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記憶喪失の大量殺戮者(ジェノサイダー)  作者: 黒雨みつき
第2話『狙われた大量殺戮者(ジェノサイダー)』
12/32

その5「執行猶予の大量殺戮者(ジェノサイダー)」

 気付いてなかったのだから仕方ない。

 あのときは必死だったのだ。それはわかるであろう?

 ただユンを助けようと必死で、それ以外は何がどうなっていたのかもさっぱり。

 ……そりゃおかしいと思わないでもなかった。

 妙にあの一瞬が長く感じたり。

 でもそれは要するに……アレだ。

 アドレナリン?

 それがどっぱぁっと大量に分泌された故であって。

 でもおかしいといえばおかしいことでもある。

 ……俺は確かに、そのゆっくりとした時間の中を“いつも通りのスピード”で動くことができたのだ。

 さて、これはどう説明しようか。

 非常に難しい問題である。

 ……いや、たった一つ、すでに可能性が打ち出されてはいるのだが。

 ただ、それを認めてしまうことは……なんというか、非常なるピンチを招いてしまうことになりかねないというか。

 

 あー、要するに。

 

 ……どうも俺はあのとき、微妙に正体を晒してしまっていたらしいのだ。



 

~執行猶予の大量殺戮者ジェノサイダー




「……」

「……」

 夕方。

 すでに数日逗留を続けている宿の一室には、たった今、得も知れぬ緊張感が漂っていた。

(むぅ……)

 目の前で微動だにせず俺を見つめているのは……まあ、これがルーン以外だと想像できる者はそうそういないであろう。

 ついでにいうと、いつも手にしているナイフの切っ先の照準はピタリと俺に対して向けられており、突きつけられているというほどでなくとも充分に威圧感を感じる程度の距離ではある。

「説明してもらおうか」

 二度目の詰問。

 その瞳は炎が揺らめいて……そんな幻覚が見えるほどの厳しさ。

 どうにも冗談が通じる気配ではない。

「私だって人魔については色々調べたよ。人魔と人間のハーフの中には二つの姿を持っているヤツがいて、髪の色が変化したりするらしいって、な」

 そう。

 そうなのだ。

 普段、俺の髪は艶のある、いわば吸い込まれそうなほどに美しい黒髪なのだが、あのときの俺はどうやら金髪になっていたらしいのだ。幸い、人魔のもう一つの共通した特徴である“尖った耳”は、俺の長い髪に隠れていたせいか見えなかったようで、観客などにはまるで混乱が起こらなかった様子だが――

「ルーンよ」

 俺はコホンと咳払いして、

「それはいわゆる光の加減で――」

「光の加減ぐらいでその真っ黒な髪が金髪に見えたりするもんか!」

「むぅ」

 まるで取り合ってもらえない。

 いや、当たり前か。

「御主人様」

 と、そこへミュウの助け船が差し伸べられた。

「今日は夕食も作ってみました」

「そ、そうか」

 助け船はさらなる地獄へ向かって航行中であるらしい。

「と、とりあえずそれは後で食べることにしよう……うむ」

 ひとまず、彼女の努力を無駄にするという鬼や悪魔のような選択肢は、善良な一般市民であるところの俺には選べない。つまり、今であろうが後であろうが、食べることはすでに決定されているわけであり。

 修羅場を抜けても、そこは地獄。

 あぁ、人生とはかくも無情なものであったか。

(む? 待てよ?)

 そこで俺はピンと妙案を閃いた。

「ルーンよ――」

「……食わないぞ」

 にべもない。

「それでうやむやにしようったって、そうはいかないからな」

 しかも読まれてた。

「さあ、正直に話してもらおうか!」

 どん!

 しかしまあ、意外といえば意外である。

 え? なにがって?

 ……考えてもみるがいい。ルーンが追っているのはいわゆる家族、友人、近所の人……いわゆる故郷の人々の仇であり、その怒りのほどはこれまでも存分に思い知らされている。

 とすると、だ。もしも彼が俺のことを本当に仇だと思っているのなら、こうして話し合う機会すらないはずであろう。

 つまりどうやら彼は、まだ俺のことを完璧に疑っているわけではないらしいのだ。

「……むぅ」

 さて、どうしたものか。

 正直に話せば疑いはさらに強まり、二度と修復の機会は訪れないかもしれない。かと言って誤魔化そうとすれば、嘘がバレたときにとんでもない事態に陥る可能性もあろう。

「むむ、むむむむむ……」

 難問だ。

 ――いや、そもそもこれは誰が悪いのだ?

