第9話 毒の沼地
天界のオフィス。
俺は空っぽになった財布(第8話参照)を見つめながら、現実逃避のように業務に戻った。
勇者レオ一行は、第4層『腐食の湿地帯』に足を踏み入れていた。
ここはダンジョン内でも屈指の危険地帯だ。
足元にはボコボコと不気味な泡を吹く紫色の泥沼が広がり、空気中には吸うだけでHPが減る有毒ガスが充満している。
本来なら、前回マリアが俺から強奪した「解毒ポーション」や「ガスマスク」を使うべき場面だ。
「……使えよ」
俺はモニターに向かって呟いた。
だが、マリアは口元をハンカチで押さえながら、冷徹に言い放った。
「ポーションは温存よ。ここを突破したら高値で売れるんだから、今飲んだら赤字だわ」
「ぐふっ……毒が……肺を焼く……! 生きている実感……!」
戦士グロックが紫色の顔で喜んでいる。
もう手遅れかもしれない。
そんな中、先頭を行く勇者レオが、泥沼の淵で足を止めた。
紫色の液体がグツグツと沸騰し、硫黄のような刺激臭(致死性)が漂っている。
「……ふむ」
レオは顎に手を当て、真剣な眼差しで沼を見つめた。
そして、パッと表情を輝かせた。
「見つけたぞ! これは伝説の秘湯、『ドラゴンの隠し湯』だ!」
違う。
それは強酸性の毒沼だ。
浸かれば骨まで溶ける。
「まさかダンジョンの中に温泉があるとはな。日頃の疲れを癒やすには丁度いい」
レオは躊躇なくベルトに手をかけ、服を脱ぎ始めた。
「ちょっとレオ! 正気!? (あと私の前で脱がないで、別料金取るわよ)」
「フッ、マリア。遠慮するな、混浴でも俺は構わんぞ」
「誰が入るか!」
レオは一糸まとわぬ姿(股間には謎の聖なる光による修正済み)になると、準備運動もそこそこに沼へ向かってダイブした。
「いざ、極楽へ!」
ザッパァァァン!!
「馬鹿野郎おおおおッ!」
俺は叫びながらキーボードを叩いた。
毒沼の成分は「硫酸(濃度90%)」と「猛毒バクテリア」の混合液だ。
HP15のレオなら、着水した瞬間に「ジュッ」と音を立てて消滅する。
物語が終わる!
俺のボーナスも溶ける!
間に合え、成分改変!
俺は科学と魔法の知識を総動員して、沼のパラメータを書き換えた。
Target: Toxic_Swamp_Area_04
Base: Sulfuric_Acid -> Hyaluronic_Acid (ヒアルロン酸)
Add: Collagen (コラーゲン) + Vitamin_C
Scent: Rotten_Egg -> Premium_Rose (高級バラの香り)
Temp: 42.0 degrees (適温)
「超高級エステ風呂になれぇええッ!」
ッターン!
ドボンッ。
レオの体が紫色の液体に沈んだ。
一瞬の静寂。
マリアが「あーあ、死んだわね。装備回収しなきゃ」とトングを取り出した時。
プハァッ!
レオが水面から顔を出した。
その顔は、溶けていなかった。
むしろ、以前よりもツヤツヤと輝き、毛穴という毛穴が引き締まり、あふれんばかりの潤いを帯びていた。
「……極楽だ」
レオがうっとりと呟く。
「なんだこの湯は! 肌に吸い付くようなとろみ! 鼻孔をくすぐる高貴な香り! やはり俺の目に狂いはなかった!」
「えっ!? 毒じゃないの!?」
マリアが驚愕して沼を覗き込む。
鑑定スキル発動。
【鑑定結果:最高級美容液(Sランク)】
「うそっ!? これ、王都のデパートで小瓶一本1万Gで売ってるやつより成分がいいわ!」
マリアの目の色が変わった。
彼女は自分の水筒、予備の瓶、なんならイグニスの帽子まで奪い取り、必死で沼の液体を汲み始めた。
その時、沼の底から原住生物『ポイズン・リザード』の群れが現れた。
彼らは縄張りを荒らした人間に牙を剥く。
「シャァァァッ!(毒殺してやる!)」
リザードがレオの二の腕に噛み付こうとする。
ガブッ!
――ツルッ。
「?」
リザードの牙が滑った。
レオの肌があまりにもツルツルモチモチになりすぎて、摩擦係数がゼロに近くなっているのだ。
何度噛み付いても、ツルッ、ニュルッと滑って噛めない。
「ん? ドクターフィッシュか? くすぐったいぞ」
レオが爽やかに笑い、髪をかき上げる。
その瞬間、ダンジョンの照明がレオの潤い肌に反射した。
キラーンッ!!
強烈な反射光が発生。
暗闇に慣れていたリザードたちの網膜を直撃する。
「ギャァァァッ!(目が、目がぁぁぁ!)」
リザードたちは目を押さえてのたうち回り、そのまま沼の底へ沈んでいった。
「ふぅ、いい湯だった」
レオが風呂から上がる。
その肌は陶器のように白く輝き、歩くたびにキラキラとエフェクトが出ている。
「マリア、どうだ? お前も入ればよかったのに」
「……(無言で瓶詰め作業中)」
「フッ、照れるな。さあ、身も心も清められた。行くぞ魔王城へ!」
全裸(靴下だけ着用)のままポーズを決める勇者。
俺はデスクで額の汗を拭った。
毒沼を美容液に変えるのに使った神力は、これまでの罠の比じゃない。
今月の経費、落ちるかな……。
第9話、お読みいただきありがとうございます!
毒の沼地を「美容液の温泉」に変えるという、ダンジョン運営にあるまじき福利厚生を提供してしまいました。
おかげで勇者の肌年齢は10代に戻り、防御力(物理的な滑りやすさ)も向上したようです。
マリアが汲んだ美容液は、後に「勇者の聖水」として高値で転売されることでしょう。
さて、次回第10話は『野営の危機』です。 ダンジョン内で初めてのキャンプ。
しかし、見張りを立てずに全員爆睡するという暴挙に出ます。
忍び寄る暗殺者『アサシンウルフ』の群れ。
寝込みを襲われる絶体絶命のピンチに、デウスが狼たちの「野生」に施したハッキングとは?
明日も更新します!
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