第95話 貴族街
着付けの間、少しでも冷静になろうと、プルデリオ家の正装を見下ろす。……いくら気を逸らしても、脇汗は流れっぱなしなのだが。
借り物のポリエクロスの服が、今のライチの一張羅だ。しかし、それは勿論、堂々と着て登城するわけにはいかない。
プルデリオが用意してくれた、膝下まで落ちるチュニックは、深い藍色。袖口と裾には銀糸で細い織り模様が入っていて、いかにも銀で栄えるこの家らしい。
腰に巻かれた革のベルトは、幅が広く、しっかりとした作りで、銀の留め具がキラリと光っている。
本当にベルトだけか?と疑いたくなるほど、非常に重い。
足にはぴたりと巻かれた脚布。その上から革靴を履く。
最後に、正装には必須だと、マントが肩へとかけられた。
(マントが正装なんだな。異国だな〜)
遠い目をしてみたが、ずりしとしたその圧迫感が、ライチを現実へと引き戻す。
(『ライチ!私は領主だ!君の偉業を聞いたよ!称えさせてくれ!』……なーんてパターンは……あるよな!あるっちゃあるよ!うんうん!)
ライチはマントの扱い方を少し練習しながら、良いイメージで胃痛をなんとか軽減しようと試みる。
「御髪を整えます」
使用人が、手をこすり合わせて温めた整髪料を髪にべたりと付けて、櫛でとかし始めた。
何を塗っているのかと尋ねたら、上質な動物脂と蜜蝋を混ぜたものに、ハーブで香り付けをしているらしい。
「いかがでしょう」
使用人がよく磨かれた金属の板を、ライチに向けた。
分け目のぼやっとした七三分けで、べたっとした髪が、流れるような形で整えられている。
「これが領主に会って失礼のない髪型……なんですよね?」
ライチにはさっぱり良し悪しが分からない。ついでに、鏡がガラス製ではないので、細部がぼんやりとしか見えない。不安である。
「ふわふわと散らかっておりませんので、領主様に謁見しても、失礼はないかと思われます」
使用人は一つ頷きながらそう答えた。貴族を相手に儲けまくっているプルデリオ家の使用人がそう言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
ライチは打ち首の可能性が一つ減ったような心持ちで、小さく息を吐いた。
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「雨だ……」
外に出ようとすると、この世界で初めて目にする雨が降っていた。
気分が余計にどんよりとしてきてしまう。
傘というものは無いらしく、正装のマントの上から、さらにフード付きの分厚い外套を被せられた。
油が塗られているらしく、ひどく油臭がする。
春雨、という程度のパラパラとした雨なので、外套の雨ガッパでも充分雨をしのげる。
滑る石畳の道を、転んで服を台無しにしないように気をつけながら歩くと、幾分か気が紛れるようだった。
「あれが貴族街へ繋がる門だ」
富裕層街を通り、大聖堂と貴族街を繋ぐ、“一番高貴な大通り”を歩いた先。
上質な服を着て、髪をぺったりさせたプルデリオが、城壁の倍ほどの高さの防壁に作られた黒い門扉を、視線で示した。
「トルヴェルさんに少し聞きました。大きな門は、ほとんど使われていない貴族の馬車用で、庶民は横の通用門でボディチェック……ですよね?」
説明したトルヴェルも、まさか別れてすぐにライチがここを通ることになるとは、思いもしなかっただろう。
「その通りだ。ギルドカードを確認される。すぐに出せるよう、心の準備をしておいてくれ」
ギルドカード! もちろん高額預金のある通帳のようなものなので、肌身離さず首にかけて持ち歩いている。
以前見た時も、パラパラとした人の出入りだったが、朝食後というには少し早い今の時間も、人はまばらだ。
人一人が通れるくらいの小さな門なので、出るのと入るのは同時にはできない。混む時間になれば、ものすごい行列ができそうなものだが。
十五分ほどで、プルデリオの番になった。
カチリと噛んだ後のギルドカードを、石板についた丸い石に触れさせている。
その後、門番に召喚状を見せた。召喚されているライチの他に、使用人を二名通したい、などと話している。
門番にとって、プルデリオと使用人は見慣れた顔らしく、さくさく通され、中に入った後、手荷物検査とボディチェックをされ始めた。
