神隠しの洋館
「今日の授業はここまで、各自、習った所の復習をしておくこと」
キーンコーン…と、重い、学校の鐘が鳴る。
その鐘は、授業の終わりを知らせる音色であった。
そして、教壇には、黒板消しを持つ、一人の若い男が立っている。
歳の程は……20代半ばくらいだろう。背は180前後、小太りなものの、それ以上に腕が太い。鍛えているのだろうか。
髪はパーマ気味のくせ毛で、髭は、ぼうぼうである。これだけ聞くと、不潔な印象だが、中々どうして……爽やかな風貌なのである。
「シナノ先生、今日は随分と早く終わりますね」
すると、不満なのか、彼の生徒の一人が、口を膨らませて言ってきた。
「……あぁ、済まんな、今日は用事がある」
「また、パチンコですかぁ?」
「なら、俺も連れてって下さい」、とその生徒は、ケラケラと笑いつつ、付け足したものの
「はっ、そんなんじゃ無いよ、それに、生徒と一緒には打たんさ」
「運が飛んでゆく」
そう言うと、先生は……シナノは、バサリ…と、黒いコートを羽織る。
____シナノは、名門高校の教師である。地方の大学を卒業し、世界史教員としての資格を得……今に至っている。
そう。名門、青華高校。在校生は千を超え、その殆どが大学進学を目指して勉強する、昔からの進学校であった。
ただ……シナノの、彼の経歴の残念な点として、青華高校に着任したのは良いものの………早速任されたのは、高校でも最底辺の生徒達が集まる、言わば落ちこぼれクラスであった。
名門だけあり、生徒達は皆、地頭は良いものの……勉強熱心では無く、親からの重圧に耐えれず不良化した者も多い。
シナノ…彼自身も、教師をするには性格が大雑把過ぎる上に、そもそも、(今日一日の、遊ぶ金が稼げれば良い)との、野心の少ない男であった。
__「シナノ君、ツカサ家の洋館の噂話を……知っておるかね?」
だが、ある日の事……そんな堕落した教師に、不思議な依頼が舞い込んできた。
依頼主は、彼が勤める青華高校の、校長である。
「……あの、誰だったかな……マユミ君の実家でしたっけ?」
いつもは邪魔者扱いするクセに、急に校長室に呼ばれたかと思えば、開口一番に、「〜君の実家がさぁ」みたいな、中学生間の雑談の様な事で始まるとは思っておらず、少し狼狽えたものの、シナノは、髪の薄い校長の話に、続けて耳を傾ける。
「最近、原因不明の失踪事件が相次いでいるだろう?」
「昨日も、東高校の生徒が、一人居なくなったらしい」
シナノは校長の話を聞きつつ
(まぁ、物騒な世の中になったもんだ)
と、いつもの癖で、胸ポケットに忍ばせたタバコを取り出し、吸おうとした……が、校長の前である事を思い出し、止める。
「へぇ……そりゃ、恐ろしい」
と、適当に返事さえ、した。
「……シナノ君、真面目に聞いて欲しいのだよ」
「その、失踪事件の被害者達は、皆……どういう訳か、ツカサ家の洋館の周辺で、消息を絶ったそうな」
すると、シナノは目を細め、馬鹿にした様な笑みと共に
「はっ、失踪したのに、どうして洋館の周辺で消息を絶ったと分かるんです?」
「……被害者には、小学生も何人か居てね…親御さんが、GPSを付けていたのだろう……その全員が、確実に、ツカサ家の洋館に足を踏み入れているんだ」
「……踏み入れた後に、居なくなった…と?」
「うむ…」と、校長は頷くと、薄い髪の毛を気にするように、ポリポリ…と頭を掻いた。
「じゃあ、警察にそう言えば良い…と言うか、知ってるでしょ?」
だが、家の権力か何かは知らぬが、地元の警察は、決して洋館への捜査は行わないらしい。
不思議なモノである。
「なるほどねぇ……で、俺に、行けって事ですか」
「いや、その……な」
校長の反応に、シナノは少し苛立ちつつ
「わかった、わかった……青華高校の、落ちこぼれクラスの担当の教員ならば、行って……たとえ、死んでも、穴埋めなど容易ですしね」
