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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第3話『指名手配の大量殺戮者(ジェノサイダー)』
14/32

その1「正義の大量殺戮者(ジェノサイダー)」

 振り返ったところに一撃。

 戸惑っているところに再び一撃。

 血相変えて何事か叫ぼうとしたところにまた一撃。

 怯んだところにさらに一撃。

「大丈夫かな、お嬢さん」

 秋の夕日を背負って立つのは漆黒の美青年。

 倒れ伏すのは引き立て役である名もなき四人のチンピラたち。

 見つめるのは目に涙を溜めた美しい少女。

 漆黒のマントがオレンジの光の中に翻る。

 何か発しかけた少女の言葉を遮るように、俺は言った。

「なに、名乗るほどの者ではない。ただの通りすがりの正義の味方さ。――しかし気を付けたまえ。日が沈みきっていなくとも、このような人通りの少ない小道。君のような少女が一人で歩くには危険すぎる」

 肩越しに振り返り、忠告と笑顔を残し、颯爽と立ち去るのみ。

 正義の味方とは、見返りを求めるものではない。

 ただ人を助けること、そのこと自体に喜びを覚えるもの。

 闇の色濃い町に突如現れた正義の味方。

 人々の賞賛と悪人たちの畏怖を浴びて立つ、誉れ高きその者の名は――




~正義の大量殺戮者ジェノサイダー




「前代未聞だな」

「前代未聞――今までに聞いたことがない、それほどに信じがたい出来事の形容……わかりました」

 一呼吸。

「前代未聞だと思います」

 いつの間にやらミュウとルーンの息がピッタリだ。喜ばしいことである。

 窓の外は夜。

 ふと思う。

「ところで二人とも。いったい何がそんなにも前代未聞だというのだ?」

「……」

「……」

 む? 何故そんな犯罪者を糾弾するような目で俺を見る?

 ゴロンとベッドに横になったルーンが半ば諦めたような口調で言った。

「暴漢から女の子を助けるヒーローはいくらでもいるけど“一緒に助けに入ろうとした善良な一般市民”までノックアウトするヒーローは前代未聞だって言ってんの」

「む」

 さすがはルーン。何とも読者に優しい説明口調だ。

 いや待て。

 それではまるで俺が失敗したようではないか。

「待つのだ。俺には俺の言い分があってだな、それはなんというかアレだ」

「アレ?」

「その者があまりにも悪党面をしていたもので、つい」

 ルーンがため息を吐いた。

「……前代未聞だ」

 俺たちがビルア領の最初の町に到着して約半月ほどが経った。

 近隣でも最高に治安が悪い領地との噂はまさにそのとおりで、町に入った初日にいきなりひったくりと強盗の現場にバッタリ遭遇することとなり、見事にこれを撃退。

 そのとき俺は感動とともにこう思ったわけだ。

 この土地こそまさに、神が俺に与え賜うた試練の地ではないのか、と。

 そんなこんなで約半月。

 町はいつしか、突如現れ悪人たちをバッタバッタと取り締まるスタイリッシュでクールビューティな正義のヒーローの噂で持ちきりとなったわけである。

「ふん、正義のヒーローが聞いて呆れるよ。恋人同士の痴話喧嘩に首突っ込んだり、ひったくりから荷物を取り返した人を強盗だと勘違いしてノックアウトしたり――噂の半分は悪い噂じゃないか」

 むむむ。これは俺一人では少々分が悪い。

「ミュウよ。ちょいとこやつにガツンと言ってやってくれぬか。俺がどれだけ世のため人のために頑張っているのかということを」

「はい、御主人様。――ルーンさん」

 素直に頷いてルーンと対峙するミュウ。

 いい子だ。思わずぎゅぅっと抱きしめてなでなでしてやりたくなる。

 ……あ、いや。別にそういう幼女趣味的なアレではなくてだな。純粋に父親としてというか家族愛的なものというか――

「がつん」

「……」

「……」

 一同沈黙。

「?」

 不思議そうなミュウ。

 お約束すぎて、すまん。

 