 俺が人間でないことが悪いのか? ……そんなことはあるまい。たとえ俺が純粋に人間ではなかったとしても、心は純朴な好青年である。産まれで人を差別することが最低の行為であることは、皆さんご周知の通りだ。

 悪くない。

 悪いはずがない。

 たとえばミュウがあのような特殊な種族として産まれ、極悪人に騙されて(昔の俺のことだが)幾人もの命を奪ってきたことも……もちろん命を奪われた本人やその家族には決して納得できないだろうが、しかし。

 悪いのは……本当に悪であるということは、それを悪と知りながら自らの欲望のためだけに平気で悪事を行う者のことを指すのではなかろうか。

 それは以前の俺であり、それについて言い訳はすまい。

 しかし、今の俺は違う。

 潔白。これ以上ないほどに真っ白。

 ならば、俺の取る道はただ一つのみ――

「ルーンよ!」

「え?」

「見るが良い!」

 片膝を立て、ガバッと勢い良く胸元を開く。

「ッ!?」

 ルーンはビックリして、

「い、いきなり、な、なんのつもりだ、お前ッ!!」

 何故か異様なものでも見るかのような視線を向けてきたが、熱くたぎる俺のハートはその程度で動じることはない。

 そして俺は正義を叫んだ。

「そんなにも私を疑うというのならば、よかろう! 俺は身の潔白を証明するため胸を開き、この夜空のお天道様にこの清廉な心臓を晒してみせようではないかぁぁぁぁッ!」

 どーん!

 そんな俺のあまりの迫力に、周囲の誰もが動きを止めた。

 そして、

「御主人様、夜空にお天道様はありません」

「……」

「……」

 しん、と、静まり返る。

「……厳しい突っ込みだな、ミュウよ」

「申し訳ありません」

「あ、いや、別にお前が間違ってるわけではないが……」

 しかし、それなら如何にすべきか。

「仕方あるまい。代わりにお月様にでも見てもら――」

 どッ……しゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

「……でも」

 額の上に手をかざしたミュウが窓の外を見つめた。

「外は土砂降りのようですね」

「……さっきまで降ってなかったではないかッ!」

 ああ、なんということだ! 神はそんなにも俺の決意を見たくないというのか!

 俺はがっくりと肩を落として、

「もう良い。ならば宿のオバさんにでも見てもらうか」

 なんか有り難みがないが仕方あるまい。

「そういうわけで付いてくるがよい、ルーンよ。宿のオバさんの元へ――」

 だが、しかし。

「ッ……」

 ぎりっ。

 どこからか聞こえた歯ぎしりの音。

「む?」

 ルーンはそこに座り込んだまま動こうとしなかった。

「どうしたのだ? 具合でも悪いのか?」

 ショートにした真っ黒の髪はピンと緊張し。

 やや浅黒い肌はその変化が分かるほどに紅潮し。

 視線を落とし、膝の上で握りしめた拳は小刻みに痙攣して。

 そして、

「ルーン?」

 もう一度問いかけた俺の声を引き金に。

 空気が、裂けた。

「……ふざけるのもいい加減にしろぉぉォォッ!!!」

 ダンッ!!

「ッ!」

 悲鳴のような怒声に、俺は思わずのけぞる。

 ルーンの足は床を殴りつけ、睨み上げたその目は、涙こそ浮かんでいなかったが充血していて真っ赤だった。

 ギリッ、と、奥歯が再び抑えきれない怒りを露わにする。

 そして迸る、怒声。

「なにが、心臓だッ! なにが、決意だッ! そんなものどうでもいい! どうでも、いい!!」

「っ……!?」

 俺は思わず唾を呑み込んだ。

「私が聞きたいのはただ一つッ!!」

 手にしたナイフが俺の胸元に伸びていた。

「……」

 ミュウが反射的に目を細める。

 先ほどまでの和やかな空気は一瞬で砕け散り、冷徹な意志を込めたミュウの右手がゆっくりとルーンの方へかざされた。

 きぃぃぃぃ……ん。

 静かに。

 だが、そこにあったのは、彼を一瞬でこの世から消し去ってしまうであろう、圧倒的な魔力。

「っ……!」

 しかし、それでもルーンは止まらなかった。

 真っ直ぐな視線はただ俺を睨み付け。

 真っ直ぐな怒りは、その奥にぼんやりと浮かんだ“黒ずくめの魔”へと向けられて。

「お前が仇なのか、どうか! ただそれだけ……! ただ! それだけだッ!!」

「……」

「……」

 荒い息が、静まり返った部屋に反響する。

 目尻には、一滴の涙。

「……ルーン……」

 決して無知なわけではなかった。

 俺にナイフの切っ先を向けることで、自分の命が風前の灯火となることを当然に理解し、それでもなお俺にそれを向け、そして真実を引き出そうとしている。

 彼にとっての村が、故郷が、家族が。どれほど大切で。そしてそれを失ったことがどれほどの哀しみだったか。

 伝わってくる。

 避けようもない。

 誤魔化しようもないほどに。

 ……ならば。

 俺もその想いにそれなりの態度で応えねばなるまい……

「ミュウ」

「はい」

 俺の呼びかけにもミュウは視線をルーンに向けたままだった。完全な臨戦態勢。もしもルーンがこれ以上の動きを見せたなら、彼女は俺の意志を伺うこともなくその手に集約された力を解き放つことだろう。

