第80話 夕食開始
「では、あとは発酵の仕方を。
いつも通り酵母液を入れて生地をこねたら、この部屋くらいのやや暑いところに、乾燥防止のために布をかけて置いてください。
これが一次発酵で、生地が二つ分くらいに膨らむまで待ちます。
発酵の確認には、指テストというものも使えます。指に小麦粉をつけて、生地に第二関節まで指して、指を抜きます。
穴が押し戻されるなら発酵不足。
穴がほとんど戻らないなら発酵完了。
空気が抜けて生地がしぼんでしまうなら、発酵しすぎ、です」
「指テストですか。面白いですね。これまで見た目や触り心地などの、何となくの勘で伝達してきたものなので、すぐさま取り入れてみます」
サピダンがキラキラした目でうんうんと頷いている。
「一次発酵が終わったら、生地を軽く押して空気を抜いて形を整え、また布をかけて二次発酵です。
二次発酵は食事の支度を始めるくらいからで充分で、これをすると生地がふわっと柔らかくなります」
「二次発酵? 一度で充分膨らんでいるのではないのですか? 二度も発酵させる、とは、あまり聞いたことがありせんが……」
「柔らかく、滑らかなパンにしたい場合は、二次発酵は大切ですよ!
二次発酵前の成形で押しつぶされたガスが、もう一度発酵して生地の中に均一な気泡を作り、きめ細かくふわっと仕上がります。逆に、二次発酵を省くと、重たくて密なパンになりますね。
あとは、発酵時間が伸びることで、酵母の働きも伸びるので、旨味や香りが増して風味もよくなります。
おまけに見た目の話ですが、成形後に二次発酵で休ませることで、焼いたときに形が崩れにくくなります。すぐ焼くと表面が裂けやすいですよね」
つらつらと二次発酵の利点を述べるライチ自身も、正直、『なんで二回も発酵するの? それなら一回目の時間を延ばしたらよくない?』と思って検索した勢なので、気持はよく分かる。
ライチ自身が納得したネットの豆知識により、サピダンも納得したようだ。
「よくわかりました。二次発酵だけでしたら、さっそく今夜のお食事から試せそうですが……試作を重ねてから皆様にお出ししたいので、ライチ様のお口に入るのも、少し先になるかと思います」
「もちろんです。またやってみて気になったことがあれば聞いてくださいね」
その他のメニューを再確認すると、前菜のチーズと炙り燻製ニシン、豆と小麦の粥、焼きリンゴと干しイチジクだそうなので、これらは特に口出しすることはなさそうだ。
しいて言うならば……とアドバイスしたのは、粥に野菜の出汁を入れると良いことと、焼きリンゴが丸ごと焼くだけ、という話だったので、イタリアで紹介された料理方法を提案してみた。
リンゴの底を残してくり抜いた芯の部分に、パン粉とナッツ、刻んだ干しブドウや干しイチジクを練ったものを詰め込んで焼くと、食感が変わって美味しいのでは〜、という程度のものだ。
西洋料理なので、ここの人たちの口にも合うだろう。ここのバターは保存のために塩気が強すぎて製菓には合わないのと、輸入品のシナモンが微々たる量なので、たっぷりと効かせられないのが残念だが。
「……あとは、中に入れる干しイチジクは、水で少し戻したあと、水気を切ってワインにつけておくと、料理としての風味が増すそうですよ。
あとは、リンゴから出る汁は捨てずにソースとしてかけると、さらに美味しくなるんだとか。
作ったことはないけど、コツとして教えてもらったことがあります」
「さっそく試作に取り掛かります……!
