第9話【風道】
(いや無駄じゃない!)
憐花は、そっと、一枚の紙飛行機を手に取り、
その風を感じる。
憐花(……今なら――届く。)
小さく、笑った。
憐花「もう大丈夫...」
「この想いが――あなたに風を吹かせるよ」
そして、
静かに、
その手から、
紙飛行機を放った。
まるで祈るように。
止まった世界に、
一陣の風を運ぶために――。
憐花が放った紙飛行機は。
碧斗のドリルの空洞の中を、
静かに、まっすぐに進んでいく。
灰色に閉ざされた世界。
止まった空気のなかで、
ただこの空洞だけが、
かすかに風を通していた。
紙飛行機は、
ドリルが拓いた道を、
ふわり、ふわりと進む。
その先には――
スルヴァ=トーンがいる。
けれど、
ドリルの輝きは、
もはや限界に近かった。
ギギギギ……ッ!
大地を震わせる音。
碧斗は、奥歯を噛み締める。
碧斗「……っ、頼む……!」
そして――
ドリルは、
音もなく、
砕け散った。
光の破片となり、
薄灰色の世界に、静かに溶けていく。
すべてが、
無に帰ろうとするなかで。
ただひとつ。
ただひとつだけ。
砕けた空間のなかから、
紙飛行機だけが、残った。
風に乗って、
小さな翼をはためかせながら。
スルヴァの目の前へ、
まっすぐに――
生きて、飛んでいた。
スルヴァは、目を見開いた。
止まった世界のなかで、
動くものなど、なかったはずなのに。
止まった自分に、
届くものなど、ないはずだったのに。
だが、
今。
砕けた螺旋の残骸のなかを、
ひとつの想いが、
小さな風に乗って――
彼に向かって、
確かに、飛んできていた。
スルヴァは、
震える指先を伸ばした。
恐れでも、拒絶でもない。
それは、
ただ、受け止めたいと願った、
はじめての、心からの動きだった。
そして、
紙飛行機は、
彼の掌に――
そっと、降りた。
スルヴァ=トーンの掌に、
小さな紙飛行機が、そっと降りた。
それは、
かすかな重みだった。
でも、
彼にとっては、
世界を変えるほどの、衝撃だった。
止まった世界に、
動くものなどないはずだった。
止まった自分に、
届くものなどないはずだった。
だけど今――
小さな翼が、
確かに、彼に触れている。
スルヴァは、
震える指先で、
そっと紙飛行機を撫でた。
冷たかった心に、
ほんのわずかに、
温かいものが滲んでいく。
……本当は、
動きたかった。
……本当は、
止まったまま、
終わりたくなかった。
過去の失敗が怖かった。
再び失うことが、怖かった。
でも――
この紙飛行機は、
何も求めなかった。
ただ、
憐花たちの想いを、
静かに、静かに、
届けに来ただけだった。
スルヴァ「……俺は……」
かすれた声が漏れる。
動いてもいいのか。
また誰かを傷つけるかもしれなくても。
それでも、
また、風を受け入れてもいいのか。
彼は、
戸惑いながら、
その答えを探していた。
そのとき――
憐花が、
そっと歩み寄った。
重たかった空気が、
ほんの少しだけ、軽くなる。
憐花は、
にっこりと、笑った。
憐花「大丈夫だよ。」
その声は、
止まった世界に、
やさしく、
小さな音を立てた。
憐花「あなたが選んだことなら、
きっと、それが――あなたの風になる。」
碧斗も、後ろから声をかけた。
碧斗「怖ぇなら、怖ぇって言え。
オレたち、そんなことで嫌いになったりしねぇからよ。」
スルヴァは、
手のひらのなかの紙飛行機を見つめた。
止まった世界で、
たったひとつ、
風に乗ってきた、小さな希望。
彼は、
ゆっくりと目を閉じた。
そして――
ほんのわずかに、
心のなかで、
"動きたい"と願った。
それは、
誰かに押しつけられたものじゃない。
自分自身の、
はじめての、
自由な願いだった。