 それは、許されない。

「ミュウよ」

 俺はもう一度呼びかけて、

「お前に一つ頼みがある」

「はい、お任せください。御主人様の身に危険が及ぶことはありません」

 ルーンを見つめるその瞳はあくまで冷酷。つい先ほどまで、まるで打ち解けたかのような表情を見せていたのが嘘のよう。

 それを見て俺は少し悲しくなったが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。

「違う」

 俺は首を横に振って、

「ミュウよ……お前の命を、俺に委ねてはもらえんか?」

「……?」

 初めて、ミュウの瞳が俺に向けられた。

 一瞬怪訝の色がそこに過ぎったが、ミュウはすぐに、

「私の命は最初から御主人様のものです。私の判断によって委ねるようなものではありません」

 予想通りの回答。

「ああ。……だからこそ、聞いた」

 もちろん本当の意味で委ねられたのでないことはわかっている。

 だが、それでも。この俺の中にミュウの命があり、俺の命と彼女の命が切り離せるものでない以上、たとえ表面的なものであっても許可を得ておかなければ決断を下すことができなかったのだ。

「ルーンよ……」

「!」

 俺が一歩近付くと、ルーンはビクッと反応し、真っ赤な目でさらに俺を睨み付けた。

 だが、俺は躊躇しない。

 一歩。

 もう一歩。

「……」

 ルーンが動揺する。

 ミュウが目を細め、その瞳に暗い輝きが灯る。

「御主人様――」

「ミュウ!」

「!?」

 視線で、ミュウの動きを制止する。

「撃ってはならん。これは命令だ」

「御主人様……?」

 そして俺はさらに一歩、ルーンに近付いた。

 ……所詮は安宿の一室。そんなに広い部屋ではない。

 三歩。

「……お、お前……」

 たったの三歩で、俺とルーンの距離はほんの一メートル程度に縮まっていた。

 腕を伸ばしたルーンのナイフは、俺の胸元にピタリと寄せられて。

「ルーンよ……」

 そして俺は真っ直ぐにルーンを見つめ、言った。

「真実を話そう。……俺の決意に嘘偽りなどはない。だから、もしお前が必要だと思ったならば、即座にそのナイフで俺の胸を切り裂き、この心の臓をえぐり出すが良い」

「な、なんだと……!?」

 だが、ルーンはそんな俺の言葉にさらなる怒りを露わにする。

「ふざけるなよ、お前ッ! 私は事実を聞いているんだ! ……仇じゃないなら、お前なんかを殺したって何の意味もないッ!!」

「……」

 もっともな話だ。

 だが、

「それはわかっている。……だが、ルーンよ。残念ながら俺には、お前のその一生懸命な問いかけに答えてやることができんのだ」

「なにを――!?」

 激昂しかけたルーンに、俺は言った。

「俺には……記憶がない」

「……――え?」

 ピタリ、と。

 ずっと怒りに染まっていたルーンの瞳に、初めて別の感情が灯った。

 疑問、戸惑い。

 そして向けられたのは、問いかける視線。

「記憶が……ない、だと?」

 その視線に俺は頷いて、

「記憶を失ったのは三ヶ月ほど前のことだ。だから正直なところ、その村が滅ぼされたという一年以上も前のことは、俺にはまったくわからん。……が」

 俺はさらに続ける。

 隠すことはもはや無意味であろう。この真っ直ぐな怒りと哀しみに応えられるのは、真に正直な言葉。

 ただ、それのみ。

「伝え聞く話によれば、記憶を失う前の俺は罪のない人を何人も殺めた大量殺戮者だったらしい。それは紛れもない事実。……その中にお前の故郷の村がなかったと断言することは難しいだろう」

「ッ……」

「だから言うのだ。……俺はお前の真っ直ぐな想いに真実の答えを返してやることはできん。そして俺が罪のない人を殺めてきたことも事実。お前が俺を許せずにそのナイフを突き立てたとて、それも当然のことだろう」

 ルーンの唇が震える。その手に再び力がこもるのがわかった。

「っ……信じられるかよ……っ」

 それでもまだ、その腕は迷ったまま。

「その話が本当だとしたら……本当で、本当に本気で命を差し出そうとしてるなら……どうしてお前はそのときに死を選ばなかった? ……それだけの人を殺した事実を知って、どうして今まで安穏と生き延びていられたんだよッ!」