その反抗的な態度と、目に……校長も開き直ったのか
「我が校の優秀な生徒達にまで被害が及ぶ前に、何とかしたい……それに、マユミ君…彼女にまで不当な噂が流れる事は、どうしても避けたいのでな」
だから、家庭訪問…と言う体を装って、ツカサ家が本当に、失踪事件に関与しているのか探って来い…と、苦い顔と共に、直に言われた。
だが、シナノは野心は無いものの、強欲である。
「なるほど、なるほど……家庭訪問は良いですが、あいにく……ツカサ・マユミ君は、教え子と言っても、別のクラスの子なので」
「あの子の担当の教師の代わりに行くわけですから……なんでしょう、残業代的な物でも欲しいなぁ」
「……」
当然、校長は一瞬、嫌な顔をしたものの
「……三十万円、私の懐から出してやる」
と、眼鏡を上げつつ言い放った。
(真面目と、厳格さだけが取り柄の、このハゲが、私的な理由で三十万円も出すとはなぁ……余程、怖いのだろう)
警察も誰も動いてくれず、このまま被害者が増えて行けば、必ず、青華の生徒もその内に含まれるに違いない。
(怖いのだろう、名門の株が下がるのが)
そうなれば、同様の被害者が居るのに、防げなかった……と、保護者達は、世間は、轟々と、非難するに違いない。
(俺としては、どうでも良いが……三十万円か、いや、もし噂通り、本当にツカサ家が原因で、失踪事件が起きていたとすれば……)
その事実を握っている…と言うだけで、どれだけ金を搾り取れるか。
考えれば、やる気も湧いてきた。
「校長、明日の授業は、早めに切り上げさせてもらいます」
いつの間にか…タバコに火をつけ、吹かしつつ言った後、さっさとシナノは校長室を後にした。
______
そして、今日に至る。
ツカサ家の洋館までは、シナノの家から、そう遠くはない。
車を走らせる事、十数分。
やけに明るい松林を抜け、綺麗に舗装された山道をスイっと、通り、そして……そのレトロな洋館は、木々の合間から、見えてくる。
黒い樺と、レンガで作られた、お洒落な家である。
横に広く、高さは意外と感じない。
「洒落てるな」
シナノは、ポツリ…と、そう言っただけで、車を庭らしき所に止めると、ズカズカと、横柄に歩いてゆく。
一応スーツの中には大きめのナイフを忍ばせており……もし、ツカサ家で行われている事が、ドラマの様な事であっても、無抵抗に殺される事は無いだろう。
だが、本人はこの装備を、少し滑稽に感じているらしく
(俺らしくも無い、ビビってるのか)
と、自己の潜在的な恐怖心を、嘲笑っている。
歩く。歩く。洋館までの道は、太陽の光で満ちており、芝は綺麗に整えられ、所々人為的に植えられた、青い華が見受けられた。
動物も飼っているらしく、変な足跡が、点々と土に残っている。
その奇妙な足跡は、馬の様であった。
(ポニーか……海外のセレブかよ)
だが、ポニーにしては大きすぎ、馬にしては、小さ過ぎる……(どちらだろう…?)
しかも、栄養失調に違いない、足跡の間隔がまばらでおかしく…誰かに支えられつつ、歩いているのだろう。
シナノは、律儀な飼い主だな…と思いつつ、歩みは止めず、洋館に備え付けられた、鉄門の前まで足を進めた。
そして…
「誰か、いませんか」
と、声を掛ける。
だが、誰も現れない。
その為、もう一度
「誰か、いませんかっ」
今度は、苛立ち気味に、叫んだ。
すると、音声認識、はたまた声が屋敷まで届いたのか
ガラ……ガラガラ
鉄門が、開いてゆく。
「……?」
開き始めた鉄門は、止まらず……ガシャン……と、綺麗に開き切った。
……洋館には、相変わらず太陽が降り注いでおり、穏やかで、暖かい雰囲気を放っている。
花が庭一面を覆っており、色も鮮やかであった。
(入って……良いのか?)
