第86話 ギルドホールでの会議 後半
湧き上がるざわめきが、すっと静かになり、メルカトが新製品の説明を続行する。
「では、引き続いて、甘味シートについてご説明させていただきます」
人と物がゴソゴソと動く音がする。
「いま皆さんのお手元には、何の変哲もない熱湯と、シート……小さな布のような薄い板が配られました。
味の変化をみるために、火傷に気をつけてお湯を飲んでいただいても構いません。飲まなくとも、ただの水を沸かしたものであることは堂々と証明できますが」
味の変化をみるのは大切だ。証明のためにも何人か飲んでくれているといいのだが。
「では、そちらのシートを、十数える間程度で結構です。熱湯に沈めてみてください。数えましたら、シートは不要なので、スプーンで小皿に取り出してください」
ごそごそと布擦れの音がする。さすがにいい大人たちは声に出して『い〜ち、に〜い、さ〜ん』と数えたりはしなかったが、内心で数えているらしく、妙な緊張感が、ライチにも伝わってくる。
「できましたら、熱さに気をつけながら、味見してみてください。得体のしれないものを口にするのは不気味だと感じる方もいるかもしれませんので、私とプルデリオで先に飲んでみせますね」
「……うむ。甘い」
「甘い、ですね。よければ皆さんもお読みになってください。熱さもですか、想像よりかなり甘いと思いますので、驚かれないようにしてください」
しばらくの沈黙のあと。
「あっ……甘い!!!!なんだ……なんだこれは?!」
一斉に、甘味シートの毎度おなじみとなりつつある、驚きの声が上がった。
(さてさて、ファーストインパクトは上々。ふふふ、二の矢三の矢もくるぞ〜)
スピネラ村で見たマーヤの激しい反応を思い出して、ライチは一人にまにまと笑った。
「そして、こちらが、この甘味シートで作った甘味水を使って作った、菓子でございます。
今朝プルデリオ家の厨房で作られたものを持参しております。お試しください」
菓子を運ぶ物音と、それを食べた者が発する声で、一気にざわめきが大きくなる。
(朝食スイーツビュッフェのメニューも入れてもらった、あまあまフルコース、とくとお楽しみあれ〜)
甘い、美味い、甘すぎる、なんだこれ、そんな感じの声があちこちであがっているのが、断片的に聞き取れる。
「……では、時間も限られてございます。ご試食の手は止めずで結構ですので、製品の説明を続けさせていただきます」
チリリンとベルを鳴らして注目を集めたメルカトが、プレゼンを再開する。
「これらの甘い菓子が作れる甘味シートについてです」
メルカトが説明したのは、ライチが何度も話してきた、いつもの流れだった。
お湯に少しの間浸ければ、シートに染み込んだ中身が溶け出して甘い水ができる。
乾いたまま舐めても、唾液を吸われるだけで、甘い味はしない。
軽くて持ち運びやすく、乾いているため保存性も高い。
ただ甘いだけで、蜂蜜のような栄養はない。甘味水では腹は膨れない。匂いもない。逆に言えば、虫が寄ってこない。歯も傷めない。
煮詰めたらどろっとするとか、焦がすと固まるとかの性質もなく、甘くする以外の使い方はない。
作るのがとても簡単で、すでに発案者の情報提供により、アゼルシルバ領の農村にて量産され初めている。
ガリガリと、各書記たちが、木札をものすごい勢いで削ってメモを取る音が聞こえる。
「ふむぅ……蜂蜜のように、薬にはならんのだな……」
誰かの呟きが落ちる。そうなのだ。そこら辺が、蜂蜜や砂糖との棲み分けの、大きなポイントだ。
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「新製品に関する説明は以上となります」
「メルカト、ありがとう。
では、今紹介された新製品に関して、何か質問はあるだろうか。担当でない分野にも、どんどん声をあげてもらって構わない」
いの一番に飛び出た質問は、当然のものだった。
「確かに、緊急の招集も頷けるような、農村でちまちま作ってる場合ではない代物ですな。
ポリエクロスは、領地をあげて作り、シルクのようにどんどん他領や他国に売りさばいて、国力をつけられるような、そんな製品のように思われましたぞ!
さっそく、我々織物組合が先導となって、大規模に製造・販売をさせていただこう!