 それもやはりもっともな問いかけ。

「もちろん、死を選ぼうかとも考えた。……が、お前も先ほど耳にしたであろう? 俺の命は、俺一人のものではないのだ」

「なんだと……?」

「ミュウ」

「はい……御主人様」

 右手の光は消えていたが、それでもその手はルーンに向けたままだった。困惑し戸惑う様子が、いつも無表情なはずのその頬に浮かんで見える。

「説明してやってもらえんか? 俺が言ってもイマイチ信憑性がないようなのでな」

「……はい」

 頷いて、ミュウはようやく右手を下ろした。

 ルーンがゆっくりと視線を動かす。

 そして、

「!?」

 その目が驚きに見開かれた。

「お前――」

 エメラルドグリーンの光を帯びた瞳。

 背中に産まれた四枚の白い羽。

 ……その姿に、俺もちょっとだけ驚いてしまったのは内緒である。

 ミュウは白い装束の胸に右手を置いて、そして囁くように答えた。

「私たちは契約者、感応幻蝶ルーミス族。主と生命をともにし、生涯を主に捧げる者――」

 美しくも、儚い。

 その様は絵本か何かに登場する神秘的な妖精そのものだ。

「普通の魔じゃ、ないのか……?」

 一般人に毛の生えたぐらいのレベルだと、彼女たちのようないわゆる“契約者”に関しての知識などはほとんど皆無に等しい。……かくいう俺もそのうちの一人。

 ミュウはエメラルドグリーンの瞳でルーンを見つめ、答えた。

「“普通”の定義によりますが、それが獣魔や人魔と呼ばれる存在を指しているのであれば、違います。私たちは獣でも人でもありません」

「……」

 驚きの余りか、ルーンの口から言葉が続かない。

 無理もあるまい。

「俺も記憶がないので詳しくはわからんのだが……ミュウの生命力は俺の力を源にしているらしいのだ。つまり俺が命を絶てば、ミュウもまた生きてはいられぬ」

「……」

 ゆっくりと、ルーンがこちらに向き直った。

「結局、俺は自分勝手だと罵られることを覚悟の上で生き続ける道を選ぶことにした。生き続け、出来うる限り人々の役に立ち、少しでも償いをしようと思い立ち、こうして旅をしている」

 ミュウの体を覆っていた光がゆっくりと力を弱め、背中の羽も煙のように消えていく。

 そして、

「……御主人様」

 元に戻ったミュウに、俺は小さく頷いてみせて、

「ルーンよ」

 再びルーンに視線を戻し、言った。

「俺たちにそのような権利がないことを承知の上で言わせてもらえるのなら……お前に赦しを乞いたい。俺たちが生きていくことを赦してもらいたい。償うことに躊躇いはないが、俺には同時に、生きて成し遂げたいこともある」

「……」

「頼む」

 そのまま、頭を下げた。

 そして目を閉じる。

 ……あるいはこの目は二度と開かぬかもしれない。だが、そのときは仕方ないだろう。

 三ヶ月というあまりにも短い期間ではあったが、ミュウと出会えたことに、色々な人と出会えたことに感謝し、そして少なくともこの三ヶ月だけは天に誇れる生き方を貫いたと、胸を張って三途の川を渡ろうではないか。

 さらば、我が人生。

 その生涯に一片の悔いもなし――

 

 ――だが。

 

「……」

 次の瞬間俺の耳に届いてきたのは、魂を地獄へ誘う鬼の囁きでも、天国へと招く天使の歌声でもなく。

「……私は――」

 まるで独白のような、弱々しいルーンの呟きだった。

 ゆっくりと顔を上げる。

 と、そこには――

「私の人生には、無数の地獄と、たった一つの天国しか存在してない」

「……ルーン?」

 俺から逸らした視線は斜め下に流れ、軽く下唇を噛む。

 ルーンは空いている左手で自分の右肩を掴んだ。

 そして――

「!!」

 彼が自らはだけさせた右肩を見て、俺は思わず息を呑んだ。

「……ルーン、お前……」

「曰く、私たちみたいな痴子にゃ、こういう躾が必要なんだとさ」

「……」

 浅黒い肌にくっきりと残る、醜く焼けただれた火傷の跡。

 それも事故ではなく、明らかに焼けた鉄棒のようなものを押しつけられた跡。それも一つや二つではなく、いくつも残っていた。

「なんと……ひどい……」

 おそらくは一生消えることがないであろう、傷跡。その向こうに剥き出しの悪意が漂う、否応なしに胸の悪くなる傷跡だった。

 ルーンは薄笑いを浮かべて、

「私の体は全身満遍なく、だいたいこんな感じだよ。……ま、食い物をかっぱらおうとして私刑を受けた、なんて自業自得の分もあるけどな」

「なんと……」

 まさかこんな年端もいかぬ少年が、そんな過酷な人生を歩んでいようとは。

『……その方が不幸な場合もあるけどな』

 以前、彼が口にした不可解な言葉。

 それはつまり……そういうことだったのだろうか。

「……あの村に引き取られるまでずっとそんな感じだったから、さ」

 はだけた服を直しながら、ルーンはポツリと呟いた。

 ナイフを握る右手にグッと力がこもる。

「あの村だって、特別いい人たちばかりでもなかったよ。酒癖の悪いのもいた。根性の悪いのだっていた。気にくわないヤツだってたくさんいた。でも――」

 ……ポタッ。

 床が滲んだ。

 一粒。

 二粒。

「……それでもこんな私に家族を教えてくれたあの村は、私にとっては掛け替えのない天国だったんだ」

 俯いて呟くその表情に胸が痛んだ。

「ルーン……」

 吐き気を催す二日酔いの頭痛より。

 食あたりでギリギリと痛む腹の痛みより。

 何倍も、痛い。

 それは何とも表現のし難い……魂の痛み。

(……どうすれば、良い?)

 緊張し、汗まみれの手の平に爪が食い込む。

 どうにか。

 どうにかして彼の、ルーンの痛みを和らげてやらねばならない。

 いや。

 和らげて、やりたい――

(しかし、どうすれば……良いのだ?)

 ――どうすれば?