 ――さて。

 一応ここらで紹介でも入れておくとしようか。

「ん? なんだよ、ヴェスタ。何か用か?」

 まずはこの、ベッドの上でクルクルとナイフを弄んでいる方、褐色肌で茶髪のショートカットの方がルーンだ。少々不憫な子供時代を送ったせいか世間を冷めた目で見ていたり全体的に粗雑だったりもするが、本当は心優しく故郷想いの十三歳の(と言うと何故か怒りだす)少年(と言うと何故かさらに怒りだしてしまう)なのである。

 そしてもう一人、

「御主人様? どうかなさいましたか?」

 入り口近くの椅子にちょこんと腰掛けてつぶらな瞳で見つめてくる、白い法衣に黒い宝石のはまったサークレットという不思議な出で立ちの少女がミュウ。外見的には十歳を少し過ぎたぐらいの年齢だと思うが、実際のところは俺にもわからない。何しろ彼女はいわゆる普通の人間ではないのである。

「いや、二人とも何でもないぞ。ただ、たまにはわかりやすく親切な主人公を演じてみようかと思ってな」

「? 御主人様?」

「またわけのわからんことを……」

 そして俺が、街を歩けば全ての女性が振り返り、全ての男たちが憧れの視線で見つめてくる、均整の取れた長身と甘いマスク、漆黒の装束に漆黒のマント、クールでビューティ、澄み切った心の正義漢ことヴェスタ=ランバートである。

「……ふむ。少し簡単すぎたか」

 まあいい。俺のことはこれからの活躍を見てもらえればすぐわかっていただけるだろう――。

 

「さてと。では! そろそろパトロールに行って来るとしようか」

 夜も深まった。早速行動である。ヒーローたるもの、夜のパトロールは欠かせない。正義の味方に休息などないのだ。

「お供します、御主人様」

 漆黒のマントを翻して立ち上がると、ミュウが即座にそう言った。

 相変わらず健気な娘である。

 しかし。

 俺は小さく首を振って答えた。

「以前から言っておろう。女の子がこんな時間に外を出歩くものではないのだ」

 緊急事態ならともかく日常的にというのは情操教育上あまりよいことではない。

「ですが、私は御主人様の――」

「従者だろうと女の子は女の子だ。そうであろう?」

「……?」

 きょとんとした顔が何とも愛らしい。といってもそれはそういう幼女趣味的なアレではなくて以下同文。

 と、ミュウとそんなやり取りをしていると、横からルーンが口を挟んできた。

「ま、実際お前らに敵う人間なんてそうそういないだろうけどな。けど、町中でめったやたらに変な力を使うわけにゃいかないだろ」

「うむ、そういうことだ。それに女の子を危険にさらさぬことは男の使命でもある」

「へぇ。たまにはいいこと言うじゃないか」

 ルーンがそう言って笑う。

 珍しい。普段辛口のルーンが俺のことを誉めてくれるとは。

「たまにというのが少し引っかかるが……まぁ、よい」

 それでも俺は少し気分を良くしながら、さらに勢いを増して言った。

「では行くとするか、ルーンよ」

「は?」

 ルーンはなんとも表現しがたい顔をした。

「は、ではない。先ほどお前も賛同したではないか。……女の子を危険にさらさぬことが男の使命であれば、ミュウの代わりに一緒に来ることがお前の義務。そうであろう?」

 というのも。

 まあ自分で言うのもアレだが、俺はほんのちょっと、ほんのちょっとだけ方向音痴であり、こんな暗い時間に外に出ると宿に戻ってこられるかどうかほんのちょっぴり不安なのであって――

「……む?」

 気付くと、なにやら陽炎のようなものがルーンの背中から立ち上っている。

 ついでにどこからかゴゴゴゴゴという効果音まで聞こえてくる。

 ……何かあったのだろうか?

「どうしたのだ、ルーン。いくらお前が華奢で女の子のような体付きなのだとしても一人の男として女の子を危険にさらすようなことは――」

 ――ゴスッ!!!