ライチも、見様見真似で噛んだギルドカードを丸い石に触れさせた。
石板に、役所で登録したライチの個人情報が浮かび上がる。
門番から「問題ありません」と、前に進む許可がもらえた。
一歩。
貴族街へ足を踏み入れた。
「うわ……」
トルヴェルの言葉が蘇る。
『ちなみに、あの貴族街防壁には魔道具が設置されていて、臭いも音も、全て浄化・消音してから貴族街に届くって代物だ。中に入ると、それはもう爽やかな香りの風がそよついてるのさ』
喧騒が消えた。悪臭が消えた。
花だろうか? とても心地よい香りの風が流れている。
(これが、貴族街……)
湿った外套を脱ぐと、パンパンと体を軽く叩いてボディチェックをされる。小型の武器を隠していることは想定していないのか、ごく形式的なものだった。
通行の許可が出る。
ライチの手荷物は無いので、審査はこれで終了らしい。
プルデリオ達の元へ早足で向かうと、合流するなり、ライチが持っていた外套をスッと使用人に取られた。
「あ……どう、も?」
また着せてくれるのかと思ったが、プルデリオに続いてそのままスタスタと歩き始めてしまう。
そこで、はたと気づいた。
「……あれ? 雨、止みました?」
空はどんよりとした雨雲だが、雨粒が落ちてこない。空気もカラッとしていて快適だ。
「(……。貴族街は、音と臭いと一緒に、雨風や自然災害なども遮断されているんだ)」
プルデリオがこっそりと教えてくれた。
目がギラついていて、『だからその、低俗だと貴族様に切り捨てられかねない発言をやめろ』という圧が凄いので、どうやら親切心ではなさそうだ。
(へぇ〜。凄いな。そりゃ、傘が開発されないわけだ)
貴族たちは、この貴族街から出る時も、同じような防壁で濡れないようにするのだろうか。
いつか傘を作るなら、庶民向けの素材を選んだ方がよさそうだ。
(おお!純白の馬車だ!お城って感じ!)
初めて触れるもの、見るものに興奮してしまい、段々と当初の胃痛の原因を忘れ始めている。
カチッとした制服の従者が、通用門前で待っていたらしく、先頭を歩いていた。
プルデリオ達は彼に続いて歩き、純白の馬車に乗り込み始めた。
品の良い馬が二頭、待っていたぞ、という雰囲気の凛とした目で、こちらを見ている。
(ホテル行きのシャトルバス、みたいな感じかな。いくら庶民でも、城の横につけるんだから、威厳的にも防犯的にも、変な馬車は使わせられない、ってことか?)
純白の馬車は数台だけで、あとは色々な紋章が付いた素朴な馬車が並んでいる。
全体的に、馬車を華美に装飾するような文化はまだないようだ。
そんな中でのこの純白は、城用の公用馬車を示しているのかもしれない。
ライチも中に入った。
貴族なら一人乗りでもいいような狭さの空間で、庶民の四人が、二人ずつ向かい合わせで座らせられていた。車内広々〜じゃない方の軽自動車くらいのサイズ感だ。窮屈である。
そして、いくら純白の公用馬車?であろうと、中は木箱の椅子に、厚手の布が敷いてあるだけだ。
……走る地面は、ヨーロッパの観光地にあるような石畳。
さらに、タイヤは、木の車輪に鉄の輪がつけられているだけ。
(これは……異世界ものお決まりの……)
ゴト……ゴト、ゴトゴトゴトゴト
(おおおおおしりの骨にアガガガガ)
馬車が走り出すとともに、体全体がかなりの勢いで上下に振られた。未だかつて、乗り物では経験したことのない衝撃だ。
それもそのはず、貴族は飛車とやらに乗るのだ。
馬車なんぞに乗るのは一部の庶民くらいなのだろう。傘と同じで、発展するはずもない。
ライチは舌を噛まないようにするので精一杯になった。
せっかくの貴族街。外をゆっくりと見物したかったが、なにせ上下に振られるので、チラチラと見るくらいしかできない。
初めのゾーンは、日本の駅近の戸建て。
次のゾーンは、高級住宅街の庭付き戸建て。
最後のゾーンは、外国映画スターの豪邸。
……そのくらいの大きさの屋敷が並んでいる。
めったにお目にかかれない貴族のお屋敷。
もっとゆっくりじっくりと見たいが、詳細は揺れに飲み込まれていく。
(三人とも凄いな。涼しい顔をしてる)
ライチも慣れればこうなるのだろうか。
日本では、ミニカーですらついているサスペンション機能。そのありがたみを、尾てい骨でしかと感じる乗車となった。