 思考も言葉も、この状況では最早何の役にも立ちはしない。

 ならば――そう。

 俺はもともと、考えることが苦手なのだ。

 だから――

「だから!」

 再び口調を荒らげたルーンの瞳が、キッ、と俺を睨み付けた。

「たとえどんな事情があろうと! 私は絶対にその犯人を許せない! たとえ私の命を賭けることになっても! たとえそれがどんな相手であっても――!!」

 ドスッ。

「……え?」

 俺の突然の行動に、ルーンが驚きに目を見開く。

「ルーンよ……」

「な――」

 俺は思わず彼の頭をその腕に掻き抱いていた。

 ……そう。

 言葉が用を為さなくなった今、信じられるのは――深く心を抉った傷を癒せるのは、ただ人の温もりのみ。

 単純にそう感じた故の行動だった。

 そして俺は口を開く。

「もしも可能であるならば、お前の痛みを少しでもこの俺に分け与えてはもらえぬか。……この細い肩で背負うには、その苦しみはあまりにも重すぎる……」

 髪の毛を撫でながら、目尻の涙をそっと拭った。

 あまりにも華奢な体躯。

 その身で背負う凶悪な苦しみはどれほどに過酷なものであったことか。

 俺に向けた殺意。全ては裏返しであり、怒りの強さは、彼の村に対する愛の深さでもあっただろう。

 その程度のことは俺にも容易に理解することができて、そしてそんな彼の姿に祈らずにはいられなかった。

(神よ……どうか、どうかこの少年に明るい未来を。そのために必要であるならば、この俺がどのような責め苦でも請け負おう――)

 そして俺は、真に願うのだ。

「神よ――」

 と。

 だが、そんな俺の言葉に。

「ばっ……!」

 ルーンは焦った声で叫んだ。

「バカヤロウッ!」

「む?」

 バカヤロウとは穏やかではない。……いや。

「照れずともよいのだ、ルーンよ。今は何も考えず、俺の胸の中で思う存分――」

「違う、馬鹿ッ!」

 だが、ルーンはそんな俺の腕をふりほどくようにして離れ、そして叫んだ。

「おまっ……お前、ナッ、ナイフが胸にッ!!!」

「……む?」

 俺はようやく我に返った。

 が、あまりに不可解なルーンの叫びに眉をひそめて、

「なにを言うのだルーンよ。この貧乏な俺の胸にサイフなどあるはずが――」

「こっ……この、アンポンタンッ! サイフじゃない! ナイフだよ、ナイフッ!」

「む? ナイフ?」

 そういえば。

 ふと見下ろすと、ルーンの右手にあったナイフが先ほどから姿を消している。

 アレは確か……彼が俺の胸元に突きつけていて……えっと……

「……おお?」

 よくよく考えると、俺とルーンの距離は際限なく近付いていた。……とすると、その間に存在していたナイフは一体どこへ?

「ま、まさか、これが俗に言う神隠し!?」

「御主人様」

 と、そこへミュウがいつも通りの冷静な声で告げた。

「御主人様の胸にあるものがそうではないのですか?」

「む?」

 言われて視線を下に落としてみると、

「おぉ」

 なるほど確かに。俺の胸からナイフの柄が生えていた。

「これはこれは気付かなかった。ははは、灯台下暗しというやつだな」

 しかし不可抗力とはいえなかなか面白い光景だ。人の胸、それも心臓の辺りから生えるナイフの柄なんてそうそう見れるものではあるまい。

「……む?」

 いや待て。

 なにか……変ではないか?

(そういえばルーンの頭を抱いたとき“ドスッ”とかいう、何とも状況にそぐわない効果音が流れていたような気がするぞ……)

「……」

「……」

「……」

 俺の視線と、ルーンの強張った視線と、ちょっとだけ眠たそうに目を擦るミュウの視線が、部屋の中央で火花(?)を散らした。

 そして、

「のっ……のぉぉぉぉぉぉッ! お、俺の心臓にナイフが突き刺さっているではないかぁぁぁぁぁぁッ!!」

「ば、馬鹿! 気付くのが遅すぎるだろぉぉぉッ!!」

 俺が飛び上がると同時にルーンも少々青ざめて、

「と、とにかく抜いて――い、いや、抜いたらマズいのか!? こ、こういう場合はどうすれば――!!」

 いや、待て!

 俺の明晰なる頭脳が即座に最善策を導き出す。

 ……そう。こういう非常事態にもっとも頼りになるのはミュウだ。 

「ミュ、ミュウよ! ど、どうする! どうすればよいのだ!!」

「はい」

 するとミュウはいつものように即座に、的確に、そして明確に答えた。

「冷めてしまった晩御飯はデンシレンジでチンです」

「そ、そうかッ! その手があったかッ!!」

 一筋の光明。

 って。

「晩御飯の話ではないッ! ナイフ! このナイフのことだ!!」

 というか、デンシレンジというのは一体なんのことだッ!

「申し訳ありません」

 そう言いながらも、ミュウは冷めてしまった晩御飯(だと思われる奇妙な物体の数々)を少し残念そうに見つめながら、

「邪魔でしたら取ってしまって構わないのではありませんか?」

 そんな彼女の言葉にはルーンが即座に突っ込んで、

「ば、馬鹿! そんなことしたら血が一気に噴き出すに決まってるじゃないかッ!!」

「そ、そうだぞ、ミュウ! いくらクールでビューティなこの俺でも、心臓から血が噴き出したらきっと死んでしまうに違いないぞ!」

「きっと、じゃない! 絶対死ぬってのッ!!」

「はあ」

 ミュウは小さく首を傾げてみせる。

 その姿が子犬を連想させて胸キュン……とか言ってる場合ではないのだ、マジで!