「~~~~~~!!!!」

 下腹部に非情のサッカーボールキックが炸裂し、俺は悶絶した。

「ル、ルーンよ……と、突然なにを……」

 見上げると、ルーンのこめかみがピクピクと動いている。

 いきなり怒りゲージ最高潮だった。

「ワザとやってんだろ……なぁ? お前、絶対ワザとだよな、それ……」

「な、なにを言っているのだ、お前は――がくっ……」

 年頃の少年の心は理解し難い。

 

「――おやまあ、賑やかだねぇ」

 そこへ四十歳ぐらいの宿の女将がトレイに乗せた夕食を運んできた。

「三人分こっちに運んでいいって言ってたから全員分持ってきたよ。だいぶ涼しくなったねぇ。今晩は寝惚けて寝間着を脱ぎ散らかす心配もなさそうだ」

 そう言って女将は甲高い声で笑った。

 ここには数日前から世話になっていて、少しは気の知れた人物である。元来、客と話をするのが好きな性格らしく、なかなかの好人物。……まあ、その話のなかにデマ話というか確証のない噂話らしきものが大量に混じっていたりするのが玉に瑕であるが。

 俺は脂汗を拭いながらどうにか復帰して、

「……そういえば」

 女将に尋ねてみた。

 ちなみに尋ねようとしたこととはまったく関係ないが、ここはルーンとミュウの寝泊まりする二人部屋で、本来は俺だけ別の個室である。本当なら三人仲良くベッドを並べて寝るのが一番だと個人的にはそう思うのだが、ルーンのヤツがどうしてもイヤだというので俺だけ別の部屋なのだ。

 何か――というかかなり――納得いかんが、ルーンにいつものあの剣幕で押し切られては仕方あるまい。ミュウもそれで何の文句もないようだ。

 まあ、それはともかく。

「最近、町の通りが妙に飾り付けられているようだが――もしかして近々なにか催し物でもあるのだろうか?」

「ん? ああ、お客さん、知らないのかぃ?」

 女将が少し意外そうにしながら教えてくれる。

「ビルア公の末のお姫様がこのたびご婚約なさってね。町でお祝いのパレードを催すことになったのさ」

「ほぅ。ビルアの姫が」

 ビルア公といえばその名のとおりこのビルア領で一番偉い人物であり、昔でいえば王様であり、その娘ならつまりは王女様のようなものである。

「しかしビルアの姫が何故このような町でパレードを? ……ああ、すまぬ。別にこの町を悪く言うつもりではないのだが」

 女将はホホホと手を振った。

「いいよいいよ、気にしなくて。一部に治安の悪い地区があるのはホントだからね。首都の辺りに比べれば規模だって、ね。――小さい頃、姫様がこの町の別邸で過ごされていたご縁なのさ。まぁ姫様といっても十三人姉妹の末っ子だしねぇ」

「じゅ、じゅうさん……」

 お姫様もそんなにいると割と有り難みがない気がする。

「……ただ、ねぇ……」

「む?」

 女将は何やら気になる物言いをした。というか、何やら聞いて欲しそうな顔でこっちをチラチラ見ている。

「何かあるのか?」

 期待に応えてみると、女将は待ってましたとばかりに顔をツヤツヤに輝かせて、

「そうなんだよ。ここだけの話、今回のご婚約は色々問題があったみたいでさ」

「問題?」

 それだけではいまいち要領を得ない。

「そのめでたい話のどこが問題なのだ?」

 女将は声を潜めながらも滑らかに続けた。

「実は今回の姫様のお相手――“ヴィルヘルム公”っていうんだけど、これが領内一の色男でさ。ま、色男っつっても浮気性ってわけじゃなく、ものすごく真面目な好青年らしいんだけど」