朝食に続き、またしてもライチ様の知識の広さと深さに、感服いたしました。
ひよっこに戻ったつもりでお話を聞かせていただきましたが、今回も実に学びの多き時間でございました。これからもお時間ある際には是非ご滞在いただき、何卒ご教授よろしくお願いします……!」
アドバイスに感激したサピダンに手を取られて詰め寄られる。
「い、いえいえ。タダで置かせてもらってるんで、それくらいはね。夕食、楽しみにしていますね」
若干引き気味にそれを受けながら、ライチからエールを送って部屋に戻らせてもらった。
ひとまず、今日の夕食と、数日後のパンの変化が楽しみである。
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「くぅぅ〜〜!……湯船……嗚呼、湯船……」
自分用の客間に戻ったライチは、すぐさま湯浴み部屋の浴槽にお湯を用意をしてもらった。
ここでは洗髪の文化もなければ、毎日入浴する文化もないようなので、
「本日もご入浴される、のですね。少々お待ち下さい」
と、ほんのり驚かれてしまった。
明日も頼む気満々なのだが、許されるのだろうか……?
(今日は朝晩で厨房ご意見番を頑張ったし、許してくれると信じてる。うん)
今日は特に、朝から厨房で汗ばみ、異臭通り……ではなくて、工房通りで毛穴の奥まで悪臭にまみれ、肥溜め池の水を掬い、糞尿をいじってクラフトした後、また厨房で汗ばんだ一日だ。
ボロ着を着ていたことからも、いろいろと察してもらえるとありがたいものである。
昨日と同じように、自分で頭と体を洗い、使用人に髭剃りをしてもらったあとは、同じく、手伝ってもらわないと着られないような夕食用の借り物の服を着て、食事部屋へ向かった。
「汚れを落とし終えたようだな。では夕食にするとしよう」
先に待っていたプルデリオ夫妻に頭を下げ、使用人に椅子を引かれて、アルジーナの向かいに腰掛ける。
もうオスティアへ戻ったトルヴェル。
ここで働くことになったフェラドとメルカト。
夕食は先に済ませて挨拶だけに来る子供たち。
朝にはいた五人のいない、夫婦とライチの三人での夕食だ。
(俺って、ここにいていいのか……?)
厨房で聞いていた通り、まずは使用人によって、熟成チーズと、炙り燻製ニシンが出される。
プルデリオが口をつけるのを待って、ライチは薄められた赤ワインをゴクリと飲み込んだ。
その様子から、二人はライチの心情を察したらしい。
「…………君は“相談”がどうも苦手なようなので、せめて今日何をしたのか、明日は何をするつもりなのか、これから何をどうしたいと狙っているのか、夕食時に聞かせてもらおうと思う」
狼めいた鋭い目で、ちらりとこちらを見やりながら、プルデリオが口を開いた。
正面に座るアルジーナも、うむ。と深く頷いている。
(そんな……ほっとくとあまりに何も言わないから、学校で何があったか晩御飯の時に話すこと!とルールにされる子供みたいな……)
実際のところ似たような心境なのだろう。
スマホでも支給してくれれば、『今からちょっとフォーク発注してきやすね。あとで発注書の写真送りやす』とか、『新作の下水処理クラフトがやべーんで、ちょと動画送りやす』とか、こまめに報告もできるかもしれないが、それももちろん難しい。
しかも、“お試しで作ってみたいな〜”くらいのノリでうろうろした今日のような日の場合、正直まだ報告できるようなことは何も無いのである。
(フォークもどんな出来上がりになるかわからないし、スーパーバクテリアくんも、下水溝にこっそり塗っちゃえ〜、くらいのつもりだし、夕食のレシピも、ちょっとアドバイスしたくらいだし……)
不確定段階で何をどの程度話すべきなのか思案していると、キャベツの煮込みと白パンが出てきた。
「……あら、美味しい」
「ふむ。……なるほど、な」
「おおっ!う、うま〜い!!」
(これこれ!この味の奥行き!!)
酢の骨破壊、炒めベーコン、黄金玉ねぎ、干しブタキノコの戻し汁により、キャベツに旨味がたっぷりと染みている。
白パンは昨日と同じ味だが、浸すスープが旨味たっぷりだと、パンも、より美味しく感じる。
「またやらかしてますわねぇ」
「やってくれているな……」
夫婦にだけ分かる端的な会話、というていで話しているが、ややにぶいライチでも、それが自分が厨房でしたアドバイスを指していることは容易に分かった。
(ぇ〜? そこまでのことじゃないよな?)
どれも家庭料理レベルのアドバイスだ。今回はやらかしてはいない……はず。




