プロローグ:港に沈む名前
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⸻1ヶ月前
横浜港の夜は、昼よりもざわめいている。
作業灯が照らす埠頭では、巨大なコンテナがクレーンで運ばれ、フォークリフトの警笛が響く。
朝比奈藍は黒のパンツスーツの上に防寒用の黒コートを羽織り、港湾労働者の出入りを監視していた。
ヒール込みで170cm近い視線から、作業員たちの顔を一人ひとり記憶に刻む。
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タブレットに表示されたリストには、薄く赤字でマークされた名前が並んでいる。
——そのうち三人は、失踪届が出されていた。
どれも「事件性なし」で処理され、新聞の片隅にすら載らなかった名前だ。
だが朝比奈は知っている。全員が、ある企業系列の施設や土地と奇妙に縁があったことを。
その名は茅葺。
目立たぬ場所で命を切り捨て、痕跡ごと覆い隠す。
彼らに関わる者の名が消えるたび、胸の奥に冷たい石が積み重なっていく。
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《再確認。港湾直結ルートの一部が、峯島中央卸売の専用レーンと重なっています》
イヤホン越しに共振制御演算型AI・光の声。
「やっぱり…繋がってる」
朝比奈は手袋越しにタブレットを操作し、GPSの点と倉庫番号を重ねる。
港の奥、立ち入り制限区域の一角——そこが全ての始まりであり、終わりだ。
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《朝比奈藍。あなた一人で潜り続けるのは非効率です》
「仲間を入れたら、余計な漏れが出る」
《では、信頼できる“外部”はどうですか》
「……まさか、その外部って」
《はい。あなたがまだ会ったことのない人物です》
朝比奈はわずかに笑みを浮かべた。
「深見蓮司、ね」
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公安の公式任務ではない。
これは自分の“私戦”だ。
幼なじみが失踪した日から、私はずっとこの線を追ってきた。
港湾労働者、被害者家族、下請け業者——夜の海風に吹かれながら、繋いだ証言は地図上で一本の線になりつつある。
その線の先に、必ず茅葺がいる。
消された名前を一つ残らず拾い直し、彼らを覆う仮面を剥ぐ。
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「……内部からじゃ壊せない」
自分に言い聞かせるように呟き、朝比奈は港を後にした。
憎しみが胸の奥で燻り続ける。
あの名を消さない限り、私は眠れない。
向かうのは、まだ会ったことのない男の元。
“見えない線”を可視化する男——深見蓮司。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。作中に登場する病気(双極性障害など)の描写は、物語上の演出として描かれています。実際の病気については、必ず専門の医療機関にご相談ください。