「ほぅ」

 まるで俺のようで何とも親近感が沸く話である。――と考えたところで、なにやらルーンが馬鹿にするような目で俺を見た。

 なにか見透かされてしまったのかもしれない。

 いや。もちろん見透かされて困ることなど何もないのだが。

「んで、末の姫様は十三人の姉妹の中でも一番お美しいと評判のお姫様なんだけど……」

「む? それならばますます似合いのカップルではないか」

 いったい何が問題だというのであろうか。

「話はここからさ」

 女将はこれ見よがしにさらに声を潜めてみせる。楽しそうだ。噂話が好きなお年頃なのだろう。

「その色男はね、その姫様の姉君たちの何人かが、揃いも揃って狙っていた相手なんだよ」

「ほぅ」

 なんだか急に俗っぽい空気が漂ってくる。

「そうすると、そのうちの何人かはやっぱり今回のご婚約をよく思わないだろ? 思うわけないさ」

 俺は腕を組んで、

「ふぅむ。しかし今回の結婚はお互いに好き合ってのものなのであろう?」

「まぁ、ヴィルヘルム公も末の姫様しか眼中になかったらしいからねぇ」

「ならば肉親たるもの、祝福してしかるべきだと思うのだが……」

 そう言うと女将は高らかに声をあげて笑った。

「そんな簡単にいくはずないじゃないか。姉としてのプライドみたいなものもあるんだろうしさ」

「ふぅむ」

 そういうものだろうか。いまいち理解できんが、まあ同じ女性の言うことだ。そういうものなのかもしれん。

「そんなこんなでさ。実は今回のパレード、何か起きるんじゃないかってもっぱらの噂だよ」

「なにか、というと――」

 女将は野次馬の顔で頷いた。

「つまり、一騒動あるんじゃないかってことさ」

 

 

 

 数日後。

「これはまたすごい人だかりだな……」

 人、人、人。どこにこんなに隠れていたのだろうかと思うほどの人の波が町の一番大きな通りに出現していた。左右に並んだ家の屋根にはビルア領の紋章を刻んだ旗が掲げられ、たくさんの警邏たちが警備をしている。

 歓声。

 便乗して商売に精を出す人々。

 我々はそんな喧噪溢れる通りの端っこを歩いている。

「町の外からも結構来てんだろ。領主の娘か何か知らんけどさ、ホント暇なヤツらだよ」

 頭の後ろで手を組んでつまらなさそうにそれを眺めるルーン。 

「まあそう言うな、ルーンよ。たまにはこういうお祭り騒ぎも良いではないか」

「ご主人様、いったいなにが始まるのですか?」

 不思議顔のミュウ。

 そうか。こういうのを見るのは初めてなのかもしれない。

「これからお姫様の成婚パレードがあるのだ」

「せいこんぱれーど?」

「うむ。要するに結婚のお祝いだな」

 そう教えてやると、ミュウは少し考える顔をした。

「結婚――男女が夫婦になること――継続的な協力関係を結び家庭を築くこと――人生の墓場――ああ、わかりました」

 ポン、と手を打つミュウ。 

「……本当にわかったのか?」

 何やら不穏な言葉が混じっていたような気がするが――まあ、敢えて気にするまい。

 ――と。

 まあそんな感じで我々が町に出てきたのは、別に先日の女将の言葉を真に受けたからではない。根拠のない主婦の噂話(?)は話半分に聞くのが定石というものであって、そもそもすでに決まった結婚のパレードを妨害したところで婚約そのものが破棄されるわけでもなく、妨害した方には何のメリットもないであろう。命そのものを奪うというのならばともかく、実の姉たちがまさかそこまでのことをするはずもない。

 だからパレードを妨害する悪党の野望を阻止しようとかそういうことは考えていない。

 では、何故わざわざパレードの日に外に出てきたのかというと――

「パレードといえばお祭り騒ぎ! 祭りといえば男の浪漫だっ!」

 というわけである。

「要するに野次馬根性が騒いだだけだろ」

 と、ルーン。

 相変わらず冷めた反応である。

「いかんぞ、ルーン。男というものは常に情熱を持って人生を歩んでいかねばならぬ。それこそが男の美学! それこそが男の浪漫! 情熱を持たない男など、印籠のないちりめん問屋の御隠居のようなものだぁぁぁぁぁッ!」

 どーん!!

「そのたとえはよくわかんないけど……私には要らないよ、そんなもん」

「むむむ」

 なんたることだ。荒廃しきった少年の心には、この情熱ほとばしる男気さえもまるで伝わらんというのか。

「御主人様。少し向こうが騒がしくなったようです」

 ミュウが白い法衣の中から手を伸ばして東の方角を指した。

「お。どうやら始まったようだな」

 一際大きな歓声と楽隊の音楽が聞こえてきた。

 街の東側にあるビルア領主の別荘から何台もの馬車が出てこの大通りを抜け西の方にある教会へと向かう。別荘から教会までのルートはおよそ一時間程度の道のりで、我々のいる場所はそのちょうど真ん中ぐらいだから、ここにやってくるまではおよそ三十分といったところだろうか。

 と。

(……む?)