 ミュウは言った。

「血が噴き出しますか?」

「と、当然ではないか! ナイフがこうして心臓に刺さっておるのだから!!」

「はあ」

 ミュウはもう一度俺の胸に刺さったナイフを見て。

 俺の顔を見上げて。

 そして、言った。

「でも刺さってませんけど」

「そうだろうそうだろう! 見事に刺さって――へ?」

 きょとん、として、ミュウを見る。

「……」

 ミュウはトコトコと俺に歩み寄ってくると、俺の胸に刺さったナイフに手をかけた。

 そして

「お、おい、ミュウ、何を……」

 問いかける暇もなく。

 なんの躊躇いもなくナイフが引き抜かれる。

「のわっ!? のわぁぁぁぁぁぁぁ、死んだぁぁぁぁぁ……!!」

 俺は断末魔の叫びとともに天を見上げた。

 左胸に開いた傷跡からは大量の真っ赤な血が噴き出し、そして世界一クールで世界一ビューティな善良なる一般市民ヴェスタ=ランバートの物語はこうして感動のフィナーレを迎えたのだった。

 ……と、思いきや。

 しゃこん、しゃこん。

「……はれ?」

 視界に映るのは薄暗い部屋の天井のみ。

 いつまで経っても天使のお迎えがやってこないではないか。

「お、おい、お前……」

 何やら信じられない表情で俺の左胸を見つめるルーン。

 しゃこん、しゃこん。

 そして先ほどから鳴っているこの奇妙な音。

「ど、どうなっておるのだ……?」

「こんなこともあろうかと、すり替えておきました」

「へ?」

 しゃこん、しゃこん。

 ミュウの手にあったナイフ。……いや。

「……お?」

 それはナイフの形をした、刀身が柄の中に沈んでいく仕組みのオモチャだった。しゃこん、しゃこんという奇妙な音は沈んだ刃先がバネの力で元に戻る音だろう。

「お?」

 恐る恐る左胸へと視線を落としてみる。

 背中を見る。

 首、肩を回してみる。

「おおおおおおお?」

 飛び跳ねてみる。

 着地と同時にポーズ。

 全て、何の支障もなかった。

「おおおおおおおおおおお!!」

「御無事でなによりです、御主人様」

「……よくやったぁぁぁぁぁ!」

 ぎゅぅぅぅっ!!

「……? 御主人様――?」

 ミュウが目を白黒させた。

 突然の行動。だが、大袈裟でもなんでもない。その機転がなければ、本当にナイフが刺さっていた可能性もあるのだ。

 俺が喜びのあまり思わず彼女を抱き締めてしまったのも至極当然のことであろう。

「危うく三途の川を渡ってしまうところだったぞ! お前は命の恩人だ!」

「……」

 艶のある髪の上から頭を何度も撫でてやると、蝶々のように儚げで頼りない体からは何故か花のような香りがした。

「そうだ、褒美に何か買ってやろうではないか! さぁ、何でも言ってみるが良い!」

「……」

「服か? アクセサリーか? いやいや、意表をついて食べ物という線も――」

「……」

「そうそう、物でなくとも良い! 何か俺にして欲しいことでも――……む?」

「……」

 反応がないのを訝しんで少し体を離す。

「ミュウ? どうしたのだ?」

「……」

 ミュウはまるで電池が切れたロボットのよう――じゃなくて、糸が切れたカラクリ人形のようになっていた。

 やはり反応がない。

「おい、ミュウ――?」

 さらに離れて軽く肩を揺すってやると、

「あ……あ、いえ」

 一瞬だけ心なしか残念そうな顔になったが、その表情はすぐに元に戻り、いつものように冷静で的確な返答がその口をついた。

「私が御主人様をお護りするのは当然のことです。うちゅーの真理で相対性理論で謎のマスクマンは大抵主人公の身内だったりするのです」

 相対性理論? ……謎のマスクマン?

「な、何を言っているのだ?」

「……あ。……その」

 ミュウが珍しく口ごもる。そしてチラッと俺の顔に視線を向けた。

「?」

 なんであろうか。

 何か付いているのかと自分の両腕に視線を落としてみるが、手には彼女を抱き締めたときの感触が残っているだけで、他には何の変哲もない。

「どうしたのだ? 俺の体に何かついているのか?」

「……いえ、なんでもありません」

 問いかけると、ミュウが再び視線を横に逸らす。……あるいは体調が優れないのだろうか、よく見ると頬が少し赤味を帯びているようにも見えた。

「ふむ? なんでもないのであればよいのだが……」

 いまいち納得できないが、まぁこのミュウのことだ。何でもないと言えば本当に何でもないのだろう。

 と、俺は簡単に結論付けて、

「しかしまぁ、ともかくこれにて一件落着ということだな!」

 だが、

「……何が一件落着だよ」

 声。

「む?」

 振り返ると、ルーンは部屋の隅にどっかりと腰を下ろしていた。

「おお!」

 そうだ。ナイフ騒動で彼のことがうやむやになってしまっていたではないか。

(こ、これはマズいぞ! あんなにも大事な話の最中に!!)