シナノは恐怖した。恐らく、誰かが遠隔で、鉄門を動かしたのだろう。
分かっている。
事前に、家庭訪問の為の連絡もした。
なのに……怖い。ガシャン…という音が、何より、恐ろしかった。
鳥のさえずりも、草木が揺れる音も、無駄に大きくて、不気味である。ナイフを突き立てられ、脊髄が脅されているような、そんな感覚に落とされている。
肌が、暖かい。逃げ場は沢山ある。それに、昼である。逃げれば良い。
(そうさ、相手が殺人鬼だろうが、何だろうが……大丈夫さ)
足が、重い。
一人とは、こんなにも、心細いモノなのだろうか。
歩く速度が、明らかに減少した。
そして、子供の様に、トンッ、トンッ、と屋敷までの道に置かれた、石の部分を、わざと音を立てて歩く。
体が、熱い。はぁ…はぁ……と、細かい息切れが、生じ始めている。
(まず、まず、マユミ君に…いや、その、親御さんに会って、挨拶を)
挨拶をしよう。と、自分がやるべき事を確認してゆく。
何度も、何度も、鉄門の方に振り返り、誰か居ないか確認さえした。
コツコツ…コツ
すると、いつの間にか、扉の前まで来ているでは無いか。
扉とは、黄金の紋様が入った、黒地の大きな扉である。
だが、開けてはならぬ。
まずは、ノックをしなければ。
「ノックを……三回、そう、何回かしよう」
声に出して、確認する。
コンコン……コン。コン。
しかし、自分で出した音に驚き、四回までしてしまった。
「はいはい、今、行きます」
すると、扉の奥から、若い女性の…いや、少女の声が、聞こえてくる。
そこでようやく、男は安堵した。
汗を拭き、衣服を正す。懐にしまっていたナイフは、手提げ鞄の奥深くに、グイッとしまい、土の付いた革靴も多少拭った。
ガチャリ……衣服の確認が終わってすぐ、黒色の扉は、開かれる。
「あら、先生、お待ちしていました」
予想通り、洋館からは、マユミが出て来た。
名家の娘らしく、短い黒髪の、少し背の高い女性である。だが、目元は何だか、人形の様に冷えており、触れてはならぬ様な……そんな印象を受ける。
そして、彼女は高校三年生…受験の季節の真っ只中である。
「勉強中に悪いね、本来なら君の担任の、ヤマモト先生が来るハズだったけど……出張らしくって」
だから今日は、簡単に志望校を確認して、帰るよ……と、説明した。
「お母さん、いらっしゃらない?」
確か事前連絡の時には、マユミの母親?が対応してくれた気がする。
「あぁ…スミマセン、母は急用が出来たらしくって……父も、今は海外に居て来れません」
「そうか……」
今日は確認だけだから、と、シナノは作った様な笑みと共に、返した。
(この子の両親が外出してたのは……いや、逆に好機…か、むしろ色々と、調べられる)
「とにかく、上がって下さい」
どうぞ、どうぞ…と、マユミは上品な手招きと共に、シナノを奥へ、奥へと案内する。
(本当に、でっかい屋敷だなぁ)
漠然と、思いつつ、少女に誘われるがままに、左右に広い廊下を、歩いてゆく。
数分歩いた後に、応接間へと通され、無駄に長いソファに座らされた。
「お茶を持ってきます」
そして、シナノが座ったのを確認すると、また、マユミは奥へと引っ込む。
(今のうちに…)
狡猾な男である。
応接間は…流石に、失踪事件の証拠になりそうな物など、置いてはいないだろう。
が、それでも念の為、部屋中の棚を覗き、綺麗に纏められて置かれた紙を乱雑に取り、眺めてゆく。
(ま、そりゃ置かんか)
面談が終わった後で、何かと理由を付けて、屋敷の中を、ゆっくり見回すか。
(マユミ…あの、お嬢様の甘ちゃんだ、許すだろう)
と、決め込みつつ、紙を元の位置に戻してゆく。
だが、日ごろのいい加減さが出たのか、ドサリ…と、紙を数枚床に落としてしまった。
(あ、やべ…)
そして、内一枚が、タンスの下の、狭い空間に挟まってしまった。
ネズミが、やっと通れる程の隙間である。
チッ、と舌打ちをしつつ、大きな体を屈めて、ガサガサ……紙を取ろうとする。
…カサ……カサリ、落ちた紙は、取れた。
だが、シナノは再び恐怖した。
何故なら、紙は取れたものの、その端には、何故か……ベトリ、と血が付いている。
「……は?」
赤い…確かで、自然的な、血液であった。冷たく…滑らかである。
恐怖した。同時に、人間としての本能なのだろうか、知る者……教師としての、探究心故か。
思わず、屈んだまま、タンスの下まで、覗いてしまった。
_指である。三本。
三本の、美しく、切り取られた指が、一定間隔で転がっている。爪は半分剥がれ、何故か、剥きでた肉の部分には、縫い目さえ有る。
「ッ……」
と、声も出せず、シナノは驚き、飛び退いた。
「先生、どうされました?」
飛び退いた先には、やけに笑顔で、それでいて、冷たい目のマユミが立っている。
人形の様な瞳で見下ろしつつ、微笑んでいる。
(出すな、抑えろ)
シナノは流石に、冷静である。息を殺し
「あ、あぁ、いや、鉛筆を落としてな」
「……そうですか、可愛らしい」
「……」