 ミュウが背伸びして人垣の向こうを覗き込もうとしているが、どうやら彼女の背では通りが全く見えないようだ。

 よし。となれば――

「よ……っと」

「え?」

 後ろから抱えて右肩に乗せてやると、ミュウは戸惑ったような声を出した。

「あの、御主人様、一体何を――」

「お前の背ではパレードが見えぬではないか。せっかくの機会だ、お前も楽しむが良い」

 するとミュウが珍しく慌てたような顔をした。

「で、ですが、御主人様にこのようにしていただくなど、恐れ多い――」

「気にするな。祭りは無礼講が基本というものだ。……おっと」

「きゃっ」

 通行人にぶつかって少しバランスが崩れ、ミュウが女の子らしい悲鳴を上げて俺の頭に手をついた。

「遠慮はいらぬ。しっかり捕まっていなさい」

「は、はい。御主人様」

 結局ミュウは素直に従った。

 そんな彼女に、ちょっとした父親気分で浮き浮きである。

「しかし――」

 肩に負った感触はなんとも軽い。見た目からして小柄なミュウではあるが、その見た目以上に軽く感じる。

「ミュウよ、もっと飯を食わねばならんぞ。世の女性たちはダイエットだのなんだのと口々に言っているが、健康を考えればほんの少しぐらいぽっちゃりしている方が良いというからな」

「はあ」

 よくわからない様子のミュウ。

 するとルーンが意地の悪い口調で、

「遠慮なく食わせるほどの稼ぎもないくせに、よく言うよ。前の街で稼いだ路銀もそろそろ危ないんじゃないのか?」

 痛いところに突っ込んでくる。

「ば、馬鹿を言うでない。お前たちが望むならば、夜を徹してでも必要なだけ稼いでこようではないか。それが男の甲斐性というものだ」

 ルーンをそっぽを向いて、

「私はいいよ。自分の分ぐらい自分で何とかするしさ」

「むむ……」

 子供らしからぬ強情さだ。

「だから子供じゃないって言ってんだろ」

 背伸びしたがる年頃でもある。

「だから背伸びもしてないって」

 むむむ。

「というか。俺は今、一言も喋ってなかった気がするのだが――」

「お前の馬鹿面見れば何を考えてるかぐらいすぐわかるっての」

「ば、馬鹿面……」

 おお、母さん。

 素直な娘に比べ、息子の方はこんなにもひねくれて育ってしまったよ。

 ……む? 母さん?

 俺はポンと手を打った。

「そうか、わかったぞ」

「? なんだ?」

 怪訝そうなルーンに俺は言った。

「我々に足りないのは母さんだったのだ」

「は?」

 ルーンが何とも奇妙な――まるで急に不可解なことを言い出した頭の可哀想な人を見つめるような――顔をした。

 そんなルーンに俺は主張する。

「やはり家族というものは父親と母親が揃ってこそ。我々にはその母親分が足りてない。だからいつまで経ってもルーンが俺に懐いてくれんのだ」

「……どういう思考回路してんのか理解不能だけど、お前が何を妄想しているのかはだいたいわかったよ」

 ルーンは何故か可哀想な人を見る目のままだった。

 と、まあ。

 そうこうしているうちにパレードが我々の眼前までやってきたようだ。

 歓声が上がる。

「……ほう」

 遠くで綺麗に飾られた馬車がゆっくりと通りを闊歩する。

 その馬車の中から手を振る一人の少女。

 人々の祝福を受け、幸せそうな満面の笑顔。

「なるほど。姉妹の中でもっとも美しいと聞いたが……確かに綺麗な姫だ」

 女将の話によると、その姫はルクレツィアという名らしい。

 一目でわかる高貴なオーラと触れれば壊れてしまいそうな儚さの同居する希有な美しさ。他に十二人の姉がいるというが、その姉たちを見なくともおそらくこの姫がもっとも美しいだろうと確信できる、それほどの美少女だった。

 さすがの俺もただ感嘆するしかない。

「美しい姫だ。ミュウよ、見えるか?」

「……」

 ミュウは一言も発さずに見とれている。――良いことだ。一時はそういった情緒が欠如しているのではないかと思えることさえあったが、決してそんなことはない。彼女とて一人の女の子なのだ。

