プロローグ
か細く繊細な、オルゴールのような声だった。
「お母様――」
ふわりと広がったウェーブの髪。
大きな黒翡翠の瞳。
清楚な純白のドレスとプラチナのティアラ。
まるで西洋人形が現実世界に迷い込んだかのような可憐な少女。
「ついに……この日が参りました、お母様。私の新しい旅立ちをどうか御見守りください」
紅葉が秋風の上を滑り落ちていく。
近付いてくる馬車の蹄の音。
少女を不思議の森から連れ出す魔法の馬車。
「――ルクレツィア。準備は整いまして?」
背後の扉が開いて顔を出したのは少女の一つ上の姉。
「はい。お姉さま」
少女が振り返ると、姉はそのあまりの可憐さに言葉を失った。
もともと姉妹の中でも抜きんでて可愛らしい少女ではあったが、今日はそれが一段と際だっている。
ため息。
「羨ましいわ、ルクレツィア。まさかあのヴィルヘルム様に見初められるなんて」
「申し訳ありません、お姉さま」
視線を落とした。
少女は知っている。彼女の何人かの姉たちが、揃いも揃って彼女の婚約者であるヴィルヘルムという青年に恋い焦がれていたことを。
目の前にいる一番歳の近い姉も、その中の一人であることを。
だが、姉は少しだけ笑った。
「他のお姉さま方ならともかく、あなたなら私はちっとも悔しくないわ。本当よ」
「……」
そっと、姉の指が頬に触れた。
顔をあげると真っ直ぐに視線が重なる。
「本当に綺麗よ、ルクレツィア。どうか幸せになってね」
「お姉さま……」
伏せた瞳から一筋、涙がこぼれる。
外から彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「それじゃあ、ね」
パタン、と、扉が閉じる。
しん、と、静まった。
「――お母様」
振り返る。
壁に飾られた貴婦人の肖像画を真っ直ぐに見つめ。
少女はオルゴールのような声でもう一度呟いた。
「どうか、私の新しい旅立ちを御見守りください――」
純白のドレスがそよ風に揺れた。