どういう意味だ、とも聞けず、そのまま、シナノはソファに座る。
あの、赤く染まった紙は、クシャクシャに丸めて、鞄に突っ込んでいる。
「それで、先生、私の志望校の話、でしたね?」
と、紅茶を置きつつ、マユミはにこやかに語る。
「ああ、確か君の、第一志望は……」
「先生」
シナノが言う前に、マユミが何故か、遮る。
「大学なんて、行きませんよ」
「…うん?」
聞くと、どうして…シナノは、背中から寒い汗を垂らし…座り直す。
「先生が以前、おっしゃって居たじゃないですか」
「『自分のしたい事をしろ、じゃないと人生、つまらんぞ』と」
「あぁ…そう…だな」
実は、この面談の前に、何度かマユミから、授業についての個人的な質問を受けており……たしか、進路相談にも乗った気がする。
「私、先生に救われているんです」
「親や親戚……友達までも、私に過度な期待をしている」
頭が良いから……名家の、娘だから。
「果ては、私の進路を確定し、操ろうとさえ、していました」
「でも、先生が……そう、貴方の生き方に、私は憧れているんです」
「名門、青華の教師だと言うのに、賭け事に興じ、私生活はだらしなく、遅刻など日常茶飯事」
少女の言葉に耳を傾けつつ、シナノは、今度は頬から汗を垂らした。
『自由に生きろ』など、相談しに来た大抵の生徒に言っており、その実、さっさと相談を終わらせる為であった。
「その日、その日の日銭が稼げれば良い、遊ぶ金さえ手に入れば、将来の事などどうでも良い」
(……何故、この子が、俺の詳細を……)
誰にも、本心など語った覚えは無い。そもそも、パチンコや競馬など、同じく青華の落ちこぼれ達にしか喋っていない。
「貴方のおかげで、私も、日々を楽しく生きていられます」
「誰にも邪魔されず、自由で、束縛されず……」
「元々私は、こう言う性だったのでしょう……そう、貴方が背中を押してくれたから、自由になれた」
辛い時期に、救ってくれた……と、マユミは、涙さえ、流した。
「そんな、私の神様には……打ち明けた方が良いかも知れませんね」
既に、シナノは何かを察した様で、ナイフを取り出す間もなく、鞄を置き、ソファから立ち、逃げ出そうとしている。
「昔から、動物が好きだった」
「アレと、アレを混ぜれば、何が出来るのだろう…繋ぎ合わせれば、どんな反応をするのだろう」
「庭の虫たちで、精密な、塔を作りました」
「森の動物達とも、心を通わせた」
だが、マユミは、寂しそうに
「しかし、それを…友との交流を、両親は良く思いませんでした」
「私の友達を見て悲鳴を挙げ……捨てなさい、と叫び、私を病院に連れて行った」
「ただ、一緒に遊びたかっただけなのに」
「私の思想と、自由を奪い……この、狭い屋敷に幽閉した」
「生命との戯れは断たれ……私は、毎日、毎日泣きました……友達を作れない日々を、憂いました……唯一の、屋敷以外の世界である、学校に行っても……居るのは、まだ魂を貰っていない動物ばかり」
シナノは、ここで、ようやく理解した。タンスの下の指に、縫い目があった理由を……彼女の両親が、家庭訪問だと言うのに、居ない理由を。
そして、更に涙を溢れさせ、マユミは泣く。
「ありがとう、先生……私を、救ってくれて……背中を、押してくれて!」
硝子を抜ける、昼間の太陽に照らされたその顔は、無邪気に笑っているようであり、爽やかである。
反転、シナノは怯え、応接間の扉を勢い良く開き、革靴を捨て、裸足で逃げる。
「あら……先生?」
シナノは、最早、生きた心地はしていなかった。
一心不乱に出口を探し、混乱する頭で、玄関の位置を思い出そうとする。
走る。走らねば。
そして、廊下には……巨大な馬の剥製が、置かれていた。それも、きっちりと、十三匹。皆、シナノの方を向いており、歪に縫われた蹄からは血が漏れており、腹は妊娠中の様に垂れ、ひどい腐卵臭を放っていた。
あの腹には、何がいるのだろうか。
目も合わせられず、駆け足で、死んだ瞳の、剥製達の間を通り抜けてゆく。
夢の中を、歩いているらしい。走っているのだ。
ならば、ひどい悪夢なのだろう。
絶え間ない腐卵臭は、シナノの胃を刺激し、強制的に立ち止まらせ、中の物を捻り出させた。
頭は高熱の時の様に回らず、背中も、小鹿の様にビクビクとしている。
「お……げぇぇ……」
と、胃液まで吐いていると、コツコツ……足音が近付き、誰かが背中をさする。
「大丈夫、大丈夫ですよ、先生、吐ききれば、良くなりますから」
あぁ……また、逃げねば。
そう考え、立とうとするも、足が動かない。
「そう言えば、このナイフ……何に使うつもりだったのですか?」
言いつつ、少女は、ナイフを男の足に投げた。
躊躇いなく、スッ…と投げられたナイフは、シナノの、硬い足筋に当たり、ツゥゥ…と傷付ける。
完全に切れはしなかったものの、動くと、激痛が走った。
そして、少女は続ける。
「さぁ先生…面談の続きを……私の志望、まだ、全部は聞いて、いないでしょう?」
最後に、少女は黒髪を揺らしつつ、微笑んだ。