 俺はますますいい気分になった。

「ルーン。ルーンよ。お前もこっちに来るがいい。そこからでは見えないではないか。ほら、左肩が空いているぞ」

「いいよ、私は。別に興味ないから。……ってか、そんな恥ずかしい真似できるか」

 そっぽを向くルーン。

「照れるな。俺とお前の仲ではないか」

「どんな仲だよ、ったく」

 しかし、なるほど。あの美しさならば、ヴィルヘルム公とかいう色男が夢中になるのもわかる。

「それにあの笑顔。屈託のない、内面の美しさまで滲み出ているかのようではないか。あの姫のような女性を娶る者はきっとこの上なく幸せな人間であろう」

「内面なんて滲み出るわけないだろ。単にいいモノ食っていい生活してるだけだ」

 と、相変わらずひねたルーンの言葉の後、

「御主人様」

 ふと、ミュウが言った。

「御主人様もあの女性と結婚なさりたいのですか?」

「ん? まあ、男であれば誰でもそう思うであろうな」

 俺とて男であるから例外ではない。とはいえ、男と女の関係というのはそういった単純なものでもなく、そういうものはやはり長く付き合った末に産まれてくるものである。美しく優しそうだからといってそれだけで良いというものでもない。

 だからまあ、あくまで一般論だ。

「わかりました。御主人様はあの女性をお望みなのですね」

「ははは、それはまあ、あれほどの姫であれば誰でも憧れるに決まっている」

 あくまで一般論だ。

「そうですか。……お望みなのですね」

 む?

 なんか会話が微妙にちぐはぐのような気がするぞ。

 と。

「!」

 ルーンが急に何事か気付いたような顔をして、青ざめた。

「お、おい、ヴェスタ。そいつ、もしかして何かとんでもない勘違いしてるんじゃ……」

 きぃ――ん。

「勘違い? 何をだ? ……というか、なんだ、この耳鳴りのような音は?」

 きぃぃぃぃぃぃん。

 どこかで聞いたことがある、甲高い音。

「御主人様がお望みならば――私は従うだけです」

 きぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。

「へ? ――って」

 俺はそこでようやく気付いた。

 右肩の上で。

 ミュウがとんでもない行動を起こそうとしていたことに。

「のわぁぁぁぁぁぁぁッ! ミ、ミュウ! お、お前、一体なにをするつもりだ!!」

 そんなもの、聞かずともわかっていた。

「あの女性を獲得します」

 光が収束する。

 きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――ん。

 って、ちょっと待て!!

「のぉぉぉぉぉっ! まっ、待つのだ、ミュウ! そ、そんなことしたら我々は国家レベルの重犯罪者になってしま――!!」

 そんな俺の必死の制止も空しく。

 爆音が、町中に響き渡った。

 

 

 

 お母様――私の新しい旅立ちを御見守りください――

 

 歓声。

 花吹雪。

「ルクレツィア、大丈夫かい? 疲れたら座ってもいいんだよ」

 観衆に手を振り続ける彼女を気遣う、優しい青年の声。

 夫となる人。

 皆に祝福され。

 優しく誠実な婚約者に寄り添って。

「平気です。この光景をもっと目に焼き付けておきたいのです」

 これがきっと誰もが憧れる、女性としてもっとも幸せな瞬間なのだろう、と、ルクレツィアは思った。

 そこに自分がいる。

 姉たちが望んでいたその場所に。

 半分ほど進んだだろうか。

 あと三十分。

 と。

「……」

 そこでルクレツィアは観衆の一点に目を奪われた。

 一際目をひく、黒装束の男性。

 長身。

 美形。

 まるで作り話に出てくる吸血鬼のような出で立ちの男性。

 ――そういえば、最近耳にしたたわいもない噂話。

 町に現れた、正義の味方を名乗る得体の知れない、けれど腕の立つ男性の話。

 もしかすると、あの人物のことなのかもしれないと思った。

 右肩の上に、小柄な少女を乗せている。

 まるでアンバランス。

 それがかえって幻想的に思えた。

 男性と少女がゆっくりと視界から切れて。

 手を振るのを止め、座席に腰を下ろした。

 一呼吸。

「疲れただろ、ルクレツィア。大丈夫かい?」

 気遣ってくれる言葉に頷くか頷かないかの、その刹那。

「――!!」

 爆音が響いて、馬車が傾いて。

 

 誰かの悲鳴が聞こえた。

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