……して、製法は?」
「製法の話なら、甘味シートもですな!原材料も、製法も不明では、今後のための議論になりませぬ」
「……織物組合、香辛料組合の質問・意見は分かった。砂糖組合はいかがか?」
「ぼ……僕……ぁ、私は、商人組合長がまとめた意見に同意しようかと……」
なんでこんなトップの会議にいるの?と聞きたくなるような、主体性のない小さな声だ。
そういえば、砂糖組合長は、ほぼ砂糖が領地に流れてこないせいで、適当に役割を振られた人がなっていると、以前聞いたような気がする。
「なるほど。では、製法についてだが、まずは二つの新製品に関しての発案者の意見を伝えさせてもらおう。
利益の独占については考えておらず、ゆくゆくは製法を大々的に公表し、庶民にも作れて、庶民も楽しめる、そんな物にしたいそうだ」
「でしたら、さっそく我々に製法を――」
「しかし、発案者は、原材料の生産体制が整わないまま、製法だけが広まり、結果として、原材料を奪い合って争いが起きたり、土地が混乱することを非常に懸念している」
(そうそう)
「何をおっしゃる。農村で採れるもので作るものなら、そもそも、この土地は領主様や、魔力を納める貴族様のもの。発案者のものでも農村のものでもない。
貴族様がたのために製品を作る我々が、原材料を押さえるのは、至極当然のことではありませぬか?」
(なるほど……そうくるか……)
人の土地に生えてる特別な物で、新しく素晴らしい物が作れたとしても、それはそもそもその人の土地の物なんだから、発案者や製作者の物にはなりませんよ?というご意見だ。
領主様の土地に住まわせてもらって、貴族様に豊かにしてもらってるのだから、勿論そこで得られるものはお偉方のものですよ?と。
小麦や家畜なんかもその扱いで税を納める訳なのだから、言われてみればそのやり方が正しい気がしてくる。
(製法も原材料も、農村に留めるのは、無理か……? 森や村を荒らすことになったらどうしよう)
ライチのせいで、あの優しい村に、豊かさではなく諍いがもたらされてしまったら。
心臓がきゅっと縮こまる。
「……」
少しの沈黙のあと、プルデリオが、深く同意した声をあげた。
「……全く、おっしゃる通りだ。
しかし、実は、製法を知っている者は当組合にはおらず、さらに、発案者は旅の者で、もうその者から製法を聞き出すことは叶わない、ときている」
(おお……。ナチュラルに、“旅人はまた旅に出たから、もういない” みたいな感じにミスリードしてる)
さすがプルデリオである。
今日のライチは、『答えられない質問があったら、こっそり答えてほしい』と言われてこの場に参加している。しかし、プルデリオはもしかしたら、今の沈黙で、もうライチの存在はなかったことにするつもりに舵を切り直したのかもしれない。
厳戒態勢なのは、そもそもその選択肢を持っていたからなのかもしれない。
「なんと……流れ者が気まぐれにもたらした物なのですか……」
「でしたら!農村の者から聞き出しましょう!移動に何日もかかりはしますが、一度聞き出せば、あとは我々でどうとで――」
言いかけた声が途切れた。
「メルカト、説明を頼む」
「はい。行商人として、農村に向かった際、私も製法を聞き出そうとしたのですが……」
「ですが……?」
「旅人が製法を伝える際、神に誓いを立させており、農村の者以外には製法を広められないようになっていたのです」
「な、なんと……!!」「そんな」「神に誓われてしまっては……」
口々に声があがる。
正確には、製法を守る誓いは、ライチと農村がしたものではなく、村長とそれぞれの一家がしたものだ。
内容も、【ポリエ糸とポリエクロスの作り方に関する情報を、村の発展のためにのみ用い、村と誓いを立てずにそれを知ろうとする者には、決して漏らさない。これらを販売した際には、村に売り上げの二割を納める】というものだ。
誓いの内容を知れば、いくらでも製法を知る裏道はありそうだが、原材料の量産体制が整っていないうちは、この認識にしておく方がいいだろう。
「神と誓われてしまっては、何をどう聞き出そうとしても、農村の者は口を噤むしかないではないですか……なんて迷惑な旅人め……」
(うわ、“旅人像” だけ一人歩きして、恨まれ始めてる……。
できるだけ早く原材料とか製造ライン問題をなんとかして、農村も、カステリナの人達も、他領・他国の人達も、新製品を楽しめるようにするから、そんな恨まないでくれ〜)
ライチは目を閉じて、遠隔で内心の言い訳をした。