 さぞかし怒っているであろうと思いつつ見てみると、

「ルーン?」

「ったく」

 ルーンは壁に背を預けたまま、大きなため息を漏らしていた。が、その表情は怒っているというよりは、呆れているような様子。

 なんというか。

 先ほどまで張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったような。

 緩んだ空気。

 それからルーンはホッ、と息を吐いてミュウをチラッと見ると、

「いつの間にすり替えられたのか知らないけど……でもま、ホントに刺さってなくて良かった」

「む? 良かった?」

 意外な言葉だった。

「ルーンよ。俺のことが憎いのではなかったのか?」

「……」

 壁に背を預けたままルーンはチラッと俺を見上げて、それから視線を伏せると同時に軽く両手を広げた。

 そして、

「……お前の様子を見てると記憶喪失だってのは間違いなさそうだ。だったら、少なくとも現時点でお前を殺すほどの理由はない。だろ?」

「……ルーン――」

「勘違いするなよ」

 だがルーンはすぐに視線を鋭く上げて、付け加えた。

「記憶があろうがなかろうが、仇は仇だ。もしお前が村を滅ぼしたのだと判明したら、私はこの命を賭してでも必ずお前を殺す。それだけは覚えとけ」

 揺らぐことのない意志。

 強い怒り。

 深い、愛情――……

「……ああ」

 俺は自然と深く頷いていた。

「心配せずともお前に命を賭けさせるようなことはない。お前が望み、それでお前の心の負担が軽くなるのならば、俺は即座にこの命を差し出そうではないか」

「……真顔で言いやがって」

「む?」

 何事かボソッと呟いたルーンに、俺は少し耳を傾けて、

「なにか言ったのか? すまぬ、聞こえなかった」

「なんでもない」

 何故か拗ねたように視線を逸らすルーン。

 何か機嫌を損ねることでも言ったのであろうか?

(思春期の少年は難しいものだ……)

 ……しかし、まぁ。

 ひとまず執行猶予とはいえ今は俺たちが生き続けることを許してもらえたということで、まず一安心、一件落着といったところであろうか。

 一件落着。

 と、来れば、次に訪れるのはやはり――

「では、御主人様。そろそろ夕食にしましょう」

「うむ。そうだな」

 一件落着の後はやはりメシにするに限る。そうすることによって真の意味で心も落ち着き、そして明日への活力が産まれるのだ。

 ん? なんか大事なことを忘れているような気がするが……まあ、いいか。

「御主人様、夕食の準備できてます」

 と、そんなミュウの言葉に俺の思考は中断されて、

「おお、そうか。相変わらず用意がいいな、ミュウよ」

「お褒めに与り光栄です」

「では早速食そうではないか。……む? どうしたのだ、ルーン?」

 見ると、ルーンは何やら奇妙な顔をしてこっちを見ているだけで、呼びかけても食膳に近付く気配がない。

「食べぬのか?」

「え、いや、だって、お前、それ――」

「む?」

 何やらおかしな反応だ。ダイエットという体付きでもないであろうに。

 しかしまあ、食べる気がないものを無理強いするわけにもいくまい。

「ならば、先にいただくことにしようか」

 旅は長い。体力は蓄えておけるときに蓄えておくに限る。

 ……何故か恐ろしいものでも見るかのような顔のルーン。

 ……何故かほんの僅かに期待感のようなものを浮かべたミュウ。

「?」

 そんな二人に見つめられながらも、俺はフォークを手に取ると、

「では、いただきま――――――」

 ぱくっ。

 

 俺の意識はそこで不自然に途切れた。

 

 

 

 

 

