツィアの姉のうちの1人なのです」
「……」
なんとも、まあ。
話は着々と、あの宿のオバさんが好きそうな方向に進んでしまっているようだった……