 しかし、まあ。

 紆余曲折悲喜交々あったにせよ、とりあえず結果オーライとでもいうべきか。

「そうは思わんか、ミュウ」

「なにがですか?」

 む。このやり取りも久々だな。

「いや」

 ばさっ、と、漆黒のマントが風に翻る。

 夏の日差しはここ数日で急速に翳り始め、徐々に秋の気配が増してきた。服を通して感じる太陽の熱も今日は優しい。

「まるで世界が我々の旅立ちを祝福しているかのようではないか」

「? 御主人様には“せかい”という名のお知り合いがいらっしゃるのですか?」

 不思議そうな顔で見上げるミュウ。

「いや、それは比喩というかなんというか」

「比喩――物事を他の物事を用いて表現すること……世界……あ、わかりました」

 ミュウはポンと手を叩いて、

「御主人様のお知り合いは世界と同じぐらい体の大きな方なのですね」

「……そんなはずはあるまい」

 渋い顔をして諭す。

「そんなに大きかったら寝る場所がなくて困ってしまうではないか」

「……そういう問題かよ」

 風がため息を運んでくる。

「む?」

 三歩、いや四歩ほど後ろを旅人用のコートを纏った一人の少年が付いてきていた。

 その正体については、改めて言うまでもあるまい。

「御主人様のあまりのカッコ良さに一目惚れしてしまった街娘でしょうか」

「な、何故にそんな昔の独白を……」

 俺自身はおろか、俺たちの旅をこの世界のどこかから見守っている神様すらもほぼ確実に覚えとらんぞ、きっと。

「それに“少年”だとさっきから地の文で説明しているではないか」

「はあ」

 不思議そうにチラッと後ろを振り返るミュウ。

 強い風が吹く。

「少年という言葉は男性に限るものではないのでしょうか?」

「む? なにか言ったか、ミュウ?」

 風に消されて声がよく聞き取れなかった。……別に外界の意志が働いたわけではない。

「はい。だってルーンさんは男性ではな――」

「あーあー、もう。余計なことは言わなくてもいいっての」

 今度は少年――もといルーンがミュウの言葉を遮る。

 彼の出で立ちは初めて出逢ったときと同じボロボロのコート、さすがに普通の人間だけあって少々疲労した様子の顔は強い風に運ばれる埃で微かに汚れていたが、まるで弱音を吐いたりしないのはその気丈な性格故か。

 結局、彼は俺の白黒が判明するまで旅に同伴することになった。帰る場所もなく、目的も復讐以外にない。……そんな彼が俺たちについてくるのは当然の成り行きだったし、俺としてもそんな彼を放っておくことはできなかったのだ。

「はあ。余計なこと、ですか」

「ああ。余計なことだ」

 三歩、二歩。

 ルーンがほんの僅かに俺たちとの距離を縮める。

「む? 何の話なのだ?」

「お前には関係ない」

「……むぅ」

 せっかくこうして旅の仲間になれたというのに、相も変わらず素っ気ない態度である。尖ったナイフのような少年の心を解きほぐすのはやはり容易なことではない。

「しかしいつの日か、傷付いた少年の心に俺の想いの届く日が来るに違いない。それまで俺は暖かく少年の成長を見守っていこうではないか」

「……」

 ゴスッ!!

「ぬおっ!?」

 いきなり尾てい骨付近に蹴りが入る。

 俺は即座に振り返って、

「な、なにをするのだ、ルーン!!」

 ルーンは微かな怒りに眉を震わせながら言った。

「少年を連呼されるとやっぱムカつく」

「な、なにゆえ……」

「難しいお年頃、というヤツですね」

 わかっているのかわかっていないのか、ミュウが悟ったようなことを言う。

「……むぅ」

 背伸びしたいお年頃なのだろうか?

(……やれやれ。まるで二人の子供を抱えたお父さんみたいになってきたな……)

 そんな俺の感想が正しいかどうかはともかくとして。

「さて、ミュウよ、次の目的地はどこなのだ?」

「国境が近いですね。このまま進むと隣のビルア領に入ります」

「ふぅむ。それもまたよかろう」

 風の向くまま、気の向くまま。

「よかろう、って、ホントに適当だな、お前ら……」

 振り返って答える。

「困ってる人間はどこにでもいるものだ。残念ながらその全てを救うことは不可能だが、可能な限り多くの、様々な人々を救いたいではないか」

「……変なヤツ」

 そう言ってルーンはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 ――決して疑いが晴れたわけでもなく、前途多難といえばその通りではあるが、深くは考えまい。考えたら負けだ。

「……ビルア領は治安の悪い土地だ。困ってる人間はおそらくごまんといる」

「む」

「お前の本性を見極めるにはちょうどいいかもな」

 そう言って挑戦的な視線を投げてくるルーン。

 ……だが、それこそ望むところである。

「ならば見ているが良い」

 ばさっ、とマントを翻し、俺はニヤリと笑みを返した。

「今度こそ、この俺の男らしく素晴らしい生き様を見せてやろうではないか!」

 どーん!

「……決まった」

 俺のあまりにもカッコイイ決め台詞に言葉も出ないようだ。

「御主人様」

 と思ったら、そうでもなかった。

 それどころか――

「そろそろお昼御飯にしましょうか」

「……」

 ミュウの口から飛び出したのは何とも不吉な“宣告”。

 法衣のような白い装束の下から取り出されたバスケットは、禍々しい瘴気を放っていた。

「ルーンさんは遠慮なさっていたので、今日は御主人様の分だけ作ってみました」

「……」

 ひゅぅぅ、と。

 俺の周りに無言の空っ風が吹く。

(……え? え? また? またか? また……またこのオチなのかッ!?)

 期待を込めて見つめる純真無垢な瞳と、その手の中にある大量殺人兵器。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。

 これ以上に凶悪な組み合わせが果たしてこの世に存在するだろうか。いや存在しない。

「……先に男らしい死に様を見せられることになりそうだな」

「……」

 哀れみの込もったルーンの言葉に胃がキリキリ痛むのを感じながら、俺は脂汗とともに答えるしかなかった。

「ルーンよ……哀れみはいらぬ。どうか屍は晒しておいてくれぬか」

「ああ。了解したよ、ヴェスタ」

 ルーンが初めて俺の名を呼び、間に初めて友情らしきものが芽生えて。

 

 そして俺は真に願うのだ。

 

 ――この料理オチが、決して次回に引っ張られることがありませんように、と。

 

 

 

 俺たちの旅は、まだまだ続く――

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